11話 珍客来訪





 ギルド。

 主に〈ガーディンズギルド〉と、〈ハンターズギルド〉を指して使われる言葉だ。

 両者に組織としての違いはない。

 前者は守護都市〈ガーディン〉のギルドを指し、後者はそれ以外のギルドを指している。


 これは守護都市が常に最前線を往き、強力な魔物と戦う事への敬意から生まれた違いだ。

 その守護都市での経験を積んだ戦士や騎士たちは守護者とも呼ばれ、他の都市のそれらと比べて一段も二段も上に見られる傾向にある。


 その誉れ高くも危険の多い守護都市のギルドで、とある女性が働いている。

 名前はアリンシェス。姓はなく、同僚からはアリスと呼ばれている。


 勤続は二年で、年齢は四十二歳。ただしアリスの外見は十五歳の少女のようで、守護都市の基準でもようやく成人を迎えた程度にしか見えないのだ。

 それは彼女が特別に童顔というわけではなく、彼女の種族特性によるものである。


 エルフ。土地神とも呼ばれる精霊と契約した妖精種、それがアリスの属する部族であった。

 そしてその精霊とはエーテリアの国母たる精霊ではない。


 この国には遠く荒野を越えた西の果てに多数の種族が暮らす共和国がある。

 その国の一部の部族が友誼のために守護都市に出向してきており、彼女もその一人だ。

 エルフとしては年若いアリスは、見聞を広めるためにもギルドの受付業務に従事している。


 アリスはエルフという種族特性もあって容姿に優れている。

 働き始めた当初は荒くれ者の多いギルドメンバーがこぞって彼女に熱を上げてちやほやしていたが、『逆ハーだ!』と浮かれるアリスに同郷の年配エルフたちが苦言を呈し、また女性のギルドメンバーや他の職員の冷たい視線もあって、今では業務と関係のないナンパはしっかりと拒絶し、勤務終了時間までは真摯に受付業務に従事している。



