26話 英雄の息子
奇跡を見た。
その光景はあり得ないはずのものだった。
その背中は英雄だった。
例え頼りない魔力だったとしても、
脆弱な力だったとしても、
未熟な技だったとしても、
彼女たちの目に焼き付く小さなそれは、奇跡を起こす英雄の背中だった。
◆◆◆◆◆◆
ペリエさん達を振り切ってクライスさんのところに戻ろうとするが、その前にケシアナさん達が危ない事に気付く。
クライスさん達は二人しかいないせいか合流できていない。
……嫌な可能性が頭をよぎった。
もしかしてクライスさん達はハイオークの足止めに残ったのであって、ケシアナさん達を助けるために残った訳では無いのかもしれないと。
…………まあ、いいか。
走り出したからには最後まで駆け抜けよう。
本音を言えば私はケシアナさん達を助けに行きたかった。
単に見捨てるのが嫌と言うのもあるのだが、それと同時に嫌な事を思い出している。
私の魔力感知で捉えるケシアナさん達の魔力は私よりもよほど力強く、生き抜く意思に満ちている。
それなのに、じっと見ていると消えてしまいそうな不安感を覚えてしまう。
まるで弟が死んだ前日の夜のように。
このままだと手遅れになるぞと、囁かれている気がするのだ。
魔力を隠ぺいして接近するが、匂いでハイオークたちにはバレてしまった。
そうこうしている間にケシアナさん達に本格的な危険が訪れていた。
気を失った仲間を庇いながら戦っているせいでフットワークが使えず、正面から休みなく物量の差を受け止めている。
結果として少しずつだがダメージと疲労が蓄積されており、チームワークで誤魔化してもケシアナさんたちはもう限界が近い。
誰か一人でも崩れれば、そこからは早いだろう。
だが私に気付いたハイオークの一部がこちらに向かってきたことで、ケシアナさん達のへの圧力はいくらか下がった。
私に向かってくるのは三匹。
まだ距離があるので本来ならば問題ないのだが、私の魔力はかなり目減りしている。
ここに来るまで回復に努めていたのだが、それでも中級の魔法を使うのも難しい状態だ。
さらに言えば魔力の回復のため身体活性のレベルを落としてここまで走ってきたので、わりと足にきている。
私は何をしに来たんだと自分でも思ってしまうが、来てしまったものは仕方がない。
相手はしょせんハイオーク。
親父の足元にも及ばない地べたを這いずる豚だ。
そう思って気合を入れる。
まあ親父と比べると私は当然としてクライスさん達もザコ扱いされてしまうんだけど。
間合いは近くなり、およそ三メートル。
私は足に増幅した全力の魔力を込めて踏み込んだ。虚をついて膝の裏を斬り裂こうとするが、かなわなかった。
標的にしたハイオークは横に跳んで逃げ、残った二匹が私に飛びかかってくる。
即座にその場から離れて仕切りなおそうとするが、直後、足に衝撃と鈍い痛みが走った。
最初に標的にしたハイオークが私に向かって石を投げ、それが足に当たったのだ。呪錬されたさらしに守られていても、そこに通す魔力が不十分なため防御効果はほとんどなく、足の骨はその一撃でへし折れてしまった。
その場に倒れた私に次の手を打つ時間など与えてくれず、別のハイオークがその手の槍を投げ、私の胴体を地べたに縫い付けた。
肺を貫かれたのだろう。口の中に血が溢れてこぼれおちる。
にやにやと笑いながら近づくハイオークを見ながら、私は本当に何をやっているのだろうと嗤った。
ハイオークの臭い口が私の顔に近づいてくる。
その口腔が私の視界を埋めて、
その歯が私の顔に食い込んで、
私は自身の頭蓋を噛砕かれて、
その音と痛みを最後に意識を失った。
◇◇◇◇◇◇
ケシアナさん達の包囲から離れて、私に向かってくるのは三匹。
まだ距離があるので問題は無い。
