201話 若いっていいなぁ





 セージがジオとミルク代表の対話に(通訳として)同席する中、マギーは一人自室に閉じこもっていた。

 元々が豪邸であるブレイドホーム家は部屋数が多い。アシュレイの妻たちそれぞれに部屋が与えられていたからだ。

 そんな妻たちは自身の子供と同じ部屋で寝泊りをしていたため、部屋そのものもそれなりの大きさがあった。

 そんな訳で現在、ブレイドホームの子供たちは十分なスペースがある自室に、それぞれ色んなものを置いていた。


 アベルの部屋には多くの本や勉強道具、ミルク代表から任されている経理の書類などがある。趣味というわけではないが、シエスタの隣を歩いて恥ずかしくないようにクローゼットの中には、多様で数も多く服を揃えてあった。

 カインの部屋には室内でもできる筋力トレーニング用の道具や、数は少ないが娯楽誌、料理本などがある。クローゼットの中には服よりも遊び道具の方が多かった。

 セージとセルビアの部屋はセルビアの学校で使う教材や訓練用具、あとはぬいぐるみなどがあった。そしてクローゼットの中は九割がセルビアの服で、しかもそれらは愛くるしいデザインながらもほぼ部屋着だった。


 マギーの部屋にはベッド以外に小さなテーブルと椅子が有り、壁には棚つきのタンスがあったが中はほとんど空っぽになっていた。

 そして部屋の隅のゴミ箱には、ミルク代表のところに持って行かなかった少し出来の悪い刺繍入りのハンカチ、裁縫道具、教本などが乱暴に叩き込まれ、入りきらずに溢れていた。


 コンコンコンと、そんなマギーの部屋にノック音が響いた。

 ベッドの中で枕に顔を突っ伏していたマギーはその音に気づいて、顔をドアの方に向けた。

 暗い目つきでドアを睨んで、マギーは何も聞こえなかったように再び枕に顔をうずめた。


「入るよ、マギー」


 マギーは返事をしなかったが、ノックの主はそう言って入ってきた。

 鍵をかけておけば良かったと、部屋の鍵なんてかけたことのなかったマギーは、初めてそんな事を思った。


「不貞寝?」


 ベッドに突っ伏しているマギーを見たアベルはそう言った。


「なによ。笑いに来たの?」

「別にそんなわけじゃないよ」


 アベルは苦笑しながらそう言うと、ベッドに腰掛けた。


「ねえ」

「……何?」

「マギーはお金に拘るのって、みっともないって思ったことない?」


 こいつは何を言い出すのだろう。マギーは顔を上げ、馬鹿を見る目でアベルを見た。

 お金はとても大事で、手に入れるのがとても難しいものだ。それに拘るのがみっともないなんて、いいとこのお坊ちゃんにでもなったつもりかと。


「いや、ごめん。昔さ、僕はそう思ってたんだ。この家に来る前はほら、一応僕は立派な家に住んでて、不自由のない生活が出来てたから。お金の事で本気になって争う大人たちを見て、みっともないなって、そう思ってたんだ」

