270話 生きるか死ぬか

 




 生きるか死ぬか、それ自体はさして大きな問題ではない。

 せせこましく小さく生きるぐらいなら、その身を囮にして大勢を決する礎とすればよい。

 いや、そこまでを望む必要はない。

 死んだ分よりわずかに得ができれば良い。

 ほんの僅かな差とて、その違いが勝敗を分ける。

 黒か白か。

 引き分けなどない。

 勝者はどちらかだけなのだ。


 切りを入れる。

 相手はそれに応じる。

 ならばよし。

 右から受けても左から受けても味は残る。

 形を決める前にどこに残るかを決めてほしかった。


 さあ始めよう。

 戦いはまだ始まったばかり。

 だが実力を見るには十分な時間だった。

 さび付いた私でも十分に戦える程度の相手。

 全盛期なら四つ置かせて互角ぐらいだろう。

 だが油断はしない。

 丁寧に、慎重に、確実に勝たせてもらう。

 シード権のない私は、多くの勝ちを積み上げなければ優勝が見えないのだから。



 ******



「負けました」


 相手があげ石を盤上に置き、頭を下げた。私も頭を下げる。


「ありがとうございました」

「まいった。序盤からリードされてどうにもならんかった」

「最初の隅にこだわりすぎたのが敗因でしたね。隅の十五目よりは外勢がはっきり勝っているので」

「それだけならなあ。とったと思った石が生き返ったからなあ」

「ああ、そっちの隅はコウ残りでしたよね。ただその時にはもう形勢がはっきりしていたので、無条件で取れても地が足りないかと」

「うーん、そうかなあ」

「ええ、最初の隅以外で悪いところを挙げるなら、コウの勝ち負けではなくて、外勢が膨らむのを嫌がって近づきすぎて、攻め立てられたことでしょうね。逃げている間に白模様が消えて黒の確定地が出来ちゃいましたし」

「いや、まあそうなんだけどなあ。もっと楽に凌げるかと思ったんだがなあ」

「そうですね、凌ぎはあったとは思いますけど、難しい読みが必要でしょうから、自分だったら控えて様子を見ますね。

 まだまだ序盤ですから我慢したほうがチャンスはあると思うので」

「それは、つまらんからなあ……」

「ああ、気持ちはわかります。乱戦って楽しいですもんね」


 そんなこんなで対局相手のおじさんと感想戦をする。

 何を言っているかわからない人がほとんどだと思うが、囲碁をしていたのである。


 この一年、借金を返すため荒野で上級相当の仕事に駆けずり回り、暇を見ては外縁都市の防衛戦に顔を出し、そして外縁都市に接続すればギルドの広報の仕事を手伝って働き尽くしだった。

 少しくらいは趣味の時間を持っても罰は当たらないと思います。


 そんな私が出ているのは守護都市地方囲碁大会だ。

 全国大会が4年に一度のお祭りであるのだが、その出場枠がなんと守護都市にもあったのだ。

 ただ守護都市では人が集まらないからか、政庁都市接続と同じタイミングで大会が開かれ、各都市の予選に負けた人が集まって参加している。

 そして大会の参加場所も守護都市ではなく、政庁都市のホテルである。

 もはや守護都市の地方大会という感じは無く、大会参加者も全国大会の敗者復活戦ぐらいにしか思っていない。

 大会参加受付で住所を書くのだが、私の住所を見た受付事務の人は『正直に書いていいのよ』と、笑った。正直に書いたんだけどね。

 そして名前を見て、そんな偽名は使わないでと叱られた。本名を書いたんだけどね。信じてもらえなかったし、信じてもらえても勝負に影響しそうだったから、偽名と嘘住所で参加登録しましたよ。

 そんな訳で今日の私はセイジェンド・ブレイドホームではなく、セージ・ベルーガーです(ベルーガー姓は変えろと言われなかった)。


 ともあれそんな守護都市地方囲碁大会は全国から人が集まる関係で、そこそこの人数に膨れ上がる。

 そんな訳で初出場でシード権のない私は甲子園かと言いたくなるような先の長いトーナメントの山を勝ち上がっていかねばならないのだ。

 ちなみにこの国は囲碁のプロ制度はなくて、この大会もあくまで囲碁好きが楽しむためのものだから勝ち上がってもほとんど賞金はないんだけどね。


 いいんだ。

 借金の返済は一応順調だから。

 ちょっとぐらい遊んでも。

 妹の応援があるからしばらく外縁都市での防衛任務にも就けないし、上級ビジネスの旨味を覚えてしまったら政庁都市の安いアルバイトなんてする気になれないし。

 さてそんなこんなで久しぶりに囲碁も打てたことだし、気持ちよく現状報告といこう。



 さて、まずは親父だ。

 マリアさんの一世一代の告白の後も態度がまるで変っていない。そのせいでマリアさんも踏み込むタイミングがつかめずにいる。

 正直そんな態度だけを見るとマリアさんに興味がないのかと思うが、私の眼は親父の見づらい感情の動きも見通している。

 好意は抱いているのだ。

 好意は抱いているのだが、それを表に出す気がないように思う。

 姉さんたち子供からの視線を気にしているのだろうか。

 面倒くさいバカ親父である。



 次は兄さん。

 なんとなくわかっていたけど、大学にはあっさり合格しちゃったよ。しかも首都の国立大学に。

 さすがに主席入学は逃してたけど、それでも名門大学に飛び級で合格するお兄様、流石です。

 今はマンションで姉さんと二人暮らしを始めたところだ。



 姉さんは私立の女子高に行った。

 入学にあたって学力的なハードルは低いが、多額の入学金と別枠の寄付金と家庭調査が必要なお嬢様学校だ。

 制服が可愛いく、服飾がらみの設備や指導も充実しているのが志望理由だ。


 ただ兄さんがお金のかからない国立に進んだのを見て、姉さんは一度志望校を変えている。しかしその公立の進学校は落ちてしまったので、改めてお嬢様学校に進学することとなった。