私は身の内に溢れる魔力を使って――矛盾している。魔力は底をつきかけていたはずなのに。頭の中に浮かんだその疑問はしかし、目の前の危険にかき消される――下級の魔法を乱発する。
しょせん下級の、それも上位では無く中位の魔法なので、数を撃ち込んだところでハイオークは殺せない。
だが足止めにはなるし、ダメージは与えられる。
下級魔法の弾幕を持っている得物で撃ち落としながら、それでも私に近づこうとするハイオークから目を逸らさず、私は下級魔法の行使とは別に魔力を溜める。
弾幕を作るのに大きなリソースを割いているので、それほど大きくは溜めない。
だがハイオークを仕留めるのならば、中級下位の魔法で十分だということは学習済みだ。
標的が背を向けて、こちらを警戒していないのならば。
目の前の三匹からは目を逸らさず、しかし目標をその先だ。
気付かれないようにケシアナさん達を襲っているハイオークに定め、魔法を発動。
中級下位の炎弾は狙いをたがわずハイオークの後頭部を直撃した。
一番危険な前のめりの倒れ方をして絶命するハイオークに、対峙していたケシアナさんの仲間――シミター装備の前衛の人。女性。シミターさんと呼ぼう――は一瞬だけ動きを止め、私を見つめる。
シミターさんを囲っているハイオークさん達にも気づいてもらうべく、向こうにも攻撃を放っておく。中級を溜める時間と魔力の余裕が無いのでただの衝弾だが、今回はこれで十分だ。
速度重視にした私の衝弾には小石を投げたほどの威力しかないが、ハイオークの気を逸らすには十分だった。
倒れたハイオークを仕留めたのが後ろからの攻撃で、それが自分にも向けられたとハイオークは慌てる。
その隙を経験豊富な中級のギルドメンバーであるシミターさんが見逃すはずもない。
シミターさんは瞬く間に三匹のハイオークを屠り、包囲の一角に穴をあけた。
あっちはこれで大丈夫っぽいので、こちらも目の前の三匹に集中する。
捌ききれなかった下級魔法によってダメージを負ったハイオークに、溜めた中級魔法で仕掛ける。
さんざん放った弾幕に焦れていたハイオークは今度も下級魔法と思い込みダメージ覚悟で突っ込んできたので、まともに直撃した。
防御していれば死にはしなかったろうが、これで一匹仕留めた。
あとの二匹には同じ手は通用しないが、ダメージ覚悟で突っ込む手は取れなくなったので、自然と私と距離を詰める足は遅くなる。
足止め重視からダメージ重視に切り替えて、下級魔法の連打を続ける。
追加で二十五発撃ったところで、二匹とも殺しきった。
ちょっと時間と魔力を使ったが、魔力に関しては半分以上残っているし、足を止めて打ち続けた時間分、体力と足の疲労は回復している。
私は小走りぐらいの速度でケシアナさん達に近づきながら、下級魔法で援護射撃をしている。
それに体勢を崩されたり気をとられたハイオークをケシアナさん達が仕留めていくという構図だ。
私をうっとうしく感じるハイオークがこちらに向かってくるが、そうすると自然とケシアナさん達には背中を向ける形にはなるわけで、包囲を崩しある程度自由に動けるようになっているシミターさんが斬りつけてくれている。
そのシミターさんの足を止めようと数匹のハイオークが群がろうとするのは、私が優先して邪魔をした。
ちょっと魔力がもったいないけど、中級魔法も一回使った。
そんな感じで、包囲を続けようとしても損害が増えるだけと気づいたハイオークは無理にケシアナさん達を囲おうとすることを止め、陣形を整え始める。
ケシアナさん達もそれに合わせてハイオークと距離をとり、私に近づいてくる。
彼女たちの周りにはハイオークの死体が増えて足場が悪くなっていた。
彼女たちを追い詰める要因になっていたそれに火の魔法を放ち、壁を作る。気休め程度の時間は稼げるはずだ。
