206話 二人の関係





「デイト、ですか。また懐かしい名前ですね」


 夕飯を終え、そこに同席してもらったマリアさんに改めてデイトのことを尋ねると、そんな言葉が返ってきた。

 場所はリビングで、私とマリアさん以外には親父とシエスタさんがいる。

 姉さんはまだ悩みが完全には吹っ切れていないようで部屋に引きこもって、妹と次兄さんは兄さんと一緒に道場で汗を流している。


「はい。今すぐというわけじゃあないんですが、手が空いた時間にでも探してみようかと。

 それで、まあ今のところ何の当てもないので、どういう人なのかがわからないかなぁと。それがヒントになるかもしれませんし」

「はぁ、まあそういう事ならば。

 ……わかっていて聞いているのでしょうが、私よりもベルーガー卿の方がよほど詳しいはずですよ」


 私は頷いた。そして親父は任せろとばかりの自信満々な態度で口を開いた。


「近接戦の強い男だ。背は俺より少し低いが、それでも高いほうだ。

 魔法戦は苦手で距離を取って戦うことはあまりしない。その分、間合いの詰め方は上手い。相手との距離感をコントロールする技量は俺よりも上だろう。

 それぐらいだな。

 ああ、あとパーティーを組んだ時は斥候や遊撃を務めたらしい」


 ちゃんと覚えているぞと、親父は満足気にそう言った。

 でも違うんだ。私が知りたいのは今どこにいるかということで、それを探すヒントとして生活習慣が知りたいわけで、つまりは人柄を説明して欲しいのだ。戦闘スタイルなんて必要とはしていないのだ。

 いや、強いらしいから道場で指導して――具体的には親父をぶん殴るコツを教えて――もらえたらとか思わないではないが、探す当てにはまるでならないのだ。


「……まあ、いいでしょう。あまり話して楽しいことでもないのですが……」


 マリアさんは呆れた顔で親父を見たあと、少し遠い目をした。



 ◆◆◆◆◆◆



 マリアは十三歳の時には地元の農業都市で上級のハンターとして認められた。守護都市の名家からは次回の皇剣武闘祭新人戦優勝を約束する代わりに、自家の道場に所属するようスカウトも来ていた。

 ただマリアはそれを蹴って守護都市に上がり、中級を目指した。

 地元にはまだマリアより強い戦士がいたが、簡単に会える相手ではなく、さらに彼らは皆マリアの三倍以上の年齢で、平たく言えば競い合う相手ではなかった。

 そうして登った守護都市で、素質は認められながらも年齢が若いこともあって一年しっかりと教育を受け、特にどこの名家にも属さずにそのまま指導員に紹介されたメンバーとパーティーを組んだ。


 割と順調な守護都市の生活は、しかし幼かったマリアの心に増長を生んでしまった。

 当時はまだ中級下位と弱者に分類され、しかし勢いを持って成長するマリアは過剰な自信を抱いてしまった。


 それを目障りと感じた人間はそれなりにいて、さらにその中には女性として成熟しはじめたマリアに劣情を抱いたものもいた。

 守護都市では女性は肌を晒さず、場合によっては女性と分からないような服装をする。それは戦う力のない者のささやかな知恵だった。

 だがマリアは他所の都市の出身で、男装というものに少なからず抵抗があった。


 指導員がいたときは我慢していたが、一人前のギルドメンバーになったのだからと、仕事の日以外は普通にスカートなどを履いたし、時には冒険して肌の露出の多い服も着た。

 マリアは年相応に可愛い格好というのをしたかったのだ。


 だがそれは生意気な女性を屈服させたいという歪んだ性癖の男たちを刺激することになり、結果としてマリアは悪漢に襲われることになった。

 それを偶然助けたのが当時既に最強の一角とみなされていたジオレイン・ベルーガーであり、この時に自分よりも圧倒的に強く、そして気高い――と勘違いした――男に一目惚れをしたのだが、それはまた別の話である。


