第28話 バナナオーレ

 運命の時、というには言葉が過ぎている気がするが、間違いなく大きな分岐点となる時間がやって来た。

 結果如何ではその後の流れの方向性が変わってしまうかもしれない重要な局面だ。

でもそれだけではなく


 四時間目の授業が終わる前から緊張感で胸が張り裂けそうになっていた。

 終了のチャイムが鳴り望月さんと視線を交わし、お互い無言で頷き合う。彼女の表情は真剣そのもので、先程の憲吾とのやり取りの時とは全く違っている。


 憲吾には前原さんと会う事を簡単に伝え、詳しいことは昨日のことも含め放課後に話すことにした。


「二人とも、もう行くからお弁当ちゃんと持ってね」


 徳瀬が少し離れた所から声を掛けてきた。


「うん。途中で飲み物を買っていこうと思うけどいいかな?」


「あーだったら俺も買っていくかな」


「分かった。じゃあ私先に行って待ってるから。ヒデ、ついでにナツにも何か飲み物買ってきてくれないかな。ナツが好きそうな物なら何でもいいよ」


「了解。お前の分も買ってやるよ。手間を掛けさせちまったのとお礼を含めてな」


「そういう事なら遠慮なく頂く。出来れば果汁系でお願いするわ」


「おう、すぐ買ってくるから。取り敢えず一階までは一緒に行くか」



 三人で一階まで降り、そこで一旦徳瀬とは別れた。

 購買や自販機は昇降口の近くにある。自販機は他にも置いてあるが、保健室に行くには購買かそこの自販機で買った方が距離的に近い。


「徳瀬はパックのリンゴジュースでいいな。前原さんはこれかな」


 迷うことなくバナナオーレを選んだ。


「前原さんバナナオーレが好きなんだ? それに何か迷わず買っていたからちょっと驚いた」


「一応小学校からの付き合いだし、徳瀬も含めてなんだかんだ仲は良かったからな。それに前原さんはミルク系が好きなんだよ。イチゴオレとか抹茶オレなんかも良く飲んでた」


「そういう友達ってなんだか羨ましい。私はどうしてもあの事があるから、仲良くなろうとしても上手くいかない事が多いの」


 言いながら少し寂し気な表情をさせて小銭を自販機に投入する。


「でも基本望月さん、見た目は憲吾が言ってた通り話し掛けにくい雰囲気はあるけど、中身は割と明るい性格なんだから、話せば皆気にしなくなるんじゃないかな」


「一緒に居る時間が多いとそれだけボロを出してしまう事がよくあるの。注意しているつもりだけど、どうしようも無いこともあるし、それで多くの友達が私から離れていったのも事実よ」


 レモンティーのボタンを押し、スカートの裾を押さえながら落ちてきた物を屈んで取り出した。立ち上がった後も顔は俯き気味だ。

 

 そうだよな。本人は慣れているとはいえ、普通じゃないものが見える時点で余計な苦労を背負っているのは明白だ。それに加え彼女の首を突っ込みたがる性格では相性が悪い気がする。


「それでなるべく他人と深く関わらないようにしていたんだね」


「そういうこと。でも事情話した英君ならもっと仲良くなりたいと思っているよ。下の名前で呼んでほしかったのもそんな願望があったからなの。男の子を下の名前で呼んだのって記憶を辿ってもアキ君くらいしか思い出せない。そう思うと私って小さな頃から他人と距離を置いていたんだなあ」


「俺からすれば逆なんだけどな」


「逆って・・・・・何となく言いたいことは分かるけど」


 悪評が広まるのと同時に、多くの人間が俺から離れて行った。その中には仲の良かった奴らも多く含まれていて、理由は違えど俺と彼女は置かれた環境が似ている。

 

「望月さんは俺から離れるどころか、自分から距離を縮めてきてくれた。事情は昨日と今日聞いて知っているけど、それでも俺は嬉しかったよ。だから俺達って望月さんが思っている以上に仲が良くなっていると思うんだよね。だから下の名前はさ、単に俺が気恥ずかしいだけで親密度とは関係ないから」


「そうなのかなあ」


「自分で言ってちょっと盛ってしまった感は否めないけど、そうだと思う。それよ早く保健室に行こうか」


「うん、行こう」


 二人とも前原さん達が待つ保健室へと足を向けた。



 


