第33話 やばい我慢できない

  昇降口に向かうまで、幸いなことにあまり人とは行き会わなかった。

 既に部活動は始まっており、HR直後よりは生徒の行き来は少ない。


 一階まで降り待ち合わせ場所が近づくと、壁に寄り掛かってスマホを弄る望月さんの姿が見えた。

 後数歩というところで声を掛けると彼女はこちらに気付きスマホを鞄にしまった。


「ごめん、少し待たせたかな」


「ううん、私ももっと早く連絡すれば良かったと思ってた」


「それで徳瀬との話は済んだの?取り敢えずって書いてあったから、中途半端で終わったのかなって」


「一応一通りは話したつもりだけど、話足りないと言うのか、まだ終わっていないと言うか・・・・・・」


 歯切れが悪く口ごもる。困惑した表情だが決して落ち込んでいる様子ではなさそうだ。


「何ならもっと話してきても良かったのに。時間的に俺は余裕だし、帰りの時間は気にしなくても問題ないから」


「彩乃は時間ギリギリまで話した後急いで部活に行ったよ。だからどちらにしても時間は変わらないかな。でも実は・・・・」


「うん?二人の話だろ。俺に気を遣って何でもかんでも話さなくていいよ」


「ううん、そうじゃなくて実はこの後彩乃の家に泊まりに来ないかって誘われたの。勿論彼女の部活が終わってからだけど」


「そう・・・なんだ。急だし意外だし・・・・。でもそれだけ仲が良くなったって事じゃないかな。徳瀬って割かし人との距離を埋めるの上手いしな。それにそれまでは時間があるって事だろ。あ、でも行くかどうかは決めてないんだっけ?」


「そうなの。いきなりだったしどうしたらいいか迷ってる。着替えは・・・・一応下着の予備は鞄にあるし、服は貸してくれるって言ってたからその辺は問題ないんだけど・・・・ねえ、どうしたらいい?」


 下着と聞いて思わず彼女の鞄に目がいってしまった。気付かれないようすぐに視線を戻す。

 こんな事じゃ下着泥棒と疑われても仕方が無いだろ。もっと意思をもって行動せねば・・・・。


「英君?」


 幸いそんな邪な俺に彼女は気付いた気配はなさそうだ。


「あ、ああ。望月さんが行きたいと思えばそれでいいんじゃないか。もし断ってもそれを根に持つ奴じゃないよあいつは」


「・・・・・・・・」


 まだ迷っているみたいだな。だったらここは一つひとつ悩みを潰していくしかないな。


「あの事がやっぱり気になるのか? 仲良くなっても本当の事が言えない心苦しさと、ばれた時に彼女が自分から離れてしまうかもという恐怖が」


「・・・・うん。自分から近づいて行って今更って感じだけど、やっぱりその考えが頭から離れないの」


「でも俺は大丈夫だったよね。望月さんから変な話離れようとは思ってない。それに本当の事を言えなくても、それを不誠実とは誰も思わないよ。だから隠したまま付き合っていくのだって俺は全然ありだと思う。どうしても隠しきれなくなったら俺が相談に乗るからさ」


「正直それはすごく期待してる。学校で唯一秘密を話せる友達だから」


「うん、期待してもらって構わない」


 自身は無いけど、彼女が頼ってくるならそれを全力で答える心構えはあるつもりだ。


「あと、徳瀬も前原さんも余程の事が無い限り大丈夫だと思うよ。二人とも相手の気持ちをちゃんと理解しようとする人達だから。決して望月さんを傷つけるような真似はしない」


「分かっているつもりなんだけどなあ・・・・。彼女らが優しい人達だって話していれば伝わってくるの。でもそれに甘えちゃって良いのかなって思う自分も居るのよ」


「徳瀬はともかく、前原さんも今は誰かに甘える事が必要だと思うよ。それが多ければ多いほど彼女の支えになるから。俺もそうだったら良いと思ってるし。だからさ、行きたいと思うなら行くべきなんだよ」


