16話 偽善者





「お前は性根の腐った人間のクズだ」



 唐突だが、私は父が嫌いだ。

 親父殿ことジオレイン・ベルーガーの事ではなく、前世における父親のことだ。


 そのせいもあって、ジオのことを素直に父と呼ぶことに抵抗があった。

 そう呼んでしまえば尊敬できる人物に、前世の父の影がちらついてしまいそうだったからだ。

 だから親父殿なんて、変わった呼び方をしていた。


 しかし、親の言葉と茄子の花に……、なんて諺があるように、前世の父が再三にわたり私に言い聞かせた言葉も、けして的外れなモノではなかった。


 家族と仲良くしなければいけないという常識と道徳は私の中にもあって、でもそれは我慢を重ねるうちにすり切れて、結局は縁を切って一人で生きていく道を選んだ。

 人とのつながりは尊くて、友達や仲間はかけがえの無い宝だ、なんて言葉に反論はない。


 確かにそれは眩しく尊いもので、それらを心から大切にしている人間を見ると、無条件で尊敬してしまう。

 ただ私の心はその理屈を知っていても、実感ができない。

 上辺だけで、他人を大切にしているように振る舞えるだけだ。


 別に心が無いなんて言うつもりはない。喜怒哀楽は普通にあって、孤独ひとりが寂しいなんてのも普通に感じるし、誰かに認められたいという欲だってある。

 その欠落を満たすのが前世では仕事で、今生では家族への献身だった。


 つまりは自己満足の打算だ。

 騎士養成校の幼年学校には特待生の制度があって、親父殿からはお前にはこんな道もあると言われた事があった。即答で断ると、騎士に良い印象を持っていない親父殿は嬉しそうに笑った。