 ちなみに学校からの調査で我が家の借金はばれているが、生活水準や保有資産、年間所得、英雄の威光などが理由で合格となった。

 まあお金のかかるお嬢様学校って言ってもね、年間札束三つや四つぐらいだからね、もう誤差だからね。

 ……私はいつか姉さんに借金のことがばれるのがとても怖いです。


 ちなみに二人が住む場所は、首都に住んで4年の大先生クライスさんに見繕ってもらいました。

 交通の便もいい一等地にあるマンションです。当然、結構な金額でございます。

 ただこれにはちゃんと理由がある。

 政庁都市の治安は守護都市に比べて比較にならないぐらいに良いのだが、しかしそれでも姉さんたちは英雄の子供で、私の姉と兄である。


 破天荒な武勇伝持ちの親父はもとより、私もこの数年で二度ほど大きなテロを潰している。逆恨みで襲われる可能性を考えれば、用心しておくに越したことはない。私ももう近くにはいられないのだから。

 そういう意味でも姉さんがセキュリティの厳しいお嬢様学校に行ってくれたのは良いことだった。馴染めるかどうか不安はあるけど、そこはさすがな兄さんがフォローするだろう。


 また治安だけでなく、交友という面でも意味がある。

 兄さんは政治の世界を目指している。

 そこはいわゆる上流階級というやつで、大学では英雄の息子という看板を背負って権力者の卵たちと仲良くしていく予定だ。

 そのための箔として、良いところに住むというのは必要なのだとシエスタさんやミルク代表に勧められた。


 ちなみにマンションは賃貸でなく、購入である。

 そしてこれは私や親父のお金ではなく、シエスタさんの貯金を頭金に、不足分をある時払いの利息ゼロでミルク代表が立て替えている。

 将来、首都に家があると便利だろうからとシエスタさんは笑って言っていたが、崩した貯金は結婚式に充てるはずだったものだ。

 ……シエスタさんの結婚式は兄さんの大学卒業後だから、それまでに彼女が遠慮しなくなるぐらいには稼いでおこう。

 ………………借金って、嫌だなあ。



 それでは次兄さんの話に移ろう。

 次兄さんは新人戦に向けて日夜汗を流している。以上。頑張ってるね。



 そして妹だ。

 妹は最近めきめきと成長している。

 いやもう本当に。

 私もちょっと追い越されてしまうんじゃないかと思うくらいに成長が目覚ましい。

 うん、でも私は兄だからね。

 妹に追いつかれることはないのだよ。

 ははは。この一年で私は6㎝伸びて妹は8㎝伸びたけどね、まだまだ私のほうが兄だから。大きい存在だから。

 私は145㎝で妹は148㎝だけど、8よりも5のほうが画数が多いから。

 一筆で書いたら汚いことになるから。二筆必要なんだから一筆よりも多いから。

 多いんだから大きいに決まっている。

 うん。何も問題ない。私は何も間違っていない。私は決して小さくない。


 まあ私が兄であるという天地開闢から始まる不滅の原理はいまさら語っても仕方がないだろう。

 妹はめでたく騎士養成校の推薦枠を勝ち取り、皇剣武闘祭新人戦ではシード権を持って決勝大会で次兄さんやマックスが勝ち上がってくるのを待つ形になる。

 本人は試合数が少ないのはちょっと寂しいと――わざわざマックスの目の前で――言っていたが、まあ今の妹が予選から出ても弱い者いじめにしかならないので我慢するべきだろう。


 ちなみに妹と私は十歳になったのでそれぞれ個室が与えられましたが、妹は私の部屋に入り浸っています。自分の部屋は物置代わりにして、ベッドも私のに入ってきます。

 ……今はまだいいけど、いずれ兄離れさせないといけないなあ。



 さて話を変えるが、騎士養成校のマックスはうちの道場生になった。

 妹にひどいことを言ったお詫びと怪我の治療のお礼に母親同伴でうちに訪れた際に、母親のミリアムさんが根性を鍛えなおしてやってほしいと頼み込んできたので、道場に通うことになった。


 本人が嫌々やるなら追い出そうかと思ったけれど、訓練は真剣にやっていたし、態度もストリートチルドレンの百倍マシなものだった。

 それに道場で身内以外に競う相手のいなかった妹や次兄さんには良いライバルとなってくれた。

 何度か剣を交えて勝ったり負けたりを繰り返すうちに、妹も敵意を向けることはなくなったが、姉さんは変わらず冷たい目を向けている。


 そんなマックスは新人戦の最終予選にシード権を持っている。組み合わせ次第では本戦に勝ち上がるのはマックスか次兄さんのどちらかという展開にもなるだろう。

 そうなっても大して盛り上がらないのでどうでもいいのだが、その前に次兄さんにはアホみたいに長い予選がある。

 あの子はちゃんと準備をしているのだろうか。



「二回戦始めまーす。勝ち残った方は集まってくださーい」



 まあいいか。

 私は久しぶりの碁を楽しもう。

 この日、私は四回戦まで進んで敗れ、そのあとも会場が閉鎖されるまで残った人たちと碁を打った。




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