269話 すれ違いは続くよ

 




 初日から色々あって疲れた。

 本当に疲れた。

 とりあえず何よりも大事なことから報告しよう。


 親父が私を吹っ飛ばして壊した学校の体育館(訓練場だったか?)の壁は、学校の方で修繕費を出してくれるということだ。

 ごめんねグライさん。そしてありがとうグライさん。

 親父共々けっこう好き勝手に暴れて、妹にいたっては殺人未遂で訴えられてもおかしくないことをしたけど、全部許してくれて。

 ふー。

 あの時は勢いであれこれやったけど、とりあえず上手くいって良かった。


 妹がボコボコにした人の怪我もちゃんと治した。

 なんか治ったあとすごい調子良くなって勝ちまくって、妹が『あたしと戦った時と全然違う』と不満そうにしていた。

 絶好調の敵と戦いたいなんて考えるの、兄は心配ですよ。


 私が治療したことはある程度周りにバレているので、『私にも調子を上げる魔法をかけて』とやってくる生徒もいた。

 そんな魔法は使えませんと断っていたら、妹が頭を撫でてとよって来たりもした。何なんだろうな。まあ撫でたけど。


 さて、そんなこんなで体育祭|(みたいなもの)は順調に日程が過ぎて、妹はまさかの全勝で最終日を迎えた。

 他の生徒は勝ち星を食い合っているので総合優勝は最終日の時点で妹で確定しているのだが、妹はこのまま全勝優勝を狙っている。


 うん。私なら賞金も出ないし怪我をしないよう適当に流すだろうが、妹は真面目なスポーツマンだった。

 そんな訳で引き続き応援を――この日は姉さんと兄さんが同行している――した。

 そして妹は勝った。

 ケイさんに並ぶ9歳での全勝優勝だ。

 私は惜しみなく拍手を送り、そして騎士養成校から走り去った。



 いや、妹は大事なのだが、喉に小骨が刺さったようにルヴィア・エルシールなる人が気になっているのだ。

 そもそも初日は試合数が少ないので、終わったあとに商業都市に様子を見に行こうと思っていたのだが、色々あった上に帰ったら何故か家にケイさんが来ていた。

 そして絡まれた。


 ケイさんは私と会った後、仕事に気が入らない日が続いたらしい。

 私は全然悪くないんだけど、私は大人なのでその八つ当たりを受け止めてあげました。


「いや、あんたが変なこと言ったのが原因だからね」


 ケイさんは理不尽だけど、私は大人だからね。受け止めてあげるの。

 そしてその後、ケイさんはうちに泊まることになった。

 正確にはマリアさんのいる離れの方に泊まったんだけどね。

 ケイさんが妹の出た選抜戦とその勝利を聞いて、祝勝会だーと言ったのが始まりで、いっしょにすき焼きを囲うことになって、遅くなったのです。

 そしてそのすき焼きを作ったのは私とマリアさんで、片付けまで全部終わったらもうすっかり夜が深まっていましたよ。


 その後も一週間ぶっ通しで私は祝勝会の料理当番をこなしましたよ。ハンバーグ作ってカレー作ってピザ作ってオムライス作ってビーフシチューも作ったよ。

 一回だけ我慢できず妹が寝た深夜に抜け出し、商業都市に行ったけど、正直無駄な努力でしたよ。


 深夜だから当然家で寝ていて、そして名家のエルシール家はやっぱり当然厳重に警備がされているので、顔を確認するとか無理ですよ。

 いや、やろうと思えば忍び込むぐらいは出来るけど、そんな犯罪行為まではしないよ。

 家の中にいる人が多いから、誰がルヴィアさんかもわからなくて魔力感知でロックすることもできず、完全に無駄足だった。

 そして帰ったら妹が起きていて泣きながら怒られたよ。


 アホのマックスに言われたことを気にしているようで、ちょっと情緒不安定になっている。

 予定より大分早いけど、妹には本当の両親のことを教えたほうがいいのかもしれない。


 まあそんな訳でそれ以降は素直に妹につきっきりで商業都市接続最終日を迎えたのだが、このまま状況に流される私ではない。

 兄さんに協力してもらい、表彰式と閉会式は抜け出すことにしたのだ。

 閉会式が終わったらそのまま祝勝会になだれ込むのはもう予測がついている。

 だからチャンスはここしかない。

 おおよそ一時間少々の時間で、すごい美人だというルヴィア・エルシールさんを探し出し、この目に収めようと思う。



 ◆◆◆◆◆◆



「セージ、どうしたの?」

「どうしても商業都市に用があるんだって。遅くても閉会式が終わるまでには帰ってくるってさ」

「ふーん。アベルにはちゃんとそういうの伝えるよね」


 マギーの言葉を、アベルは笑って聞き流した。

 別にいいけどねと、マギーは頬を膨らませた。


「ははは、とりあえずセルビアには気づかれないようにしないとね」

「そうよね。あの子、泣き出しかねないもんね」


 そうしてマギーは目つきを険しくした。

 マギーやアベルは、家族と血のつながりが無いことを当然の事として受け入れている。

 だがセルビアはそうではない。

 物心ついてから拾われたふたりとは違い、セルビアは赤子の時から家にいるから。


 そして一緒に拾われたセージが、セルビアにとって特別なのは誰の目から見ても明らかだった。

 そんなセルビアに、セージとは兄妹じゃないと言ったのだ。

 あの男、次に会ったら平手打ちしてやるとマギーは固く心に誓った。



 セルビアの試合は終わったが、他の試合が終わるにはまだ時間がある。

 控え室におめでとうと声をかけに行きたいところだが、総合優勝者ということでセルビアには準備がある。

 表彰式に備えてシャワーを浴びて身奇麗にし、礼服替わりの学生服に着替えなければならない。またスピーチもあるので、壇上に上がる際の所作や用意されていた原稿を読む練習もあった。

