375話 切り結ぶ太刀の下こそ地獄なれ
カインが死ぬ。
カインが殺される。
カインが殺された。
頭の中にあるのはそれだけ。
他のものは何もない。
止めなければいけない。
理由など明白だ。
止めなければならない。
そんなのは許されない。
瞼に焼き付いた兄の首が転がる光景を、再び現実のものにするわけにはいかない。
そんな絶望など許せるものでは無い。
暗闇に閉ざされる未来を前に、心が燃える。
心臓は大きく脈打ち。
彼女は死を畏れ。
彼女は死を望む。
殺すと。
必ず殺すと。
怒りと憎しみと悲しみと希望を胸の内で暴れさせて、彼女は怨敵の死を望む。
故に、それに至る道筋を見る。
お婆ちゃんはひどいですね~。
何者かの声が聞こえる。
それに思考を割く余裕はない。
自分のものではない大きな力に後押しされる。
それに疑いを持つ余裕はない。
殺す。
ただ殺す。
頭の中にあるのはただそれだけ。
それだけを成すために、見えた道筋に向けて彼女は駆け出す。
往く先は地獄。
か細い道を僅かでも踏み外せば彼女自身が死に落ちる。
崩れく道を臆することなく駆け抜けねば死が彼女の背に追いつく。
それを感じて、しかし迷いはない。
同じような地獄を兄は何度も駆け抜けた。
何度も失敗し、何度も死に、それでも一度として膝を折ることなく、死ななくなるまで走り続けた。
彼女の魂は、その瞳は、それをずっと見てきていた。
ならば駆ける。
だから駆ける。
命を賭して、地獄に挑む。
兄の背中を追うように。
死にゆく命を助けるために。
その心を殺意で満たして、彼女は駆ける。
******
「おい、よく見ていろよ」
ライムはそう言って刀を振りかざした。
その刀はセルビアが大好きな兄の刀だった。
その刀で、憎たらしくも尊敬する二人目の兄の首を切り落とそうとしていた。
セルビアの剣は届かない。
ライムまでの距離は絶望的に遠く、それを埋める術を今のセルビアは持っていない。
セルビアの魔法では届かない。
今の彼女が全力を込めたところで格上のライムを止めるには威力も速度も到底足りない。
言葉では止められない。
そんな事はわかりきっている。
だから彼女は、言葉を発した。
「俺の強さ――」
「あ゛ああぁぁぁぁぁぁあああああああ゛‼」
ライムの言葉を遮る形で、彼女は心の全てをぶつける咆哮を発した。
想いと魔力と、そして彼女の中で目覚めたわずかな神力を乗せた咆哮が、ライムにぶつけられる。
それを受けて、ライムはわずかに怯んだ。
何故怯んだのか、彼にはわからない。
咆哮の威力はしょせん中級中位のセルビアが発したもの。ただの魔力ではないとはいえ、それでも圧倒的なランク差を覆せるものでは無い。
だから彼が怯えた理由は、威力ではないところにあった。
そしてそんな彼に、セルビアは畏れの正体を突きつける。
「ブロークンブレイド‼」
ライムが持つ竜角刀に、彼女は命じた。
いつまで大人しく従っているのと、お前の主人は誰なのと、己が誇りを示せと。
長い間、強い魔力を受け続けた武器はそれ自体が魔力や自我を持つようになる。
付喪神とも霊剣とも呼ばれるそれに、竜の体で鍛えられそして神力を込められてきた竜角刀〈
完全なものでは無い。
そうであれば最初からライム如きに振るわれることを許しはしなかった。
だが未熟ながら目覚めの兆しは持っていた。
それを、セルビアは神の力で無理やり叩き起こした。
ライムが持った竜角刀が、セルビアの声に稲妻を発して応える。
それは強い力ではない。
セルビアから受け取った魔力を増幅させたとはいえ、それでもライムとの実力の差はやはり大きく、得体のしれない恐怖を思い出したライムは無意識に防護層を最大限高めていた。
