281話 その日の夜
妹が負けて、次兄さんが勝った。
その結果は仕方がない事だろう。
妹は地力で勝る相手に奮戦したが、どうしたって差があった。審判を務めた上級の戦士は妹の演技にもしっかり気づいていて、残心を怠らないミケルさんを見て、妹の最後の賭けに勝算が無いと判断した。それは妥当な判断だった。
次兄さんは偶然にもマックスが予選で飛翔剣に負けるのを見ていたので、本戦が始まるまでの一週間ほどの訓練で対策がばっちりだった。
加えてこう言っては悪いがレイニアさんの単純な剣技はハンターとしては強い程度のもので、次兄さんだけでなく新人戦決勝大会に出場した16人の中でも下の方だろう。
だから今日の結果は、仕方がないと言うしかないのだ。
試合は終わったが、そのまま真っすぐ帰るというわけにはいかない。明日の朝刊のために、今日の結果のインタビューがあるからだ。
そしてそのインタビューは勝った次兄さんだけでなく、負けた妹にも行われる。
「お疲れの所すいません、ブレイドホームさん」
闘技場の一室で、前の時と同じ記者さんからインタビューを受ける。
そして私とグライ教頭が前回と同じく付き添っている。
そして前回とは違って、妹の顔色はすこぶる悪い。
「……はい」
「すいません。手短に済ませますね。
今回、惜しくも負けてしまったわけですが、敗因はどこにあるとお思いですか?」
「……あたしが、弱かったから」
泣くのを我慢しながら沈痛な声で妹は言った。
泣いてもいいんだよと頭を撫でたが、煩わしそうに振り払われた。
「そうですか。対戦したミケル選手の事はどう思いましたか?」
「べつに……。強かったけど、それだけ」
血が出そうなくらい強く手を握りしめて、妹は言った。
「そうですか。三位決定戦は明日ですが、少なくとも最年少ベスト4という輝かしい結果は確定しています。そのことについて、感想をいただけますか?」
「べつに、ない。優勝、できなかったし」
妹は完全に不貞腐れている。ちょっとだけ記者の人に同情もする。
まあ同情の気持ち以上に、早く終わってくれという思いが強いのだが。
「な、なるほど。優勝以外に価値はないと。さすがに志が高くいらっしゃる。
それでは四年後は、やはり本大会への出場を目指されるのでしょうか」
「……うん。何?」
「そろそろ良いでしょう。明日も試合なんです。帰ってゆっくり休ませてください」
「そ、そうですね。失礼を――」
記者が言葉を止めた。
私が妹に殴られるのを見て、驚いたからだ。
避けることは出来たけど、私はそうはしなかった。
「なんでそんなこと言うの。アニキはいつもそう。あたしのこと馬鹿にして。子供じゃないもん。やめてよ。お節介なんて」
「……ごめんね」
妹はもう一度私を殴った。
「セルビア君っ‼」
「いいから」
「アニキはっ。
あたしは……、あたしは……。
ごめん。
ごめんなさい。
殴ったりして。嫌いに、ならないで……」
その言葉を皮切りに、妹はわんわんと泣きじゃくってしがみ付いてきた。私はその頭を優しく撫でた。
困ったな。
兄離れさせてあげないといけないんだけどな。
「あたしね、一緒が良いの。ずっと一緒が良いの。あたしが拾われた子供でも、妹だから」
「……違うよ」
「っ‼」
妹が息をのむ。
「勘違いしないで、そういう意味じゃない。拾われたのは私だ。
お前は親父の、ジオとアンネさんの子供だよ」
「……え」
「ごめんね、ずっと黙っていて。
ジェイダス家の悪い人たちの目を誤魔化したくて、隠してた。
ジオも知っているよ、セルビア。
お前が実の娘だって」
妹は混乱している。
だがその
「それは私たちが聞いてもよかったことですか?」
グライ教頭が記者を横目にそう言った。
記者はびくりと肩を震わせた。
「き、聞いていません。私は何も聞いていません」
「怯えられても困るんですけどね。
知っているかもしれませんが、妹の事を悪く言う人がいます。真実が公になれば、そういう人たちも少しは口を閉ざすでしょう」
「ええと、それは、つまり……」
「あまり大げさには扱わないでください。そもそも騒がれるのは嫌いなので」
はいと、記者さんは頷いた。そして同時にその感情は疑問を抱いている。騒がれるのが嫌いなのは嘘じゃないかと。
