372話 warrior blunder





「魔王、ですか。

 それはまた大層な肩書ですね。名前負けをして恥をかく前に首を括ってその罪をそそいではいかがですか」


 マリアは至宝の君より帝国が潜在的な敵国であることを聞いている。

 帝国の間者を名乗ったベルゼモードはその口ぶりにこの国の、そして精霊様の敵であることを存分に含ませていた。

 この国に生きていて精霊様を敬わない者などいない。国主であり、国母であり、この国そのものであるのだ。

 だからこそマリアはその敵であるベルゼモードに冷たい殺意をぶつけた。


「怖い怖い。

 でもおたくらはちょっとばかし、色々とわかってないんですよ。

 例えばそう、本当の魔法ってやつをね」


 ベルゼモードはそう言って魔法を展開する。

 それを見て、マリアは即座に剣を抜いて襲い掛かった。


 戦闘系の魔法は多数の格下を狩るには有効だが、同格以上の相手には効果が薄い。

 それを踏まえた上で考えるのならばベルゼモードの魔法は搦め手か、或いはアベルやシエスタを狙うものである可能性が高い。

 周囲にはハンター崩れの私設騎士たちもいるが、みな下級上位にも満たないただのゴロツキで、さらに先ほどのマリアの威圧で腰が引けている。

 道場剣術しか納めていないアベルでも、彼らだけが相手ならばシエスタを守るくらいの事は出来るだろう。


 今のマリアがなすべきことは速やかに迅速に早急にベルゼモードを無力化することだ。

 顔見知りとは言え殺さないように配慮する余裕などは無い。

 そもそもベルゼモードは現役の上級上位の戦士で、マリアは復帰こそしたもののまだまだブランクがある。格上相手に手加減をするなどというのは傲慢な油断でしかない。


 さらに言えばマリアは離れた位置で戦闘体制に移行したカインとセルビアの魔力を感じ取っていた。

 相手の特定こそできないが、こちらも上級上位の戦士であることが察せられる。

 幸い、別の上級中位相当の戦士が子供二人を守ろうとしてくれているが、しかし楽観は出来ない。


 中級下位や中位の戦士が上級上位の戦士と戦うなど無謀でしかないが、ランクが一つだけ下の上級中位の戦士の援護に徹するなら、むしろカイン達三人の方に分はある。

 さらに向こうもこちらに気づいているようなので、マリアは自身やシエスタたちがベルゼモードにやられないよう立ち回って時間を稼ぐという手もある。

 カインやセルビアが本当に中級の戦士であれば、マリアはそれを選択した。


 カインとセルビアの魔力量は確かに中級相当で、その戦闘技術も秘めた才能も一級品だ。

 もしこの二人が同ランクの戦士と一対一で戦えば、だいたいの相手に勝てるだろう。二対二で戦えば負けることは考えられないと言っても良い。

 だがそれでは本当の意味で一人前の戦士だとは言えない。

 二人はまだ単純な戦闘技術でしか一人前にしかなっていない。


 彼らに才能と実力はあろうとも、経験が絶対的に足りていない。出来る事の幅があまりに狭い。

 格上の戦士同士の戦闘で、後ろで守られながら適切に援護をするという立ち回りが出来ない。

 むしろ性格的に二人とも前に出かねない。


 そうなれば、どうなるか。


 一般的に、総魔力量のランクが二つ違えば実力差は埋められないとされる。

 技術や戦術では埋められないほどに基本性能が違ってくるからだ。

 その知識を当然、カインとセルビアも持っている。

 そして二人は、その常識を何度も覆してきた兄弟セージに憧れている。


 若く未熟な戦士が都合の良すぎる甘い夢と期待を胸に抱いて、死に急ぐ。


 それはとても良くある事で、だからこそセージは口を酸っぱくしてカインたち若いパーティーに言い聞かせていた。

 それを彼らはどこか真剣味に欠ける態度で聞き流していた。

 それがどういう結果につながるのか、マリアは見たくなかった。

