第5話


 明らかに様子のおかしい伽君を見て、私は即座にこの場を離れる決断を下した。

 撤収の準備を進めながら、並行してこの場所に留まるべき理由と留まってはならない理由をまとめていく。

 観測機器は置いて行って良い。この場所の精査は済んでいないが、復路を行く時間で観測を済ませてデータだけ受け取ればいい。これ以上、データの収集の必要な場所を訪れることはない。もし外的要因で通信が途絶するようなことがあるならば、尚更この場に残るわけにはいかない。

 時間的猶予こそそれなりにあるが、想定外の要素に足を取られれば、帰還不能という最悪の事態にもなりうる。

 いや、それは最悪の事態ではない。

 最悪は人類にとって致命的な何かを地球へ持ち帰ってしまうことだ。


 理性を信用してはいけない。理性は遅く、だからこそ嘘を吐く。

 危機的状況においては、直感こそが頼れる全てだ。

 直感はこう言っている。

 フファットは超越知性ではない。それどころか、知性体ですらない。私は彼らを操る知性を持った上位個体がいると仮定したが、それでもこの場所の発展具合や下位個体の暮らしぶりを見る限りはるか光年の距離を越え、人類を次の段階へ導いた超越知性と同一の存在であるとは、到底思えない。

 ならば、全てを操る黒幕が別にいるとすれば、それはいったいどんな存在か。

 それは例えば、私の想像も理解も超えた、馬鹿げた存在だ。星よりも巨大な都市を築く建設者。いくつもの星系に跨いで生きる渡り鳥。


 だがその全てがこの惑星には存在しない。この惑星で私が目にしたのは何だ。

 この惑星に全てを操る黒幕がいるとすれば。

 それは例えば、惑星の放つ地磁気を受けて働く、大陸を覆うほどに巨大な演算機。


「伽君。立ちなさい。宇宙船に戻るわ」

 声を掛けた伽君が、常にないゆっくりとした動きで振り返る。こちらに顔を向けながら、こちらを見ていない目をしていた。

「僕はしばらくここに残ります」

「私たちには時間がない。これ以上時間を掛けると地球に戻れなくなるのよ」

 語調を荒げた私に対して、伽君はまるで興味がないというように視線を逸らし、返ってきたのは虚ろな言葉ひとつだけだった。

「あと少しです」

 私は持ち込んだ腰の銃に手を掛ける。

 ここに来るまで、かすかに抱いていた疑念が形を持った。

 フファットは道具だ。

 彼らは超越知性の手足として働く、便利な手駒に過ぎなかった。

 フファットという奉仕種族を失った超越知性が求めるものがあるとすれば、それは新しく、より器用な道具に他ならないのではないか。

 巨石構造物はその神の如き視座から、どういったシナリオを描いたか。

『手紙』にフファットだけを記し、自らの情報を明かさなかったのはなぜか。航宙理論だけを伝えずとも、宇宙船の設計もこなせたはずの巨石構造物が、人類に自らの下へ大挙して訪れる方法を与えず、あえて無力な民間人二人だけを招き入れたのだとすれば。

 八年前からのすべてが、巨石構造物が描いた絵図通りの展開だとしたら。

 その想像が、伽君にも、私自身にも有無を言わさず引き金を引いた。

 殺しはしていない。出力を絞ったテーザーガンだ。失神させた伽君をカーゴくんに乗せて、私は足早に広場を後にする。

 光年の距離を越えて地球を特定し『手紙』を送り付ける能力を持つ巨石構造物が、この広場まで私たちをわざわざ呼び付けたのは、洗脳に通信とは異なる手段を用いており、その手段には距離的な制約があるからと考えるのが自然だ。呼び寄せられた私たちがたった二人の民間人だったのは、大規模な専門家集団だった場合よりも、成功する確率が高いからだろう。ならば、逆説的にその企みには失敗する可能性が存在していたことが証される。

 巨石構造物の行動自体が、巨石構造物が万能の存在ではないことを示していた。

 伽君を、私自身をこの場から引き離せば、その企みはきっと挫かれうる。

 この局面に至っては、もはやそう信じて動く他にない。


 遠隔で船に指示を飛ばし、離陸のための操作権限を完全に地球側に譲り渡す。これでもう、私たちは自分の意思で地球に帰ることはできない。

 地球側が通信に頼らねばならない以上、巨石構造物の介入を防ぐ手立てはない。

 ならば、宇宙船を物理的に破壊すべきか。

 あるいは自分だけなら、そうしたかもしれない。

 けれどこの若者の命をこの手で奪う決断は、私にはどうしてもできない。


 

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