「援護に感謝する」
「助かったぜ」
ケシアナさんとシミターさんにそう言われた。
近づいて魔力感知でよく見ると、気を失っていると思っていた一人に意識はあったが左腕と左足がまんべんなく複雑骨折し、左肋骨も三本骨折し、さらに内臓にもダメージがある有様だった。
死んでいてもおかしくないし、すぐに治療に当たらなければそうなりそうなものだが、治癒魔法と当人の身体活性で命に別条はないといったところで落ち着いている。
でもそんな大怪我なので、意識があっても戦力外なのは変わらない。
「いえ」
私は短く返事をした。
ペリエさんを真似た火の壁で仕切り直しの時間は稼いだのだが、未熟な私に彼女と同じことが出来るはずもなく休憩時間はとても短い。
ケシアナさん達は得物に付いたハイオークの血を拭いながら、大きく息を吐き少しでも疲労を抜こうとしている。
私の状態もあまり良くは無い。疲労はそれなりに抜けているし足は十分動く。ただ不可思議現象で回復した魔力はまた三割を切るぐらいにまで減っている。
たぶん溜めた中級の魔法を一発撃ったらガス欠になるような状態だ。
ただしそう悲観するような状態でもない。
対峙しているハイオークの数はおよそ六十匹にまで減っている。
さらにクライスさん達にもロックさんとペリエさんが合流し、向かってきていたハイオークを圧倒している。
程無く全て殺してこちらに駆けつけてくれるだろう。
クライスさんの
さらにソルトさんの合流予定時間も近い。
このまま私は怪我をしている女性と一緒に戦力外枠で観戦しつつ、時折下級魔法で援護して、働いてますアピールをして終わりにしよう。
うん、そうしよう。
そうして助けられることが分かって、弱気に姑息なことを考えていたら奴が現れた。
「グゥゥォォオオォォォオオ!!!!」
◆◆◆◆◆◆
ソレの機嫌は最悪だった。
ハイオークそは別名、上位性欲豚である。彼らにとって女性メンバーだけで構成されたケシアナたちは極上の獲物だった。
ソレは奇襲を成功させて深手を与え、その後も多くの下僕を犠牲にしながらも、確実にケシアナたちを追い詰めた。
だが寸でのところで邪魔が入った。
それどころか手ひどい傷を負わされた。
ソレの機嫌は最悪だった。
その傷を負わせた犯人が小さく幼いニンゲンだったからだ。
ソレの下僕たちは奇襲の犯人に気付いていなかったが、下僕たちとは別格の力を持つそれだけは気が付いていた。
ソレにとって自身よりも、さらには下僕たちよりもはるかに劣る脆弱で小さいニンゲンに手傷を――それももう少し反応が遅ければ危うく殺されるほどの傷を負わされたことに、激しく怒りを覚えていた。
ソレは――ハイオークの中で突然変異種として生まれたロードは、激しい怒りを覚えていた。
ロードとはその種の中で、その群れの中で、最も強い個体を指す。突然変異として生まれたソレはハイオークとして異常な強さを持っていたために、同族たちから群れの主として認められた。
ソレはロードとして生まれたからロードなのでは無く、ロードに相応しい力を持っていたからロードとして多くの同族に傅かれている。
そしてソレの力がロードに相応しくないと断ぜられれば、自然とソレはハイオークの玉座を追われることとなる。
例えばソレが、下僕のハイオークにも劣るようなひ弱い幼子に深い傷を負わされ、恐怖を感じていると知られれば。
だからソレは、ハイオークロードは、己の心を怒りに満たして咆哮を上げた。
「グゥゥォォオオォォォオオ!!!!」
ハイオークロードの咆哮には魔力がこもる。
聞いたものの心に恐怖を植え付け、その動きを縛る闘魔術だった。
溜めや予備動作が大きい割に、その効果は小さいといえば小さい。