「英君がそう言ってくれるなら、彩乃の家に行ってくる。そしてもっと色んな話をしてくるよ。でも勘違いしているみたいだけど、前原さんは来ないよ。二人だけで話の続きをしたいって彩乃が言うの」


「てっきり一緒だと思ってた。でもまあそれはそれでいいんじゃない。どうせ彼女とは次の日には会えるんだし。二人で楽しんできなよ」


「どうだろう、楽しめるかは別問題かな」


 苦笑いをする彼女から白い歯が見えた。


「ん、本当は行きたくないって事?」


「そんな事ないよ。お泊りするのはすごく楽しみだから」


 どうやら込み入った話をするみたいだな。だったらこれ以上触れないのが得策か。


「そうと決まったら今度は俺も話があるんだけどいいかな?」


「うん、私も大事な話があるよ。でもどこで話そうか?」


 一瞬先日入った喫茶店「銀杏の木」が頭に浮かんだが、彼女とあそこに行くのはさすがにやめた方がいい。

 後から徳瀬の家に行くなら学校の何処か、もしくは徳瀬の家の近くで話した方がいいが、あの店以外に落ち着けるところは無い。駅に行けばいくらでもお店があるが、徳瀬の家と反対だから時間が掛かって効率が悪い。


「ねえ、もし嫌じゃ無かったらなんだけど・・・・」


 俺が頭をフル回転させながら落ち着いて話せる場所を探していると、望月さんが前置きをしてから続けた。


「英君の家は駄目かな? 小中も同じ学校なら家が近いんでしょ」


「俺の家!?」


「そんなに驚く事? 明後日は英君が私の家に来るんだよね。だったらお互い様だし問題ないと思うけど。でも家の事情で無理なら別なところで構わないよ」


 相変わらずアクティブというか行動力が半端ないな。というかそれって俺の事情は割とどうでもいいってこと?

 それに明後日は俺だけじゃなくて徳瀬や前原さんも一緒だ。何なら俺が行かなくても問題が無いくらいだ。

 だけど俺の家には彼女一人で来るから、お互い様でもない気がするんだけど、そうは思ってないんだろうなあ。


 この子は何というか、アクセル踏んだと思ったらすぐブレーキ踏んじゃうし。そうこうしているうちにまたアクセルを思いっきり踏んで急加速させる。言動が極端なんだよな。


「そんなに嫌ならハッキリ言って。英君の事全部理解したわけではないし、傷付けるような事はしたくないの」


 煮え切らない態度に見えたのか、業を煮やした彼女がせっついて来る。


「ごめんごめん。全然嫌じゃないから」


「ホント?」


「女の子を家に入れるのがちょっと恥ずかしいんだよ。だから決して望月さんを嫌っての事じゃない。ただ単に俺がガキなだけだよ」


「私こそごめん。喫茶店以来少し感情が昂りやすくなってるって言うのかな。自分でも分かってるんだけど、不安になるとどうしてもね・・・・・」


「それは別に悪い事でも無いだろ。今まで抑制してたのが解放されて、まだその扱いに慣れてないだけだよ」


「そうかなあ。でも今はもう落ち着いてるよ。英君がフォローしてくれたおかげだね」


 満面の笑みにドキッとさせられる。やはり彼女は美人だし可愛い。確かに黙っていれば凛然として近寄りがたい雰囲気があり、どちらかといえば美人というのが似合ってた。だがここ数日でそのイメージは薄まり、彼女の言動一つひとつが可愛らしさを増長させていった。今は半々ってとこかな。

 

