10話 転機
一ヶ月が経った。
とりあえず親父殿に一方的にやられることはなくなったが、今のハンデマッチでまともな勝負になるのは来年ぐらいになりそうだ。
今のところそれぐらい差がある。
弟の誕生日はつつがなく終えた。
ケーキはやっぱり苺にした。チョコレートやチーズのケーキにも興味を持っていたが、姉さんや妹&私と同じが良いという事なので。
可愛い言葉だがしかしそれは他のケーキを知らないのも理由だろう。今度、折を見てショートケーキを何種類か買って帰ろうかなと思う。
そんな事を考えていた夕方に、異変が起きた。
弟が熱を出して倒れたのだ。
昼ぐらいから調子は悪そうにしていたが、本人は大丈夫だと言っていたのでその時はあまり気にしていなかった。
今まで私も妹も大きな病気にかかったことがないので油断していた。
小さい子供なんだから、体調にはもっと気をつけて当然だったのに。
ただでさえ十分な栄養が採れているとは言えないんだから。
すぐにベッドに寝かせ、姉さんが看病にあたった。
他の子に病気が移ってはいけないという事で、親父殿の寝室でだ。
夕飯後の手合わせは途中で打ち切った。
なんとなく習慣で始めたが、私も親父殿も気が散っていて怪我の元だからと、途中で取り止めた。
「弟は、大丈夫かな?」
「……大丈夫と、思うがな。人間は、そう簡単に死ぬものじゃあない」
安心させようとしているのだろうが、不器用な親父殿は自分の不安を押し殺せていない。
医療の知識なんて持ってない私には、今の弟の症状はただの風邪のように思う。
ちゃんと栄養を取って寝れば治るだろうと、冷静な部分では判断している。
ただ冷静ではない部分が、あんなに熱が出ているのにとか、ちゃんとした医療が発達していない時代の風邪による致死率とか、そんな事柄を頭によぎらせる。
「……親父殿、今、いくらぐらい使えますか」
「?」
「お金です。弟を医者にみせて、薬を買うとして。正直に見栄を張らずに答えてください」
親父殿は沈黙する。
今まで、意図的に親父殿とお金に関する話題は避けていた。
私が家のためにお金を使うのを厭う様な雰囲気を見せていたこともあって、私も踏み込むのを止めていた。
だが今は親父殿の
「――――」
いくばくかの間を取って、親父殿が答えた。
おそらく無理をして、今後の生活を天秤の片側に乗せて、ギリギリの金額を言っているのだと思う。
だがそれと同時に、その金額では足りないのだと顔色で察することができた。
医療保険という制度はあっても、入る余裕のない我が家では医者にかかる際の金額がとても大きい。
私は〈貯金庫〉と〈貯金箱〉にある全額を告げると、親父殿が目を見開いた。
〈貯金箱〉の方は弟の誕生日で大分減っていたが、〈貯金庫〉の方は一年以上地道に貯め続けていた金額だ。
妹を学校に入れたり、兄さんの就職活動なんかに使うことが出来ればと思っていたが、ここで使わずに後悔するのは嫌だった。
「ああ、それならなんとかなる」
戸惑いながら頷く親父殿に、私も頷いて返す。親父殿は後ろめたく感じているようだったが、私からは何も言えなかった。
******
「弟は?」
「今は寝てる」
親父殿の寝室に戻り、そこにいる姉さんに声をかけた。返ってきた声には、元気がない。
「そっか。じゃあ僕が代わるよ。姉さんも今は休んで。疲れてると病気が移りやすくなるしね」
なるべく明るく聞こえるよう、声に張りを出した。
「……うん、大丈夫?」
「僕なら大丈夫だよ。魔力量の多い人は元気が有り余ってるから、病気にはならないんだよ」
心配そうな姉さんに、そう言って微笑みを返す。
「そっか……無理しないでね。お父さんも、セージにばっかり無理させないでね」
「ああ」
低い声で頷く親父殿に姉さんは首をかしげるが、何も言わずに親父殿の寝室から出て行った。
時刻はもう夜中だ。
救急医療は外科しかやっていないらしく、この時間から病院に行くことはできない。
行くとすれば明日の朝だ。
掃除を終えたぐらいの時間になるだろうが、今まで病院なんて見たこともないからまずはそれを探さないといけない。
親父殿もケガを治す治癒術士は知っていても、子供を診れる医者や病院には心当たりがなかった。
