199話 お金を稼ぐのって大変だよね
「これ買ってください」
ポピー商会代表であるところのミルクのもとに商品らしきものを紙袋に入れて売り込みに来た少女は、ミルクもよく知るブレイドホーム家の長女、マーガレットだった。
マギーが紙袋から取り出したのは花柄の刺繍が入ったハンカチだった。まあ素人が作ったにしてはマシなほうだろうと、ミルクは目利きした。
「……いきなりだな。セージたちは知ってるのか?」
「セージたちは関係ないです。買ってくれるんですか? くれないんですか?」
どうしたものかなと、ミルクは頭を悩ませる。
商人としての判断は買い取らないの一択だ。素人作りのハンカチなんて守護都市では需要がない。さらには買い取って貰おうというのに態度も悪い。取引相手としては貧乏神のたぐいだ。さっさと追い払って関わらないようにするのが正しい対応だろう。
とはいえ相手は英雄の娘で商売仲間の姉で、ついでに言えば真面目な良い子だという事を知っているぐらいには付き合いのある少女だ。
そして目の前のマギーは思いつめたような表情をしている。不安を隠そうとして精一杯強がって見せている小動物にような、そんな印象を受けた。
「ふむ……。まあ、少し見せろ」
とりあえず、ミルクは真面目に品物を見ることにした。
マギーが持ってきたハンカチの数は百枚で、どれも違う花の刺繍が施されていた。
特に目を見張ることもなく百枚をざっと見て、ミルクは引き出しから紙幣を一枚取り出した。それは一番安い金額の紙幣だった。
「まあ、色をつけてこれだな」
「えっ……」
マギーは絶句した。
一年かけて作りため、その中でも出来のいいものを選りすぐって持ってきた。それがすごく簡単に品定めされて、ブレイドホーム家の一日分の食費にもならないような金額を出された。
足元を見られていると憤るよりも、なぜそんな意地悪な事をされるのかわからないと、マギーは困惑した。
そしてマギーのそんな顔を見て、ミルクは軽くため息をついた。
「悪いが、これ以上は出せん。小遣いが欲しいってんならくれてやってもいいが、お前は商売がしたいんだろう」
言われて、マギーは困惑を深めた。何を言われているか、まるで理解できなかったのだ。
「……そうだな。セージやアベルとは違うか」
それで当たり前かと、ミルクはド新人に物を教える気分になった。
「おい、マギー。これはいくらで売れると思う」
「え? え、ええと、その……」
ハンカチ自体は均一ショップでも売られている。雑貨屋などでは少し額が上がるが、高くても硬貨三枚ぐらい。
刺繍がしてあるんだからと、マギーは均一ショップで使うよりも大きな硬貨の値段を言った。
ミルクはそれを鼻で笑った。
「十分の一だ」
「え?」
「だから、売値はその十分の一だ。それでも売れるかどうかわからんがな」
ミルクが口にしたのは均一ショップで使われる硬貨の半分の値段だった。
「な、なんでっ!?」
「刺繍がしてあると普通のハンカチよりも使い勝手が悪くなる。花柄の刺繍は男は避けるし、所々にほつれがあって出来が悪い。女連中も使うのは嫌がるだろう。飾りとして使うのもな」
「そんなの、それじゃあ、布代にも……」
言っていることは理解したが、納得はできない。そんな感情を読み取って、ミルクは提案をする。
「時間があるなら、露店でもやってみるか?」
「え?」
「だから、路上でそのハンカチを広げて自分で売ってみろ。そうすれば少しは金の価値が分かるだろう」
マギーはいきなりのことに戸惑って、イエスともノーとも答えられなかった。
ミルクはそれを見て微笑み、席を立った。秘書役に出かけることを告げ、手続きを進める。
******
大通りの一等地でレストランをやっている商会傘下の店の前にシートを広げ、そこにマギーの作ったハンカチが並べられる。
売り子はもちろんマギーで、つり銭や値札やポップを書くための紙やペン、それらを貼る看板も貸し出された。本人には伝えていないが、陰ながらの護衛も控えさせた。
それから二時間ほど放置して、ミルクは改めてマギーの様子を見に行った。
そこはどんよりと暗い雰囲気に包まれていた。
露店商は珍しくもないが、初めて見る店には多少目を惹かれるもので、マギーの店に目を向けるものは少なからずいた。
