第4話

 そこまで考えたところで、地球からの通信が届いた。内容はフファットに関する精査結果だ。要約すると、内容は三つ。

 計算上、彼らにはニワトリ程度の知能しかないこと。

 額の一本角は角というより触覚に似た構造であること。

 その付け根に電波受容体らしき器官が存在すること。


「フファットは、テレパシーが使えるってことですか?」

「いえ、発信はできないそうだから、いわばラジコンでしょうね。でもこれで知能階級がいるという仮説は強まった。受信側の器官だけ持ってるなんておかしいもの。私たちの見た彼らと別に発信器官を持つ知能階級が命令を出して働かせていたと考えるのが自然だわ」

 話ながら歩いていると、目に映ったのは一目で農場とわかる区画だった。

 苔状の植物が栽培区画を覆いつくすように茂っている。フファットはこれを主食としているのだろうか。植物を手持ちの機器で一通り調べ、データを映像と共に地球に送っておく。

「伽君」

 先生が僕を呼び寄せる。先生は傾斜の付いた耕作区画の縁、細かく孔を穿たれた縁石のような部分を指差している。

「この灌漑装置を見て。今でも水が流れ続けてる。音波での簡易探査の結果を見る限り、これ、テスラバルブに似た構造をしているようだわ」

「テスラバルブ、ですか?」

「簡単に言えば、可動部無しで流量を制限する仕組みね。入力が変化しても常に一定の出力を得られて、その上で目詰まりを起こさない構造を機械的な部品なし、構造だけで実現しているように見えたわ」

「一切手入れされていないのに稼働し続けているわけですよね。それはそれですごい話というか」

「それはそれで? それじゃまるで、人間はもっと高度なことができるように聞こえるじゃない。もっと掛け値なしに褒めるべきよ。得られる結果が同じなら、より単純な実装ができる方が高度な技術を持っていることになる。あれが想像した通りのものなら、フファットは私たちよりはるかに洗練された技術を有していると言えるのよ」

 そこから進んだ先にはフファットの生活区画らしき部屋が続いていた。寝床、水飲み場に水浴び場。

 それらに共通するものがある。

 凄まじい設計力とでも言うべきだろうか。そこにあるものの全てがひどく単純で、たいした工作精度もなく、それでいてこの上なく洗練され高度な機能を有していることがよくよく見ればわかってくる。

 その一方で、フファットは高度に文化的な暮らしをしているようには見えない。

 これらの場所からは彼らが非常に満ち足りた暮らしをしていたことを窺えるが、その恐ろしく高度な技術はあくまでも原始的な暮らしのために用いられている。

 ひょっとすると彼らフファットは、高い知能を持っていても、工業力という点では僕たちに劣っているのかもしれなかった。

 どうにも僕には、彼らが星の海を渡れる技術を持っていたか疑わしく思えるのだ。

 多くの疑問は生じたが、結局のところ、先に進むほかないという結論に落ち着いた。

 『手紙』で指示された経路が途切れる場所は、もうすぐそこにある。

 前方でふたつの照明に揺れる壁面が、八年前人類に示された旅路の終着点だ。


「……なにもない?」

「いえ、先生。壁が一か所だけ、別の素材で出来ています」

 僕は前に出て、模様の無い壁に手を伸ばす。壁は触れるだけで砂と化して崩れていった。そして、向こう側には空間がある。開いた隙間に、宇宙服の前照灯を潜り込ませた。これまで見た中で、もっとも広い空間だった。

 振り返って目が合った先生が頷くのを見て、僕は一思いに壁を蹴り飛ばす。

 部屋に足を踏み入れた僕たちの視界を奪っていた舞い上がる砂煙が晴れて、遮られていたライトは部屋を照らした。


 そこは、テニスコートほどの円形の広場になっている。ドーム状の天井と、連なる列柱。どこか宗教的な意味合いを漂わせる空間の最奥は祭壇のように一段高く、その上に何かが安置されている。

「これは、フファットの卵かしら」

 祭壇に上がった先生の隣からそれを覗き込む。

 これは確かに卵だ。干乾びた成体と違って、瑞々しさを保っている。生きているのだと、直感的に理解できた。

 これが、人類がこの惑星に呼び寄せられた理由ということなのだろうか。

 先生が可能な限りの卵をカーゴくんに回収し始めた。

 他にも何かが存在する可能性は十分にある。僕は部屋の中央にありったけの観測機器を展開し、自分の目でも確認できるように設置照明を灯した。

 大部屋を満たす闇が払われる。部屋の内壁が、その姿を露にする。


 それを見た瞬間、僕は全てを納得した。

 理解できたのは、ほんの僅かなことだけだ。

ついさっきまで頭を悩ませていたいくつもの謎の内、答えを与えられたものなどひとつもない。けれど、謎はもはやひとつもなかった。

 ――こんなものが存在するのなら、不思議なことなど起こるに決まっている。


「――先生。神様は居るんですね」


「急に、どうしたの」

 怪訝な顔をする銀葉先生に、僕は天井を指差して見せた。

「だってほら、見てください」

 僕はこの光景を、かつて目にしたことがある。

「この模様は、ある種の論理回路なのだと思います」


 子供の頃の話だ。

 家族旅行で訪れた美術館、順路からも外れてひっそりと催されていたその展示に、僕は言いようもなく心を奪われた。

 部屋の天井一杯に展示されたそれは、視認できる大きさにまで拡大され図示された、まだ集積されていない時代の論理回路、黎明期のコンピュータ。

 平易な解説のおかげで幼い日の僕にさえ理解できた仕組みの、途方もない反復によってこの世界は管理され、動かされている。

 単なる生物と知性体を分かつ違いが、脳容量の違いであるとしたら。僕たち平凡な知性体と、想像すら及ばない超知性との違いもまた、単なる規模の違いで説明できるのかもしれない。