 マリアはこの時からジオに付きまとうようになったが、そうしていると自然とその周辺の人間とも知り合う機会を得ていく。

 マリアが中級の、守護都市では平均的な良い戦士どまりであったなら、ファンの一人だろうと彼らの目には止まらなかった。

 だがマリアにはジオに群がる他の女性とは違い、圧倒的な才能と強くなろうという意思があった。

 結果として、マリアは多くの有名人と面識を持つこととなる。


 ジオのライバルと評される最強の皇剣ラウド。

 そのラウドを支える名家当主のスノウ。

 ジオを捕らえ法の裁きを与えようとするアール。

 そのアールの暴走を諌めるエース。

 ジオの起こす騒乱を鎮圧する先代シャルマー家当主。

 そんな母について回っていた娘のクラーラ。

 時にジオも手玉に取る先代ジェイダス家の当主。

 その娘であり、ジオが唯一女性として特別に意識していた当主アンネ。

 そして、そのジェイダス家に仕えていたデイト。


 マリアがデイトと初めて出会ったのは、十五歳の時だった。

 当時はジオの名を騙る犯罪者集団が幅をきかせており、マリアは彼らに騙され大金を渡してしまった。

 後に彼らがジオとは無関係であることを知って、その犯罪者集団への襲撃を思い立った。


 マリアはジオと知り合ってからその才能を開花させ、目覚しい成長を遂げ始めた。

 当時十五歳でありながらランクは中級上位。上級に入るのも時間の問題であった。

 ただ守護都市で名のある犯罪グループには当然の事ながら上級の戦士もいて、さらにそれには及ばずとも多くの熟練の中級の戦士もいた。


 怒りに任せて犯罪者の巣窟に突撃すれば、そこで敗れ、手ひどい蹂躙をされたであろう。

 マリア以外の先客がその場にいなければ、そんな薄い本案件に発展しただろう。


「なんだ? 血の匂いによってくるなんて、魔物みたいな女だな」


 犯罪者たちの本拠は使われていない倉庫だった。

 マリアが高所にある窓からその倉庫に飛び込むと、そこには凄惨な光景が広がっていた。


 名にし負う戦士と思わしき死体が雑兵のように転がり、体から流れた多くの血が行き場を求めて床に溜まっていた。

 そんな中でただ一人、満身創痍で立っている男がいた。

 薄暗くてぼんやりとしたシルエットしかわからない。ただ深い傷を負っているであろうことだけが、そのシルエットと発せられる生気の薄い魔力から感じ取れた。


 ピチャリ、ピチャリと、マリアは血溜りを踏みしめて慎重に男に歩み寄る。

 歩み寄ろうとした。

 だが三歩進んで、どうしようもない嫌な予感に歩みを止めた。

 これ以上進んだら死ぬと、そんな恐怖が体を押しとどめた。


「はん。勘はいいな。何しに来た」

「……騙されたから、ぶん殴りに来た」


 男は肩を震わせた。倉庫の暗さにまだ目は慣れていない。だからその表情ははっきりと窺えなかったが、笑ったようだった。


「身の程知らずが」


 男はそう言うと、前のめりに倒れた。

 先程まで感じていた恐怖はなにかの錯覚だったのか、マリアの身体はとっさに動き間合いを詰めた。そして男の体が血の海に沈む前に抱き支えた。

 そうして支えた男を改めて見て、マリアは愕然とした。


 男は左腕を失い、腹は切り裂かれ腸がわずかに零れ、右足は骨が見えるほどの大きな裂傷をかかえていた。

 死んでいてもおかしくない、いや、死んでいなければおかしいほどの怪我を負っていた。

 そうだと言うのに男はつい先程まで、立ってマリアと相対していた。


「まったく。助かったらお礼はしなさいよね」


 マリアは男に治癒魔法をかけながら倉庫の扉を開き、近くの病院へと急いだ。

 男がどこの誰だかは知らないが、放っておけば間違いなく死ぬ。殺すのは身元が分かってからでも遅くはない。