近所の奥様方や、商会の人たちに聞けばわかるだろうが、この時間帯は来訪者に門を開けることはない。
だからどうしたって明日の朝を待たないといけない。
解熱剤くらい買い置きしておけばよかった。歯がゆいね、まったく。
看病といっても、特に出来る事はない。
私は弟の眠るベッドに背を持たれかけ、目をつむっていた。半分は寝ていて、半分は起きている。
「せぇじ?」
だから、弟の声にも気がついた。
「どうした、弟」
「そこに、いるよね」
「ああ。いるよ」
私は安心させるように声をかけ、弟の手に触れた。
弟はそれきりしゃべることなくまた眠りについた。ただのうわ言だったようだ。
ついでと言ってはなんだが、弟の額に浮かぶ汗をタオルで拭って、水の魔法で冷やしてその額に当てる。
気持ちよさそうに緩む弟の頬を見て、少し安心した。
「セージ、まだ起きていたのか」
ソファーで眠っていた親父殿が、咎めるような視線を向けてきた。どうやら魔法の行使に反応して起きたらしい。
「もういいかげんにして、部屋に戻って寝ろ」
今の正確な時刻はわからないが、そろそろ日付が変わっていてもおかしくはないだろう。
親父殿の言い分はもっともだ。
「ちょっと目が覚めただけだよ」
私はそう答えて、もう一度ベッドに背を預けた。
親父殿はそれ以上何も言わなかった。
なぜ私はこんなにも不安になっているのだろう。
弟の魔力は感じ取れている。
小さな火が揺れるように弟の身体の奥の方で揺らめいている。
きっとそれを感じ取っているから不安になってしまうのだろう。
まるでロウソクの灯火のように儚く、簡単に消えてしまいそうだから。
******
朝が来た。
目覚めの気分は悪い。眠りが浅かったせいで頭が重い。
腰を上げてベッドで眠る弟を見れば、変わらず赤い顔をしていた。
熱は下がっていない。
体内の魔力量が減っているのは気のせいだと思いたいが……。
私は洗面所で顔を洗った。
弟を見ていると、不安がどんどん大きくなる。
何故と疑問にも思うが、しかし確信めいた恐怖が胸の奥から湧き出てくるのだ。
このままだと、弟は……。
使い古したタオルで顔を拭った。鏡に映る私の目つきは悪い。
これでは姉さん達にいらない心配をかけてしまう。
根拠のない不安を払うように、笑顔を浮かべた。
商業区での早朝の掃除を終わらせた。
休みは週に一度あるが、今日ではない。
訓練後の手伝いの方は休ませてもらうが、掃除には出てきた。
理由は二つある。
これまで積み上げてきた信頼を簡単に手放せないのが一つ、そして医者について話を聞くのが一つだ。
掃除を終えた今はまだ早朝と呼ぶ時間で、家ではまだ次兄さんや妹なんかは寝ている時間だ。
だが見回りの散歩をする親父殿や朝食の支度をする姉さんが起きているように、商業区でも仕事を始めている店はいくつかある。
その一つがモーニングをやっている喫茶店で、世話になっている商会の傘下にあるため顔見知りでもある。
そこの店長に弟が病気になったので、午前の手伝いを休ませて貰う旨の伝言を頼んだ。
そして子供を診れる医者を尋ねた。
「そっか、仕方ないね。ちゃんと伝えておくよ。セージくんもしっかり休んだほうがいいよ。ちょっと待っててね」
そう言って店長は店の奥に引っ込んだ。
しばらく待ったが、なかなか出てこない。
睡眠不足もあって、イライラしてしまう。
早く家に帰りたいのに、と。
「お待たせ。はいこれ。生姜と蜂蜜とオレンジで作ったジュースだよ。元気になるから、弟くんに飲ませてあげてねー」
「……すいません。ありがとうございます」
頭を下げて、私は店長と別れた。
一応、一口舐めてジュースの味見をする。
生姜の香りは残っているが、そうきついものではない。子供でも美味しく飲めるだろう。
店長が遅くなった理由には味を整える気遣いもあったのだろう。
私は嫌な子供だな。
******
我が家に帰ると朝食の時間だった。
弟はまだベッドに寝ていたので、ジュースを持っていった。
弟の体を起こすのに背を支えると、すごい熱が伝わってきた。
「おいしい、ね……」
ジュースを飲んで、弟はそう微笑む。
目はまどろんでいて、はっきりとした意識は窺えない。