対象の動きを縛るといっても、その時間はわずかな一瞬だ。未熟なものが相手ならばその後も恐怖から動きを鈍らせることができるだろうが、この場にいるのは経験豊富な中級のギルドメンバーですでに決死の覚悟を抱いていた。
恐怖の追加効果は発生しなかった。
だがハイオークロードにとってはその一瞬でよかった。
本命は咆哮の次。
ハイオークロードの膂力を存分に乗せた槍の投擲が、他の誰でもなくセージを襲った。
気付いたケシアナたちが援護に入ろうとするが、硬直した身体は動き出すこともやっとで、高速で飛来する槍とセージの間に割って入る事は到底かなわなかった。
そう、邪魔をされないこの一瞬の間を作れれば、それでよかった。
だがハイオークロードにとって誤算だったことが一つある。
歴戦のケシアナたちですら自由を奪われてしまうその一瞬に、幼く未熟なセージが動けるはずがないという思い込みがあった。
その思い込みを裏切って、セージは回避行動に移る。
ハイオークロードの目論見が外れた理由は三つある。
一つはセージは魔力感知によって自身に向けられる敵意にいち早く気づいていたこと。ハイオークロードの咆哮が届く直前ではあったが、反射的に身体活性を強化することで守りを固めていた。
一つは相手を委縮させる同種の技を、より高度な技の使い手から受けていたこと。その時の経験と反省が、委縮に対する耐性となっていた。
そして最後の一つは、セージの精神の異常性。
純粋な魔力によるダメージこそ通るものの、咆哮にこめられた殺意と怒りと憎しみはセージの恐怖を呼び起こす一因にはなりえなかった。
ハイオークロードが目を見開く一瞬、セージはしかし回避に移った動きを止めた。
そしてそこから移った迎撃の動作は間に合うはずも無く、当然の結果として投擲された槍はセージの心臓を貫いた。
即死したセージの後ろには、重傷を負って横たわるケシアナの仲間がいた。
◇◇◇◇◇◇
「グゥゥォォオオォォォオオ!!!!」
ハイオークロードの咆哮が轟き、僅かに遅れて槍が投擲される。
誰もが動けない中、一人だけの例外がいた。
槍の標的とされたセージだった。
セージは逃げることなく槍に向かい走り出した。
仮神の加護によって回復した魔力を存分につぎ込み、自身を襲う槍の迎撃に当たる。
いや、迎撃と言うのは正しくは無いかもしれない。
セージからすれば、僅かでも槍の軌道を逸らせればいいのだから。
増幅した魔力を全身にめぐらせ、迫る槍を鉈で思い切り打ちすえる。
結果は、無残なものだった。
高速で飛来する槍にはハイオークロードの必殺の
そして槍自体もハイオークの集落に伝わる業物だ。
セージの幼い腕力と体重では、いかに強化してもどうしようもできない威力であった。
確実に後ろに届かせないために槍の射線から体をずらさなかったセージは左の肩を突き貫かれ、そのまま激しい勢いで後頭部を叩きつけられた。
セージの意識はそこで途切れ、程無くして命も失った。
◇◇◇◇◇◇
ハイオークロードが魔力を喉に溜めている。
ケシアナたちはそれに気づかず、セージだけがそれに気づいていた。声を上げて注意を促すには遅すぎる。
咆哮を上げられてからでは遅いと、ここであれを許してしまえば手遅れになると、セージは得体の知れない焦燥感に突き動かされる。
だが攻撃の手は届かない。
この距離では何をしても牽制とはなりえず、あの声にかき消される。
セージの父であるジオレインがそうしたように、魔力のこもったアレには、未熟なセージの魔法を掻き消すだけの力がある。
それを察したことで、不条理の塊のような父を思い浮かべたことで、セージの頭にひらめきが走る。
「グゥゥォォオオォォォオオ!!!!」
「ぅおおおおぉぉぉぉおおっ!!!!」
喉の奥に魔力を込め、ハイオークロードの咆哮を咆哮で迎撃する。