 あの日の僕は閉館時間ぎりぎりになって、母に頬を張られて連れ出されるまであの場所を動かなかった。あのとき僕は、なぜあの回路図に心奪われたか、自分自身でさえ理解できていなかった。

 今はわかる。

 美意識だ。人の本能は抜きん出て優れた構造を、論理とは異なる部分で知覚する。

 完成されたこの世の摂理を、そしてそれに逆らうことなくこの世に留まり続ける特定の構造を、本能的に美しいと思うようにできている。


「先生。僕は、生まれてはじめて地球を宇宙から見た時、ひどく落胆したんです。子供の頃、たくさんの夢を見ました。夢が叶うことを、夢見ていました。僕はずっと、自分の人生はこの為にあったのだと言い切れるような、そんな瞬間がいつかどこかにあるのだと信じていたんです。そして八年前に手紙が地球に届いた日、目の前で世界が変わっていく様を見て、諦めかけた夢が、叶うと知りました。宇宙が手の届くところまで降りて来て、僕は迷わずそれに手を伸ばした。けれど僕は、宇宙から見た地球に、まるでピサの斜塔やスペイン広場でも見たみたいな、映像資料で見るよりきれいだな、とか、たかがその程度の感想しか抱かなかった。ジム・アーウィンやジーン・サーナンが経験したような、世界そのものの見え方すら変わってしまうような体験なんて、パッケージングされたツアーが連れていってくれる先には存在しなかった。宇宙においてさえ神話の時代は遥か昔に過ぎ去って、僕が恋焦がれた宇宙は、未知の世界は、神々のフロンティアではなく土足で汚された観光地に過ぎなかったんです。幼い僕の見た夢は、この先二度と、決して叶わないのだと思いました」


「……わかる気がするわ」


 言葉とは裏腹に、銀葉先生の声は疑問を孕んでいる。

 理解できるけれど、それが今、何だというのか。言葉はきっとそう続く。

 けれどそれはもう、どうでもいいことだ。


「違ったんですね。あの時ではなかっただけだ」


 多くの宇宙飛行士が受け取ったという、神からの啓示。

 僕にとっては今、この瞬間がそうだ。


 僕たちはそれを、幼い頃から幾度も幾度も目にし、耳にしてきた。

 宇宙を支配する、そこにあることが当たり前すぎて、存在することにすら気がつかない法則。滔々と流れるその法則に押し流された果ての果て、熱的死。死を避け流れの只中に留まり続けるための作法。

 陽射しを求めて芽を伸ばす新緑は、はるか頭上を飛ぶ渡り鳥の一団は、一斉に回頭する水槽越しの魚群は、僕たちすべての生き物を数億年の昔から生き長らえさせてきた、共通の答えをきちんと弁えている。

 この世の真理は宇宙の果てに求めずとも、いつだって目と鼻の先で語りかけてきていた。

 足元を横切る蟻の行列は、見上げた街路樹の木漏れ日は、遠い山並みの稜線は、空に立ち上がる入道雲は、この世の全ては、形を変えたたったひとつの答えだ。

 舞い上がる綿埃も、流れ落ちる雨粒も、全てはたったひとつの解を示している。

 そして僕たちは世界の全てがその根本で繋がっていることを、言葉ではなく美意識で知っている。

 なぜなら僕たちもまた、紛れもなくその法則に沿って生き続けてきたのだから。

 生命、宇宙、そして万物についての究極の疑問の答えを僕らは知っているし、路地裏から僕らを見下す猫も知っている。

 僕たちがただ、言葉で言い表せない事柄を、知らないことだと思い込んでいるだけで。


 そうか。

 これが祈りだ。


 祈りは神との取引ではない。人は神から何かを授かることはできない。

 祈りは神との対話ではない。人は神の言葉に辿り着くことができない。

 祈りは神への感謝ではない。人が真に神の御前に立たされた時、人のちっぽけなものさしなど、何の役にも立ちはしない。神は善でなく、神は悪でなく、神は敵でなく、神は味方でなく。

 神はただひたすらに神だ。

 心から湧き出でるのは、打算でなく、言葉でなく、感謝でなく、衝動でも、畏敬ですらない。空虚だ。神の存在のあまりの遠大さに、茫漠さに、自らの心の所在を見失ってしまう。神と直面した人間は、泣き喚く迷子の子供にすらなることができない。


 祈りとは無為であり、人は無力故に神に祈る。

 神の前で人がひざまづくのは、神の前では立ち上がることに意味がないからだ。

 神の前で人が目を瞑るのは、神の前では目を見開くことに意味がないからだ。

 神の前で人が手を組むのは、神の前では手を動かすことに意味がないからだ。

 神の前で人が神に祈るのは、神の前では人間の存在そのものに意味がなく、それ故に人は祈るほかないからだ。



 僕は巨石構造物に祈る。


 祈るほかないからだ。

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