 こんなんで彼女を家に上げて大丈夫なのかな? 正直自身が無いけど最悪キンタローにでも助けてもらうか。猫だけど居ないよりはましだろう。


「じゃあ狭いところだけど俺の家に行きますか」


「うん。行きたい行きたい」


 そんなに喜んでもらえるなんてこちらとしても恥ずかしいけどやっぱり嬉しい。

 今日は久しぶりに学校に来てるって感じがしたな。望月さんと朝から普通に話せたし、前原さんとも会えた。憲吾や八嶋ともこれからの事を相談出来たし、協力してくれるとも言ってくれた。

 最近では考えられない事が今日一日に詰まっていた気がする。



「おい英幸」


 いつもより軽い足取りで下駄箱に赴き、靴を履き替えようとしたところで、そんな心地よく最高に近かった気分を一人の男によって台無しにされてしまった。

 

「進藤・・・・・。何の用だ? それにこんな時間に部活はどうした」


 現れた男は進藤尊。俺が辞めたバスケ部に在籍している。


「辞めたお前には関係ねえだろ。それよりお前、前原さんに嫌われたからって別な女に手を出したのか?」


 望月さんは同じクラスなので当然すぐ横に居て、外履きを下に置いたところだ。


「だったら進藤にも関係ないだろ。俺が誰と一緒に居ようが」


「ふん、さっきから見てたけど随分親し気だよな、お前ら。望月だったよな、お前も知ってるだろこいつが前原さんに何をしたかってな」


「彼は・・・」


 手を上げ彼女の言葉を制す。


「何度も言うけど俺は何もやってないし、前原さんにも嫌われてない。現に彼女とは今日会って話をしてきたところだ」


「示談でも懇願してきたのか。許してくださーい、てな」


 嫌見たらしく馬鹿にした顔つきに無性に腹が立つが、望月さんもいるし事を荒立てるつもりはない。


「お前には散々説明してきたけど、信じないならそれでいい。その代わり俺に絡むのはやめてくれ。お前もそんなに暇じゃないんだろ」


 陰で何を言っても構わない。けど面と向かって言われるのは面倒だし良い事は一つもない。


「何言ってんだよこの暴漢野郎が。どうせこの女も今からどこかに連れ込んで襲うつもりだろ」


 家に連れて行くから少しだけ当たっているけど、残りはこいつの妄想超特急だな。ああ、本当に相手をするのが面倒になって来た。元はこんな奴じゃなかったんだけどな。


「そんな事する訳ないだろ、途中まで一緒に帰るだけだ。だからもう行くから」


 外履きを履こうとすると腕を強く掴まれた。


「ふざけんな、話はまだ終わってねぇ」


「お前は何がしたいんだよ。用があるなら早く言え。聞くだけは聞いてやるから。その代わり聞いたらすぐ帰るからな」


「調子乗るなよこのクズが。さっきまでにやけ面してたくせに気持ち悪いんだよ、この犯罪者が」


「そうだー、犯罪者は学校をやめちまえ!」


 騒ぎに気付いた生徒が十人以上、遠巻きからこちらを窺がっており、そのうちの一人がヤジを浴びせてきた。


「変態は学校来んな!」

「隣の可愛い女の子、そいつに近づくと犯されるぞ」

「下着盗られてね?大丈夫か」

「いつまでも被害者ぶってんじゃないわよ。あんたが一番悪いってみんな知ってるんだから。消えろ」


 ここまで言われるのは最近は少なくなってきたけど、やはり根深く残ってるんだと実感させられる。けど味方の増えた今の俺ならまだ耐えられる。


「これで分かっただろ」


 掴んだ手を離しどや顔で顔を近づけてくる。まるで不良が威嚇してくるかのように。


「お前はこの学校の害悪でしかないんだよ。だからさっさと学校辞めちまえ。そして死ね」


 やばい我慢できない。


 

 バチン!