魔力の光も、朝より更に小さくなっている。
「せぇじ、は、なんで……」
弟が、そう言ってまぶたを落とした。
ジュースは二口飲んだだけだ。半分以上が残っている。
昨日から大分汗をかいているのに、満足に栄養も水分もとっていない。
もう手遅れなんじゃないか。
そもそも見殺しにしようとした子供だろ。
私の中で黒い気持ちが湧いてくる。
「……ふぅ」
意識をして、大きくため息をついた。
暗い未来を予想するのも、ネガティブな事を想うのも、きっと疲れているからだ。
親父殿や姉さんの言うとおり、ちゃんと休まなかったせいだろう。
暗鬱な気持ちは溜息とともに吐き出して、私は朝食の席に向かった。
いつもと違って静かで暗い朝食を終えて、子供たちを預かる時間がやってきた。
子供を連れてきたお母さん方を捕まえて、医者について尋ねる。店長にも聞いていたが、なるべく子供想いで誠実な医者に見せたい。
自分の子供にも関わってくることだからだろう。さすがにお母さん方の情報量は多く、候補となる医者が三名見つかった。
その中で唯一、往診もやっている医者に決めた。
親父殿に担いでもらえば弟を病院まで連れて行くこともできるだろうが、弟を連れ回し狭い待合室で長時間待たせる事になる。
電話で予約でも取れればいいのだろうが、こういう所だけは無駄に
兄さんを連れて、その医者がやっている病院に行く。
兄さんを連れて行くのは私が五歳なので、まともに話を聞いてもらえないかもしれないからだ。
受付の事務の女性に話をするが、往診はもう予約でいっぱいだと断られた。
「あの、なんとかなりませんか。弟はすごい熱で、昨日からずっとうなされているんです」
兄さんがそう掛け合うが、女性は困ったように笑うだけだった。
「どうしました?」
そこに白衣を着た中年の男性が現れる。間違いなくこの病院の医者だろう。どうにも私たちが受付で長く粘っていたので、出てきたようだった。
すぐに私が事情を説明するが、
「そう言われても、こっちも約束があるからねぇ……」
考え込む様子で、医者の男は私と兄さんをジロジロと見る。値踏みされているが、嫌らしさは感じない。おそらく悩んでいるのだろう。
「うん。わかった。お昼までは出れないから、それまでは待ってもらうけど、昼一番に向かうよ。場所はどこかな?」
「いいんですか、先生?」
「うん、まあ、少し早めに出ればなんとかなるでしょう」
「――っ、ありがとうございます」
兄さんが頭を下げ、私も慌てて頭を下げる。
それから医者の男に場所を教えた。
ブレイドホームという託児所のことは知っていたらしいが、その所長……と呼ぶのは違和感が強いが、ともかく責任者である親父殿の名前がジオレイン・ベルーガーだと聞いて驚いていた。
何故か断らなくて良かったと、冷や汗を流していた。
医者の男はブレイドホームの具体的な住所はよく知らなかったので、私が昼まで残って案内をすることにした。
そして――
******
――結果は、間に合わなかった。
薬がないとか、高額だとか、特別な手術が必要とか、そんな理由ではない。
ただ間に合わなかった。
ただただ、遅かったのだ。
昼に医者の男を連れて戻ると、すぐに違和感に気づいた。
ブレイドホームの家全体から、暗いオーラの様なもの感じたのだ。
門から敷地に入って、すぐに次兄さんと目が合った。
その時の次兄さんの、何とも言えない表情を、目の曇りを見て、察してしまった。
それからのことははっきりとは覚えていない。
静止する親父殿を振り切って寝室に行って、体から
ともかくその後は親父殿があれこれ動いていた。たぶん手続きとか後始末とかそんな感じ。後始末、嫌な単語だ。
私は普通にご飯を食べて寝た。出来ることなんて何もない。出来なかったことだけが頭の中でグルグル回っている。
妹や姉さんが色々と言ってきたけど、気にせずに寝た。
いつもはベッドの数の関係で妹と一緒に寝ていたけど、今日は新しく空いたベッドで寝た。
そして、夜が明けた。
新しい一日が、今日も始まる。
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