282話 外堀は埋められる前に埋めていく
そんな訳で新人戦も最終日になりました。
私は相変わらず救護班の方に詰めているのだけれど、VIPルームの方にはケイさんやスノウさんといったお馴染みの偉い人が観戦に来ていて、同じく今日初めてやって来たっぽい余所の都市の偉い人たちと談笑なんかしたりしてる。
そしてケイさんはエルシール家の人たちを親父たちに紹介している。
エルシール家の中にはもちろんルヴィアさんもいる。こっちに避難しておいてよかった。
……あ、ルヴィアさんがこっち見てる。
誰か私がここで働いてるって教えたな。まあいいけど。
こんな事もあろうかと救護班用の帽子も借りてるから、こっちの表情は見れないはずだ。
そして妹の方はすごく心配だ。
ものすごく心配な感じになっている。
とっても心配だけど、でも敢えて私は行かない。
兄も耐えているぞ。
頑張れ、妹。
◆◆◆◆◆◆
「噂の天使殿はお仕事ですか。いやはや、話に聞く通り人が傷つくのを見ていられない性分なのですね」
「いえ、あいつのはただのシスコンです。妹が怪我してもすぐに治せるようにって、上級の権力を乱用してるんですよ」
「おやおや、お兄様はなかなか手厳しい。
しかしその妹さんの対戦相手を治したのも天使殿と聞き及んでいましたが」
ケイに紹介されたエルシール家当主ダイアンに笑顔を浮かべて対応するのはアベルだった。
最初は未だ学生の自分が出しゃばるべきでないと、
「たしかに、そうですね」
「ははは。噂の天使殿とお会いできなかったのは残念だが、こうして英雄殿とお目通りかなったこと、実に光栄に思います。
英雄殿。先も述べたが、ご子息、ご息女の決勝大会出場おめでとうございます。あなたは指導者としても素晴らしい才能をお持ちのようだ。
お弟子さんの就職先に悩まれた際は、ぜひとも商業都市のエルシール家を思い出していただきたい。必ずやその実力に見合った待遇をお約束いたしますよ」
「……ふん」
ジオは心の底から面倒くさそうに鼻を鳴らした。さっさと失せろと言わんばかりの態度だった。
ダイアンは困りましたねと余裕のある態度を崩さなかったが、その後ろに控えていた息子のオルパは眉を険しくしていたし、そんな二人の前に立つアベルは冷たい汗を背中に噴き出していた。
「ジオ。あんたそんなんじゃ、後でセージに怒られるよ」
「……ちっ」
「お父さん」
ケイに窘められ、舌打ちをして、ついにはマギーにまで注意されたジオは嫌そうな顔で口を開く。
「知るか。文句があるならあいつに言え。あいつが逃げるのが悪い」
面倒くさそうな人間の相手はこれまでずっとセージがしてきた。
間違いなく面倒くさいのが絡んでくる場所だというのに気楽な場所に避難している息子を思って、ジオは愚痴をこぼした。
「逃げたんじゃなくて仕事してるんでしょ。お父さんもちゃんとしてよ」
「わかった、わかった」
ジオはおざなりにそう言った。何を言われてもセージが逃げたという感覚は正しいと信じていた。
何から逃げているかは分からないが、とにかくあいつは逃げ出した卑怯者で、だから自分が責められているのだと現実逃避気味に責任転嫁をした。
そしてふと、ダイアンやオルパの後ろに控えている女性に目を向ける。
それは黒い髪と黒い瞳の、とてもとても美しい女性だった。
その女性は真っすぐに前を見ているようで、セージのいる辺りを見ているように感じられた。
「……なんでしょう?」
女性は悠然とほほ笑んだ。
それを見たものは老若男女を問わずにため息を漏らした。
例外は見慣れているエルシール家と、正面から見据えたジオだけだった。
「いや、なんでもない」
ジオはセージの言葉を思い出して、その女性ルヴィアから目を逸らした。
「……お父さん。あとでマリアさんにも言いつけるからね」
「うん? ああ」
何を言われているか良く分からないまま、ジオは頷いた。
この日の夜にジオはマリアとシエスタに冷たい目で見られるのだが、それはまた別の話である。
「そう言えば英雄殿は独身でいらっしゃいましたね。多くの子供たちに囲まれて片親というのは大変でしょう。結婚は考えられていないのですか?」
ここぞとばかりにオルパが口を挟み、ダイアンとルヴィアが笑顔の下で嫌悪感を抱いた。
しかしダイアンはそれが価値のあることだから、ルヴィアには発言権がないから、間に入ってまでその言葉を否定しようとはしなかった。
「知るか」
ジオの返事は簡潔な拒絶だった。
結婚に関してはセージからもそれとなく頻繁に勧められているので、単語を聞くだけでも嫌な気分になるのだった。
「父さん……」
情けないと言いたげにアベルがこめかみに手を当てる。
「なんだお前まで。女手なら十分にあるだろう」
「そういう事じゃないんだけどね」
「ふんっ。面倒な話ならば、セージのいる時にしろ」
「それはつまり、いずれ日を改めて挨拶にお伺いしてもよろしいという事でしょうか」
「いえ、それは――」
オルパの言葉には含みがあった。だからアベルは断ろうとして、
「ああ、そうしろ。もうすぐ試合が始まる」
ジオに阻まれた。
常識で言えば家長の出した許可を覆すわけにはいかない。
そしてアベルとしても名家と対立したいわけではない。
特に商業都市は塩を筆頭に多くの物流を牛耳る都市であり、その影響力は他の都市にも及ぶ。
その商業都市で怖れられているエルシール家を軽く扱うことは出来ない。
出来ないが、しかしここではっきり態度を決めておかなければ外堀を埋められかねない。