「ごめんね。私はどうせ昔っから貧乏な娼婦の子供だもん」

「拗ねないでよ。そうじゃなくて、この家で苦労して、自分で稼ぐようになって、それが子供の考えだってことにはちゃんと気づいたよ」


 アベルは困ったようにそう言って、それから少し迷いがちに、言葉を続けた。


「でもマギーは、みっともないって思ったほうがいいかも知れない」

「は?」


 マギーはあまり女の子らしくない威圧的な声を上げた。


「もっと馬鹿な子供でいた方がいいって、言ったんだよ。子供だから見れるものもあるし、経験できることもある。

 セージはたぶん、だから僕たちに大人になれって急かさないんだと思うから」

「だからアベルは学校に行くって言うの?」

「うん。マギーも大人になる前に、その準備をした方がいいと思う」


 そう言われたマギーの胸に生まれたのは、純粋な反発だけだった。


「馬鹿じゃないの。私もう惨めな思いしたくないもん」


 そう言ってしまったせいで、マギーの頭にミルク代表とのやり取りが蘇る。

 悲しくて悔しい思いが閃光の様に蘇って胸を締め付けられるが、あの時とは違ってそれだけに気持ちが占められることはなかった。


「……セージが」

「うん?」

「セージが、アベルのことをスゴイって言ってた意味、ちょっとだけわかった」

「……うん?」


 何を言われているのかわからなくて、アベルは頭をかしげた。

 託児の仕事を通じて多くの子供を見てきたマギーも、本当のところはセージが特別で、自分たちとは違うということは分かっていた。

 それは新聞に取り上げられるような強さを持っているということではなく、自分よりも立派な大人という意味でだ。

 そんなセージと同じことができなくても、一年間頑張ってきたんだからいくらかのお金が手に入ると思っていた。


 いや、それは嘘だ。

 きっともっと上手くいくと、根拠もなく思っていた。

 すごく立派な刺繍だねと、お客さんの全部から褒められると思ってた。

 すごく頑張って作ったんだから、すぐに売れて、刺繍家としてセージみたいに有名になれるなんて、そんな甘い妄想をしていた。


 でも現実は、ミルク代表は、お前の頑張りなんて意味がないと、冷たくマギーを突き放した。

 それは正しい受け止め方ではなかったが、間違いでもなかった。何かが足りなかったが、何が足りないのかマギーは分からなかった。

 そしてマギーはアベルがバイトを始めたとき、苦しんでいたことを思い出した。

 子供が働くんだから大変だろうと思う一方で、もっと小さなセージはそんな素振りを見せなかったのにだらしないと、そんな風にも思っていた。

 泣いて逃げ出した私は、もっとだらしがないのに。


「もういい」

「え?」

「私、他の事頑張る」

「えっ?」

「刺繍の才能なんてなかったもん。もっと別の、お金になりそうな仕事探す」

「えぇー?」


 何かおかしな方向に進んでいると、そう感じ取ったアベルが声を上げたが、マギーは少し目もとの赤い顔を晴れやかなものにした。


「うん。じゃあ行ってくる」

「え? どこに?」

「ミルクさんのところ」


 マギーはそう言って勢いよくベッドから起き上がった。その顔は晴れやかであると同時に、戦意溢れる高揚感に満ちていた。


「いや、待って、マギー。ちょっと落ち着こう――」


 良くない流れだとアベルは止めたが、マギーは聞く耳持たずにズカズカと足を踏み鳴らして部屋から出ていった。


「ああ、もう、僕は何をやっても上手くいかないな」


 アベルは頭をかいて、もうセージに任せようかなと逃避の思考をぎらせて、しかしそうはいかないと気持ちを切り替えて、改めてマギーを追いかけた。



 ◆◆◆◆◆◆



「ミルクさんっ!!」


 親父の通訳をしながら話を進めていると、いきなり姉さんがやってきた。

 そして開口一番、勢いのある声を発した。


「お、おう。なんだ?」

「仕事ください! 私にも!!」

「あん? そりゃあ、まあ……うん? 家での子供たちの世話はどうするんだ?」


 代表が通訳を求めるような目で私に送ってきた。

 残念ながら私にもよく状況が飲み込めていないので代表には肩をすくめて応え、姉さんに声をかけることにした。


「いきなりどうしたの? 仕事なら家でのことがあるでしょう?」

「あれは仕事じゃないもん。私がいなくたって、おばさんたちがうまくやるし。

 だいたいあの人たちの給料はお父さんとセージが稼いできてるんでしょ」

「え? まあ、それは……いや、補助金とかもあるから、別に赤字で雇っているわけではないよ?」


 親父の恩給や私の稼ぎで設備や消耗品を買うこともあるけど、基本的には託児料金と道場の指導料、そして助成金で保母さん達の給料や設備の維持費に光熱費と、問題なく支払えている。別に自転車操業の赤字ではない。

 ……まあ、ブレイドホーム家の生活費まで十分に賄えているわけでもないんだけどね。

 外縁都市との接続の際は、降りて遊んだりと、ちょっと贅沢もするようになってきたし、妹の学費も、将来の道を限定させないために奨学金は申請せずに支払っているし。そうなるとやっぱり私が家にお金を入れないと足りないのだ。


