273話 諦めた男





「あー、だめだ」


 朝も早い時間、婚約者に買ってもらったマンションで、アベルはそうぼやいた。

 守護都市が政庁都市に接続をしている関係から、大学へ通うのはブレイドホーム家からでも問題ない。

 だがあと三か月もすれば完全に二人暮らしが始まる。

 それに慣れるためにも一週間のうち平日の五日間は、購入したマンションで生活をするようにしていた。


 そんな新生活で当面の問題は、炊事当番だった。

 マギーは料理が出来ないわけではないが、味音痴で塩分とマヨネーズの多い食事を作りがちだ。

 そしてアベルは薄味が好みである。

 そんな訳で簡単な料理でいいから覚えようとしたのだが、いまいち上手くいかない。


 繊細な包丁さばきや盛り付けを必要としないものなら、レシピ通り作ることはできる。

 だが、面倒くさい。

 作ることも、終わった後の片づけも。

 味に関してもセージやカインが作ったものに比べて落ち、これならカップ麺でいいなと思ってしまう。

 そして頭によぎるのは、セージの言葉だ。


「お昼は二人とも学食があるでしょ。それに首都なら美味しくてリーズナブルなお店も多いだろうし、自炊にはこだわらない方が良いよ。作る量が少ないとかえって高くつくしね」


 アベルはため息をついた。

 言われたその時は料理ぐらい難しいものじゃないだろうと思ったのだが、手間暇時間がかかってさしてお金が浮くわけでもないことを毎日やるのかと考えれば、セージが正しいと思えてしまう。

 料理を覚える時間は他の事に充てた方が良いと。

 だから散らかしたキッチンの前で、アベルはぼやいたのだ。


「アベル、ご飯できたー? って、汚いっ‼」


 洗面所で身支度をしていたマギーが、キッチンの惨状を見て声を上げた。


「ん? ああ、後で片づけるよ。とりあえずサンドイッチ作ったから、半分はお昼に食べてね」

「え? サンドイッチ? サンドイッチ作っただけなのにこんなに汚くなるの?」


 アベルは肩をすくめた。


「料理はほとんど初めてだからね、少し手際が悪かったんだ。そう責めないでよ」

「いや、責めてないんだけど……」


 マギーはシンクに山盛りとなった調理器具の山や、調理台にこぼれた多様な香辛料と油汚れを見ながら、初めてなら仕方ないよねとなんとか自分を納得させた。

 アベルはレシピ通りに作るために調味料を小皿に分けて準備し、分量を間違えないよう、味が混ざらないよう計量スプーンも計るたびに変えてシンクに突っ込み、ボールやフライパン、包丁にまな板なども一度使えばシンクに突っ込んで、新しいのを出して料理をした。

 そしてその結果、サンドイッチ朝昼二食分を二人分を作っただけで、マギーを驚かせるほどの洗い物の山を積み上げたのだ。


「お昼の分包むけど、何かいい紙あるかな」

「お弁当箱あったでしょ。セージが一応って、荷物に入れてた。でも冷ましてからの方が良いから、先に朝ご飯にしよう。アベルはコーヒーでよかったよね」

「うん……あ、スープ作ってない」

「インスタントでいいでしょ。買い置きがあるから」


 マギーはそう言って棚からインスタントのコーヒーとコーンスープを取り出し、お湯に溶かす。

 その間にアベルが配膳を済ませ、二人は食卓に着いた。


「「いただきます」」


 二人きりの食事はさして会話が盛り上がることもなく、味気なく手早く終わった。



 ******



 大学での講義は選択制となっており、自分でスケジュールを組むことができる。

 飛び級での卒業を目指すアベルは、人の少ない朝一番の授業から講義を入れ、そして夕方からはあえて時間を空けるよう選択していた。

 アベルの目的は勉強をすること、名門大学卒業というステータスを得ること、そして将来有望な人材と顔見知りになることである。

 そのためサークル活動が活発になる夕方を空けておいたのだ。


 そんなアベルはしかし、特定のサークルには所属していない。

 新入生勧誘は熱心に行われており、特に未開の修羅の都市と噂される守護都市出身でありながら飛び級の十七歳で入学し、しかも中級相当の魔力保持者であるアベルはかなりの注目を集めていた。

 アベルは誘われるがままにたいていのサークルに顔を出したが、どれか一つに決めることはなかった。

 たいていのサークルは何度かの勧誘が空振りに終わることでアベルは入る気がないのだと諦めたが、武闘や魔法系のサークルは所属しなくてもいいから助っ人になってくれとしつこく食い下がって、アベルはそれを了承した。