竜角刀の抵抗はライムの手の平をチクリと刺し、そして火傷させる程度のか弱い稲妻でしかなかった。
そしてライムが相手であれば、それで十分だった。
「ひぁっ」
ライムは反射的に竜角刀を手放し、腰を抜かしてしまった。
痛みそのものは小さくとも、突き刺さるような痛みと皮膚を焼く熱さ、そしてそこに込められた
足を切られ、腕を切られ、全身を焼かれ、踏みにじられた記憶がフラッシュバックする。
残酷で冷酷なその死神は姿や魔力を隠すのがとても上手い。
ライムは竜角刀の抵抗をセルビアがなしたとは露ほども思わず、どこかに隠れているであろう死神が陰ながらにセルビアを助けたのだと疑った。
ライムはまず空を見上げた。
綺麗な青空があるだけでそこには誰もいない。
ライムは次に周囲を見渡した。
間抜け面の私設騎士と、必死な形相で迫ってくるセルビアとハーマインの姿を認めた。
死神の姿はなかったが、そこで彼は我に返った。
ハーマインとはまだ距離があるが、セルビアはもう目の前まで迫っている。
彼女は咆哮を上げると同時に走り出していたのだ。
いかにライムが上級上位の実力者であっても、セルビアとの間に圧倒的な差があろうとも、あまりに無駄な時間を使いすぎた。
手放した竜角刀はセルビアにもう拾われている。
そしてもうその刀を振りかぶっている。
刀を体の後ろに隠す居合に近い構え。
竜角刀で速度の乗った横薙ぎのそれならば、セルビアとてライムを害しうる。
胴であれば肉と骨で止められるが、頭や首を狙われれば致命傷にもなりかねない。
だがそれはライムが殺されるという意味では無い。
閃光による目くらましはおそらく通用しない。
認めるのは癪だが、セルビアとカインの技量はライムに迫るところがある。とても癪だがライムは技量に関しては同格だと認めてやった。
だから目を潰されても的確に刀を振り切るだろう。
爆裂ならば吹き飛ばせるが、そこまで追い詰められているわけではない。
それにここで使えばセルビアとカインの両方を殺してしまう。
ライムの主であるベルゼモードは二人を殺すのを禁じていたし、痛めつける事も控えろと言っていた。
片方だけならともかく両方殺してしまっては言い訳は難しい。
殺される前に手刀でセルビアを殺すという選択肢はある。
だがそれをライムは選ばなかった。
何が何でも殺すと血走った目のセルビアを見れば、相打ちでも構わないと覚悟を決めているのは確実だ。
動き始めが完全に遅れている以上、無傷でセルビアを殺すのは不可能だ。
ハーマインも迫っている以上、確実に深手を負ってしまうそれを選ぶわけにはいかなかった。
竜角刀さえ奪ってしまえばセルビア自身の攻撃は大した事は無い。
無刀取りという選択肢もあるにはあったが、あれはとても難しい技なので、ライムのような上級上位で最強な魔王の騎士でも失敗するときはする。
この場で失敗すれば無防備に体を裂かれて趨勢が敗北で決する。
そんなリスクを冒す必要はない。
だからライムは防御を選んだ。
首と頭さえ守れればいい。
腕一本は落とされるかもしれないが、二本は無理だ。
だからライムは右腕と左腕で首と頭を守った。
腕を落とされたあとに頭突きでセルビアを返り討ちにする。
そうして残った腕で竜角刀を奪えば片腕でもハーマインをあしらう事は出来る。
そんな未来を予想して、痛みを覚悟してセルビアが振るう刀を受けて、
「へぁ?」
素っ頓狂な声を上げた。
来ると思った痛みは来ず、腕に当たった
闘魔術〈
セルビアは素手でライムの腕を掴むと、そこを支点にしてライムの顔面に飛び膝蹴りを叩き込んだ。