「そんなことはどうでもいいのっ!!」

「えっ」

「だから、私は大人だからちゃんと働いて、お金稼がないといけないの!!」

「あ、はい……」


 ええと、うん。

 いや、悩んでたのは知ってたよ。

 知ってたけど、なんでこのタイミングで爆発したんだろう。いや、代表にダメ出しされたのと、兄さんに慰められたのがきっかけなんだろうけども。

 ……うーん。タイミングが悪いというか、今は子供に聞かせられない話をしてたんだよね。


「代表、すいませんが話の続きは後で。姉さんに出来そうなアルバイトってありますか?」

「娼館はダメなんだろう?」

「当たり前でしょう。いきなり何言い出すんですか」

「やります」



「「「は?」」」



「だから、やります。娼婦って、お金たくさん稼げるんですよね」


 私と親父と代表が呆気にとられる中、姉さんがそう言った。


「だ――」

「ダメに決まっているでしょう、何を考えているんですか、マギー」

「な、なによ、いきなり名前で呼んで。私やるからね」

「ダメです。許可しません」

「なんでセージの許可がいるのよ。セージなんてもっと危ないことしてるじゃない」

「私は不死身だからいいんです。女の子が簡単に身体を売るとか言っちゃいけません」

「私のお母さんだってやってたもん。それにシエスタとアベルだってやってることじゃない」

「男女が互いに望んでやっていることと、お金で割り切って体を許すことを同列に考えるな。

 見ず知らずの、汚い体の大きなおっさんに、好き勝手に体を触られて、痛い思いもさせられて、汚されるんですよ。ちゃんと想像できてるんですか? この馬鹿っ」

「ば、バカじゃないもん」

「馬鹿です。周りの気持ちも考えずにそんな事を言うマギーは馬鹿です」

「セージの方がバカじゃない!! 何回もやめてっていうのに危ないことして、私、何回も、何回も言ったのよ!!」

「それは――」

「落ち着け、セージ」


 代表にそう声をかけられて、我に返る。目の前の姉さんは涙ぐんでいた。

 その頭に、いつの間にか現れていた兄さんが手を置き優しく撫で、胸を貸して姉さんを泣かせていた。


「あー……」

「とりあえずお前は冷静になれ。大丈夫か?」

「ええ、すいません。その、姉さん?」

「……なによ」


 姉さんはぐずりながら、こっちを見返してくる。


「馬鹿は言いすぎました。ごめんなさい」

「……じゃあ、私働いてもいい?」

「はい。でも身体を売るようなのはダメですけどね」

「……じゃあ、セージはギルドの仕事辞めてくれる?」

「……ええと、考えておきます」

「うきぁああああああっ!!!!」


 姉さんは泣き叫びながらその場にあるものを手当たり次第に私に投げてきた。

 コーヒーカップとか置物とかスプーンとか、手元になくなったら棚から本とか抜き出してどんどん投げてくる。

 姉さんはね、道場で鍛えてはないけど、魔力量なら兄さんに負けないぐらいあるんだよ。

 身体活性は苦手だから強化率で言うと大した事は無いけど、それでも普通の女の子や、下手をすれば大人の男の人にだって難しい事が出来るんだよ。

 だから投げやすい小さくて軽いものだけじゃなくて、ソファーとかテーブルなんて大きくて重いものも投げることが出来るんだよ。


「待って。落ち着いて姉さん。それ普通の九歳児だと死ぬレベルだからっ!!

 ちょっと兄さん、こっそり逃げようとしないで」


 姉さんは何とかするみたいなこと言ってたよね。


「そこのバカ親父も。隅っこに隠れてないでなんとかしろ」

「出来るかバカが。今回はお前のせいだろう自分でなんとかしろ」


 なんだとこのバカ親父。今まで何度お前の尻拭いをやってきたと思っているんだ。姉さんは親父の担当だろう。


「とりあえず、俺は帰るからあとは家族でよく話し合ってくれ」

「代表!?」


 そもそも代表が冗談で娼館で働かせるとか言ったのがきっかけですよね!?

 くそっ、兄さんはもう逃げてるし、味方がいないぞ。



「うわぁぁあああああああああああん!!」



 その後、姉さんは応接室がぐちゃぐちゃになるまで泣き叫び、暴れまわって疲れて寝た。

 私が悪かったというのは認めるが、それはそれとしてこの惨状を私一人に押し付けた親父と兄さんの事は決して許さない。




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