 この日はそんなサークルの一つである、剣術同好会に参加していた。



「それまで、勝者アベル」



 審判がそう言って、アベルは木剣の切っ先を下げた。


「ちくしょう、またお前の勝ちか」

「悪いね、レイニー」


 アベルは対戦相手のレイニーにそう言って笑顔を向けた。

 それを見て観戦していたサークルの女性メンバーが色めきだった。


「勉強はできる、腕っぷしも強い、女にもモテル。お前はあれか、嫌みの塊か」

「そんな訳じゃないけどね」


 次の試合が始まるため、アベルはレイニーと並んで試合場から降りる。


「あの、アベル君。これタオル。冷やしてあるから、使って」

「ありがとう。洗って返すよ」

「ううん、そのままでいいから」

「えっ?」

「そのままでいいから」

「あ、うん」


 アベルはさして出てもいない汗をタオルで拭って、言われるがままに女子大生にタオルを返した。

 アベルの使ったタオルを胸に抱いて、女子大生は友達たちの輪に帰っていった。女子大生たちはきゃーきゃーと盛り上がっていた。


「女にモテるお前は嫌みの塊だ」

「……僕は婚約者がいるんだけどね」

「へぇ、そりゃ初耳だな。

 ……美人か?」

「うん」

「この野郎っ‼」


 臆面もなく言い切ったアベルを、レイニーは軽く小突いた。


「しかしもったいないね。まだ十七だろ。婚約者なんて作ってさ。いいとこのお嬢様か?」

「いや、違うよ。なんで?」

「なんでって……、あー……。

 ほら、お前は嫌みの塊なんだし、金持ちか権力者と仲良くしてるだろうと思ってさ」

「レイニーはひどいこと言うね。

 実家と縁のある人でさ。その関係で仲良くなる機会があって、結婚しようって思った、それだけだよ」


 アベルとレイニーはサークル仲間の試合を眺めながら雑談を続けた。

 剣術競技にはスポーツ派と実戦派があり、剣術同好会はどっちつかずの日和見主義だ。

 魔力使用に制限の付くスポーツ大会に参加することもあれば、今政庁都市で行われている皇剣武闘祭がらみの小さな大会に出ることもある。


 アベルは同好会から新人戦に出てくれと頼みこまれたが、そのつもりはないし、出るなら実家の道場から出ると断った。

 そしてこの時、実績のある道場には大会への推薦枠が割り当てられることを知り、セージの実績をちゃんとあげて実家の道場に推薦枠をもらっていれば、カインに不名誉な二つ名がつくことはなかっただろうなと思った。



「そう言えば新聞見たよ、弟が予選本戦まで来てたよな。妹はもう本戦のシード権持ってるんでしょ」

「うん。自慢の弟たちだよ」

「お前は良かったの? 先輩たちも言ってるけど、出て損は無かったでしょ」


 アベルは肩をすくめた。


「まあね。でももう弟や妹の方が強いからね。情けないところは見せたくないんだよね」

「……お前より強いって、さすがにおかしくね?」

「下の弟なんて5歳の時には僕より強かったよ」


 アベルに負け続けているレイニーはそう言ったが、それを否定するようにアベルはさらに続けた。


「ああ、英雄の息子ね。あれはもう人間じゃない。

 5歳で実戦デビュー、たった4年の間にテロ屋に竜と戦闘、ロード種討伐も防衛戦参加も数知れずなんて、どうかしてる」

「ああ、どうかしてるよ」


 レイニーの声音に悪意がなかったこともあって、アベルはそう相槌を打った。

 話しているうちに試合は消化されていき、場が空いた。


「よし、もう一戦だ」

「うん、いいよ。やろうか」


 レイニーに促され、アベルは試合場にそろって足を踏み入れる。

 軽薄な言動が目立つレイニーは、しかし実直な剣技を修めている。


「そういえばレイニー」

「なんだよ」

「君こそいいのかい? 新人戦、サークルの推薦を蹴ったって聞いたけど」


 レイニーは苦笑した。


「私はいいんだよ」

「そうかい?」

「そうだよ……、私が勝ったら、理由を教えてやるよ」


 レイニーはそう言って笑った。

 この同級生は人のことはあれこれ聞きたがるくせに、自分の事を話すのは嫌う。

 だからアベルはレイニーのことをよく知らない。知っているのはレイニーという愛称と、今年で十九歳の女性という事だけだ。

 噂では総合成績首席で入学しながら、入学式での新入生代表の答辞を辞退したなんてことも囁かれている。

 剣術においても、アベルには劣るもののハンターの域は超えていて、同好会の先輩たちでは相手にならない。大学公認の第一剣術部でもやって行けるであろう実力を持っている。

 つまるところ彼女は、相当ひねくれた英才だ。

 そんな彼女に返す言葉は決まっている。


「それじゃあ聞けないね。だって僕が勝つんだから」

「この野郎」


 好戦的な視線を交えて、二人は試合開始の合図を待った。



 ******



 同好会が試合場を使える時間は終わり、片付けを終えて、通常のトレーニングに移る。

 それも終わって、二人は家路を辿った。

 話題はやはり、試合の事だ。


「だー、ダメだくそっ。勝てないな」

「はは、いい勝負だったけどね」


 二人の勝負はアベルの勝ちで決着がついた。


「勝ったから言えるんだよ、それは」

「そうだね」


 アベルはぼんやりとした笑みを浮かべて相槌を打った。


「まったくお前は……。

 なあ、ちょっとマジな話なんだけどさ」


 レイニーは声のトーンを落とし、真剣な表情でアベルに尋ねる。


「お前、なんでそんなに才能あるのに、戦士にならなかったの?」

「才能なんてないよ」

「それはつまり、もっと才能があるやつがいたから諦めたってこと?」


 棘のある言葉で、友達を失うかもしれないと怯えながら、レイニーは尋ねた。


「そうだね。僕は諦めたのかもしれない。

 君も知っての通り、僕のそばには特別な人が溢れていてさ。

 僕みたいな凡人は何をしたって彼らには敵わないんだ」

「……」

「でもさ、一緒にいたいんだよね。

 家族だって、胸を張っていたい。

 だから凡人だからなんて言い訳するのを諦めた。

 戦士として特別には成れないけど、僕は特別な人間になるよ。

 それが答えかな」


 レイニーは言葉を失って、二人は無言で歩き続けた。

 しばらく歩き続けて、二人が別れる交差点までやってきた。


「それじゃあ僕はここで。またね、レイニー」


 背中を向けたアベルに、レイニーは言葉を絞り出した。


「……ああ。なあ、アベル」

「何?」

「お前は格好いいな」


 アベルは一瞬きょとんとした顔になって、


「ありがとう」


 そう笑った。

 レイニーは悔しげに笑って、その胸を小突いた。


「また明日な」


 アベル・ブレイドホームはこうして新しい日常と、レイニア・スナイクという友人を迎えた。




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