2章 お金は大事
28話 六歳になりまして
彼は勇敢だった。
戦地においては誰よりも早く深く数多の魔物に切り込む姿は、まさしく守護都市の剣であった。
彼は慈悲深い男だった。
危地においては誰よりも長くとどまり数多の魔物を押しとどめた姿は、まさしく守護都市の楯であった。
By 吟遊詩人っぽいだれか
******
さて守護都市の剣にして楯と呼ばれる英雄様は、私の親父様です。
そんな親父が床に座ってます。
私は椅子に座ってます。
状況説明にうつりますと、私たちブレイドホーム家の家族会議をやってます。
別に親父だけファミリーネームが違うから椅子に座れない訳ではありません。
一つのテーブルを囲っているわけだが、椅子に座っているのは私と兄さんと姉さんの三人だ。
親父と次兄さんと妹は床に座っている。
正確には、床に正座をさせている。
「セージ……、ごめんなさい……」
妹が泣きそうな声で訴えかけてくるが、ここは心を鬼にしなければならない。
「セージ……、あにきぃ、おにいちゃん……あしがいたいの……」
うん。だが妹は十分に罰を受けたと思うので許してあげることも大事だと思う。
妹に手を差し伸べて立ち上がらせる。足がしびれていたらしく、縺れてこけそうになったので抱き留めた。
それから簡単な治癒魔法で血行を良くし、痺れをとっていく。
「大丈夫?」
「うん、ごめんなさい……」
「やれやれ、ようやくか……」
「親父には立って良いって言ってないよ?」
「くっ」
浮かせかけた腰を再びおろし、正座する親父。
正座という文化は守護都市には無かったのだが、道場で座るとき等に私がたまにやっていたので家族内では通じる。
ついでに次兄さんも泣きそうな顔で正座をしていたが、止めて良いよって言うタイミングを逃してしまったのでそのまま耐えてもらおう。
さて親父たちが正座をしている理由を話す前に、現在の家庭環境を説明しておきたい。
安定してまとまった収入を得ることに成功した私は、まず食生活の改善に取り組んだ。
私の仕事は肉体労働なので身体作りは大事だけど、かと言って私が一人だけ良い食事をするのは心の健康によろしくない。
なので結果として、ブレイドホーム家の食卓事情はこの国の平均的なレベルには達している。
私が仕事で料理できない日は、食材を買えない以外の理由でそうでは無いのだが。
しかし人間の欲というのは深いもので、ただ腹いっぱい食えれば満足だった時間はそう長くなかった。
例えば妹は辛党だ。
食卓においてあるタバスコはだいたい妹が消費する。でもカレーにタバスコかけるのは止めてほしい。
嫌いなものはピーマンなどの苦みの強い野菜。肉野菜炒めを作ると私の皿にピーマンを押し付けてくる。
まあ野菜そのものが嫌いなわけじゃあないし、みじん切りにすれば文句を言いながらも食べるのでそんなに問題は無い。
次兄さんは意外に好き嫌いは無い。
ただちょっと味付け失敗したかなーって時には絶対に文句をつけてくる。上手く出来たなって時にはちゃんと褒めてくれる。
どっちにしても出したものを残すことは無いけど、リアクションははっきり違う。本当に意外なことに、この家で一番まともな味覚をしている。
姉さんは別の意味で好き嫌いが無い。
何を作ってもおいしいと言って食べてくれる。作っている私としては味気ないとも思うけど、同時に楽だなーとも思ってしまう。
だが塩味しか知らなかった姉さんにも新しい味覚が開拓された。
それはマヨネーズだ。
姉さんはこの一年で立派なマヨラーに成長した。
でもカレーと言わずどんな料理にもマヨネーズを入れるのは止めてほしい。
