第3話

 異星人との遭遇の後、銀葉先生は大胆にもその亡骸の隣で休憩することを提案してきた。先生は瞬く間に僕を説き伏せると手早く観測機器を展開しフファットの遺骸から読み取った観測データを中継ビーコンを通じて地球へと送った。

 通信の往復にはスターゲートを介してすら数分の時間がかかる。

 地球への帰還を考えると、この惑星に留まれる時間はそれほど長くないのだが、だからこそ体力を保つべき、と先生はカーゴ君に腰を落ち着けると、宇宙服越しに優雅なティータイムを始めてしまった。恐るべき切り替えの早さだ。

 僕も設置型の照明を据えて腰を下ろす。

 それほどの距離を歩いたわけでもないはずが、座り込んだ瞬間、一気に身体が重くなった。強い緊張のせいで想像以上に疲労していたのだろう。

 本来なら先生のように何か口にするべきなのかもしれなかったのだが、宇宙服を脱げないことを差し引いても、宇宙人の死体の隣で何かを口にする気にはなれなかった。


「それで、この生物の名前はどうするの?」

 補給チューブから口を離して、先生が問いかけてくる。管からお茶を飲んで行儀もなにもあったものではないはずだが、品があるように見えるから不思議なものだ。

「名前ですか? フファットはフファットでしょう」

「それはネッシーやビッグフットみたいな呼称と変わらないわ。誰もが存在は知っていても、その姿を実際に確認したのはあなたがはじめて。つまり、彼らフファットには正式な名称が必要になるわけで、この場合その命名権はあなたが持つことになると思うのだけれど」

「でも、僕は死骸を見つけただけですよ?」

「あらあら、それじゃあ伽君は今現在学名の付いている恐竜は、生きた個体を見つけた学者が命名したと思ってるの?」

「……いや、まあ確かに第一発見者ではありますけど」

 存在に気が付いたのは確かに僕だ。だが確認したのは先生と二人で、といってもおかしくはないように思う。けれどそれを口にする前に先生が言葉を継いだ。

「発見さえすればいい彗星と違って、生物種の命名権はその生物が新種であることを論文で証明する必要があるわけだけれど、フファットが新種であることに疑いはないし、そもそも既知の近縁種が存在しないのだもの。難しいことは何もないわ。極端な話、形式さえ整えれば小学生の感想文レベルの内容でも、学会は認めてくれるんじゃないかしら」

 話はとっくに僕が名付けをする方向で進んでしまっている。

 生物種に命名をするなど、想像の上でもしたことがない。勝手も何もわかったものではなく、わからないのならば、単純な命名と第一印象で決めてしまうべきだ。

「……隔絶された遠い場所を示す語彙に、大きい、ラテン語だとマグナですかね。遠くの大いなるもの、みたいな命名なんてどうでしょう」

「掌にでも乗せられるサイズなのに? それに、もっと大きい近縁種が山程いたら、未来の学生たちに恨まれるわね」

 冗談めかして茶化してくる銀葉先生に、ひょっとするとこの人は、面倒を押し付けるために僕に命名を任せたのかもしれない、と眉をしかめた。

「良いんですよ。人間にとっては小さな生物でも、人類にとっては偉大な出会いなんですから」


 それから、ここにきて生じた疑念と謎とに話は移る。

 まずは前者。この巨石構造物が遺跡や廃墟の類ではないか、という可能性だ。てっきり僕はこの惑星へ謁見でもしに来たつもりでいたのだが、その考えはこの遭遇で大きく揺らいでしまった。

 一本道だった通路はこの先で部屋に接続されており、そこからさらにいくつかの空間に繋がっている。それら周辺の部屋からいくつものフファットの亡骸が見つかったことから、この仮説は確信を強めている。

 そしてこの仮説が正しい場合、それは人類はこの場所に残された謎を、自らの力で解き明かさねばならないということを意味する。

 滅びた理由、この場所に呼びつけられた理由、謎はいくつかあるが、議論の俎上に上がったのはフファットのサイズに関する謎だった。

 というのも、『手紙』に記されたフファットの情報には大きさを特定できる対比物がなかったので縮尺は情報になかったのである。

 この件に関して、この惑星へ向かう道すがら、かつてどこかの大学機関だかで行われた知性化実験の話を銀葉先生は講義してくれた。

 内容を掻い摘めば、生物種を問わず無差別的に行われたその実験は、おそらくたしか、生物が知性を得るかどうかのブレイクスルー、その有無は脳構造の如何に関わらず、神経細胞の多寡に制限される、というものである。とりあえず僕はそう理解した。