 閉会式が終わるまでは会えないと、既に優勝が確定していたため事前にそう知らされていた。

 そんな訳で、少し時間がある。


「ちょっとトイレに行ってくる」

「一応、ついていくよ」


 マギーが言うと、アベルもそう言って一緒に席を立った。

 養成校の中ということで治安はいいはずだが、用心しておくに越したことはないだろう。

 それに何事もなくともマギーが迷子になる可能性も、アベルの頭にはちらついていた。


「過保護」

「ごめんね」


 マギーの言葉に、アベルは肩をすくめて答えた。

 ただマギーとしても付いてこられるのが嫌というわけではないので、一緒にトイレに行く。


「まだ時間あるね」

「中庭の方に行ってみる? 出店もやっていたし」

「そうね」


 マギーは相づちを打って、ちょっとした悪戯を思いついた。


「ね、なにか奢ってよ、お兄ちゃん」

「うげ、セルビアの真似はやめてくれよ」

「なによ、ケチ」

「ああ、うん。奢るのはいいよ。何食べる?」


 頬を膨らませるマギーにアベルがそう問いかける。


「え、なんでもいいけど」

「じゃあクレープは?」


 中庭に出たアベルは最初に目に付いた屋台を見てそう言った。


「クレープかぁ……」


 マギーは不満そうに言った。

 何でもいいんじゃないのかという言葉をアベルは飲み込んだ。その辺の耐性はシエスタによく教育され身についていた。


「せっかくだからもうちょっと見て回らない?」

「そうだね……と、なんだ?」


 学生の騒がしい声が入ってきてアベルはそちらに意識を向けた。

 何やらすごい美人の女性が学校に来ていると、男女を問わず生徒たちが騒いでいた。


「美人だから気になるの?」

「シェスかと思ってね」

「そう言えば、時間があれば来るって言ってたっけ。迎えに行こっか」


 マギーの言葉にアベルが頷き、騒がれている方に向かうと、すぐに人だかりが道をふさいだ。


「みんな美人が見たくて集まってるの」


 バカじゃないのとマギーが言って、返す言葉もなくアベルが乾いた笑いを漏らした。

 道を塞ぐ人垣は、しかし突如として二つに割れた。

 そしてその割れた道の真ん中を、堂々とすごい美人の女性が歩く。

 シエスタじゃないと、もっともっととんでもない美人だと、黒いドレス姿の彼女に目を奪われたマギーの裾を、アベルが引っ張る。


「邪魔になるよ」


 割れた人垣に習って道の端に寄ろうとアベルが促すが、少し遅くその美女はふたりの前まで歩いてきた。

 美女は感情の見えない目で二人を見下ろし、こう呟いた。


「ここ、どこかしら」



 ******



「ええと、迷子なんですか」

「そうとも言うわね」


 アベルの問いに、美女はそう答えた。


「どちらに行かれるんですか? 案内しますよ」

「……どこ、というわけではないのだけど、ここは何処かしら」

「お姉さん、大丈夫? ここは騎士養成校ですよ」


 なんだか変な人だと思いながら、マギーは言った。


「そう。ならいいわ。たしか試合をしているのよね。全勝の子がいると聞いたのだけど」

「ああ、セルビアですね。ただ最後の試合ももう終わったところです」

「そう? 残念ね。でも一応、観客席に行ってみようかしら。会場はあちら?」

「え、ええ。ただもうほとんどの試合は終わって、表彰式の準備に移ってると思いますよ」

「いいのよ」


 美女はやんわりとそう言った。決して強い口調ではなかったのに、それ以上口を挟むのをはばかられる雰囲気がそこにはあった。

 美女はそのまま第一訓練場に向かい、しかしすぐに一つの屋台の前で足を止めた。