見てるこっちが胸焼けして食欲をなくしてしまうので、以前マヨネーズを補充するのを止めてみた事があったが、姉さんから無言の圧力を受けて諦めた。
兄さんはさっぱりした料理が好き。
具のない薄味のインスタントラーメン――ふぁんたじぃのくせに存在する。安かったので保存食としてそれなりの数を備蓄している――を好んで食べるので、栄養バランスが心配になる。まだ試してないが、ソーメンもきっと好き。
野菜は苦手としていないが、臭みの強い魔物の肉の時は箸――というか、ナイフとフォーク――の進みが遅い。
ただし高いお肉や、あく抜きや香草などで処理をしたお肉なら普通においしそうに食べる。
なので私が調理に時間が取れないときは、姉さんに肉料理を避けるようこっそり誘導していたりする。
そして親父だが食べるものにはそれほど拘りが無い。
強いて言えば人参の甘みやキュウリの水気が苦手みたいだが、箸の速度が変わるほどでは無い。
口にする時、ちょっとだけ魔力が乱れるだけだ。
子供たちの好き嫌いをなくさせるために、模範的にふるまっているのだろう。
ただそんな親父には、心から好きなものが一つある。
それが、酒だ。
「こんな夜中に子供と酒盛りとか……、馬鹿かあんたは」
「父親に向かってば――、」
「あ゛?」
「すいませんでした!」
そう、只今日付が変わり始めた深夜。
小さな子供と酒盛りをした馬鹿親父を説教するため、家族会議を開催中だ。
「――で、なにか言う事は?」
「ふん、特にないな」
悪びれることなく無意味に英雄としての威厳を見せてはっきりと答える親父。
しばいてやろうかと思わないでもないが、実のところこの状況に私の責任が無いとは言い切れない。
今まで私はあえてつまみ食いの類を止めてこなかった。
十歳になった次兄さんは最近になって自分の部屋を手に入れたが、それまでは同じ部屋で寝起きしていた。
なので時折、夜中にこっそりベッドから抜け出していたのを知っていた。
最初は外に出たりしないかちょっと不安だったので魔力感知でロックオンして監視していたが、回数を重ねるごとに面倒臭くなってきたので、最近では気にせず寝ていた。
食材や調味料は私が管理しているので、その減りの早さからつまみ食いをしているのが次兄さんだけではないのも気付いていた。
具体的には親父たちだけではなく、兄さん姉さんも容疑者だ。
食事量は不十分だとは思わないので、深夜のつまみ食いはまあちょっとした悪戯のような楽しみなのだろう。
節度は守っているようだったので、これまでは黙認してきた。
黙認してきたがしかし、それでエスカレートして小さな子供と酒盛りするのならば叱らねばならぬのだ。
「あのね、親父。
妹は六歳で、次兄さんは十歳なの。わかる?」
「ああ……。いや、でも酒なんて水みたいなもんだろう?」
「…………」
「む、すまん」
まあ言いたいことはわかる。
守護都市の成人は十五歳で飲酒はそれからというのが常識だが、それほど厳しく守られているわけではない。
数多い親父の逸話の中には未成年のローティーンでギルドにデビューし、諍いを起こしながらも互いを認め合った当時の指導役と意気投合して酒場の酒を飲みつくしたというものもある。
「もういいよ、セージ。
大きな声で騒いでたから起きちゃったけど、静かにしてくれればそれでいいし。どうせつまみ食いは今までだって気づいてたんでしょ。
カインもセルビアも、大人になるまでお酒は飲まないようにね。セージが怒るから」
え、私が悪いの?
なんて思ったのが伝わったのか、兄さんが続ける。
「もう眠いんだよ。それに明日はギルドの人たちが来るんでしょ。準備で朝が早いって言ってなかったっけ?
