204話 グランマあらわる





 守護都市を一人の女性が歩いていた。

 恰幅のいい体型で、年齢は六十歳を過ぎていたがその足取りはしっかりとしたものだった。

 女性は懐かしそうに街並みを眺めながら、一歩ずつ目的の家を目指して歩いた。


「随分と綺麗になったもんさねぇ」


 女性の記憶にあるその通りはたいてい浮浪者が荒らした生ゴミ、酔っぱらいの吐いたゲロ、喧嘩で流れた血、あるいはその最中に壊れた建物の一部が散乱していたが、こうして歩くと道にはゲロぐらいしか見当たらなかった。それも記憶に有るよりずっと少ない量だった。


 守護都市の噂というのは他所の都市に住むものにすればいい酒の肴だ。おおよそ常識とはかけ離れたことが、嘘としか思えないようなことが日常的に起こっているのだから。


 そんな噂の中に、天使という話題がある。

 曰く、その身を投げうって都市を守るギルドメンバーの鑑のような高潔な戦士。

 曰く、窮地に陥る経験の浅いものたちを見捨てぬ慈悲深き守護者。

 曰く、名家の悪政に屈さずその性根を正す義侠の漢。

 曰く、芸術都市のアイドル顔負けの愛くるしさで多くの女性を虜にする魔性の少年。

 そして、英雄と名家の血を合わせ持つ最高のサラブレット。


 女性はとある理由からその天使の噂を詳しく聞いていたが、こうして綺麗になった町並みを見るまではそれは与太話としか思えなかった。

 なぜなら天使の父親と母親とされる人物は女性のよく知るところで、バカとヒネクレ者の間からそんな聖人みたいな気持ちの悪いのが生まれてくるとは思えなかったからだ。


「いやはや、変なことは起きるもんだわねぇ」


 一人ぼやきながら、目的の家に女性はたどり着く。

 門扉に掲げられた看板は〈ブレイドホーム〉。


「表札ぐらい変えなさいなね」


 記憶の中にある幼いバカを思い浮かべながら、女性は微笑みを浮かべた。

 今は亡き師匠に義理立てして表札を変えなかったのだとしたら感動ものだが、たぶんあのバカは単に面倒だから変えなかったんだろう。

 そう思ったら自然と頬がゆるんだ。きっとバカはバカのままだろうと、そう思って。


 ブレイドホーム家の大きな門は閉められており、休業日と札が下げられていた。

 しかし女性は気にせず門の横にある通用口の扉に手をかけた。鍵が掛かっていて、扉は開かなかった。

 生意気なと女性はこめかみに青筋を浮かべた。女性は割と頭に血が上りやすい性分なのだ。

 仕方がないので女性は扉についているベルを鳴らす。しばし待つが、誰も出てくる気配はない。

 こめかみの青筋は少し大きくなった。


「まったく、バカのくせに戸締りして出かけるんじゃないよ」


 女性はそう言うと再び扉に手をかけた。扉の鍵は女性の知っているものから変えられていなかった。そんなわけで、ちょいちょいっとやって、鍵を開けた。

 そうして通用口の扉を開き、敷地に踏み入る。


「おやまあ……」


 女性は感嘆の声を上げた。

 女性の記憶にあったかつての庭は色とりどりの花が咲き乱れる庭園だが、それは見る影もない。

 それはまあ、そうだろう。あのバカが花の世話などするはずもないし、しようにも昔は多くの女たちが手分けして維持していたものだ。バカ一人の手には負えないだろう。


 ただバカのことだから面倒だと手のかからない更地にしているだろうと思ったのだが、その予想は良い意味で裏切られた。

 庭には綺麗に刈り揃えられた芝生が広がり、子供向けの遊具がいくつか揃えられ、端には小さく花壇と畑が作られていた。


「子供ができれば、バカも変わるもんさねぇ」


 これを見れば女性も納得せざるを得なかった。バカだった悪ガキは、今や立派な父親になったのだろうと。

 それはひどく大きな誤解だったが、女性はほろりと涙を流した。

 心地よい感触の芝生の中を歩み進んで、女性は家庭菜園を見る。鮮やかな赤い色のトマトをひとつもぐと、縁側に座ってそれをかじった。

 トマトはみずみずしくて甘かった。良い肥料も使っているのだろうが、それ以上に手入れもしっかりとしているのだろう。本当に、バカは立派な父親になったんだなぁと感慨深く女性は二口目をかじった。


「だから俺は鍵かけたって」

「でも扉は空いてたじゃない」

「いや、カインは悪くないよ。僕も戸締りは確認したから。たぶん父さんが帰ってきたんじゃないかな。開き方が中途半端だったし」


 話し声が聞こえてきて、おや、と女性はその声の方に意識を向ける。

 帰ってきた子供たちの中で、最初に女性に気づいたのはセルビアだった。


「ああっ!!」


 急に大声を挙げられ、女性は肩をびくりと震わせた。


「トマトっ!! 勝手に盗ってる!!」


 その声でアベルたちも初めて知らない女性が家に上がり込んでいることに気づいた。


「えっ、どちら様ですか?」


 アベルは驚いたものの、女性がそれなりに年経た一般人であること、くたびれてはいるものの清潔感のある庶民的な服装であることから、とりあえずは危険な人物ではないと判断してそう尋ねた。