だが並べられている商品を見て、値札を見て、直ぐに去っていった。中には鼻で笑うものもいた。
声をかけてくる客もいたが、『これってお嬢ちゃんの値段?』なんて聞いてくるような男で、ハンカチにはまるで興味を示さなかった。
その男は護衛が追い払ったが、マギーは涙をこらえながら値札を書き換えた。
最初はミルク代表に言った値段にしていたが、この値段では売れないんだと、少し値段を下げた。
たった二時間の間に四回値段を書き換えて、均一ショップと同じ値段にした。最後の意地で、ミルク代表に言われた値段にはしなかった。
買ってくれた人もいた。ギルドで働いていそうな強そうな女の人だった。その人には『大変そうだけど、頑張ってね』と、慰められた。
そのたった一人しか、買ってくれなかった。
「売れないだろ?」
「……はい」
悔しさをこらえながら、マギーはミルク代表に応えた。
「どうすれば売れると思う?」
「……わかんない、です」
「簡単だ」
ミルク代表はそう言うと看板にかけてある値札を外し、クシャクシャに丸めてポケットに突っ込むと、新しい値札を書いて貼り付けた。
それはマギーがミルクに最初に言った、到底売れないであろう値段だった。
「――えっ? なんで?」
「まあ、見てろ」
ミルク代表は続けて別の紙に赤いペンで〈英雄ジオレインの娘 マーガレットの手作りハンカチ〉と、似合いもしないハートマークが飛び出てきそうな可愛らしい字体で書き、看板に貼った。
「な、え?」
「まあ、いいから接客しろ。愛想良く笑ってな」
マギーはなんだか釈然としないもどかしい気持ちを抱きながら、それでもやれと言われたから、その通りにした。
この二時間で足を止めてまで商品を見てくれる人は数える程度だったが、ポップを張り替えてからはすぐに人の足が止まり、それに釣られるように人だかりが出来上がった。
「なあこれ本当なのか」
「え、え?」
「だから、ジオさんの娘が作ったって」
「え、は、はい。私が作りました」
「は? 本人なの? 本当に」
「ほ、本当です。マーガレット・ブレイドホーム、です」
「おい。嘘だったら承知しないぞ」
「本当だ。社会勉強の一環でやらせている。ポピー商会のミルクだ。疑うなら息子のエンジェルの方に照会をかけてもらって構わない」
「本当っぽいぞ」
「えと、じゃあ買うわ。その、俺はダーレンの息子で、コルキス・ポート。英雄殿には親父が昔、学園都市の防衛戦の時に助けてもらいました。ありがとうございましたって、伝えてください」
「え、は、はい。ダー……ええと――」
「ダーレン・ポートの息子、コルキス・ポートだな。メモにとった」
「あ、ありがとうございます」
「ちょっと、ずるいぞ、俺も買う」
「私も」
「俺もだ。エンジェルには助けられたんだ」
ずっと売れなかったマギーのハンカチは、それからほんの十分で売り切れた。
******
事務所に戻り、売上を計算する。
単純に計算すればハンカチは高額紙幣五枚分の販売額だったのだが、ギルドメンバーたちの多くがお礼だから釣りはいらないと紙幣を渡してきて、品物が少なくなってからは高額紙幣でハンカチ一枚を買っていったせいで、その額はたいへん大きなものになっていた。
「さて、まっとうな商売ならここから土地の使用料やアイデア料を貰うんだが、まあそれは置いておこう。
次からも同じやり口で商売をしていいなら、作ったものは言い値で引き取るが、どうする?」
「……やめて、下さい」
マギーはそう口から絞りだし、護衛に付き添われて泣きながら家に帰った。
◆◆◆◆◆◆
「――と、まあそんな事があったわけだ」
「ああ、うん。それはご迷惑をおかけしました」
姉さんが泣きながら帰ってきたのはそのせいでしたか。
いえね、親父がそれを見て激怒して犯人を殺してやると送ってくれた人を脅し、ミルク代表が関わっていると知って飛び出そうとした。
そんなバカ親父をなんとか宥めて兄さんと一緒にやって来て、こうして事情を聞いたところです。
「別にいいがな。むしろ勝手に名前を使って稼いで悪かったな」
「いえ。まあやって欲しいとは思わないですけど、姉さんの教育のためですから」