 幼年学校は全寮制で七歳まではろくに家に戻れず、さらに卒業となる十五歳までは全てのアルバイトが禁止だ。

 抜け道としてギルドで働くこともできるが、本腰を入れてお金を稼ぐことはできない。

 そして卒業後の進路は騎士団とギルドの二択で、その後は奨学金の返済という重荷が付きまとう。


 私の前世の知識と魔法技術があれば、奨学金を返済不要として、ついでにお小遣いも貰えるランクまでいけるかもしれない。

 しかしそれでも将来の進路が確定するのは大きなデメリットだし、もらえる小遣いだって今までの商会での給料よりも少額だ。

 まあ住居に衣服、さらに三食を保障した上で子供に与える金額なのだから当然だろうが。


 ともかく私一人の事だけを考えたって、デメリットとメリットの天秤はデメリットの方に傾いている。

 別に今の家族と離れたくないとか家族を支えるためにとか、そんな綺麗な理由だけじゃあない。

 さらには綺麗な理由にしたってある程度、自分の生活を守れる勘定が出来ているのだ。


 弟の事もそうだ。

 二年前に拾ったときは痣だらけで、今にも死にそうなほど痛めつけられていた。

 私たちが話していて大きな声を出せばその内容に関係なく怯えたし、でも他人の目を気にして、声を上げて泣くようなことは無かった。

 泣くときは息をひそめ、必死に声を漏らすまいと泣くのだ。


 そんな弟も次第に私や妹に心を開くようになってきて、次兄さんや姉さんにも普通に接することができるようになっていった。


 でも、親父殿はダメだった。

 親父殿もなるべく優しい顔で、明るい声で話しかけるようにしていたが、たぶん大人の男が致命的に苦手だったんだと思う。

 前世での父は言葉の暴力や金銭での束縛がひどかったが、教育などには十分にお金をかけてくれた。

 もっとも母がそのお金をよくピンハネしたし、父が仕事で不在になる事が続くと、満足に食事を得られない日もあったが。

 そんな父や母は嫌いだが、世間的な評価で言えば底辺ではない。


 だから弟に優しくしていたのだって、自分よりひどい目にあった同類への憐みのようなものだ。

 弟はまだ幼く私のように治療不可能なまでに歪んでいないから、せいぜい綺麗な記憶で塗りつぶせればいい。

 そんな自己満足の想いは、決して善意ではない。


 だから私のような、上辺ばかりを取り繕った偽善者に言うのなら、良い。

 ……でもね、


「クズなんて言葉、親が子供に使うなっ、クソ親父!」


 弟に向けて言うのは、我慢がならない。



 ◆◆◆◆◆◆



 ジオは今まで子供たちに親らしいことなど何もしていこなかった。

 金があった内はまだそれでも良かった。

 そしてその金が無くなってからのこの五年は無様としか言えない有様だ。


 しょせん自分はスラムで生まれ育った孤児で、荒事しか取り得の無い戦闘狂だ。

 そんな俺が一時の情で子供たちの親代わりなど、なれるはずもなかった。

 ジオはそう後悔し、人知れず思い悩んでいた。

 俺のような人間に拾われては、マギーたちは幸せになれないんじゃないのか、と。



 鬼気を乗せて、セージの木剣がジオに迫る。

 初撃と言わず全てを甘んじて受けるつもりだったが、あまりの気迫の強さにジオの体は咄嗟に反応してしまう。

 ジオは自分の情けなさを嘆きたくなったが、そんな訳にもいかず舌打ち一つを零すにとどめた。



 セージは頭が良い子供だが、歪んだ子供でもあった。

 セージは自分を省みない。

 セルビアやダストがイジメられていれば当たり前のように助けにいくのに、自分がカインに嫌がらせを受けた時は笑って耐えていた。

 反抗するだけの力や勇気は、間違いなく持っているというのに。

 優しいというのならば、そうなのだろう。

 だがジオにはどうしても、それを歪んでいると感じてしまう。


 その歪みに気付いた切っ掛けは、子供同士の諍いだった。

 預かっている子供達に世話役のマギーは人気があり、そのマギーのお気に入りがセージだ。

 セージ自身も人気があるので時折のことではあるのだが、喧嘩を吹っかけられることがある。


 セージはそういう時、相手が疲れるまで逃げ続ける。

 ジオも一度だけ見たことがあるが、なんだがコミカルな追いかけっこをしていた。

 追いかけている方は真剣なのだが、セージにはだいぶん余裕があり見ている子供達が楽しめるようパフォーマンスをしているようでもあった。

 身体強化と部分強化を駆使し、隠蔽こそしているものの増幅まで使った機動は、三つや四つ年齢が上というだけは捉えられない差だった。


 だがそこまでできるなら、いっそ殴り返してしまえば話は早い。

 例えばカインならばそうする。

 ジオもそれは止めはしない。強いものが正しく、弱いものが耐えるのは至極当然のことだ。

 お高く留まった騎士様なんかはケチをつけてくるが、この守護都市では強さと権力は密接につながっている。

 闇雲に腕力で解決するのが正しいとは言わないが、捨て子のくせになんて馬鹿にされて、我慢する方が間違っているだろう。



 ジオが打ち払った木剣はセージの身体ごと回転し、遠心力を乗せて再度ジオを襲ってくる。

 気持ちを切り替えて、ジオは一歩下がってその一撃を躱した。

 一度目を防いで、二度目以降を無防備に受けるのは滑稽だと思ったのだ。

 とりあえず気の済むまでセージの好きに攻めさせて、後で土下座でも何でもして謝ろうと思った。


 二撃目も防がれたセージは苛立つ様子もみせず、しかし濃密な怒気は衰えることなく、ジオに向けて右手を突き出してきた。

 なんだ。

 届くことのない手の平が、ジオの顔面に迫った。木剣からは手を放してある。掌底というなら疾空と合わせて勢いをつけるはずだ。

 瞬間、訝しむジオの視界を、真っ赤な炎が覆った。


 ジオはそれを反射で大きく回避する。

 油断していた訳ではない。

 たしかに魔法を使われる想定はしていなかったが、虚を突かれたのはそれ以上に魔法の発動兆候がなかったからだ。

 優れた魔力感知を持つものほど、精密な魔法を構築できる。あるいはその逆。


 ジオの背を軽い冷汗が伝う。第一線から退いたとはいえ、多くの死線を潜り抜けてきた勘は、魔力感知は未だ衰えていないと自負していた。

 だが下級とはいえ目の前で繰り出された魔法の発動兆候をまるで感じとれなかった。

 それは何故かと、頭をよぎる余計な思考の間隙に、その衝撃が割って入った。