呆気にとられたところに予想外の蹴りが来て、ライムの頭は完全に真っ白になった。
とは言え防護層は強化していたのでダメージはほぼ無い。
むしろ全力で打ち込んだセルビアの膝こそが砕けた。
しかし何故と。
竜角刀は何処にと。
ライムが我に返り疑問を覚えた瞬間に、答えは返ってくる。
ライムの腹に、カインが竜角刀を突き刺した。
焼けるような痛みと熱がライムを襲い、咄嗟に拳を振るってカインを殴り飛ばした。
腹に刀が刺さっている以上、体や肩のひねりを拳に伝える事は出来ない。
ただ振るっただけの手打ちの一発は、しかし彼我の魔力量の差を考えれば十分な脅威で、カインはそれで大きく吹き飛ばされた。
そして腹を刺されたライムは、ハーマインが迫っているのを認める。
だがまだだ。
まだ負けていない。
膝蹴りで視界を塞いだセルビアを避けたため、カインは体を狙うしかなかった。
腹を貫かれて重傷ではあるが、あくまで一般人にとっての重傷でしかない。
有効な治癒阻害の呪いも使えていないただの傷など、上級上位で魔王の加護もあって最強のライムならば一秒もあれば完治できる。刀さえ抜けばそれが出来る。
そしてハーマインが来るまでに刀を抜く時間はある。
少しは追い詰められたがまだ負けてない。
まだ仕切り治せる。
俺はまだやれる。
必死に自己暗示をかけるライムを、さらなる激痛が襲う。
膝蹴りの勢いのままにライムの後ろに回っていたセルビアが、背中から突き出た竜角刀を無事な方の足で蹴り落としたのだ。
刃先は地を指し、柄は天に向かってぐるりと回り、ライムの体を裂いた。
ライムはあまりの痛みに声にならぬ絶叫を上げる。
そしてセルビアはライムの肩越しに竜角刀の柄を握った。
何を言う事も無い。
ただ死ねと。
セルビアはその刀を思い切り引き抜く。
ここにきて、ライムは死を悟った。
もはや爆裂の魔法は使えない。
この状況でセルビアが吹き飛べばそれはそのままライムへのダメージになる。
肘撃ちなどでもそれは同じだ。
セルビアが刀を引くより早くセルビアを殺すことはまだできる。
だが迫ってくるハーマインをどうにかする術がない。
それが分かってしまうからライムは咄嗟に動けなかった。
ここから生き残る術があるんじゃないかと文字通り必死に探して、そうしてセルビアを殺す時間すら失った。
セルビアが刀を振りぬき、腹から股下までが裂ける。
その痛みで無防備になったところにハーマインの剣が迫った。
セルビアはライムを殺すためのか細く危険な道を踏破して見せた。
不可思議で得体のしれない力で見抜いたその道筋は、限りなく未来予知に近い未来予測だった。
単純な精度だけで言えば、感情の変化と魔力の流れから動きの先を読むセージよりも上を行っていた。
だがセルビアにはセージほどの視野もなければ、複数の問題が相互に干渉しあった際の演算力も無い。
有体に言えば彼女の力はまだ不完全であり、彼女が踏破した殺害への道のりにはこの場にいない者からの邪魔が想定されていなかった。
ハーマインの剣がライムを捉えるよりわずかに早く、その魔法は発動した。
それは爆音と衝撃と高熱を発する爆裂の魔法。
「いやはや、俺は一体だれを助けに来たんでしょうね」
衝撃だけを受けたセルビアと咄嗟にガードしたハーマインは吹き飛ばされただけだったが、中心にいたライムはこんがりと焼けていた。
ライムを中心に爆裂の魔法でその光景を作り出したベルゼモードはほっと安堵し、そして次の瞬間にはマリアによって思いっきり蹴り飛ばされた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます