373話 witch whisper
カインとセルビアは臆することなく同時に踏み込んだ。
二人とて相手が絶対に勝てない格上だという事を理解している。
しかし年老いた戦士が命を賭けてでもお前たちを逃がすと背中で語り、何の力もない女性が身を捨ててでも時間を稼ぐと覚悟を決めるのを見た。
二人がライムに挑むのは太陽が東から昇って西に沈む事よりも当然の事だった。
「ははっ、馬鹿が」
それを、ライムは嘲笑う。
勝気な若者を嬲ることは彼が最も好む行為だ。それがあのセイジェンドの家族であるならば、これほど心地良いものは無い。
まずはカインを蹴飛ばし、その後セルビアの首を摑まえて締め上げれば、ハーマインも簡単に手出しは出来なくなる。這いつくばったカインはさぞいい表情をしてくれるだろう。
カインとセルビアの全力の突進をのんびりと眺めながらそんな妄想をして、ライムは周りに叫んだ。
「お前らは手を出すなよ、ハンデをくれてやらなきゃあなぁ」
周囲には騒ぎを聞きつけた私設騎士が集まって来ていた。
傲慢で暴虐なライムの性格を知っている彼らはその言葉に素直に従い、逃げられないように包囲を作った。
ライムは突撃を仕掛けてくるカインの武器を狙って竜角刀を振るう。
剣を切り飛ばすつもりだったその一撃はしかし、直前ですかされて手ごたえを失う。
「あん?」
偶然タイミングがあっただけだろう、ライムはそう判断して次の行動に移る。
右の剣閃から左のミドルキック。剣を切り落とせば重みを失って腕は振れすぎてしまう、そうして隙間の空いた腹を蹴り飛ばすつもりだったが、実力差を考えればそんな小細工は本来必要ない。
剣と腕でガードしようが、もろともにへし折って吹き飛ばせるのだから。
ライムの前蹴りはカインを捉えたが、しかしクリーンヒットではなかった。
カインは正面から受け止めようとはせず、剣を持つ腕で横から押しこみ受け流しを試みた。
保有する魔力量は歴然で、最初の一撃とは違って腕と剣を砕くつもりで振るわれたその蹴りに手加減は無かった。
だからこそカインはその蹴りを受け流しきれず、しかし流すのに合わせて半身を逸らしたことで致命的な一撃を回避した。
まただと、ライムは思った。
ライムの蹴りの威力とカインの腕力、その差を考えればたとえ不出来でも受け流しなど成功するはずはない。
その有りえないことが起きた理由は、ただタイミングが完璧だったから。
僅かに早くても遅くても、受け流しきれずに無防備な腹に蹴りが撃ち込まれ、内臓と背骨が粉々に砕けただろう。
二度も起きた偶然にライムはわずかな苛立ちを感じ、殺さないために無意識に手加減をしてしまっただけだと自分に言い訳をし、その間隙にカインを死角として利用したセルビアが襲い掛かる。
こんなものでどうにかできるとでも思っているのか。
ライムの苛立ちは倍増する。
もういい後の事など知るかと、ライムは本気の一撃をセルビアに向けて振るう。
カインを蹴り飛ばしたライムの体勢は崩れておりその精神は雑念に満ちている。
セルビアは万全の態勢でその手の剣を振るいただそれだけに専心している。
だがそんなものは両者を隔てる圧倒的な身体能力の差を考えれば、さしたる意味は無い。
死角を突き、虚を突き、先をとって振るわれたセルビアの剣を、ライムの刀は瞬きの間も必要とせずに追い越して彼女の首に迫る。
間に合わないと分かっていて、しかしセルビアは迷いなくその剣を振るう。
そして、血が舞った。
それはわずかな血飛沫だった。
ライムの刀は明後日の方向に振るわれ、セルビアの剣は確かにライムを捉えたが皮を裂くだけで肉を裂くには至らなかった。
「糞が」
怒りに満ちた声をライムが漏らす。
ライムの刀はハーマインの衝裂斬によって逸らされた。
