374話 まじょのささやき
恨むぜ大将。
ベルゼモードはマリアの猛攻をしのぎながら、口に出す訳にはいかない悪態を心の中で吐き捨てた。
ギルド理事長の懐刀にして上級上位の戦士というのは仮の姿で、その実態は帝国外交部門の長たる魔王である。
ベルゼモードは偉いのである。
間違っても現場で諜報員の真似事に従事する立場ではなく、安全で平和で危険なものなど何もない首都で、上がってくる報告書に判を押すだけの立場のはずである。
午後三時には毎日優雅にお茶を楽しみたいのである。
そんな彼がなぜ日夜危険な荒野で魔物狩りをし、横暴な主人に振り回され、そして今、必要とあらば自分の腕も即座に斬り落とす危険な脳筋暴力女と対峙しているかと言えば、他の魔王どもに押し付けられたからである。
それも出来るからやってねという、とても雑な理由で。
ベルゼモードとて断りたかった。
とても断りたかったが、そうはいかなかった。
帝国議会は基本的に多数決で決まる。例外は国の守護神様からありがたいお言葉を頂いた時ぐらいだろう。
他国での活動だから外交案件で、そもそも帝国には敵国と、潜在的な敵国と、将来的な敵国しかいない。つまり外交活動はすなわち諜報活動で何も間違っていないよねという暴論が通り、だからお前なと多数決で決まってしまった。
普段から王国や共和国から入ってくる不法移民を難民として受け入れたり、絶対にそれを認めず国民を拉致したと難癖をつけてくる相手国への抗議で四苦八苦しているというのにだ。
元々が研究職のベルゼモードとしては軍閥の魔王たちに押し付けたかったが、残念ながら当代の魔王たちは現場からのたたき上げで腕っぷしと度胸には目を見張るものがあるものの人とお話をするという事にとても難があった。
保身も大事だが、しかし帝国の未来がかかったこの重大なミッションを彼らに任せるわけにはいかないという分別もベルゼモードは持ち合わせてしまっていた。
そこで恥も外聞もなく嫌だ嫌だ絶対に嫌だとごねられるような性格だったのならば、きっと推薦される事は無かっただろう。
真面目な魔王はいつだって割を食うんだとベルゼモードはたいそう嘆いた。
精霊都市連合は帝国にとって将来的な敵国であり、彼らの発する毒は既に帝国を蝕み始めている。
故にいつかは武力衝突することになるだろうがそれはまだ先の事で、その際に備えた仕込みやそもそもそんな事態を回避するための暗躍はそれこそ本職の諜報員に任せるべき業務だ。
ベルゼモードの仕事はあくまでこの国で起きる事の観察だった。
この国に帝国の守護神、そして建国に携わった偉大な人が関心を寄せている。
それは聖獣たる竜が危険視する穢れた土地であるからという理由ではおそらくない。
この国が神にとって不快な物であれば、速やかにきれいさっぱり滅ぼすだろう。どれほどの力を蓄えていても、神の前では無駄でしかないのだから。
つまりは現世神たちはこの国で何かしらをしようとしており、ベルゼモードはそれを確認するのが仕事だった。
神の意志もその力も、帝国の英知を結集したところで読み解くことは出来ないし、抗う事だってできはしない。
神の力がそう言うものだという事を、帝国はその歴史の中で良く学んでいた。
だがだからといって何もしないわけにはいかず、まかり間違っても帝国が神々の逆鱗に触れるわけにはいかない以上、何が現世神を動かすのかを見定めねばならない。
そのための情報収集だが、この世の全ては神の見通すところであり、帝国が守護神様すらも警戒し備えているところも見通されている。
つまるところ現世神が関心を寄せると分かった上で派遣される人材なのだ。
場合によっては現地で現世神から命令が下されるかもしれないし、その際は柔軟な対応が求められる。
だからこそ十分な権限を持つ魔王であるベルゼモードがこの国に潜伏することになった。
できれば首都で集めた情報の分析をしたいなあと思いつつ、必死な思いで頑張っていた。
そんな研究職上がりで文官肌のベルゼモードにとって、生粋の戦闘狂とタイマンなど考えられない愚行であった。