父の言葉だけを拾えば、前向きに考えても良いと取れなくもないからだ。
そして父との婚約の準備をして話を持って来られては断りにくくなる。断る際には、手間をとらせ恥をかかせた対価を要求されかねない。
「父には内縁の妻がいます」
だからアベルは、咄嗟にそう言った。
その言葉には他の誰よりもジオが驚いていた。
そしてケイは、やっぱりそうなってたんだと、素直に信じ込んで師匠を祝福した。
「そうなのですか。それは初耳でしたね」
「籍は入れておらず同棲をしているだけなので、事実婚という形なのです。二人とも結婚という慣習に執着がないもので。
息子としては、はっきり形を示した方が良いと言っているのですけどね」
「おい、アベル」
たまらずジオが口を挟もうとするが、にっこりと笑うアベルの気迫に押されて何も言えなかった。
ちなみにアベルも慣れない賓客対応を丸投げされて、それなりにストレスがたまっていた。
「そうですか。それは残念ですね。いえ、そういえば守護都市では重婚が認められていたはず――」
「確かにそうですが、それは正妻が認めて初めて許されるものですね。
彼女は上級のマリア・オペレアと言うのですが、我が家を訪れていただいた際には、紹介をさせて頂きますね」
国内でも一握りである守護都市の
ちなみにこの第二貴賓室は仕切りが簡素な作りとなっており、隣のブースの会話を盗み聞くことはとても容易い。
そんな訳でジオとマリアは事実婚の関係にあると、国中の偉い人たちの間に周知されることとなった。
そしてアベルは後日、この件を知って色々と複雑な感じに興奮したマリアにボコボコにされるのだが、それはまたまた別の話である。
******
セルビアは控室で鉈を握りしめていた。
試合は7位決定戦をやっている。
次の次がセルビアの番だった。
昨日まで、試合を怖いと思ってはいなかった。
試合の相手がどれだけ自分よりも強くても、勝てると信じ込んでいた。
だが今は怖い。
負けるのが怖い。
手が震える。
なんでここに居ないのと、
そうしたら昨日の嘘を思い出して、もっと怖くなった。
セージの事が大好きだけれど、だからこそ大嫌いになるときがある。
殴ってしまった時もそう。
そのあと怖くなったあたしを――私を、優しく撫でた時もそう。
昨日の夜も、そう。
私は親父と違って、言葉でも拳でもセージを変えられないと思い知ったから。
いつかセージはいなくなる。
何も言わずに、どこか遠くに行ってしまう。
そして私は、こんな所で躓いてしまった。
セージなら簡単に勝ってしまうような相手に負けて。
そんな事を考え込んでいたら、控室の扉からノックが響いた
セルビアはびくりと体を震わせた。
セージが来てくれたと一瞬だけ思ったが、セージが響かせるノックの音とは違った事にすぐに気が付いて落ち込んだ。
「お邪魔しますよ、セルビア君」
「……教頭先生」
部屋に入ってきたのは騎士養成校のクライブ・グライ教頭だった。
グライ教頭はセルビアの隣に座ると、セージとは違う大きな手でセルビアの頭を撫でた。
「どうしているのかと思いましてね」
「……うん」
「ひどい顔ですね。負けに行く顔です」
グライ教頭はおどけた様子で、これみよがしにため息をついた。
言い返す気にもなれなくて、セルビアは視線を落とした。
そんなセルビアにグライ教頭はにっこり笑って見せた。
「セルビア君、笑いましょう」
「え?」
「笑うんです。いつもみたいに、笑いましょう」
セルビアは戸惑った。今はそんな気分ではなかった。
「騙されたと思って、さあ、笑いましょう」
セルビアは言われた通り笑顔を作った。
「いいですね、可愛らしい。
でもいつものセルビア君はもっと可愛いですよ。
さあもっと笑いましょう。声を上げて」
声を出して笑うグライ教頭につられる形で、セルビアも声を出して笑う。
「あっはっは、いいですね。そうです。セルビア君にはやっぱり笑顔が似合います」
「……うん」
セルビアは気恥ずかしくなって、グライ教頭から目を逸らした。そして手が震えてないことに気が付いた。
「教頭先生……」
「何ですか?」
「魔法使いだ」
はははと、グライ教頭は笑った。そして真剣な目つきで真っすぐにセルビアを見る。
「セルビア君、君は強い」
「……ううん」
「いいえ、君は強い。今の君は、昨日の君よりも絶対に強い」
有無を言わせぬ口調で、グライ教頭は言い切った。
「怖いのでしょう、戦う事が。負けることが」
「……うん」
「昨日までの君はその事を知らなかった。でも知った。
だから強くなっています。そしてこれからもっと強くなります。
信じなさい。私は多くの生徒を見てきたのですから」
「うんっ」
セルビアは元気よく頷いた。
グライ教頭はにっこり笑った。
セルビアもにっこり笑った。
「さてそれではまだ試合まで時間がありますね。準備運動をしましょうか。さあ立って」
「うん――じゃなくて、はい」
吹っ切れたセルビアはスタッフに呼ばれるまでグライ教頭相手に打ち込み稽古で汗を流し、晴れやかな顔で試合会場に入っていった。
そしてそれを見送ったグライ教頭はそこで力尽きて崩れ落ち、その後も数日間筋肉痛で苦しみ、さらにはケイをちゃんと監督しないかと偉い人から叱られるのだが、それもまた完全に別の話であった。
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