376話 魔王様はもう帰りたい





 マリアはこれ以上ない苦境に立たされていたが、同時にその体を熱く滾らせてもいた。

 敵は魔力量において格上、そして魔王を名乗り得体のしれない技を使っている。

 シエスタやカイン達のために一刻も早く決着を付けねばならない。

 そして腕を切り落とした代償は幻痛と痺れで重く枷になっている。

 そんな最悪の状況だからこそ、マリアの集中力は極限まで研ぎ澄まされていた。


 もう若いとは言えないマリアは子供たちに比べて純真さが失われており、彼らほど簡単にゾーンに入ることはできない。

 だが大人だからこそ、ゾーン状態の自分に振り回される事も無い。


 戦況は硬直状態だ。

 ゾーンに入ったマリアはその戦技をいかんなく発揮し、格上のベルゼモードを相手に優位に立ちまわっている。

 だがそれはあくまでわずかに優勢であるというだけだ。このまま何事もなく状況が推移すれば勝ちきれるだろうが、その決着はまだ遠いところにある。

 戦技で勝り、気迫で圧倒し、それでもなお二人の間にあるランク一つという魔力量の差が戦局に硬直を生んでいた。


 ベルゼモードが時間を稼いでいる以上、時間は彼に味方する。

 カイン達を思えばそれはきっと正しい。

 だから今すぐにでも決着を付けて助けに行かなければならない。


 マリアはそれを叶える技を知っている。

 それは〈迅雷奈落〉の発展技。

 正確に言えば〈迅雷奈落〉はその技を身に付けるために覚えた練習用の劣化技だった。

 闘魔術〈神風〉。

 師であるデイトの切り札であり、それは簡単に言ってしまえば、ただの身体活性だ。


 デイトは不遜な言動とは裏腹に、己を才能のない凡人だと自認していた。

 そしてだからこそ己が持ちうるものを把握し、天才たちと肩を並べるために持ちうるその全てを鍛え上げていた。

 そんな彼の切り札が、神風。

 身体に流れる血液の一粒、筋肉の一本、無意識で動かしているそれら体の動き全てを意識下において魔力で限界まで強化し、直接操作する。


 効果のベクトルは身体活性と変わらない。あくまで肉体が強化されるだけだ。

 だがこの技を実現するには魔力と肉体操作の精度において一般的に知られている身体活性とは隔絶した技量と集中力が求められる。

 普段無意識に行っている強化のバランスを意識的に手を加えるせいで簡単に加減を間違えてしまい、そうなれば戦闘どころかまともに歩くことも出来ない。


 さらに使った際には無意識化でセーブしている筋肉までも酷使してしまうせいで肉体への負担も大きく、自身で傷つけてしまったそれは傷として定着してしまい呪われたように治癒魔法が通らなくなる。

 それらをクリアできたとしても結局のところ神風は身体活性でしかないため、その状態で肉体を十全に使えなければただ自滅するだけで終わってしまう。


 馬鹿みたいに高いリスクを超えて、それで得られるものは暴走じみた肉体能力だけ。

 そんな技をデイトは切り札としていた。

 無謀な身体活性を使いこなし、文字通り天才と渡り合えるだけの技へと昇華させていた。


 これまでマリアはこの技に成功した事は無い。

 肉体の強化に成功しても、肉体の制御まで気は回らない。

 肉体の制御に気をとられれば、肉体の強化はただの身体活性になり下がった。

 どうせ大した価値のない地味な技だと、何度も諦めた。

 それでもいつかは身に付けると、何度も心を奮い立たせて練習した。


 練習は、もうしない。

 この瞬間、この技は成功する。

 その確信があった。



 ベルゼモードの気持ちがわずかにそれた瞬間を捉えて、マリアは〈神風〉を使った。



 地を蹴った足の筋肉が反動で引きちぎれる。

 それでも構わない。

 確かに地は蹴れた。

 格上のベルゼモードの虚をつく速度で体は動く。


 その瞬間、殺したとマリアは確信した。


 類稀なる才を持ち多くの魔物や戦士と死闘を経験してきた彼女は、これから振るう自らの剣が相手の命に届くことを確信していた。

 それはこれまで彼女を助け、彼女が絶対の信頼を寄せる戦士としての勘だ。

 それが自らの勝利を確かなものだと教えていた。

 そしてその勘が、生まれて初めて彼女を裏切った。



 ベルゼモードを両断するはずだった剣は空を斬り、そして勢いのぶつけ所を失ったマリアの体はベルゼモードから離れてしまう。


 ベルゼモードはマリアが動き出すより僅かに早く、避けねば死ぬと覚悟したなりふり構わぬ有様で回避に専念した。

 もしもマリアが普通に斬りかかっていたのであれば逃げた先を追いかけてその首を撥ねる事も出来た。それぐらい無様な逃げ方だった。

 しかしそれだけ必死に逃げたからこそ〈神風〉の一閃を回避することが出来たし、マリアは〈神風〉を使ったからこそ間を置かず追撃することが出来なかった。

 本当の意味で〈神風〉を使いこなせていれば、こんな無様な真似はしなかっただろう。

 デイトであれば二の太刀でベルゼモードを切り伏せていた。


 マリアは歯噛みした。

 あえて隙を見せて誘われた。

 勘はそれを否定していたが、理性でそう判断した。

 その事で迷いはしない。どちらが正しかろうと意味は無いのだから。

 結果として必殺を期した一撃は躱され、その反動でマリアは左足と右腕を痛めてしまった。

 今、考えなければいけないのはここから局面をどう挽回するか。

 それだけが頭を占め、だからこそ続くベルゼモードの行動に呆気をとられる。


 転がっていた彼は立ち上がると、技の反動で動けないマリアに襲い掛かるでもなく、シエスタを人質に取ろうとするでもなく、その場から走り去った。

 彼の向かった先には、カインとセルビアがいる。


 上級の戦士と合流してまず幼い二人を片付けるつもりだ。

 マリアは最悪の予想をして、そうはさせまいと背を見せたベルゼモードを襲おうとするが、傷んだ体は咄嗟に動かず一歩以上に出遅れる。


 舌打ちをする暇も惜しんで、マリアは己の体を爆裂の魔法で吹き飛ばした。

 左足と右腕の痛みは尋常ではなく、事前に覚悟していた通りに治癒魔法もほとんど通らない。一度切り落としていた右腕は特にひどく、おそらくこの戦闘中まともに使う事は出来ないだろう。

 だから左足を温存する意味でも自分を宙に吹き飛ばし、そのまま空を飛ぶことでベルゼモードの後を追った。

 飛行魔法は都市法で禁止されており、さらに燃費がとても悪い上に速度すらも地上を走るより遅い。

 こんな事をして追いついたところでベルゼモードに勝つ道筋は途絶えている。冷静に考えるなら少しでも身体を休ませてから追いかけるか、あるいはもう無理だと割り切ってシエスタとアベルを連れて逃げ出すべきだ。

 だがそれでも子供たちが捕まる前に、そして殺される前に、それだけを考えてマリアは飛んだ。


 時間にすればそれはほんの数秒。その短い時間を間に合えと願いながら、間に合わないと嘆きながら、マリアは全力で空を飛ぶ。

 しかし奇跡は起こらず、先行するベルゼモードの姿を見つけると同時に彼の手から攻撃魔法が発動されてしまった。


 マリアは怒りと憎しみで心を満たしながら、殺されたセルビア――爆裂の魔法の中心にいて吹き飛んだことだけ見えた――の仇を討たんと、空を飛んできた勢いのままベルゼモードを蹴り飛ばした。