 セージの木剣が遠慮も容赦もなくジオの顔を打ち据え跳ね上げた。

 ただしジオにダメージは無い。

 例え全力で振るおうともセージの魔力は大きく減じているし、万全の体調であったとしてもジオとの魔力量の差は著しい。


 虚を突いたぐらいではジオの防護層まもりは突破できない。

 だが、それでもジオは驚きを隠せなかった。

 油断していたことは認める。

 セージの実力を甘く見ていたし、立ち合いの最中に考え事をするなどもってのほかだ。

 だがそれでもセージに打ち込まれたことは意外だった。


「なめんなよクソ親父。大人ぶってんじゃねぇよ」


 今まで見たこともないようなギラついた目つきで、今まで聞いたことのない粗暴な言葉づかいで、ジオを睨みつける。

 ふっ。と、ジオは思わず笑ってしまった。



 セージはアベルと仲がいい。

 基本的には誰とでも仲良くするセージだが、兄弟の中で一番懐いている相手を選ぶとしたら、アベルだろう。

 そのアベルに、セージは似ているところがある。

 周りに気を使いながらそうと知られることを嫌うところや、あまり自分の本音を言わないところなどだ。


 アベルは誤解しているが、あの子には才能があった。

 セージほど輝かしい物では無いものの、十年研鑽を積めば中級に、二十年たゆまず鍛え上げれば上級にも届くだろう晩成の原石だ。


 だがその才能はアベルの望みにはそぐわないものだった。

 あの子はいち早く強くなり、カインやマギーを守りたいと願っていた。

 そんなアベルの心が、毎日の訓練の中で少しずつ摩耗し、歪んでいっているのには気づいていた。

 気付いていて、何もできなかった。


 他の子をまかせっきりにしていたマギーの心労にしたってそうだった。

 二人の苦しみを解決したのは、セージの存在であり、その優しさだった。


 だからせめて今回くらいは、立派な親には程遠いクソみたいな親父オレだが、セージの腹の奥にたまった澱を取り除いてやりたかった。



「ぬかせ、クソガキ」


 ジオが木剣をふるう。衝裂波とよぶ闘魔術がセージを襲った。

 大きく威力を落としてあるそれは、しかし強い風圧でセージの前進を阻んだ。

 だがそれがどうしたと、セージは足に魔力を込めて進む。

 いつもの訓練のようにフットワークで攪乱することもなく、真っ直ぐにジオに向かってくる。

 いつものように魔力の消耗をコントロールすることなく、全力で向かってくる。

 いつもの遊んでいるような楽しげな様子はなく、どうやって痛めつけてやろうかと殺気にも似た気迫で向かってくる。

 謝っても許してもらえないかもしれない不安がジオの頭によぎり、まあ後で考えようと思考の外に追いやった。


 しばらくの間、かんかんかんと、木剣が打ち鳴らされる音が続いた。



 ◆◆◆◆◆◆



 長いようで短いヒャッハータイム、……プッツンタイム? ともかく、残り少ない魔力と体力が尽きるまで親父に向かっていって、一度や二度は良いのを入れられたけど、まあ今は力尽きてへばっています。

 道場の床に大の字で転がっています。


 っていうか今、私は猛烈に恥ずかしい。

 弟と昔の自分がダブって見てたのは前からだけど、それで一人盛り上がってキレて八つ当たりとか……。

 いや、親父はむしろ鬱憤吐き出させようとあんな挑発したんだろうけど……、あれだって色々と疲れてなければ流せてたのに……。


「あーもうっ!」


 私が大きな声を出すと、親父がビクリと体を震わせた。


「そ、その、セージ……さっきはなんだ、す――」


 聞きたくありません。

 私は寝そべったまま横に回転し逃げ出した。


「ちょ、セージ」


 追いかけてくる親父から、そのまま転がって逃げる。普通に立って逃げろよなんて突っ込みは聞きません。



 しばらくゴロゴロ転がりながら追いかけっこを楽しみつつも、止めどころが分からないと悩んでいたら救世主が現れた。


「何やってるの、二人とも?」


 兄さんの冷めた眼差しが素敵です。



 ******



 それからしっかりご飯を食べて、お風呂に入った。


 姉さんには色々と聞かれたけど、ギルドに登録したことは黙っておくことにした。知っているのは親父と兄さんの二人だけだ。

 ただ親父は今後、私が狩りに出ることに反対しなかった。

 ギルドではあんなに怒ってたのにどんな心境の変化か気になったが、理由を聞くと藪をつつく事になりそうなので、スルーすることにした。


 ただしギルドで働く条件として、今の商会での仕事を辞めて、狩りに出ない日はしっかり訓練を積むことを約束した。

 今日は無断欠勤して、さらにこっちの都合で仕事辞めますって言うのはちょっと……いや、だいぶん気が引ける。

 ただ兄さんが代わりに働いてくれると言うので、明日商会の代表に謝りに行く際に付いて来てもらおうと思う。

 実際に雇ってくれるかどうかは代表次第だけど、怒ってなかったらいいな。


「なあ、セージ。ダス――、いてっ!」


 珍しく一緒にお風呂に入っている親父が何か言ってきたので、太ももを抓りあげた。言わせねえよ。

 いや気持ちはわかってるけど、言いたいことも分かってるけど、言わせねえよ?

 今夜は悶々として過ごすがいい。


「おやじ、どうしたの?」


 同じく一緒にお風呂に入っていた妹が親父を心配する。『なんでもない』と答える親父が、少し恨みがましい目を向けてくるが無視だ。


 妹は帰ってからずっと私にくっついている。

 昨日の記憶はあんまりないんだけど、無視してしまったような気がするので好きなようにさせておこうと思う。

 寂しい思いをさせたのか、それとも怖がらせたか。

 弟が死んで、みんなやっぱり気落ちしている。私は自分の事ばかりで、全然周りを見てなかったな。


 まあ、いいか。

 終わったことだ。

 憂さは晴らしたし、稼げる新しい職場も確保もできた。

 先行きの不安もまあ、あるけど。前向きになろう。うん。



 風呂から上がって、疲れてることだし早めに寝ることにして、弟のベッドに入ると、妹も入ってきた。

 ゆっくり寝たいんだけど、まあいいか。まあ、いいんだけど……。


「ねえ妹、明日からは一人で寝ようね」

「や」


 清々しい即答でした。




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