272話 不器用な人たち





 目の前を、まさしく最強が立ち阻んでいる。

 明確な格上への挑戦は竜との対峙以来だろう。

 だからこそケイ・マージネルは心を震わせる。


「ふっ」


 小さな呼気を吐き出して、姿勢低く突貫する。

 小細工は不要。

 持てる全力をぶつける。


 振り下ろされる形で剛腕が襲い掛かる。

 見えている。

 避けられる。

 懐に潜り込んでの一撃を脳裏に思い描き、それは顎を襲う強烈な衝撃に破砕される。


 拳に気を取られ視線を上げたところを、膝で顎を跳ね上げられた。

 そしてわずかに遅れて振り下ろされた剛腕が、ケイを容赦なく床に叩きつける。

 ケイの体は床との反発で浮き上がり、さらに蹴り飛ばされて壁に叩きつけられた。


 最年少とはいえ国内最強と呼ばれる皇剣、その一人である天才ケイを一方的に叩きのめした男は、臨戦態勢の構えのまま、手を招く。

 口元から血を垂らしたケイは、そうでなくてはと気迫を高めた。


「ぉぉぉぉおおおおおおっ‼」


 野獣のような雄たけびを上げて、ケイは再度挑む。

 ケイの拳は受け止められ、躱され、いなされる。

 対して男の技は確実にケイの体を打ち抜いていく。

 彼が本気ならば、とっくに立ち上がることも出来ない体になっていただろう。

 彼の拳は重いが、しかし十分な魔力は込められておらず体はすぐに治すことができた。

 手加減をされている。それほどに実力に差がある。

 それがたまらなく楽しい。この差をすぐに埋めてやると、無限の闘志が沸き上がる。

 脳は焼ききれそうなほどの快楽物質を生み、ケイの技は冴えていく。


「……む」


 怒涛の攻めを見せるケイを捌ききれず、呻きが上がる。

 好機と見て、ケイはさらにギアを上げる。

 トップギアにはもう入っている。それでもまだ上へと上げる。

 限界などないと、気力を燃やして体を動かす。


 ケイが最強と認める男の、ジオの右の拳をかいくぐる。

 膝も来ていない。

 見えている。

 見えてはいないが、見えているようにはっきりとクリアに分かる。

 今なら何でもできる。

 そんな熱に浮かされ、ケイはジオに挑む。


 懐に入り込んだケイを、左の掌底で突飛ばそうとする。

 ケイはそれを右手で払い、体をひねって捌く。

 ケイとジオでは一撃の重さがまるで違う。

 ジオがとっさに出した手打ちの一撃も、ケイは全霊を尽くさなければ捌ききれない。


 ケイは捻りの慣性をさらに加速させ、一回転して上段回し蹴りを狙う。

 だがジオはその巨体をかがめ、ケイの足元を払った。

 技を繰り出したのは同時、だからこそ速度で勝るジオの払いが先に決まる。

 だがケイにはそれも、わかっていた。


 回し蹴りは空を切り、足を払われて体制は完全に崩れる。

 しかしそうなるとわかっているから、動揺などしない。

 ケイは回転の勢い活かして、空中でさらに回転。

 下をとったジオの頭に踵を落とす。

 ジオはとっさに頭を捻るが、躱しきれずに肩を打たれた。


「っ」


 初めて入った一撃に、ケイは言葉にならない喜びを覚え、


「っ⁉」


 足をつかまれ投げ飛ばされて、言葉にならない悲鳴を上げた。

 ここまで死力を振り絞ったケイは受け身も取れず、道場の壁に叩きつけられた。


「うむ、俺の勝ちだ」


 ジオは満足そうにそう言った。

 ケイは限界を超えて戦ったがゆえに、ぴくぴくとやば気な痙攣をするだけだった。



 ******



「少しは良くなりましたか?」

「うん」


 ブレイドホーム家の道場でジオと立ち合いを終え、介抱をしていたマリアに声をかけられ、ケイはそう答えた。


「しかし、なんでまたジオと? 何かありましたか」

「うん……。いや、呪いが解けたと聞いたから、前から一度本気で戦ってみたいとは思ってたんだ」

「その言い方ですと、それ以外にも切っ掛けがあったのですか?

 ジオに何かされましたか?