 単純な理屈でマリアは男を助けることにした。

 開かれた倉庫の扉からは、堰を切った川のように血が流れていった。



 ******



 後日、マリアが街を歩いていると唐突に嫌な予感に襲われた。


「ああ、いい勘だ」


 つい先日聞いたような生意気で捻くれた声を聞いたのを最後に、マリアは意識を失った。



 そして気が付くと、知らない天井があった。

 マリアは飛び上がって周囲を警戒したが、その場にいたのはたった一人だけだった。


「え、じ、ジオなんで!?」

「知らん。看病しろと頼まれた」


 マリアが寝ていたのはブレイドホーム家のリビングにあるソファーで、つまるところはジオの家だった。


「……ええと、あんたが私を襲ったんじゃなくて?」


 違うだろうとは思いながらも、マリアは念のためにそう質問した。

 殴られたということは朧げながら覚えていた。その直前に誰かに声をかけられたのも。その声は確かにジオとは違うものだった。


「なんで俺がそんなことを。お前を担いできたのはデイトだ」


 返ってきた答えは予想通りだが、加えられた説明によってマリアの頭に疑問符が大量に浮かぶ。

 ジオの事は念入りに調べていたので、この時のマリアはデイトという人がジオの義理の弟だということは知っていた。だがそれ以上のことは何も知らなかった。


「その、デイトって人は?」

「お前を置いて出て行った。変な奴だからな、あまり気にするな。

 ……なにか飲むか?」

「え、あ、はい……」


 ジオはそう言うと、魔力を込めれば豆挽きから全自動でやってくれるコーヒーメーカーを使ってコーヒーを入れる。


「あ、あの、ありがとう。お邪魔して」

「気にするな。頼まれたからだ」

「そ、そう。

 ……その、デイトって人、特別なんだ」


 コーヒーを受け取り、マリアは上目遣いでジオに尋ねた。


「どういう事だ?」

「人の頼みなんて、あんまり聞かないと思ったから」

「やってもいいと思ったことはやる」

「そ、そうなんだ」


 じゃあ私の看病は特別なんだと、マリアは少し浮かれた。


「ねえ、今度いっしょに遊びに行かない?」

「は?」

「あ、いや、な、なんでもない。

 その、そうじゃなくて、看病のお礼に、ご飯作りに来てあげようか?」

「いや、いい。メシは外で食べている」

「そ、そうなんだ。それじゃあ一緒にご飯食べない? お礼に奢るから、ね?」

「は? まあ、別にいいが」

「なによ。もっと嬉しそうにしてよね。私みたいな美少女と一緒にご飯とか、すっごいご褒美でしょ!!」

「そうなのか?」

「そうなの、もうっ!!」



 ******



 そんなこんなで日が傾き始めるまでジオの家に居座ったマリアだったが、ジオに『(女の子なんだから夜になる前に)帰れ』と言われて、すごすごとブレイドホーム家を後にした。

 見送りぐらいしてくれてもいいじゃないと、唇を尖らせるて家路をたどっていると、不意に声が聞こえた。


「よう、楽しかったみたいだな」


 マリアは背筋に怖気が走り。その声からとっさに距離をとった。

 だが聞こえてきた声とは逆の方に飛び退いたはずなのに、マリアの背に誰かが立っていた。

 咄嗟に裏拳を放つが、それはその男の右手に悠々と止められた。


「おいおい。病み上がりに遠慮がねぇな」


 マリアの拳を受け止めたのは、いつぞやの半死人の男だった。


「あんた……」


 マリアは驚いてその男をしげしげと見る。男が死にかけていたのはほんの数日前のことだ。

 失われた左腕も再生しているが、十中八九魔法で再生させた偽物だろう。定着のしていない腕は思い通りには動かないし、腕を失った時の幻痛に今も苛まれているはずだ。そしてそれは腹や足の怪我にも言えることだろう。