 アリスにとって、その一日は平凡に始まった。

 特に兆候めいたものは感じていなかった。

 妖精種エルフである彼女には、契約主である精霊の盟友の力で動くこの都市は第二の故郷であり、精霊の加護も微弱ながら受けることができる。

 それは例えば身に迫る大きな危険の到来や、自身の運命の大きな変動を虫の知らせのように感じ取る能力だ。

 普段よりも勘が良くなると言い換えてもいいだろう。

 たいていは勤務外のプライベートな時間でしか発揮しないそれは、今日この時も働かなかった。


 朝一番に、カランとドアの開く音がする。

 珍しいこともあるものだと、アリスは思った。

 ギルドは二十四時間空いているが、仕事始めとしては中途半端なこの時間の来客は珍しい。


「やあ、初めまして」


 語りかけてきたのはその客だ。

 一メートルを少し超えた程度の身長で、一瞬ドワーフかとアリスは身構えた。

 身体の線の細さと顔の幼さですぐに見間違えたことに気づいたが、しかし同時に違和感を覚えた。

 少し翳りのある瞳でアリスを見据え、人当たりの良い愛想笑いを浮かべていたからだ。

 ドワーフと勘違いしたのも、その大人びた雰囲気に誤魔化されたからだった。


「初めまして、坊や。道に迷ったのかな?」


 多少年齢にそぐわない雰囲気を持っていても、子供らしくない子供の多い守護都市ではそう珍しくもない。

 この二年間での経験を思い返しながら気を取り直し、努めて平静にアリスは少年に語りかけた。


「はい。いいえ」


 矛盾するような返事を口にして、少年はカウンター越しに笑いかけてきた。

 背丈が足りずに頭が隠れてしまうため、椅子の上に立っていた。


「道に迷ったわけではありません。ギルドへの登録をお願いに来ました」

「え、ちょっと――」

「出来るだけなるべく早く仕事がしたいですね。今日の午後は空いていますか?」


 混乱するアリスを遮って、少年は言葉を続けた。


「どうかしましたか?」

「――っ、ごめんね。

 悪いけどお姉さんはお仕事中だから、坊やとは遊んであげられないの。おうちの人が心配しているから、早く帰ったほうがいいんじゃないかな」


 アリスがそう言うと、少年は鼻で笑った。ドキリと、アリスは肩を震わせる。


「おっと、すいません。

 僕はセイジェンドといいます。セージと呼んでください。それと、遊んでいるつもりはありませんよ。ちゃんと登録料も持参しています」


 にこやかな表情に威圧感すら滲ませてセージはそう言った。

 アリスはその気迫に流されて、手渡された布袋を開いた。そこには本当に規定の登録料と同じ額がしっかりと入っていた。

 アリスはそこで改めて、セージを頭の先からつま先までしっかりと観察した。

 顔立ちは整っているし、服装も汚くはない。

 だがくたびれていてみずぼらしい。よく見れば目元にはクマがあるし、頬もこけている。


 公的な身分証の発行料や市民税も兼ねているので、ギルドの登録料はそう安いものではない。

 食い詰めた浮浪者を無駄死にさせないためのハードルとしても、登録料は割高に設定されている。

 だがそんな浮浪児にとっては大金を簡単に支払う子供セージの態度に、アリスは混乱を加速させられる。


「あの、セージ君。その、お金もそうだけど、それだけじゃないのよ。そもそも、セージ君は今いくつなの?」

「十五歳です」


 明らかな嘘を堂々と言われ、とっさに何も言い返せずアリスは絶句した。


「冗談です。でもギルドの登録に年齢の制限はなかったはずですが?」


 事実だ。

 だがそれはエルフのような長命種のために上限を、もと浮浪児で自分の歳が分からない実力者のために下限を、それぞれ厳密に法規制していないだけだ。

 成人である十五歳以上とするのが不文律として存在する。

 もちろんそれにも例外はあり、アリスがこの国に来る遠い昔には英雄と呼ばれる人物が推定十四歳で登録したという。

 マージネル家の天才のように、十二歳でギルドに登録し実戦経験を積んでいる例もある。それはほんの一年前の話だ。

 そんな例外が頭にちらついてしまったせいで、アリスは十二歳どころかその半分以下の年齢の子供に対して、強く言い返すことができなかった。

 結果として、別の観点から攻めることにした。


「あのね、セージ君。

 お金があっても歳のことは置いておくにしても、ギルドに登録するには技能証明っていうのが必要なのよ」

「……?」


 セージが首をかしげたのを見て、アリスはようやく一息ついた気分になった。

 彼女自身には自覚がなかったが、それまでずっと得体のしれない緊張感と戦っていた。

 だがようやく解放された。

 冷静に考えれば当然だった。こんな小さな子がギルドに登録できるだけの戦闘技能を持っているはずがない。

 これでこんな子供をみすみす見殺しにしないですむ。


「技能登録、ですか?」

「ええ。初級の一つ上の下級の魔法を二つ、もしくは闘魔術の身体活性と衝弾。そのどちらかか、両方を一つずつ習得することが条件ね」


 この技能習熟はすべてのギルドで一律に決まっており、この〈ガーディンズ・ギルド〉においては低すぎるラインだ。だがそれでも目の前のセージには厳しいハードルだろうと、アリスは平静を取り戻しながら説明した。


 闘魔術の訓練は通常、十歳から始める。

 これは闘魔術が体内魔力の制御を必要とするためだ。

 外界に働きかける魔法は杖や魔術書の補助が受けられるし、初級の術式なら熟練者が魔法の発動を補佐してその感覚を教え込むこともできる。

 だが闘魔術ではその最初のきっかけを他人が教え込むことができない。体内魔力は十人十色で千差万別だからだ。


 だから初心者はまず魔法の訓練から入る。

 魔法を覚えて魔力を使用する感覚を掴み、そして同時に魔力感知を覚える。

 どんなに優れた魔力感知を持つ魔法使いも、他者の内界の魔力変化までは見通せない。

 だが自身の魔力は別だ。


 ある程度でも自分の体の中の魔力変化を自覚できるようになれば、そこからは他者の指導を受けることも可能となる。

 そしてそれが出来るようになるのが一般的には十代前半と言われている。


 もっとも強兵が求められる守護都市の騎士養成校などではもっと早くから指導を始めているし、生徒たちもそれに応えて身に付けることが多い。

 さらに件の天才などは六歳を待たずに身体活性と衝弾を覚えたらしいが、そんな例外はそうそう存在しない。


 魔法ならば可能性はあるが、目の前のセージの年齢を考えれば下級どころか初級がいいところだろう。

 高価な術具でも持っていれば別だがそんな様子は見受けられないし、そもそも試験でそれらを使うことは禁止されている。

 隠し持っていたとしてもアリスならばそれを使えば見抜くことが出来る。


「そうですか。それは絶対ですか?」

「ええ、絶対ね。だからお金を無駄にしないで、帰りなさい。試験受けちゃったらお金は返ってこないのよ」

「――」


 セージが俯く。

 その表情はうかがい知れないが、きっと気落ちしているのだろう。

 アリスの胸にはほのかに疼くものがあった。

 いつもは外見は年上のマッチョな男性ばかりを相手にしていたが、たまには年下もいいのではないだろうか。

 いや、変な意味ではない。変なことはしない。

 ただ今まで、命を危険にさらすギルドメンバーを数多くベッドで慰めてきたアリスとしては、無理にでもそんな境遇に陥ろうとするセージの悩みを聞く義務があるはずだ。きっとある。


