278話 新人戦決勝大会・初日





 国立闘技場第二特別観覧室。

 貴賓室とも呼ばれるその部屋の飲食スペースで、ルヴィアはお茶を飲んでいた。

 視線は焦点を定めず、ぼんやりとしているように振舞いつつも、一人の少年の後ろ姿を視界に入れ続けた。


 元気だろうか。

 幸せだろうか。

 恨んでいるだろうか。

 辛い事は無いだろうか。


 少年はこの一年だけでも、何度も新聞に名前を取り上げられるほどの活躍をしている。

 大きいもので言えばワイバーンという凶悪な魔物と共生派テロリストの討伐、そして小さいものでは数えきれないほどの外縁都市防衛戦への救援だ。


 天使セイジェンド。

 わずか十才でありながら守護都市上級を認められた逸材。

 最年少の皇剣、天才ケイをも超える才能と囁かれる英雄の実子。


 だがセージが英雄の血を引いていないことを、他の誰でもなくルヴィアは良く知っている。

 なぜならセージはルヴィアが腹を痛めて生んだ大事な子供だから。

 ルヴィアはそこで周囲が気づかぬほどに小さく目を伏せた。

 生まれて間もないセージを捨てた自分には、大事な子と思う権利がないと思って。


 母親だと言い出すつもりはない。

 きっと息子は順調な人生を送っている。

 ルヴィアも名家の直系だ。

 新聞に書かれていることが真実だとは思わないけれど、同時に新聞がセージを次代の英雄に相応しいと扱っていることを考えれば、守護都市の名家がバックアップしているのは想像に難くない。

 それはもしかしたら息苦しいかもしれないが、しかし成功を約束された人生だろう。それは祝福するべきことだ。

 そして強欲なエルシール家に息子と知られれば、セージの力や英雄との繋がりを欲して順調なその人生を邪魔することとなりかねない。

 だから知られてはいけない。関わるべきではない。


 ただそれでも心のどこかで名家の人間に、あるいは英雄と呼ばれる荒くれものに、ひどい扱いをされているんじゃないかと、そんな心配をしてしまう。

 だから一目だけでも元気な姿が見たい。


 いや、それも言い訳だ。

 ただ見たい。

 成長した息子の姿を、一度だけでもいいから見たかった。



 ◆◆◆◆◆◆



 そんな訳で始まります、皇剣武闘祭新人戦決勝大会。

 初日に行われるのは試合ではなく、開会式だ。

 騎士養成校から出場の妹は養成校が仕立てた騎士の礼服で、次兄さんは商会で仕立てた礼服で、その式に出席する。

 私は家族と一緒にVIP席で観戦だ。

 出場選手の家族には観戦券が渡されるが、実はそのグレードは一律ではない。

 一般家庭の人たちは普通の指定席だが、私たちは名家の人たちと同じVIP席だ。

 これは親父が特級なのが理由だった。


 家族四人+αが座ってくつろげるスペースが割り振られ、ドリンクなどのサービスも充実しているので悪い気はしない。

 悪い気はしないが、兄さんは少し難しい顔をしているし、周りからの視線もちょっと気になる。


 仕切りが立てられているので、私たち以外のグループがすぐ隣に座っているわけではないし、視線は遮られている。

 だがVIP同士の交流の場でもあるためか、仕切りはあくまで簡易的なもので、大人が立てば隣のグループを見ることができる程度の高さだ。なので話し声もほとんど遮られない。

 さらに私たちも座っている観覧席の後ろには軽食スペースが設けられており、そこからは観覧している人の後ろ姿が丸見えとなっている。


 そんな訳で名家でもない私たち一行はちょっと悪目立ちしているので、周囲からこちらを伺う気配が感じられてしまう。

 ちょっと落ち着かないが、親父はどこでも偉そうだし、兄さんは物静かな立ち振る舞いをしているし、私もまあ繊細な人間だが人目に晒される経験はそこそこ積んでいる。

 なのでここに居て良いのかと時折、挙動不審な様子を見せるのは姉さんだけだ。


 まあそれはさて置き、観戦に来ているのはこの四人だけで、シエスタさんとマリアさんは今回は不参加だ。

 うちの道場から決勝大会参加者が出たという事で、道場でのパブリックビューイングの放映権がもらえたのだ。

 道場生たちや付き合いのある商会の人たち、ご近所さんがそっちで応援してくれているので、保育士さんたちと一緒におもてなし役をお願いしてある。

 アリスさんやミルク代表も、そっちの方で応援してくれている。


 さてVIP席では見知った顔もちらほら見受けられる。

 マージネル家やスナイク家の人たちだ。

 ケイさんやスノウさんは来ていないけど(決勝には来ると言っていた)、マージネル家の人が騎士養成校の代表である妹を褒め称えて外縁都市のお偉いさんらしき人に紹介したり、逆に外縁都市のギルドのお偉いさんらしい人が出場選手をスナイク家の人に褒めたりする声が、聞くとはなしに耳に入ってくる。


 もっとも彼らにとって出場選手の話題は切っ掛けでしかなく、おしゃべりをする事そのものの方に関心を寄せている。どうやら新人戦の開会式はお偉いさんにとって人脈コネ造りの場でしかないようだ。