 だから、彼女は勝負を急いだ。


 飛び出したのはアベルやシエスタを巻き込みかねない魔法を潰すためだった事に嘘はない。それが一番の理由だ。

 しかし同時に、マリアの心に焦りがあったのも事実だ。

 そうでなければ魔王を名乗った得体のしれないベルゼモードに対し、もっと慎重になっただろう。

 一歩踏み出したときは彼の使う魔法が他でもなく自身だけに向けられていることを、はっきりと感じ取れていた。

 二歩が地を蹴るときには己の振るう剣より、ベルゼモードの魔法がわずかに早い事も悟っている。


 炎や氷の攻撃魔法であれば発動後でも潰してその刃をベルゼモードにまで届かせることが出来るが、それは分の良い賭けではない。

 それでもマリアはベルゼモードの言葉がハッタリであることに賭けた。

 そしてその分の悪い賭けには、ある意味では勝った。



 ベルゼモードが突き出した手の平から魔法が放たれる。

 それは美しい無数の白い雪。

 マリアは咄嗟に眼光に魔力を込めて衝烈破を放ってそれを散らそうとする。

 雪はわずかに揺らぐも消える事は無く、剣を持つマリアの手に触れた。

 マリアはしかし臆することなく剣を振り切り、ベルゼモードの突き出した腕を深く切りつけることに成功していた。


 雪に触れたマリアは、しかしそこから追撃をかける事は無く爆裂の魔法を選択した。熱と衝撃がマリアとベルゼモードを包み、二人の間に大きな距離が生まれる。


 無我夢中で放ったせいで、マリアの服や体も焼かれている。

 だがそんな事が気にならなくなるほどの痛みにマリアは苛まれていた。


 雪の触れた場所に、まず刺すような痛みがあった。

 その痛みは瞬きの間も必要とせず皮膚の下へと潜ってきた。

 蠢くように、這うように。

 それはまるで無数のムカデが肉を食い散らかしながら腕の中を進んでいるようだった。


 いずれはジオにも届きうる戦士として名を馳せたマリアは、これまで多くの痛みを経験してきた。

 骨が折れたことは何度もあるし、腕を落とされたことも腹に穴が空いたこともある。

 だがこの痛みはそれらのどれよりも苦しく、そしておぞましい痛みだった。

 いっそ殺してほしいと思うほどの激痛と恐怖が腕を駆けあがって、それが肩に達する前にマリアは自ら腕を切り落とした。


 右腕を失い、肩から血を噴き出しながら、マリアは落とした腕を見る。

 それは致命的な失態だ。

 爆裂の魔法で稼いだ距離は腕を切り落とす時間で浪費されている。

 深手を負ってその上さらによそ見をするなど、首を落としてくれと差しだすような判断ミスだ。

 それでもマリアは自らの右腕に何が起きたのかを見届けずにはいられなかった。


 自らの血肉を食らって肥え太ったおぞましい蟲が、皮膚を食い破って何匹も現れる。

 そんな予想は、しかし幸か不幸か裏切られる。


 マリアが切り落とした右腕は何の異常もなく綺麗な肌をしており、ただ切り口から鮮血をたれ流していた。


「……幻術。いえ、それだけではなく、毒もですか」


 痛みと苦しみと恐怖で涙目になったマリアが右腕の再生しながらも、ベルゼモードを睨んでそう言った。

 ベルゼモードは斬られた腕を抑えながら、楽しそうに笑っていた。



 ******



 マリアの危惧した通り、カインとセルビアは守られることを良しとせずにハーマインと肩を並べてライムと対峙した。


「どういうつもりだ」


 心の底から馬鹿にした口ぶりで、ライムはそう言った。

 セオリーで言うならば二人は後ろに控えてハーマインを援護するべきだ。

 それが満足に果たせないのならば、一般人のルヴィアを戦闘の影響範囲外まで避難させるのが正しい選択だ。

 ライムとしてはそれを許すつもりはなかったが、迷うそぶりもなくこうも真っ向から挑まれると楽が出来ると喜ぶよりも、実力の違いを理解していないのかという苛立ちが先に来る。