 何故か気が逸れていたベルゼモードは、それをまともに受けて地面を大きく転がった。


「くっ……」


 マリアは苦悶の呻きをかみ殺した。

 蹴ったのは無事な右足だったが、蹴りと、そしてその後の着地の衝撃は右足だけで殺せるものでは無く、地面を転がり受け身をとることで左足と右腕を庇った。

 だが完全に庇えたわけではなく、左足と右腕のダメージはより深刻なものとなる。

 そんな彼女に、セルビアとカインが駆け寄った。


「無事か、ババア」

「大丈夫、マリア?」


 セルビアは膝の皿を粉砕骨折していたが、彼女の傷はマリアと違って普通の怪我だ。

 魔力量で中級中位となり、そしてセージの側で過ごしていた彼女は完治とまではいかずとも、ある程度は動ける状態まで回復させることが出来ていた。


「あなた達こそ、よく無事で――」


 マリアは感極まった声でそう言った。

 未熟な二人が上級の戦士を相手に生き延びられた事だけでも奇跡的なことで、さらに爆裂の中心地にいたセルビアは絶対に死んだと思っていた。

 マリアは二人の生存を喜びながら、しかし聞き逃せない単語が混じっていたことに気が及んだ。


「――帰ったら、覚えておきなさい」

「カイン、死んだね……」


 そう言ったセルビアは不思議そうな顔でカインの顔をまじまじと観察する。


「……あれ? なんでカイン生きてるの?」

「ふざけんなっ‼

 ……ちっ、クソっ、助かったよ。

 お前のおかげだよありがとよこれでいいかよ」

「あ……うん」


 ぼやくカインに対し、セルビアは何が何だかわからないと言った様子で頭を捻ったが、しかしこれ以上無駄な時間を使う余裕はない。

 ハーマインもルヴィアと共に三人に合流し、吹き飛ばされたベルゼモードと黒焦げになったライムを見据える。


「……ギルドの、偉い人だよね」

「ベルゼモード。帝国の魔王。敵です」


 短くマリアそう言った。

 右腕はもうまともに動かず左足も普段通り動かすことは難しい。

 〈神風〉切り札はもう見せてしまった。だがそれでも見せたからこそできる駆け引きもある。

 無理をすれば一度くらいは耐えられるのだから。


「先ほどの介入はその燃えたゴミを助けるためですか。セルビアを殺さなかったことに関しては感謝をしておきましょう」

「そうかい、そりゃあどうも。ならいっそ、ここで分けって事にしませんかい?

 そっちは満身創痍。

 こっちもこれを失うのはちぃとばかし痛い。

 俺としては宣戦布告が目的でしたんでね、これ以上は頑張りたくないんですよ」


 太々しく余裕を残した態度でベルゼモードはそう言った。

 それがブラフで、言葉通りさっさと逃げたいと思っていることにルヴィアだけが気付く。

 半ば無防備に頭を強く蹴られ脳を揺らされたベルゼモードは、膝や声が震えるのを堪えていたのだ。


「マリア様、ここは承服してはいかがでしょうか」


 ルヴィアは戦闘こそ素人だが、人を見抜く目には自信がある。

 彼女はマリアが――いや、マリアだけではなくこの場にいる戦士たちが決死の覚悟を抱いていることを感じ取っていた。

 だからこそこの場で戦わず引くことを提案した。

 そもそも彼らにはこの場で命を懸けるだけの理由はないのだから。


 ただしそうなればこの場に残されるエメラたちに絶望的な未来が訪れる事も意味している。

 マリア達がこの場を去り正式な捜査員が来るまでにはどうしても時間がかかる。

 その間に証拠隠滅のため余計なことを知ったであろうエメラたちが殺されるのは間違いないだろうし、その前に好色な伯父が悪さをすることも考えられる。


 だからルヴィアはこの場に残り、皇剣ラウドたちが改めてやって来るまで時間を稼ぐつもりだ。

 もっとも帝国との繋がりを知ってしまった今、伯父がどれほどルヴィアの言葉に耳を傾けてくれるかは怪しい所がある。

 最悪の場合何もできずに被害者が一人増えるだけだが、ルヴィアは覚悟を決めてあなたたちは帰りなさいとマリア達に告げた。


「お断りします。ベルゼモード、あなたはここで死になさい」


 マリアはそう答えた。

 彼女にルヴィアほどの人を見る目は無いが、それでも卓越した戦士として命を懸ける者の覚悟を感じ取ることはできる。

 何の力もないルヴィアから自分と同等以上の覚悟を感じ取って、彼女を改めて守るべき対象として認めた。


 そんな心の機微を感じ取って、ルヴィアはひどく困ってしまう。

 息子は多くの優しい人に愛されていて、そんな優しい人たちがただ息子を産んだだけの女の事を慮ってくれる。

 それはルヴィアの胸をきつく締め付ける行為だった。


「そうですか、そりゃあ残念ですね。

 ですがここが俺たちのアジトだってことを忘れてやいませんか」


 あーもうこうなりゃやけだと、そんな内心を隠してベルゼモードはそう言った。


「まさか私設騎士チンピラが何かの役に立つと思っているのですか?」


 マリアは冷たい目でベルゼモードを睨み据える。

 アベルにシエスタを任せられたように、ルヴィアはセルビアとカインに任せられる。

 子供二人のサポートと燃えたゴミが起き上がるリスクをハーマインに任せれば、マリアはベルゼモードに専念できる。


 マリアの怪我ではまともな戦闘は難しいが、幸運にもベルゼモードには先ほどの蹴りでかなりのダメージを与えている

 そして〈神風〉はあと一度だけ使える。

 ここまでの流れで、それで十分勝機はあるとマリアの勘は感じ取っていた。


「まさか。そこまでおめでたい頭は持っちゃいませんぜ。

 ですが秘密兵器ってやつは、隠し持っておいてこその秘密兵器なんですよ」


 ベルゼモードがそう言い、オルロウの屋敷に向けて魔法を放った。




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