うん。確かに私は目立ちまくる生き方をしているけど、それは親父とデス子のせいであって、私が望んでいるわけじゃあないのだよ。
だから無駄かもしれないけどアピールを続けていくよ。
私はのんびりスローライフが送りたいと。
「アニキ……」
「どうしたの?」
私は優しく聞いた。
妹は後ろめたさと不安を感じていた。
「アニキが、言われるの? 拾われた子供だって」
「……ああ」
優しい子だ。
「そうだね、言われるかもしれないね」
「……」
妹が自己嫌悪に陥る。ジオの娘と知って喜んだ自分を、嫌な子だと思って。
「そんなことないよ。お前は優しい子だ。
私は大丈夫。最初から知っていたから。
だからごめんね。
お前が辛い思いしているのに、ずっと黙っていて」
「それは、あたしのためだから。あたしが、弱くて、子供だから」
「それでいいんだよ。兄は妹を守るものなんだから。お前が大人になるのは、もっと時間をかけて良い」
「……うん」
******
妹が落ち着くのを待って――記者さんとグライ教頭は空気を読んで先に帰った――から部屋を出ると、そこにはスノウさんがいた。
「どうも、お待たせしましたか」
「気づいていたんなら、声をかけて欲しかったかな」
スノウさんはそう言って肩をすくめて、おどけて見せる。
「すいませんね、気が利かなくて。何か御用ですか?」
「そう警戒しないでほしいね。お礼を言いに来ただけだよ。娘の怪我を治してくれてありがとう」
そう言ってスノウさんは頭を下げる。
言っている内容はレイニアさんが次兄さんから受けた怪我を治したことだ。
無理を言って参加させてもらった仕事なのだから、その責任を全うするのは当然のことだ。だがスノウさんの体の外の魔力も、内に隠れている魔力も、わかりやすく感謝の気持ちを表していた。
この人ならそれを意識してできそうではあるけれど、まあさすがに穿った考えだよな。
「どういたしまして。こちらこそ、無理を聞いてもらってありがとうございます」
繰り返しになるが、無理というのは救護班に参加させてもらったことだ。
私は治癒魔法が得意で実績もあるものの、ああいった場には救命魔法士とか、医療魔法士とか、そんな感じの国家資格を持っている人しかおらず、彼らを補佐する人員も国やギルドがしっかり身元と技能を保証している人材に限られる。
そして私の技能と人格を保証してくれたのは守護都市のギルドであり、つまるところその理事長であるスノウさんなのだ。
「わざわざ僕を立てなくていいよ。
結果として娘は後遺症やリハビリに苦しむこともなく、それどころか体に傷跡も残さずに完治させてもらったんだから、僕には感謝しかない」
「はい」
話を早く済ませたいという思いもあったが、そうでなくともこれ以上の謙遜は蛇足だろう。私は素直に頷いた。
「それでささやかなお礼というか、余計なお節介なんだけど、これからどうなるかは分かっているよね」
「……はい」
再び、渋々ながら頷いた。
名家令嬢であるところの妹にはおそらく悪い虫が寄ってくるだろう。
優しい良い子だから騙しやすいとか、そんな事を考える悪い虫が。
私が守らねば。
「なんだか分かっていないような気がするね。
さて、あくまでこれは善意の提案で、怒らないで聞いて欲しいんだけど――」
なんだか前置きだけで不安になってくるな。
「――君の母親をこちらで用意できる。君たちに生活に干渉しないよう鬼籍に入っている人を。もしも望むのなら生きている都合の良い女性も用意出来るよ」
「え?」
何言ってんのこの人。
「スノウさん、頭大丈夫ですか?」
「大丈夫だよ。うん、やっぱり余計なお世話だったみたいだね。ただ気分の悪い話だろうけど、覚えておいてよ」
スノウさんはそう言って去っていった。その感情には珍しく迷いがある。娘の所に行くか、止めておくか、そんな迷いが。
「何が言いたかったの?」
「さあ?」
妹に聞かれて、私も頭を捻る。
今しがた公表すると決めたばかりの妹の出生の秘密を知って当然な顔をしていたのも気持ち悪いが、もしかしてあの人はルヴィアさんのことにも気づいているのだろうか。
そうだとしたら情報通とかいうレベルじゃないんだけど。もはやチートなんだけど。
なに? デス子はスノウさんにもチート授けてたりするの?