こうならないために現地で死にかけた頭のおめでたい戦士を拾い、特別な魔法で救ったのだと信じ込ませ、これまた特別な魔法で強化してやったのだとプラシーボ効果を与えてやったのだ。
そうだと言うのにそのおめでたい戦士は別のところで格下の戦士と子供を相手に遊んでいて、ベルゼモードが働くしかない状況だ。
暴力女ことマリアは対人戦に特化した毒と幻術を受けたものの、即座に自分の腕を切り落として混乱からも立ち直っている。
マリアには本物の魔法と嘯いて誇張表現してみたものの、帝国とこの国の間に魔法技術の差はそれほど大きく空いてはない。
ただ学ぶ技術が対魔物戦に傾倒しているこの国に比べれば、長く戦争をしている帝国は対人戦において一日の長があった。
マリアに使った技もその一つだ。
人間相手に特に有効な猛毒と幻術を組み合わせた切り札は、それこそ精神を殺しかねないほどに強力なものだ。
念のために解毒薬も用意しているのに、マリアは一瞬の混乱で立ち直り、仕掛けすらも看破した。
酷い話だ。
どうしてこうなった。
そもそもベルゼモードは守護神様が現れるまで、隠れてうだつの上がらない中級程度の戦士として過ごすつもりだった。
だが化け物みたいな男に隠していた実力を見抜かれ、隠していた立場も暴かれ、ならば殺すしかないと腹を括ったのに良い様に転がされて、あれよあれよと色んな面倒ごとに振り回されているうちに、気が付けばその男の懐刀として日夜あちこちを駆けずり回る羽目になっていた。
ベルゼモードは魔王なのに。偉いのに。
本当にどうしてこうなったと思うのだが、何より酷いのはそんな毎日がベルゼモードにとって楽しかったのだ。
いつか来るこの国の終わりが少しでも遠いものになればいいのにと思ってしまうほどに。
守護神様が運ぶ絶望が、せめて少しでも遠い未来になればいいのにと思ってしまうほどに。
だがそんな甘い願望は、他ならぬこの遠い異国の地で主人と認めた男の言葉と行いで捨てざるを得なくなった。
化け物が人間の皮を被ったような主人は、お花畑を愛する乙女のように夢見がちなことを口にした。
まるで似合いもしない子供っぽい理想。決して叶う事のない都合の良い妄想。それを叶えるために協力して欲しいと彼は頭を下げた。
いつものように外堀を埋めて断れなくしてから、にやにやと嫌らしい笑いを浮かべて命じられる形だけの頼みでは無く、心から頭を下げた。
それに心が震えなかったと言えば嘘になる。
だがベルゼモードは帝国の魔王で、守護神様のお言葉には逆らえず、そして何より祖国を守る義務があった。
そのためには時に自ら手を汚さねばならないし、それが今だった。
恨むぜ大将と、心の中でベルゼモードは嘆きを繰り返す。
だが彼が振るう剣はそんな弱音とは相反して、力強く振るわれていた。
彼の目的は時間稼ぎだったが、勝って悪いという訳ではない。だからこそ真っ先に初見殺しともいえる切り札を使った。
それに遠いこの異国で殉職したアルドレとラキュリアを思えば、帝国の魔族も少しはやるのだと言うところを見せてやりたい。
そんな気合と意地を胸で静かに燃やすベルゼモードは、しかしやっぱりものすごく劣勢に立たされていた。
失った腕を再生させて襲い掛かってくるマリアの気迫はすさまじく、そしてその技は的確にベルゼモードを追い立てていた。
アレを受けたら少しは腰が引けるもんでしょうよ。
ベルゼモードは心の内でそう嘆くが、剣を交えることでそんな弱気も、そして時間を稼ごうとしている事もバレてしまっていた。
切り札で技術的な部分で優位性を印象付けるのには成功したのに、それを上手く使えていない。
ベルゼモードの切り札の一つだった毒と幻術の混合魔法〈腐らせ蟲〉はマリアにとっても確かに恐ろしかったが、幻術と毒であることを知った今ならば次は耐えられる。
そして魔力量で劣るアベルとシエスタでは間違いなくショック死をする。
そしてカイン達の状況は相変わらず悪く、ベルゼモードは消極的な立ち回りで時間稼ぎを狙っている。