 そのお店は食べ物ではなく、人気のある戦士や騎士の姿絵や小物を販売していた。


「い、いらっしゃい。一番人気は養成校出身のケイ様ですよ。合わせて最近売り出しを始めた天使セイジェンドも取り扱ってますよ」

「そう。こちらを――」


 美女は言いながらハイヒールに隠した紙幣を取り出そうとして身をかがませ、


「こんな所にいたのか」


 壮年の男性の声が割って入って、美女は何事もなかったかのように背筋を伸ばした。


「心配したぞ。こんなところで何をやっている」

「ごめんなさい。こちらの建物じゃなかったかしら」


 護衛を引き連れたその男性に美女は素直に謝罪の言葉を述べたが、その声音に悪びれたところはまるでなかった。


「ここは士官学校ではなく養成校だ。似ているが違う。ケイ様のスピーチももうすぐ始まる。早くもどるぞ――なんだ、それは」

「エメラへのお土産にいいかと思って」

「うん? ああ、あの天使か。確かに、機嫌を取るにはいいか。おい」


 男性が護衛に声をかけると、すぐに護衛の一人が財布を取り出す。

 そのまま購入をしようとするが。それを美女が遮った。


「私がやるわ」


 そう言って美女は護衛から財布を借り受ける。


「あの、多――」


 店主は美女からもらった金額が多いと言いかけたが、美女にウインクされて上手く口が回らなくなった。

 美女はとった姿絵を少しだけずらし、二枚とっていたことを店主にだけ教えた。

 美女の渡した金額は姿絵二枚分で間違いがなかった。

 美女はずらした姿絵を再びぴったり重ね、懐にしまった。


「エメラには私から渡すわ」


 そう言って財布を護衛に返した。


「そうか。では行こうか。父さんは嬉しいぞ。お前が自分からこうしたイベントに出ようと言ってくれて」

「少しは役に立たないとね」

「ははは、そんなことは気にしなくてもいいさ。だが一人で出歩くのはやめてくれ。また攫われたのかと肝が冷えたぞ」

「ごめんなさい。気をつけるわ」


 そうして美女は男性とともに士官学校の方に姿を消した。

 それを見送って、


「……戻ろうか」

「そうだね」


 呆気にとられていたマギーが言って、アベルも頷いた。

 そしてほどなくして表彰式は始まり、スピーチを始めたセルビアがセージの不在に気がついて機嫌を悪くしたりもしたが、特に問題を起こすこともなくスピーチを終え、閉会式が終わる頃にはセージも戻ってきた。


「セルビアにはバレたぞ」

「うわ、怒ってた?」

「怒ってたよ。何してたのよ」

「ええと、無駄足を踏みに、かな」


 セージの答えに、アベルとマギーは首をひねった。


「探し物は見つからなかったけど、そもそもそんなものは無かったんじゃないかって思ってる。うん。きっと気のせいだったんだよね」


 セージの魔力感知ならば対象の性別とおおよその年齢はわかる。

 セージは商業都市のエルシール邸にいたセイジェンドの母親らしき年代の女性の顔を一通り見てきたが、どれも夢で見た顔とは一致しなかった。

 そもそも夢の中であれだけセイジェンドを溺愛していたんだから、捨てた上に十年近く音沙汰もないのは不自然だ。

 だから母親のルヴィアはもう死んでいるだろう。

 ルヴィア・エルシールはそれこそ今まで助けてきた誰かの縁者に違いない。

 セージはそう結論づけた。


「さて、今晩は腕によりをかけてご飯作るけど、何がいいかな」


 セージがルヴィアと再会するのは、一年後となる。




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