だとしたらスーパーに買い物に行ったら買いたかった物を忘れる呪いにかかれ。
*******
そんな訳で家に帰りまして、
「へっ、見たかセルビア。これが兄の力だ」
開口一番、先に帰っていた次兄さんがそう言ったので、妹と一緒に腹パンしました。
「ぐお……元気だな糞、っていうかセージ、お前が混ざるんじゃねえよ‼」
「悪い虫から妹を守るのは兄の役目」
「だれが悪い虫だ」
次兄さんとじゃれあっていると、兄さんが呆れた様子で声をかけてきた。
「はいはいそれくらいにして、夕ご飯にしよう。すっかり遅くなっちゃった。カインは明日も試合だろ」
「あたしもあるよ」
「そうだね。でもセルビアの相手は明日の試合は無理じゃないかな」
「あ、それは大丈夫。完治させたから」
「え? なんで? ああ、いや、悪いわけじゃないけど。
……そうだね。良くやったね、セージ」
「ふっ」
そうだろうとも。
次兄さんが思いの外容赦なくやっちゃったので、焦って明日が三位決定戦だという事を忘れていたが、人の怪我を治して悪い理由はないはずだ。
よくよく考えたら肉体疲労とか適当な理由で治療を先延ばしさせてもよかったんだけど……あっ、スノウさんそれもあって感謝してたのか。
じゃあ、うん、やっぱり治してよかったな。妹も戦いたがっているし。
そんなわけで食卓を囲み、少し気になっていたことを兄さんに聞いてみる。
「兄さん、レイニアさんと知り合い?」
「うん、大学の友達だよ。スナイク家の令嬢だとは知らなかったけど」
ぴくりと、シエスタさんの眉が動いた。
「どういうお友達なの?」
「ん? どうって、普通だよ。剣術の同好会に入ったって言ったよね。その同好会仲間で、よく手合わせしてる。
飛翔剣が使えるのは知らなかったな。あれを使われると、たぶん僕じゃあ勝てないだろうなあ」
兄さんは楽しそうにレイニアさんとの事を語った。
「マギーちゃん、アベルって大学ではどうなの。私は女の子の友達がいるなんて一言も聞いてないんだけど」
「アベルは女の子の友達しかいないよ、たぶん。外で見かけるといつも違う女の人といるし」
「待ってマギー。お前と会った時にいたのは大学の先輩や教授で、そういう意味で一緒にいたわけじゃないから」
兄さんは焦って釈明したが、しかしその言葉はシエスタさんには届かなかった。
「……
「え?」
「アベル。今度大学に遊びに行くから、エスコートしてね」
「えっ?」
「返事は?」
「はい。
……あの、案内って言っても、面白いものなんて何もないよ」
「いいの」
「……いいの?」
「いいの」
「……、はい」
そんな甘ったるい寸劇を広げながら、笑顔で食事をとる。
次兄さんも妹も、いつも通りとはいかないけれど少しだけリラックスが出来たようだ。
そんな食事も終えて、明日の試合に備えて早めの就寝をとる。
試合をするのは妹なんだけど、私から離れようとしないので。
当然のように私のベッドに入る妹に、今日は自分のベッドで寝なさいとは言わなかった。
最近はお風呂にも一人で入るようになったし、しばらくすればちゃんと一人でも眠れるようになるだろう。
だから今日は特別に、小言は言わないでいよう。
「ねえ、お兄ちゃん」
「うん?」
「いつか、一緒にいられなくなっても、あたしが邪魔になっても、内緒にはしないでね」
「ああ、大丈夫。そんな事はしないよ」
私はそう、嘘をついた。
妹が私に身を寄せる。
私はそんな妹の憎しみと悲しみと愛情を感じながら、眠りについた。
私はきっと、今生でも繰り返すのだろう。デイトが予言したように。
馬鹿は死んでも治らないとは言うけれど、私は馬鹿なのだろう。
わかっていても、止められない。
私は、この子たちの幸せが欲しい。
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