 そうだと言うのに男は自然体でマリアの裏拳を受け止めていた。

 体のどこにも無駄な力は入っておらず、それでいて全身から緊張感が発せられている。

 矛盾する男の姿にマリアは冷や汗をかいた。

 上級の中でも戦闘狂と呼ばれる特に危険な人種が居る。目の前の男はまさにそれだと、肌で感じていた。


「命を救われたささやかな礼だったんだが、楽しんでもらえたようだな」

「……あんたが、デイト?」

「ああ。頭の廻りも良いみたいだな。

 ちょっとした説明に来たんだが、まあ聞け。

 知ってるんだろうが、俺が殺した連中はあのバカの名を騙っていてな。今後のことも踏まえてバカに直接制裁させようってんで俺んとこの、ジェイダス家が他家を牽制してたんだが、一向にバカが何もしなくてな。

 周りの名家連中も抑えられなくなってきたんで、他所に手柄を取られるぐらいならって、襲ったのさ」


 マリアは嫌そうな顔でデイトの説明を聞いた。

 どこの都市でも名家の黒い噂は耳にする。名家なんかには関わりたくないと、マリアの顔にはしっかりと書かれていた。


「何か聞きたいことはあるかい?」

「……あんた一人でやったの」

「ああ、まあな。思ったよりも手強くてな。助けてもらえなきゃやばかったぜ」

「別に、偶然だからいい」


 くっと、デイトは喉を鳴らして笑った。


「まあ、そう言うな。うちのお姫様もあんたに興味持ってるんだが、会いに来るか?

 望めば大抵の褒美は用意して貰えるぜ」

「いらない」


 デイトの誘いに、マリアは首を横に振った。名家からの褒美とは、抗えない首輪とのセットメニューだ。それぐらいのことは地元の都市でよく知っていた。

 デイトはマリアのそんな反応に気を良くして笑った。


「そうかい。気が変わったら来な。歓迎するぜ」

「しなくていい」

「ふっ。じゃあな。デート頑張れよ」

「はあっ!?」


 顔を赤くして声を上げたマリアを放って、デイトはひらひらと手を振りその場から去っていった。


「盗み聞きとか、サイテー」


 デイトは当てずっぽうに言ったのだが、そんな事わかる訳もなくマリアは赤くなった顔で負け惜しみを口にした。

 ついでに本当に盗聴していた恋敵がマリアのことを天才美少女と広め、その恥ずかしい二つ名にマリアはデイトのことを疑い、デイトも面白がって否定しなかったりもした。


 そんなこんなでマリアはデイトと知り合い、それからは時にからかわれたり、時に焚き付けられたり、時には拳で指導されたりと、妙な関係が続いた。

 それは師弟のような、友人のような、あるいは歳の離れた兄と妹のような、そんな気の置けない関係だった。

 そんな関係はジオが引退し、デイトが失踪する十一年前までの、たった三年間だけ続いた。





 ※※※※※※



 作中補足~~マリアへの説明の裏で~~



アンネ「あんたさらっと嘘言ってるわよね」

デイト「嘘じゃねーよ。バカが自分でやらなきゃウチでやるって話だったろーが」

アンネ「あんた一人にやらせるなんて話はしてないし、まだ待つように言ってたでしょうこのブラコン。一人で勝手に突っ走って死にかけてるんじゃないわよ」

デイト「うるせーな、あのバカは言わなきゃやらねーだろうが」

アンネ「だからそれを直すために今は我慢しなさいって言ったでしょうが」

デイト「直るわけねーよ、あのバカはバカなんだぞ」

アンネ「うっさいわね、私だってバカがバカなことぐらい知ってるわよ。だからってあんたまで馬鹿なこと始めたらこっちの計画が狂うのよ、このブラコンバカ」

デイト「ふざっ、てめえいい加減にしねえと張っ倒すぞ」

アンネ「姉に向かって何て言い草なのっ!! 謝りなさい。このジェイダス家当主のアンネロッテ様に暴言を吐いた罪を謝りなさい!!」



ジェイダス家家臣A「またやってるよ。長いんだよな、あれが始まると。決済待ちの書類があるんだが……」

ジェイダス家家臣B「こっちも頭が痛いよ。デイトの兄貴は休ませないといけないし、他の護衛だとアンネ様機嫌が悪いし……」

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