 とりあえず早く謝りなさい、ジオ」

「俺は何もしていない」


 マリアの言葉にジオは肩をすくめて返した。


「うん、その、さ。変なことを言うようだけど、笑わないで聞いてくれる?」

「ええ、もちろんです。ジオもわかっていますね」

「ああ」


 ケイはおずおずと、二人の顔色を窺いながら話し始める。


「その、一応だけど、私とジオは血がつながってるでしょ」

「え、ええ」

「……」


 酷くデリケートな問題にマリアは言い淀み、ジオは沈黙でやり過ごそうとした。


「あ、ちがうの。娘として見てないのはわかってるから、認知しろとかいう話じゃなくて――」

「うん?」


 ジオが頭を捻ったが、ケイは構わず続ける。


「――その、二人が結婚するだろうから、一度本気でぶつかり合ってみようって」

「ちょっと待ちなさい」

「え?」

「誰がそんなことを」


 マリアのこめかみに青筋が浮かぶ。

 余計なことを吹き込んだのはいたずら好きの姑、もといセージだと確信していた。

 なので帰ってきたらアイアンクローの刑だと決意した。


「えっと、違うの? 一緒に暮らし始めて、呼び方も変わったから、そうだと思ったんだけど」


 ケイの言葉で、セージは冤罪から救われた。


「……違いますよ。ねえ、ジオ」


 上目遣いで、マリアはジオに言った。


「ああ。離れに住んでいるのはシエスタとの仕事のためだ。

 こいつがジオと呼ぶのは昔からだぞ」


 そして朴念仁のジオはそう言った。

 マリアは不機嫌になった。


「え、ええと。そう。そうなの。でも二人が仲良くしてくれると私は嬉しいな……な、なんてね」

「別に喧嘩などしていない」

「しています」


 なんだとと、ジオはマリアを見た。

 マリアはジオを睨んだ。

 ケイは余計なことは言うんじゃなかったと後悔した。


「……そうか。まあ、いい。そんなことよりも――」


 良く分からないことを考えても仕方ない。そんな顔でジオは話を変えることにした。

 マリアは当然、割増しで不機嫌になった。


「――お前は俺の娘だろう」

「え?」

「そう聞いている。アールの娘でもあるのだろうがな」


 ケイは頭に疑問符を浮かべた。

 確かにケイはジオとカレンの間に生まれた子供だが、公的には赤の他人という事になっている。

 真相を知った後に一ヶ月の間を一緒に暮らし、その後も浅からず交流があった。だが特にジオが父親として接してきた覚えはなく、ケイもあくまで尊敬に値する戦士として接するよう心掛けていた。


「……ああ、なるほど。あなたの娘への対応は本気で殴り飛ばすことなんですね」


 ジオの性格をよく知るマリアは、家族だと思っているという意味なのだと理解し、手加減の無さを揶揄した。


「必要ないだろう。お前とセージにはな」


 だが竜よりも面の皮が厚いジオには何の効果もなかった。


「ええと、それは……」

「不器用なんですよ、この馬鹿は。甘えてほしいと思うのに、甘やかすことのできない馬鹿です」


 ふんと、ジオは鼻を鳴らした。

 不機嫌を装うその顔が照れているように見えて、ケイはそれを可愛いと思った。


「そう、なんだ。へへ。ねえ、じゃあまた相手してもらえる。今日の感覚つかみたいし。あれが何時でも出来れば、セージにも負けないから」

「好きにしろ」


 二人のやり取りを見ながら、やれやれとマリアはため息をついた。


「まったく、ずいぶん遠回りをしますね、ジオ。

 ……あなたは一体、どんな親に育てられたんですかね」


 マリアはそう軽口を叩いて、迂闊なその言葉に後悔をした。

 ジオは長く捨て子として育ち、拾われた後もわずか数年で親代わりの人物を失っていたのだから。


「いい奴らだったさ。教わるには時間がなかっただけで」

「アシュレイさんだけじゃなくて?」


 無垢な顔で、ケイは聞いた。

 話で知るジオの子供時代はアシュレイに拾われてからのものしかない。

 ジオがそれ以前にどんな幼少時代を送ったのか、純粋に興味があったのだ。


「ああ、いい奴らがたくさんいた。

 もう名前も思い出せんが、顔は全員覚えている。

 読み書きを教えてくれるやつもいれば、盗みや逃げのイロハを教えてくれたやつもいた」

「……その人たちは?」

「死んだ」


 マリアが恐る恐る聞いて、ジオは陽が落ちる方角を答えるように、あっさりと口にした。


「……悲しいね」


 ケイはそう沈痛な声でそう言った。

 今でこそ大分改善されたが、それでも守護都市のストリートチルドレンの生活は楽ではない。ジオが幼かった時代は尚更だ。

 親も知れぬジオが生きてこれたのはそれこそ奇跡だろう。そしてジオのそばにいた者たちに、奇跡は訪れなかった。

 ありふれた話だ。

 ケイだって路上で息絶えた浮浪者を、警邏の仕事で片付けたことが何度もある。その中には子供の死体も含まれていた。

 だからそれは、ただのありふれた、とても悲しい話だ。


「……そうか。そうだな。

 俺は悲しかった」


 昔を懐かしみながら、ジオはそう言った。


「でもさ、セージと一緒に変えたよね。今は昔よりずっと生活しやすくなったし、死ぬ人も、まあいるけど、ずっと減ったし。将来はもっともっといい街になるよ」

「そうだな。セージは、天使だ」


 ケイがまくし立てて、ジオが笑う。

 それを見てケイも笑った。

 ケイはふと、マリアが気になった。


「どうしたの?」

「え? 何がですか?」


 マリアは笑っていた。

 だが彼女をよく知るケイは、その笑顔に陰りがあるように見えた。




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