一応、ミルク代表もわかっているとは思うが、こっちが何をどう思っているかはちゃんと伝えるべきだとも思うので釘を刺しておくというか、意見表明をしておく。
親父の名前を使えばお金は簡単に稼げるというのは気づいていたが、それはあまりやりたくない手段なのだ。
一昔前みたいな極貧生活するぐらいなら躊躇なくやるけども、今は少しぐらいなら見栄を張って生活できるし。
「で、どうする? また
そこそこ器量もいいし、しばらく働けば金のありがたみも理解できるだろう」
「姉さんはそこはちゃんとわかっていますよ。
ただ、そうですね。うーん、難しいな。僕としてはのびのびと好きなことに打ち込んで欲しいんですけど、自立したいというか、一家を支えたいと思っているようなんですよね」
ミルク代表は視線を険しく宙に向け、私の言っていることを理解しようとした。
「……無理だろ」
そして、この結論である。
まあ言い分はわかる。今のブレイドホーム家は大所帯だ。貧困層の世帯から多くの子供を預かり、助成金を受け取りながらも運営している。赤字経営とまでは言わないが、家の生活費は親父の恩給や私の稼ぎで補填している部分もある。
ぶっちゃけ私がギルドで働けなくなったら経営方針を変えるか、そもそも託児の仕事を辞めるような状況だ。
いや、私としてはもっと健全な経営状態に持っていきたいんだけど、もともとブレイドホーム家に子供を預ける人たちって他には頼めないような状況に陥っている人たちで、そういった人たちから紹介されるのはやっぱり同じような人たちで、ここで断られると他に行き場がないって人も多くて、まあなんだ。
兄弟たちへの教育にも悪いし、別に今はお金にも困っていないのでなるべく受け入れるようにしているのだ。
そしてそんな我が家の経済を、学も特技もない――と言っては酷だが――ただの少女である姉さんが一人でどうにかできるものではないのである。
まあそもそも今のところ困ってないのでどうにかしなきゃいけないものでもないし、将来的には兄さんが何とかするだろうから、姉さん頑張らなくてもいいんだけど。
「この件は僕に任せてもらえるかな」
「え? 兄さんに?」
大丈夫? 最近兄さん、姉さんにきつく当たられてるし、やりづらいんじゃないの?
「うん。まあどうするかは決めてないけど、きっと大丈夫だよ」
「……次の接続先は芸術都市だったな。裁縫に興味があるなら美術展にでも行かせてみるか?
あるいは見世物の興行も毎日やっているから、息抜きにそれらを見て回ってもいいだろう」
「そうですね。とりあえず連れ出して、話をしてみます」
「……じゃあ、任せるね」
姉さんのことは心配なのだが、私も外縁都市に接続したらやりたいことがあったので、その提案に乗っておく。
守護都市でフレイムリッパーが見つからないので、拠点が荒野や外縁都市にあるかもしれないと言ったと思う。
そしてそれを探すなら闇雲に歩き回るのではなく、テロリストや野盗のような犯罪者集団を探すほうがまだしも見つかる可能性が高い。
まあフレイムリッパーが彼らと関係がなければ完全な無駄足になるし、そもそも犯罪者の拠点なんて簡単に見つかるようなものではないけど、外縁都市に接続するとそういった犯罪集団の調査依頼が出るのだ。特定の地域を調べてこいっていうのが。
それで本当に犯罪者の拠点が見つかることは
そんなことを考えていると、兄さんが別の話題を口にした。
「それと代表、折角ですし、あの件もセージに話しておいたほうが……」
ん? あの件?
まだ何か厄介事かな。前から言ってるけどもうお腹いっぱいなんだけどな。
※※※※※※
作中補足~~さすがに分かりづらいので~~
ミルクが最初にマギーに提示したハンカチ百枚の買取価格→千円(日本円換算)
雑貨店で売られている刺繍入りハンカチの価格→だいたい五百円~千円(日本円換算)
マギーが売れると思ったハンカチ一枚の価格→五百円(日本円換算)
ミルクが設定したハンカチ一枚の販売価格→五十円(日本円換算)
露天での売上→三十万円くらい(日本円換算)
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