マリアが攻勢を強めるのはある意味では当然の事だった。
もっともそれは恐怖に怖気づくことなく立ち向かう豪胆な精神力があってこそできたことだ。
まったく、脳筋はシンプルすぎていけねぇ。
ベルゼモードは再び心の中で嘆いた。
結果としては怯えや疑心に付け込む高学歴魔王らしいインテリな戦い方は出来ず、軍閥の魔王が好きそうな正面からの真っ向勝負になってしまっている。
ベルゼモードの魔力量は上級上位で、マリアの魔力量は上級中位。
セオリーで言えばベルゼモードの圧倒的な優位であるが、実のところベルゼモードは戦闘がそんなに得意ではない。
確かに上級上位に至るまで多くの戦闘を経験しているが、彼は元々が研究職で、魔物の弱点や性質を知り尽くしている。
よく分からなくても何となくで倒してしまう守護都市の脳筋たちとは違い、頭を使って効率的に魔物を狩るインテリ派なのだ。
さらにマリアは腕を切り落として再生させているが、ベルゼモードも怪我はしている。
腕の傷はかなり深く、治癒を阻害する呪いも込められていた。
魔法を放つ際に守りが薄くなったこともあり、その呪いは深く食い込んでいて治癒魔法の通りはかなり悪い。
ともすればマリアが感じている幻痛以上の激痛をこらえながら、ベルゼモードは剣を振るっていた。
もちろん苦境に立たされているベルゼモードとて弱い訳ではない。少なくとも雑魚狩り専門のライムよりは強い。
だが対人戦において彼が得意とする所は幻術や詐術であって、話を聞いてもらえずはっきり敵と見定められているマリアを惑わすのは難しく、隠してある切り札も残り少ない。
この後が控えている以上、それをここで使い切るわけにはいかなかった。
そしてマリアの才覚はジオにも届くと呼ばれたほどで、ブランクによって衰えた技も道場でのジオとの手合わせやセージと共に魔物を狩ることで急速に研ぎなおされ、現在では現役時代を超えて新たな全盛期を迎えていた。
このままじゃヤバいかと、ベルゼモードは思う。
剣を振るう体は熱いが、頭の中はいつだってクレバーだ。なぜならベルゼモードは内勤向きのインテリ魔王だからだ。
だからそろそろ逃げようかなと思い始めていた。
アルドレたちの無念も少しは晴らしたいが、それはそれとして自分の命が何より惜しい。
より正確に言えば、自分が死ぬことで帝国に危機が訪れるのが何より怖い。
この国で起きている異常な事態の数々は、事態の転びようによっては帝国に飛び火する。
守護神様が守ってくださればよいのだが、実のところベルゼモードは彼女を信用していない。
いと尊く遥かな高みにおられる神様は、ベルゼモードたち下々の命がどうなろうと気にも留めないのではないかと疑っている。
だからこそ地べたを這いずり生きている魔王が、帝国臣民の安全を守らねばならない。
そのためにもこんな所では死ねない。
死ぬわけにはいかない。
そんな強い意志に従って逃げるための算段をしたところで、ベルゼモードは両断された。
それは文字通り稲妻のような、目にも止まらぬ閃光の如き斬撃だった。
彼我の魔力量を考えれば有りえないほどの速度、ありえないほどの膂力、それをマリアは発揮した。
半分になった体を何とか繋ぎ止めようとベルゼモードは苦心する。
だがそれより早くマリアは動く。
後の事など忘れて残していた切り札を使おうとする。
だがそれより早く剣が振るわれる。
死の淵では走馬灯を見ると言うが、それは嘘だった。
あるのはただ後悔だけ。
すまねぇ、大将。
脳天を砕かれる最後の一瞬、ベルゼモードによぎったのはスノウへの謝罪だった。
そして脳が砕かれ死んだはずのベルゼモードに言葉が届く。
「どう? 絶望してる?」
守護神様のありがたいお言葉と、そして頭のおめでたい戦士がカインを殺す映像を砕かれたはずの脳裏に頂いて、ベルゼモードは殺される前に時間を戻された。
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