第6話

「先生、いい加減頭を上げてください」

 宇宙船が離陸シークエンスを終えて、加速のGから解放されると共に、気絶していた伽君も目を覚ました。

「先生が僕に銃口を向けた理由は理解できましたし、その判断も妥当だと思います。地球側が判断に用いたデータが改ざんされている可能性は否定できない以上、地球圏に戻っても隔離と監視は必要になるでしょうし、そうでなくとも地球までは嫌でも顔を突き合わせ続けなきゃいけないんです。わだかまりを抱えたままは僕だって嫌ですよ」

「……本当に申し訳ないわ」

「だから、謝らなくていいですってば。それより、事情を教えてくださいよ。先生のいう状況から、なぜ地球が船を離陸させたかもさっぱりです」

 伽君の態度は正直なところ、常日頃他人の不興を買うことの方が多いのだけれど、今回ばかりは彼なりの美徳と評さざるを得ない。

 向けられた水に救われた思いで答えを返す。

「そうね。あの後、地球側のスタッフによる分析結果からいくつかわかったことがあるわ。はっきりしたことから順に話しましょう」

 説明すべきことを指折り数え、順にまとめていく。

「まず、卵が孵化した場合、出てくるのは小さいフファットだと確認されたわ。彼らは生涯を通して姿が変わらないし、水中生活の出来る姿をしていない。通常の個体から分化した特別な個体が存在する可能性は否定できないけれど、特定の個体だけが水棲や内骨格に変化して知能を得る、というのはかなり無茶なこじつけになるわね」

「となると、先生の立てた仮説は全て崩れた、ってことですか」

「ええ。正しいのは恐らく、伽君の言う巨石構造物が知性体であるという考えね。フファットに知識階級はいない。知識階級として命令を発信していたのは、巨石構造物だと考えていいと思うわ」

「でも、だとすれば次の謎がでますよ。巨石建造物は誰が作ったって言うんですか」

「それは、多分フファットでしょうね」

「はあ?」

「後から住み着いただけなら、『手紙』になぜフファットの姿が描かれていたのか、理屈に合わないわ」

「仮にフファットが巨石構造物が建造できたとして、その知性は他ならぬ巨石構造物に与えられたものでしょう。それこそ理屈に合いませんよ」

 そう言って、伽君は子供のように口を尖らせる。

 私は苦笑しながら、その疑問に答えを返した。

「知性なんてなくても、生き物は自分の棲み処を作り上げるわ。地球の蜂類が本能的にハニカム構造に辿り着いたように、彼らフファットが進化の末に辿り着いた幾何学パターンが、生活拠点に必要とされる構造力学的な合理性の他に、ある種の論理回路としての性質を併せ持っていたのよ。天然の半導体素材を建材にして巣を造り上げるうち、巨大化した巣がある日、自我に目覚めた」

 まだ納得できていない風の伽君はそれでもやはり食い下がる。

「だとしても、知性を持たない生き物が作り上げたものが知性を持つなんてことがあり得るって言うんですか」

「現にあるんだから、あり得るわ。知能を持たない存在が知的生物を生み出した実例は、私たちの世界に存在するでしょう? 生物は、知れば知るほど緻密で繊細で、信じられないくらい高度な仕組みで成り立っている。ダーウィン以前の人々は世界を人間を超える偉大な存在がデザインしたと考えていたけれど、実際には盲滅法に繰り返された試行の結果だったわけで。自然淘汰による選別は知性を持った存在が行ったわけではないけれど、現に我々知性ある存在を造り上げた。同じことがこの惑星で起きたとしても、それは有り得ないことではないわ。それが起こりうる確立がタイプライターを叩く猿が偶然にシェイクスピアの『ハムレット』を書き上げる確立よりも低かったとしても、天文学的なスケールで宇宙を見渡せば、何ら不思議なことではない。そして私たちは都合よく、天文学的な距離を越えてこの惑星にいる」

「つまりある猿が地球で『ハムレット』を書き上げて、別の猿がこの惑星上で『オセロー』を書き上げたっていうんですか」

「時系列的には逆ね。巨石構造物こそ『ハムレット』よ。彼の歴史は人類よりはるかに古い」

 私自身、自分の考えが一から十まで全て正しいとは断言できないけれど、私たちには答えが必要だ。旅は、答えを得ねば終わらない。


「それから、これが巨石構造物による洗脳を否定する根拠なんだけど、観測できる範囲で巨石構造物は現在いかなる波長の電磁波も発していないし、論理回路どころか、電気回路としてすら機能していなかったそうよ。これは巨大な論理回路であるという見立てが間違っていたという訳ではなくて、その論理回路が外的要因によって破壊されているという意味。堆積した腐食性の火山灰が構造の内部まで侵入して、機能を失っている。巨石構造物は途方もない時間を掛けて建造されたもので、逆に言えば建造ペースはひどく遅々としたものだった。であれば、保守保全のペースもそう。巨石構造物の手足たるフファットの工業力は非常に低い。仮に彼らにピラミッドを建造させたとしても、ファラオの奴隷の何千倍、何万倍もの時間がかかるそうよ。巨石構造物は、私たちが調べることができた範囲だけでも推定される建造された年代が場所によって数万年スケールで異なっているけれど、火山灰は最も古いものでも数十年前のものだと鑑定された。つまり巨石構造物はその建造ペースをはるかに上回る速度で、惑星規模に渡って破壊されたの」

 私は言葉を切って窓の外に目を向けた。そこには地球によく似た、けれど明確に異なる姿の竜骨座115番星bが輝いている。

「だから、己の滅びを避けられないことを悟った巨石構造物は、絶滅に瀕した生物を保全する習性のある人類に、せめてフファットの子供たちだけでも託すため、私たちをここに招いた」

 遠ざかる竜骨座115番星bを窓越しに眺めながら、伽君が『ハムレット』のもっとも有名な一節を口ずさむのが聞こえる。


  成して死ぬか、成さずして死ぬか。それが問題だ。

  どちらがましだ、非道な運命が浴びせる矢弾を心の内に耐え忍ぶか、

  それとも苦難の荒波に真っ向から立ち向かい、決着をつけるか。


「先生。ここは、美しい惑星ですね」


 彼に墓標などいらない。神話が語る国産みの神のごとく、亡骸は山河を越えて横たわっている。私たちがこの惑星を再び訪れることはないだろう。人類がこの惑星を再び訪れるのはいつのことになるだろう。

 宇宙から見た地球に落胆したという伽君に示した同意は、嘘ではなかった。

 かつて失望と共に、地球を無感動に眺めた時には、まだ私には理解できなかった。

 神の描いたもう一冊の傑作を、私は脳裏に刻み付ける。


「私もそう思うわ」






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