 そして今回問題になったのは、この法則を前提として導かれる結論のひとつ。少なくとも地球上において、陸生甲殻類は身体構造的な制約により前提となる脳容量を満たせないこと。そしてそれはここ竜骨座115番星bにおいても有効であること。

 惑星の質量や気圧、自転速度から計算したこの惑星における外骨格生物のサイズの限界は地球と大して変わらないはずだから、フファットは何らかの方法でその制約を越えていると予想されていた。

 ちなみに、この話を聞いた僕は以下のようにコメントした。

 ――だとすれば、脳が頭以外の場所にあったりするんでしょうか。まさに宇宙人って感じですね。

 ――わかってるとは思うけど、伽君。一応言っておくと、地球においてだって脳にあたる器官が頭以外にある生物なんて大して珍しくもない以上、さっきの話は分散された神経節だとか、副脳での知性化なんかも検討された上での結論よ。

 タコ型の火星人のことを考えながら若干わくわくしていた僕は本気でわかっていなかったので、一生懸命わかってる風を装った。そういうのは得意だ。

 ――でもそれはあくまでも地球上の生物に適用される原則ですし、未知の進化を遂げた生命体をその枠組みの中だけで捉えようとするのはあまりに乱暴な議論ですよね。ところでそろそろお茶の時間ですけど、今日は何を食べるんですか?


 そして、実際に目にした彼らは、人類の想定よりもはるかに小さい。

 甲殻類の年齢は分かりづらいものの、目の前のフファットは成熟個体だと推定できる。この周辺の部屋で見つかったフファットの遺骸が、最初に見つけたものと同じサイズか、より小さいものだけであり、加えていくつも見られた別の部屋に続く横穴の大きさが、そのサイズを前提にしたものだったからだ。


「となれば、フファットは雌雄で大きさが異なるとか、真社会性昆虫みたいに成長の過程で役割に応じて個体が分化するか、とにかく知能階級と、労働階級の二種が存在している、と考えた方が良さそうね。ただそうなると、なぜ『手紙』には労働階級だけが描かれていたのか、ということになるけれど」

 考えられる可能性を、頭の中に思い浮かべる。

 もちろんフファットが意図的に情報を隠している、という線もある。とはいえその場合、僕たちは彼らが情報を隠す意図どころか、彼らの背景も、それ以前になぜ自分たちがここにいるかも理解していない。考えるだけ無駄というものだ。

 それ以外にひとつ、思いついた可能性を口に出した。

「労働階級の姿が、自分たちの真の姿であると考えているとか」

 それを受けた先生が、腕を組んで本格的に思考に耽溺しはじめた。

「そうね。ライフサイクルの中で、最終的に行きつくのが労働階級の姿であるとか。トンボみたいに、幼生は水棲で、成体は陸棲である生物なのかもしれないわね」

 幼生の時期を水中で過ごし、最終的に至る姿が目の前のフファットの姿だとしたら、彼らの自己認識として、甲殻に覆われたこの姿こそ自分たちの姿、ということになるのかもしれない。

 そして水中であれば、生物は地上よりも巨大化することができる。サイズに関する制約も、これでクリアできるという訳だ。

「だとすれば彼らは知能を持つに十分なだけ大きくなることができるわけだわ。その上で、幼生の姿のまま、文明を築くに十分なだけ長生きするとすれば? 成体が文明を築くだけの能力を持たないからといって、幼生も同じであるとは限らないものね」

「でも、そんなのおかしくないですか。水中で知能を持てる大きさだったとしたら、陸に上がると生きていけないわけじゃないですか」

 その場で僕は反論するが、先生は首を振った。

「おかしくはないわ。成長すると小さくなる、というのはあり得ない話ではないもの。子供が大人より小さいものであるというのは、私たちの先入観よ」

 指摘を受けて僕は考え直す。

 たとえばカゲロウは生涯の大半を幼虫の姿で過ごし、ごく短い成虫期で子を残して死ぬ。カゲロウの成虫は異性と出会い、子を成すことに必要な器官を残して、多くの器官が退化している。そして、必要に応じて脳が退化する生物は、地球にだって存在するのだ。

 そういう生態を持つ生物なら、退化した器官の分、幼生より成体の方がサイズが小さくてもさほどおかしな話ではない。

 フファットは幼生のまま、水中で文化や文明を築き、そして生涯の最後、成熟すると陸上に出て子を残すために知能を失う。

 今のところ、この仮説に大きな穴はないように思えた。

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