怒りで目のくらんでいたライムと違い、セルビアは背中で彼の援護を感じ取っていた。
だからこそ迷いなく踏み込み剣を振るった。
カインとセルビアは確かに一人前の戦士には程遠く、彼らが出来る事は直接戦闘に偏っている。
そんな二人は日々の訓練の中で何度となくセージやジオに挑み、格上との戦闘に慣れていた。
そしてその戦闘技量は、魔力量を重点的に鍛え常に勝てる相手との戦いに身を置いてきたライムを、はっきりと超えていた。
またハーマインは確かに現役を退いて長いが、しかし商業都市で何度となく繰り返される防衛戦に身を置き、はるか格下のハンターたちを援護する経験を十分に積んでいた。
弱いものが前に出て、強いものが後ろから援護する。
それは格上を相手どるフォーメーションではなく、格下を相手に経験を積ませる陣形だが、結果としては上手くいった。
技量で上を行かれ、戦術で格下のように扱われ、さらには取るに足らない女児に傷をつけられた。
そのことがライムの
「ぶっ殺してやるよ」
ライムの正面に立つのはハーマイン、そして左右にはカインとセルビアが立つ。
セルビアの渾身の一撃はしかし、ライムには意識せずとも治るような浅手にしかならなかった。武器も魔力量もさして変わらないカインでも、結果は同じだろう。
二人がライムに有効打を与えるには彼が完全に油断した瞬間を狙うしかないが、それは現実的ではない。
二人はここにきてようやくハーマインを援護するべきだという考えに至った。
「舐めるなよ、雑魚どもが」
ライムの怒りは魔力の暴風となって吹き荒れる。
周囲を囲む私設騎士たちはその怒りが万が一にも自分に向かう事を恐れて萎縮する。
だが覚悟を決めた三人に動揺はなく、彼らの後ろに立つルヴィアもまた平然と佇んでいる。
それがライムの怒りをさらに増幅させる。
ライムはまずカインに襲い掛かる。
いなしたとはいえ蹴りを受けたカインには少なくないダメージがある。
多数に囲まれた際はまず一人減らす。
頭に血が上っているからこそライムはそのセオリーに従い、それは経験で勝るハーマインに見抜かれている。
横合いから邪魔をするハーマインを相手にしては、ライムも雑に相手をするわけにはいかない。
しっかりと受け止め返す、そして勝利を確信する。
ハーマインの扱う剣は一級品と言っていい。守護都市元上級の彼はエルシール家でも最上位の戦士なのだ。当然、装備もそれに見合うだけの品質が与えられている。
だがあくまでただの一級品でしかない。
そしてライムが扱うのはセージの竜角刀〈
そこにランク一つ分の魔力差も加わり、たった一合でハーマインの剣に竜角刀が食い込んだ。
ライム同様、ハーマインもすぐにそれに気づいて打ち合いを避ける。
しかしただでさえ実力で劣るハーマインが武器を庇うような戦い方をすれば、勝ち目は完全になくなる。
そしてそうなる事を、カインとセルビアは最初から分かっていた。
狙うは短期決戦。
勝ちを求めるならばこの一合で決めなければならない。
幼く純真な子供二人は生死の境を前にしてゾーンに入り、そして一心同体を想わせる連携を生み出す。
ハーマインに刀と意識を向けたその瞬間を逃さず、カインとセルビアは同時にライムに斬りかかった。
カインは喉を、セルビアは足の腱を、急所を狙う事でライムに防御を強いる。
だがたとえゾーンに入って限界を超えた力を振り絞ろうと、たぐいまれなる連携で相乗効果を生もうと、大きく離れた実力差を埋めるには程遠い。
カインの突きは躱され、薄皮一枚だけを切って頭突きを食らった。
セルビアの払いは躱され、その足で剣を持つ手を握りつぶされた。
そうなることも、二人はわかっていた。