 もちろん変なことはしない。

 いくら見た目が可愛いといっても幼すぎる。せいぜいお姉さんと呼んで欲しいくらいだ。

 いや、もちろん本当に変な意味では無くて。見目麗しい少年の十年後を期待して今の内から色々と教え込みたいだけだ。


「すいません」


 アリスの小さな子供を案じる思索はその子供の声に遮られる。顔を上げたその視線が冷たいのは後ろめたさのせいだろう。


「せっかくここまで来ましたので、やはり試験は受けさせてください。ダメならちゃんと諦めます」

「え、でも……」

「それに僕はあなたにギルド参加の意向を伝えお金を渡し、あなたはお金を受け取って試験の必要を説明しました。

 なら試験を受けるかどうかは、僕に決定権があると思うのですが、どうでしょう?」


 にっこりとセージが笑うと、アリスの背筋にまたひんやりとしたモノが流れた。

 口調は柔らかく丁寧だが、言葉そのものには否と言わせないものがあった。


「え、いや、そういうつもりじゃ……、あのね、セージくん。試験受けちゃうと、本当にお金返ってこないのよ?」

「大丈夫です」


 かろうじてこぼした抵抗もきっぱりと斬って捨てられ、結局アリスはギルドの試験手続きを行うことになった。



 ******



 簡単な書類に記入してもらったあと、アリスはセージを試験場に連れて行った。

 提出してもらう申告書で、年齢の欄を五歳と埋めたのを見て、人間は五歳でもこんなにしっかりとした受け答えができるんだなーと、変な勘違いをしていた。

 試験場はギルド内に設置されている。幅が狭く奥行きのある間取りで、奥の方に的があり、手前の地面に白線が引かれている。

 アリスはセージを白線の上に立たせると、十メートル以上離れた的を指さした。


「あれが的。とりあえず下級魔法か衝弾をあれに当てるの」


 アリスはセージの顔色を覗き見る。

 我ながら少なすぎる説明だと思ったが、正直なところ他に言えることもない。

『闘魔術も魔法も、使えることが分かればいいので、的を壊さないでくださいね』、と本来は付け加えるところなのだが今回は必要ないだろう。


「はい、わかりました」


 セージはそう言うと、なんの予備動作もなく衝弾を放った。

 アリスが呆気にとられる中で、衝弾は的に当たり乾いた音を立ててはじけた。


「え……」

「あとは下級魔法ですよね」


 セージはアリスにそう尋ねたものの、返事は待たずに下級魔法を放った。

 これも予備動作はない。セージにとって闘魔術も魔法も、使えて当然の技術なのだと理解させられるものだった。

 使った魔法は下級の火弾で威力も弱かったが、詠唱も無く、精神集中の時間も限りなく短かった。

 それは上級の魔法使いのように内界と外界の魔力コントロールが精緻である証明だった。

 多少色ボケしてはいても、アリスはエルフだ。

 先天的に人間よりも高い魔力感知を有しているし、さらにその中でも危険な荒野を越えて派遣されてきた優秀なメンバーの一員でもある。

 だからこそセージの行いに、その年齢にそぐわぬ技術の高さに、思考を完全に奪われてしまったのだ。


「これで技能証明は終わりのはずですが?」

「う、うん。そうね、でも……」

「お金を支払って試験に合格しているのですから、いまさら無かった事になんてしないで下さいね」


 にっこりと笑いかけられて、アリスは背筋が寒くなる。

 なるほど、これは意図的に出されているプレッシャーかと、分かったところでアリスは冷静になった。

 鍛えられてきた危機管理意識がようやく働き始め、頭の中のスイッチが切り替わった。


 向けられる圧力は子供らしからぬ重さだったし、あるいは大人も顔負けするほどかもしれないが、格上の実力者に殺気を向けられることと比べればどうと言うことはない。


「そうね。でもいいの? セージ君の実力だと、簡単に死んじゃうんだけど」


 アリスは言いながら、軽く殺気をあてる。

 セージは一瞬、わずかに体内から魔力を漏らしたが、変化はそれだけだった。

 身体活性を使ったのだと見抜くが、漏れた魔力がわずかなのは身体活性を使いこなしているのだと察せられた。

 技能試験を躊躇するような素振りを見せたのは、アリスが警戒していたからだろう。

 可愛くない子供だと、アリスは思った。


「そうですね。でも、そうでもないかもしれません」


 達観したようなことをいうセージに、アリスはいい加減もう無駄なおせっかいなのだと気づいていたが、それでも諦めきれずに食い下がる。


「それだけ才能があれば、騎士養成校にだって入れるでしょ。幼年校だって奨学金の制度はあるし、今までだってまともじゃない訓練を積んでたはずよ。死んだらそういうの全部無駄になっちゃうし、君を育ててくれた人だってそんな事望んでないんじゃないの?」


 セージは答えない。ただ笑うだけだった。


「っ、わかったわよ。あんたの言ったとおり、ここまで来ちゃったら、こっちが勝手に登録拒否するわけにもいかないし」

「ありがとうございます。さすがは契約を重んじる森の民だ」


 アリスのこめかみに青筋が浮かぶ。

 言葉もそこに込めた思いも紛れもない感謝の念だったが、皮肉にしか聞こえなかった。


「本当に、どれだけ下調べしてきたのよ……、手続きはちゃんとしてあげるし、今日の午後の狩りにも参加できるようにするけど、ひとつだけ教えて。

 ――なんで、そんなに戦いたがるの?」


 その言葉に、困ったような表情でセージは押し黙る。それが初めて出した本当の感情なのだと、直感した。


「……さあ、わかりません。たぶん、命を賭けてみたいと思ったから、ですかね」


 何とも訳の分からない答えを返されて、朝からそんな事が続きすぎて、アリスはもう思いっきり大きな溜息を吐いた。




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