 乾いた音が昇降口に鳴り響く。


 叩いたのは望月さん。

 そして叩かれたのは俺の左腕。


 我慢できなかったのは俺ではなく望月さんだった。

 進藤は突然の事で呆然として口を半開きにしている。


「英君どうして・・・・・」


「一応空手の段位持ちだし、反射神経には自信があるんだよ」


「そういう事じゃなくて、どうしてこんな人庇ったの?」


「・・・・・先にここから出ようか」


 ゆっくり靴を履きながら促すと、彼女もそれに倣った。


 外野も彼女の行動に驚いたのか、もうヤジは飛んでこなかった。所詮は興味本位且つ他人に乗っかってほざいていた奴らだ。この状況を自分で変えようとする奴はいるはずもない。

 

 自分で変えようとしなかったのは俺も同じだったか・・・・・・・。


 でもあいつらを見て自分自身と重なって見える事は無い。それはあいつらは他人に嫌気がさしていて、俺は自分に嫌気をさしていた。恐らくこの違いだろう。


 振り返ることはしなかったが誰も邪魔する気配はなく、堂々と玄関を後にした。



 先日とは違い、玄関を出てからも二人は並んで歩く。しかし正門を出るまでは互いに口を開かなかった。


「さっきはビックリしたわ」


 門を出てすぐに口を開いたのは望月さん。その顔はまだ興奮している様で、少し赤みがかっている


「こっちだってちょっと驚いたよ」


「私が手を出したの、よく止められたね。私英君の死角に居たと思うんだけど」


「言ったろ、反射神経には自信があるって。それと望月さんならそろそろ限界かなとも感じてたから、意識はしてたんだよ」


「それはそれですごいわ。私の事理解してくれてるんだね」


「理解というか感覚かな?特に最近望月さんの感情の昂ぶりを目の当たりにしていたから、何となくだけどそろそろだって思えたんだよ」


「それって一種の特技じゃない? 人の感情の波みたいのが分かるのって」


「どうだろ、たぶん初めてじゃないかな。それか偶然って事もあり得るし」


「ふーん。それで今度はどうしてあいつを庇ったのか教えてくれる?」


 大した理由は無いんだけどまあいいか。


「俺が本当にあいつを庇ったと思ってる?」


「・・・・・思わない」


「だろ、だったら答えは一つしかない」


「私を・・・・庇ったの?」


「そういうこと。気持ちは嬉しかったよ。それはこれが証明してくれる」


 ブレザーの袖をまくり左手の付け根辺りを見せる。


「あ!」


「なかなか良い平手打ちだったよ。望月さんの気持ちが乗っかってた」


 付け根辺りが赤みを帯びている。それを見た彼女は申し訳なさそうにする。


「謝るのを忘れてた。ごめんなさい、それと私を庇ってくれてありがとね」


「望月さんは俺のために怒ってくれた。俺はそんな望月さんを庇った。それで良いんじゃないか」


「そうだね、あまり深く考える事でもないのかもしれないのかな」


「そうだよ。庇ったのも望月さんがあんなくだらないことに巻き込まれるのが嫌だっただけだから。それ以上でもそれ以下でもない。でもやっぱり巻き込んじゃったのかな・・・・・・」


「どうして?私は全然大丈夫だよ」


「何か嫌なヤジとかあったし、進藤も結構卑猥な事言ってただろ。気を損ねたから望月さんが怒ったわけで」


「あんなの私が被害に遭った内に入らないわ。英君が酷い事言われたから怒ったんだし、手を出したのよ。みんな勝手過ぎるし何も分かってない」


「今更だよ望月さん。でもこれからこういう事が付き纏うけど・・・・・余計な心配かな」


 元から凛々しい顔立ちは怒るとさらに際立つ。その表情に心配は無用に思えた。


「気を取り直して英君のお家へ行きますか」


「そうだな、ここから歩いて十分ちょっとだけど、喉乾いたからすぐそこのコンビニに寄ってかない?奢るよ」


「うーん、じゃあお言葉に甘えようかな」


 

 進藤のせいで気分も何もかもぶち壊されたが、隣を歩く彼女の笑顔がとても可愛らしく削られた心を癒してくれ。 


 さて、仕切り直すとしますか!

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