二つの魔力を伴った轟音は一瞬の拮抗を見せて、互いに四散した。
この結果にもっとも驚いたのはハイオークロードだ。
確かに槍を投擲する為に余力を残してはいた。全力の咆哮ではない。
だがそうだとしても目の前の小さな子供に打ち消されるなど信じられない事態だった。
そしてそのセージは致死の恐怖に突き動かされるまま限界越えの魔力を行使して、消耗の見えるその姿で、ギラついたその目つきで、まっすぐにハイオークロードを目指して走り出した。
この一瞬を逃してはいけないと、奴に動かせてしまっては手遅れになると、強迫観念に突き動かされていた。
ハイオークロードはそれを見てわずかに後ずさる。
それが致命的な失敗だと気付くのに時間は必要なかった。
周囲の視線が変わる。
ロードとしてまぎれも無く畏怖と敬愛を向けていた視線が、変わる。
ソレが得手としている咆哮を小さな子供に破られた。
本命である槍を投擲するため、本気では無かったなど今更言い訳にもならないだろう。
ソレは恐れを抱いて後ずさった。
下僕である兵卒のハイオークにすら劣るであろう小さな子供を恐れていると知られてしまった。
ハイオークロードは意を決してセージに襲い掛かった。
目の前の子供を殺さねば、ソレは今後ロードとして認められることは無いのだから。
******
ケシアナたちの眼前で、奇跡のような光景が繰り広げられていた。
幼い子供が身の丈で二倍、体積で言えばゆうに四倍、体重に至っては十倍は差がありそうな魔物に向かい、一歩もひるまずに対等に渡り合っていた。
洗練などまるでされていない力任せの槍術がセージを襲い、それを潜り抜けながら一撃、二撃と、的確に痛打を与えていっている。
技が無いとはいってもロード種の強靭な膂力で振り回されるそれは、決して侮っていいものでは無い。
セージの華奢な体では、かすりでもすれば致命傷となってしまうに違いない。
事実、ケシアナたちが知覚出来ないところでセージは何度となく死を超えていた。
セージがやっているのは十度に一度は成功する悪趣味なロシアンルーレット。
偶然に偶然が重なれば存命を許されるギャンブルを繰り返しトライしているに過ぎない。
フェイントを入れれば見破られて殺されて、ならば正面からと突っ込んで殺されて、疾空を利用し空中戦を仕掛けても殺されて、衝弾や下級魔法による牽制は相打ち覚悟の攻撃で意味をなさず殺されて。
多くの死を重ねながら、ハイオークロードのほんのわずかな隙をかいくぐって一撃を入れる。
そうした一撃を重ねていけば動きは鈍り、九度に一度は成功するようになる。
ケシアナたちが見ているのは、そんな渡り切れないはずの綱渡りに挑む姿だった。
一方のハイオークロードはそんなセージを相手にして軽いパニックに陥りかけていた。
ハイオークロードにはセージを殺している感触がある。
それは死に通じる仮神の異能を感じ取れているという意味では無く、彼我の実力差から、繰り出した自身の一撃が必殺に至っているという、経験に基づく実感だ。
その実感が、ことごとくすり抜けられている。
一度や二度ならそういう事もあるだろう。
だが三度四度と繰り返されて、それが五度六度と積み重なって、その合間に、くらうはずのない一撃を入れられて。
得体の知れない恐怖に襲われながら、それでもハイオークロードはセージと戦い続けるしか道は無かった。
ケシアナたちの目に映るその光景は、まさしく奇跡だった。
数多の死線にさらされながらハイオークロードに向かっていくセージの小さな背中は、かつて人の身では決して抗えぬと言われた竜に立ち向う英雄の背中を彷彿とさせた。
すぐにでも助けに行くべきだと頭の中ではわかっているのに、助けに入らねば簡単に死んでしまうと心配しているのに、しかしケシアナたちは忘我の様子でその光景に見入ってしまっていた。