「どうこうもねえよ、テメエをぶっ倒してババアを助ける」


 カインが咆え、その通りだとばかりにセルビアが大きく頷いた。


「おい、あまり当てにしてくれるなよ。こっちは引退して長いジジイなんだぞ」


 ハーマインが我慢できずにそう嘆いた。

 彼は守護都市で上級中位にまで至った実力者であるが、それは二十年以上前の話だ。

 魔力量を落とさないようトレーニングは続けているが、実戦などたまに防衛戦で中級下位以下の魔物を狩るくらいで、戦闘の勘など失って久しい。

 現役の、それも魔力量で格上の戦士を相手に勝つことはおろか、長く粘る自信すら無かった。

 そんな身の程を弁えている戦士の泣き言を耳にして、ライムの機嫌はわずかに持ち直す。


「そういうことだ。実力の違いも理解できないガキが、大人の陰ででかい口を叩くなよ。

 それにテメエも、勝てないとわかってるならさっさと地べたを這いつくばって許しを請えよ」

「……言ったはずだ。お前よりも死神と魔人の方が怖いってな。

 それに精霊様に弓を引くような輩に媚びるなんざ、死んでもごめんだ」


 その言葉に、ルヴィアが演技では無く目の色を変えた。


「それは――」

「申し訳ありません、お嬢様。ですがこれは伝えておくべきかと」


 ハーマインはそれを口にすることで、カインとセルビアが見逃される可能性が消えたことを謝罪した。

 彼は二人がこの場から逃げないことと、ライムが手間をかけて攫ってきたことを加味し天秤にかけ、その逆側にあの場にいたものが皆殺しにされた可能性をかけて、その判断をした。

 自分が死んだ場合に、確かな情報が伝わる可能性が僅かでも上がる事を望んで。


「謝る必要はありません。むしろ運が良かったと言えるでしょう」


 ライムが、そして伯父がテロリストに組していると知らなければ、ハーマインはルヴィアたちに味方しなかっただろう。

 元々、エルシール家への忠誠心に難があるがゆえに引き抜くことに成功した人物だ。いざとなれば一人で逃げ出したとしてもおかしくはない。

 そんな彼が精霊様への信仰と愛国心から、信仰を捨てたルヴィアの助けとなるのは何とも皮肉に感じるが、それでもこの場に彼がいる事の価値は計り知れない。


「私の事は気にしないように」


 ルヴィアは念のためにそう言い添えた。

 彼女は魔力感知など持っていなくとも、上級の戦士であるマリア側に何かが起きており、この場に助けにこれない。もしくは逆に助けを必要としているという事を、この場にいる戦士たちの顔を見るだけで把握出来ていた。


 この場においてルヴィアに出来る事は口八丁で時間を稼ぐことか、或いは気を逸らすことだ。つまるところ大したことはできない。

 この場を潜り抜ければ存分に役に立てる自信はあるが、完全な足手まといの自分を守るよう配慮させるのはただの欲だと切り捨てていた。


「……いいえ、お嬢様。

 俺はね、あんたの事はそれなりに気に入ってるんですよ。

 こんなところで無駄死にさせたくないって思うぐらいにはね」


 ルヴィアにとっては意外なことではあったが、ハーマインにとってそれは当然の事であった。

 確かにハーマインにはエルシール家への忠義は無い。

 待遇は良いが、元上級であることを考えれば感謝するほどのものでは無く妥当なものでしかない。長年仕えたことで愛着は湧いていたが、その年数に応じて愛着に劣らぬほどの嫌悪感を抱いていた。

 ルヴィアが引き抜けると見抜いたそんな彼が、彼女に拘るのには後ろめたさがあるからだ。


 元々彼はルヴィアが駆け落ちした際に、陰ながらそれを見守る役目に付いていた。

 だが当時の守護都市は竜との大きな戦いで深く傷つき、その復興の只中であった。

 魔人が引退したばかりで、血の気の多い戦士が次代の魔人は俺だとばかりに喧嘩に明け暮れており、ハーマインは運悪くそれに何度も巻き込まれた。


 結果としてルヴィアたちを見失ってしまい、セージという息子が生まれたことも確認できないという信じられないほど大きな失態をしてしまった。

 そして夫と息子を失ったルヴィアは長い間、置物のように、生きながら死んでいるように、エルシール家の自室でただ時が流れるままに過ごしていた。

 そんな姿を、見ないように過ごしていた。


 そんな彼女が、セージのために息を吹き返した。

 彼女の行いが正しいとは思えなかったが、ハーマインは高額の報酬を見返りにダイアンを裏切れと言った彼女に対し、それは魅力的だと口にしてこうべを垂れた。

 エルシール家での仕事は良いものでは無い。だから仕事ぶりが悪いと誹られても気にはならない。しかしだからといって己が果たせなかった職責に対して後悔が無い訳がない。

 かつて守れなかった仕事の帳尻を、少しだけでも取り返すために。他の誰でもなく、自身の誇りを取り戻すために。

 ハーマインはルヴィアを守ることに、命を賭けると決めていたのだ。




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