 まあ悪い事ではない。国事とは言え私も妹や次兄さんが出ていなかったら新人戦に何の興味も抱かなかっただろうしね。


 しかしそれはそれとして、そんなVIPさんたちの中に変わった人がいる。

 観覧席ではなく、飲食スペースで優雅にお茶を楽しむ貴婦人らしき人だ。

 らしき、というのはその人がものすごい美人だと囁く声が聞こえてくるので推測できただけで、直接目にしていないからである。


 そう、見ていないのだ。

 だってそっちを見たら絶対に目が合うから。

 その貴婦人はさりげない様子を演出していて周囲はまるで気づいていないが、私にはチート魔力感知がある。

 彼女の感情が私にものすごい注意を払っているのが感じ取れてしまう。

 どこか懐かしいような、どこか私に似たような魔力を持つ彼女が、周囲にばれないよう私を見つめているのが。


 そんな彼女の名前が、周囲の囁きに教えられる。

 ルヴィア・エルシールだと。

 顔を見るまでは100%ではないけど、これはつまり、そういうことだよなぁ……。


 しかしどういう事なんだろう。

 去年見つけられなかったのはきっと見落としたとか、出かけていたとかそういう理由だろうから、おかしなことではない。

 おかしいと感じるのは名家の一人としてここに参加していることだ。


 いや、ルヴィア・エルシールが名家直系の末娘だという事は確認をしている。

 ただセイジェンドの母親であるところのルヴィアは、子煩悩な親バカだったはずなのだ。

 子供を捨てて一人で裕福な実家に帰ったりするかなぁ。


 まあしょせん夢だし、旦那が夢よりも早くに死んで、クライスさんと一緒になることもなくて、お金も無くなったなら、子供を捨てて自分だけでも幸せになろうとするかもしれない、かな。

 母親って言ったって一人の女で、自分の幸せ追いかけようとするもんだし。


 でもルヴィアさんの感情って、そんな感じじゃないんだよね。

 私に愛情極振りの感情を送って来るけど、関わりたいって感情はほとんどないし、お金や名誉が欲しいって欲求は欠片も浮かんでいない。

 ただ見ていたいから見ているって感じだ。それも、周囲に気づかれないように警戒しながら。

 もしも自己愛の強い人なら――例えば前世の母親なら、仕方なく別れなければならなかったんだと被害者アピールをして周囲の同情と関心と、ついでに私の母親だという認知を求めてきただろう。

 でも彼女はそれとは真逆で、私への関心は強くとも周囲にそれを知られるのを恐れている。



 もともと守護都市には駆け落ちしてたってことだろうから、これはつまり息子を実家に連れて帰るわけにはいかなかったってことだろうな。

 そして今なお知られてはいけないと思っているって、ことだよな。

 セイジェンドの父親の事は良く知らないけど、何か恨まれるようなことをした人だったのだろうか。

 いや、大事な娘をかどわかしたなら恨まれて当然だろうけど、それはその血を引く息子も恨まれるレベルなのだろうか。


 わかんないなあ。

 商業都市の名家事情なんて守護都市にはほとんど入ってこないしなあ。

 かと言って下手に調べようとすると藪蛇になりそうだし。


 ……うん、仕方がない。


 厄介事の臭いしかしないし、私は気づいていない。

 私は何も気づいていない。

 私は生まれてすぐに捨てられたから生みの親の顔なんて知らないから、ルヴィアさんはただの他人。

 ただの絶世の美女。

 うん、それでいこう。


「気になるのか」

「え?」

「警戒しているだろう。特に目を引くところはなさそうだが」

「……親父」

「なんだ?」

「僕は誰も警戒していない、いいね?」

「いや、だが……」

「いいね?」

「……わかった」


 よし。


「どうかしたの?」

「なんでもないよ、親父がまた変なことを言い出しただけ」

「……」

「お父さん、あんまりセージを困らせないでね」

「……むぅ」

「むぅじゃなくて」


 ごめん親父、これに関してはちょっと悪かったと思う。フォローはしないけど。


「あんまり大きな声を出さないでよ、マギー」

「……ごめんなさいね」


 周囲の視線を気にして声はちゃんと抑え気味にしながらも、棘を含ませて姉さんが一応の謝罪をする。


「少し何か食べようか。とって来るよ、何が良い?」

「なんでもいい」

「セージは? 来る?」


 聞き耳を立てているルヴィアさんが態度には一切出さず、期待の感情を抱く。ごめんよ。なるべく関わりたくないんだ。


「ここで見てるよ。クッキー取って来て」

「わかった」


 VIP待遇なので給仕の人も付いている。

 彼の取って来ましょうか、という言葉を断って、兄さんは席を立つ。


「……いいのか?」

「……いいんだよ」


 親父の問いかけは兄さんを一人で行かせたことではないだろう。相変わらず勘の鋭い親父である。

 しかしその勘の良さとデリカシーはマリアさんに発揮してほしい。

 偽物の私がルヴィアさんに出来ることは、何もないのだから。




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