それはハイオークロードの部下たちも同様で、セージとハイオークロードの一騎打ちは、敵味方が武器を下ろして見守る奇妙な状況を引き起こしていた。
その状況に変化を起こしたのは、クライスたちだった。
「セージがロードを抑えている間に他を狩るぞ。ロードのカリスマが弱くなってやがる。今が好機だ」
向かってくるハイオークをすべて殺し、ケシアナたちに合流するなり開口一番そう言った。
かけられた声で我に返って、ケシアナは声の主を見た。
「それでいいのか」
ケシアナは聞いた。それはセージを捨て駒にするという意味だったからだ。
確かに冷静になってみればハイオークたちの腰が引けていた。
地力ではハイオークにも劣るセージと拮抗した勝負をしていることで、ロード種としての力を失いつつあるようだった。
ハイオークたちは一騎打ちに見入っていたのではなく、ただ主に対して困惑と疑念を抱いていたのだろう。
この状況でハイオークたちに仕掛ければこれまでよりもずいぶん楽に攻められるし、そのまま連中が撤退するところまで追い込めれば理想的だ。
後に残るハイオークロードも、単体ならばどうとでもなる。
だがそれを実行すればセージは死ぬだろうと、冷静になったケシアナは判断した。
セージとハイオークロードの実力差は明らかだった。小手先の技術でごまかしていても、基礎能力がはっきり違いすぎる。
だが助けに入ればロード種の力は復活するかもしれない。
セージという弱者に手こずっているからロードのカリスマが薄れているのだ。
そこにハイオークロードと同等の実力を持つケシアナたちが水を差せば、部下のハイオークたちの迷いはうやむやになってしまうかもしれない。
しかし少なくともセージが単独でハイオークロードを抑えている間は、そのカリスマは減っていく一方だ。
クライスが口にしたのは、この状況を最も少ない損害で解決する冷酷で現実的なプランだった。
ふってわいた仲間全員で無事に生きて帰る事の出来るプランに、ケシアナは飛びつきたい衝動が生まれてしまう。
しかし同時にたった一人で助けにやって来たセージの顔がちらついて、素直に賛同が出来なかった。
他でもない保護者のような立場のクライスから提案してきたのだから、素直にうなずくのがパーティーのリーダーとして義務であるのに。
「心配すんな。あいつは死なねぇよ」
そう言って、クライスたちは意気揚々とハイオークを襲い始めた。
言われたケシアナは戸惑いを隠せなかった。
セージが死なないと、少なくともこの戦いの趨勢が決するまでは生き延びると、そう言い切れる自信がどこにあるのかわからなかった。
だが戸惑っていていい時間はそもそも存在しない。
セージを助けるにしてもクライスの案に乗るにしても、即決することだけは絶対だ。
僅かな迷いを振り切ってクライスの案を採用する。
ここで消耗したタチアナたちだけでセージの救援に向かってもロードを即座に倒しきることは難しく、カリスマを復活させてしまうだろう。
ならばクライス達と協力してハイオークたちを襲い、撤退に追い込めればセージが助かる確率も上がる。
怪我をした仲間の治療兼護衛に一人を残し、ケシアナたちも戦闘に参加する。
だがその前の一瞬、ハイオークロードに挑むセージの横顔を見て、ぽつりと零した。
「……わらっている」
セージはわらっていた。
目つきは険しく、とても笑顔と呼べる表情では無い。
だがそれでもその頬は吊り上がり、険しい目つきのその奥は爛々と輝いていた。
凄惨に嗤うセージを見て、ケシアナは体の奥から身震いを感じた。
確かに大丈夫そうだと、そう思った。
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