ああ、カインはもう立って良いよ。セージも怒ってないから、ね?」
次兄さんが私の顔色を窺ってきたので、頷いてみせた。ゆっくりと立ち上がり、やっぱり同じように痺れていた足は、姉さんが治癒魔法をかけた。
親父の視線が何かを訴えかけてきたが、当然スルー。
まあ確かにもういいかとも思う。
『セージなんざ怖くねえんだよ』と、ゲラゲラ楽しそうに馬鹿話に花を咲かせてた三人がうるさ過ぎたので兄さんたちが目を覚まし、親父たちの酒盛りを目の当たりにしたのがこの家族会議の発端だ。
そして明日のために買い込んでいた食材を食い散らかしたのを見て、姉さんがキレた。
その時、私は寝ていたのだがあんまりにも手が付けられないという事で兄さんがヘルプコールをしてきた。
面倒臭かったのだが、渋々眠い目をこすりつつやってきたら、背中に修羅の気配を漂わせる姉さんが三人を正座させていた。
ぶっちゃけて言えば、幼い次兄さんと妹にお酒を飲ませようとしたことしか私は怒っていないのだが、姉さんの怒りを鎮めるためにもちょっとお説教タイムが必要だったのだ。
「明日はセージの大事な日だって言うのに……、もうっ」
――というのが、姉さんの言だ。
明日、というか明後日は私がギルドに登録して、ちょうど一年になる。
クライスさんたちの指導の下、つつがなく経験を積ませてもらって現在ギルドでのランクは下級上位となった。
戦闘以外でもいろいろと面倒を見てもらったり、からかわれたり、ちょっと思い出したくない黒歴史を生んだりと、そんな一年間の感謝の気持ちを示すためにホームパーティーに招待することにしたのだ。
家の庭は無駄に広いからね、こういう時に有効活用しないと。
まあ本当はクライスさんたちとの行きつけの定食屋でご飯をおごって、ついでに何かプレゼントするくらいで良いかなと思ってた。
しかし親父&姉さんの強い希望で家に招くことになった。
ちなみに姉さんにはギルドで掃除なんかの雑用のバイトをしていると説明している。
なので私にとって大事な日で間違いでもないのだが……、
「ブレイドホームの大事な日だよ、明日は」
兄さんがそう訂正して、親父がポリポリと頬をかいた。
明後日は私がギルドに登録して一年。
だから明日はちょうど、一周忌なのだ。
とくに事前に話し合っていた訳ではないが、親父がやけに強くその日にクライスさんたちを招こうと言ったので、何となく気持ちを察した。
私としてはその日は共同墓地に花を手向けにいこうと思っていたのだが、親父はなるべく楽しく賑やかに過ごしたいようだった。
まあ私も別に湿っぽく過ごしたい訳でもないので、便乗してこう、普段きつく締めている財布の紐をゆるゆるの全開にして大奮発した。
その結果、普段は見られない高いお酒や豪華な食材に興奮した三人が暴走したのだが……。
尚、酒盛りで消費されたのは高いお酒では無く、常備してある料理用のお酒だ。料理用に調整されたものではないのだが、安いので使っている。ちなみにすごい不味いらしい。
食べるものも買い置きしてあるチーズや干し肉、あとはお茶請け用のお菓子が減っているが、まあ明日のパーティーに支障が出るほどでは無い。
親父はバカ騒ぎをしても、ちゃんと一線は越えない程度でやっていたのだ。
もしかしたら妹たちが一線を超えないように、それでいて不満を溜めないようにあえて酒盛りをすることでコントロールしていたのかもしれない。
いやまあ、だとしても子供にお酒を飲ませようとするなという話だが。
ともあれ話を戻すと、姉さんも一呼吸おいてから、一年前の悲しい出来事を思い出したらしい。
なんで気づかなかったのなんて顔で後悔しているけど、普通は気づかないと思う。
私も親父も何にも言ってないし、むしろ兄さんの目配り力が異常なんだと思う。
さて、ともかく今日はもう寝よう。
姉さんの肩を軽く叩いて、気にしないでと伝える。
姉さんだって忘れていた訳じゃあなく、あくまで明日のちょっとしたパーティーと結びつかなかっただけなのだから。偲ばれる弟だって、そんな風にしんみりされても嬉しくはないと思うのだ。
うん、やっぱり親父は正しい。
ブレイドホーム家の末の弟のことを、私が一人で悼むのは間違っているし、家族が暗い雰囲気になるのも間違っている。
特に次兄さんと妹は幼いんだから、嫌な思い出が刻み込まれないようケアする意味でも、天国の弟に楽しんでいるところを見せるのはきっと良い事だ。
少し足元がおぼつかない妹の肩を抱いて、一緒に寝室に向かう。
「俺はもう、正座止めてもいいんだよな……」
なんだか英雄様が情けない声を上げたような気がしたが、それは気のせいなのでスルーした。
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