 女性はそれに答えようとしたが、


「トマト。私の。勝手に盗った!!」


 セルビアに遮られて答えられなかった。


「なんだい。トマトの一つや二つで。ジオの子だってんならもっと大きく構えてな」


 女性がそう言うと、セルビアは頬を膨らませた。


「ドロボーは悪いことだもん。勝手に取っちゃダメなんだもん。カレー作るはずだったんだもん」


 セルビアは迷いのない目で女性を責めた。九歳の、女性からすれば可愛い孫とも言える少女にそう言われ、さすがに罪悪感を覚えた。ジオが不在の今、確かに今の自分は勝手に上がり込んで畑を荒らした泥棒だと。

 まあジオが帰ってきていたとしても泥棒であることには変わらないのだが、間違いなくジオは野菜がひとつ盗られても気にしないであろうから、その考えに間違いはなかった。


「そうかい。ごめんね。あんまりにも美味しそうなトマトだったからつい食べちゃったんだよ。許しておくれ」

「うん。わかった」


 セルビアはさっきまで怒っていたのが嘘のように、明るい笑顔でそう言った。


「いいのかい?」

「うん。ごめんねって言ったら、許してあげるの」

「そうかい。いい子だねぇ……」


 あのバカなら一発殴ってから許すぐらい乱暴な教えでもおかしくないのに、本当に立派な父親になったものだと女性はセルビアの頭を優しく撫でた。

 セルビアはよくわからなかったが、女性のゴツゴツとした手は優しく温かいものだったので、そのまま素直に撫でられた。


「ええと、その、あなたは父さんのお知り合いですか」

「ああ、そんなところさね。あいつはいつ帰ってくるんだい?」


 そう言われて、アベルは少し違和感を感じた。父の事をこんなに気安く呼ぶ人が珍しかったからだ。


「今は商会の方に。帰ってくる時間は聞いていません。

 その、父とはどういう関係で?」

「うん? うーん……。どう言ったらいいかしらね。たくさんいる母親の一人、みたいなもんさね」

「「「え?」」」


 マギーたちが呆気にとられる中、アベルは得心が言ったと頷いた。

 アシュレイの遺族への手紙はセージとアベルが手分けして書いたものだったので、いつか来客があってもおかしくないと思っていたのだ。


「それではあなたは――」

「ただいまー」


 アベルが確認を取ろうとしたところに、セージの声が被さった。

 その場の全員が声のもとに注目する中、セージがジオと一緒に姿を現す。

 女性はそれを見て息を飲んだ。



 そのバカの顔は、二十七年前に夫と死に別れ、この都市を去ってから一度も見ていない。

 守護都市は年に数度は女性の住む都市に訪れるのだから、会おうと思えば会うことはできた。だがそれには勇気がなかった。

 夫であるアシュレイが死んだあの日、女は他の家族と一緒にそのバカにあいつは大丈夫だからと、殺したって死なないからと、無責任な事を言って大会に送り出した。

 ただ一人、アシュレイに迫っていた危険を感じとっていたバカに向けて、そう言った。

 そうだと言うのに女性は逃げた。

 アシュレイを殺した犯人を探すバカを置いて、逃げ出した。


 守護都市にそれなりに長く暮らしていた女性は、他の妻たちは何となく分かっていたのだ。とても危険なことが起きていると。

 熟練の戦士であり、多方面に顔の利くアシュレイが暗殺されるなんて、きっと一般人には想像もつかないような何かが差し迫っていたからだと。

 だから血の繋がった我が子を抱えて、みな散り散りに他所の都市に逃げ出した。アシュレイの残した遺産と、バカから貰った金を持って。


 会えなかった理由はそれだけではない。

 守護都市を降りた先の、新しい都市での生活は楽なものではなかった。

 どこの都市でも名家やそれに取り入るものたちが幅をきかせている。もともと守護都市にやって来るものは生まれ故郷に居場所がなかったものが殆どだ。逃げ帰った先で、優しく迎えられることはなかった。

 まともな働き口は見つからず、長い間、貯金を切り崩す生活が続いていた。


 上級の戦士として成功しているバカに会えば、きっと良くない欲を抱いてしまうだろう。バカはお金に頓着しないから、尚更それが怖かった。

 他でもなくアシュレイの妻としての、最後の意地が邪魔をした。


 そうして、二十七年ぶりに女性はバカの顔を見た。

 昔から背は高くアシュレイと肩を並べるほどだったが、今はそれよりもさらにふたまわりは高くなっていた。

 顔立ちは幼さが抜け、さぞ娼婦受けするであろう精悍さと、一流の戦士特有の雰囲気を身に纏っていた。

 バカは女性の顔を見て、少し口元を緩めた。わかりにくいそれがバカなりの笑顔なのだということを思い出して、女性は感極まった。

 そしてもっと早くに、顔を見に来ればよかったと、そう思った。


「はは、久しぶりさね。なんだい。しばらく見ない間に随分と立派になったみたいじゃないのさ」

「うむ」


 女性は声が震えないよう、気を張ってそう言った。

 バカは、アシュレイの教えを受け継ぐジオレイン・べルーガーは、そう頷いた。

 そして、女性にこう尋ねた。


「で、誰だったか」


 女性はジオを掌底で殴り飛ばした。

 全身を使ったその掌底は魔力こそさして込められていないものの、全身を使いしっかりと体重が乗った素晴らしい一撃だった。


「母親の顔忘れるなんてどういう了見だ、このバカタレが!!」




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