だからカインは、頭突きで肋骨を砕かれながらも手を伸ばした。
剣を持っている手ではない、素手の拳を、届きもしないのにライムに伸ばした。
勝ちを確信しているライムはその悪あがきを嘲笑い、そして驚愕する。
カインの伸ばした拳、その服の裾からナイフが飛び出し、そして目の前で爆発四散したのだ。
ただの投擲ならば、ライムは首を捻って躱すか額で受けていた。
だが目の前で四散し、その破片が迫って、咄嗟に目をつむってしまった。
そうして生まれた隙を、ハーマインは逃さなかった。
振るわれたハーマインの剣はライムを確かにとらえ、深い傷を負わせた。
カインとセルビアはたぐいまれなる戦闘センスを有し、臆することなくはるか格上のライムに形だけでも切り結んで見せた。
ハーマインは才能という点でこそ劣っていても、長く積み重ねた経験で少年少女の意志を読み取り、チャンスを確実につかみ取った。
勝利の機運は確かに三人に傾いた。
だがライムは驕りでその心を曇らせ切ってはいても、国内最高峰の上級上位の戦士である。
彼は己の魔力を高めるため、多くの魔物を、時には戦士を狩ってきた。常に勝てる戦いをしてきた。
ライムはそれを卑怯だとは思わない。
命が懸かっているのだ。確実に勝てる様に準備することを卑怯だと思う奴はただの馬鹿だと思っていた。
そしてそんな馬鹿たちから馬鹿だと思われているライムは準備に抜かりがある事も多く、格下から手痛い反撃を受ける事も少なくなかった。
それでもライムは生き残ってきた。勝ち残ってきた。
ライムは格下を狩るという事に関しては、この場にいる誰よりも経験を積んでいた。
だからこそ、彼の勝利は揺るがない。
ハーマインの剣は竜角刀を持つ右腕を半ばまで、そしてさらに剣筋を走らせ腹を浅く切った。
勝機がこの瞬間にしかないことなどハーマインも弁えている。
刺し違える形でもいいから返す一太刀を入れる、その思いはしかし実る事は無かった。
ライムを囲う三人を強烈な閃光が襲った。
目の眩んだハーマインはそれでも直前の記憶を頼りに剣を振るい、それは確かにライムを捉えた。
だがそれは力の乗る剣の先ではなく、柄にほど近い根元だった。
閃光を放つだけでなく踏み込んでいたライムは、ハーマインの剣を根元で受けることでその威力を大きく減衰させていた。
そしてそのままライムは当身でハーマインを吹き飛ばす。
そして衝裂斬を放って追撃し、当座のダメージを与えておく。
「さて、と」
切られた腕と腹を治療しながら、ライムは未だに視力が戻らず地を転がるカインを蹴り飛ばした。
「さんざん舐めた真似してくれたな。
俺が今、爆裂の魔法を使わなかった理由が分かるか。
使っちまったらお前らを殺しちまうだろう。
それじゃあよくねえ。
殺されるお前らの顔が、よく見えねえからな」
痛みでのたうち回るカインを、ライムは容赦なく踏みつけた。
「止めなさい。その子たちは人質なのでしょう」
たまらずルヴィアが口を挟むが、それを受けてにやりと笑うライムを見て、何を言っても殺すのだと悟ってしまう。
「おい、よく見ていろよ」
ライムは同じく視力の快復しきっていないセルビアに――セージを連想させる幼くも才気あふれる少女に向けて、そう言った。
「俺の強さを、俺の怖さを」
セルビアは霞む視界でそれを捉え、叫ぶ。
止めてと、そう叫ぼうとした。
そんな言葉よりも、ライムの刀は早かった。
何の言葉を残す事も無く、恐怖に染まった兄の顔が転がった。
「ほら、絶望が来たよ」
聞いたことのない、それでいて生まれる前に聞いたような深く冷たい声が、脳裏に囁かれた。
そうして、時間は巻き戻る。
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