 保健室のドアに近づくと、部屋の中から楽し気な話し声が聞こえてきた。その様子に少しホッとして、緊張感が僅かずつだが自分の中で薄れていくのが分かる。

 そして声の持ち主には懐かしさを覚えた。忘れもしない前原さんの声に間違いない。


 トントン。ノックをすると話し声が止まった。


「ヒデ達かな?どうぞー」


 同時に徳瀬の声が入室を促してきた。


 一応「失礼します」と言いながらドアを開けると、二つあるベットにお互い向かい合うように座っている女生徒が居た。徳瀬と前原さんだ。


 前原さんは先程までの楽しそうな会話の雰囲気とは少し違っていて、戸惑っているように見える。徳瀬はいつも通りの感じだが、俺と前原さんを交互に見ている。


「こんにちは。ヒデくん久しぶりだね。それと望月さんもこんにちは。今日は来てくれてありがとう。それと話は彩乃から聞いてるよ。私達を心配して色々やってくれているって事」


 沈黙を嫌ったのか、最初に口を開いたのは前原さんだ。戸惑いつつも自分の意志でしっかりと言葉に出していが、どこか余所余所しさも感じられた。


「こんにちは。前原さんも久しぶり。思ったより元気そうで良かったよ」


 「思ったより」は余計だったかもしれない。よく見ると以前より痩せているのが良くわかる。もともと小柄で華奢だったが、今目の前に居る彼女の頬はやつれ、不眠症を患っているかの様にどこか気怠そうで疲れ切った顔色をしている。 

 先程聞こえていた楽しそうな会話は、から元気だった事が一目見て分かった。恐らく徳瀬の前でも心配掛けないよう無理をしているのかもしれない。そして徳瀬はそれを分かっていて、前原さんに合わせているのだろう。


「前原さんこんにちは。私も元気そうな姿を見れてホッとしている」


 俺の後ろから入ってきた望月さんも彼女の様子は見て分かっているはずだが、この場の雰囲気に合わせ、敢えてその事については触れない。

 

「二人とも、心配掛けちゃってごめんね。でももっと頑張らなきゃいけないって思ってるの。これ以上皆に迷惑かけたくないから」


 何をこれ以上頑張る必要があるというのだ。それにここまで憔悴している彼女をある程度予想はしていたものの、いざ目の前にすると自分善がりだった事を簡単に後悔させられてしまう。


「迷惑なんて掛かってないよ。それを言うなら俺の方だよ。だからごめん、本当はもっと早く会って謝りたかったけど、時間が経つに連れてどんどん言いづらくなってさ・・・・・」


 言い訳なんかしたくないのに、罪悪感の象徴である彼女を前にすると、どうしても懺悔の心が込み上がってくる。


「私もだよ。もっと早く会って話をするべきだったと・・・・・・後悔している」


「俺だって・・」

「はいはーい。その話はそこまでー」


 俺の言葉を遮り徳瀬が口を挟んできた。


「たぶんその話は永遠に終わらないと思うからそこまでにしようか。それにお互い謝ったんだから取り敢えず今はそれで良しとしましょ」


「でも」「だけど」


 俺と前原さんの声が被る。


「二人が納得していないのは分かるけど、それより他にまず伝えるべき言葉とその相手が居るんじゃない?」


 徳瀬は望月さんを見て言い、望月さんは「えっ私?」みたいな顔で戸惑っていた。


「そう・・・・だよね。望月さんが居なかったら今日こうしてヒデ君と再会出来なかったもんね」


「そうよナツ。思うところがあるのは知っているけど、それとこれは全然話が違うし、もっと先の話だと思うよ」


「べ、別に望月さんに思うところなんて無いよう。何でそんな事いうかなあ」


 思うところって何だろう? もしかして前原さんは望月さんの事をあまり良く思っていなかったって事なのか?


「もしかしたらヒデは望月さんにもう伝えたかもしれないけど、折角だからこの場でもう一度言いなよ」


 いきなり何を言ってんだ? こいつは。一対一ならともかく、他の目があると言いづらいだろ。


「それって今やらなきゃいけないか?」



「私は言うよ。望月さん、私達の事を助けようと色々動いてくれてありがとう。そしてこれからも宜しくね」


 言い淀んでいる間に前原さんが先に言ってしまった。彼女の言葉に望月さんはキョトンとて前原さんの方を見ていたが、ハッとした様子に変わる。


「わ、私はまだ何も出来てないよ。前原さんに感謝される事なんて何一つ・・・・」


「さっきも言ったけど私はヒデ君に会ってちゃんと謝りたいと思ってた。けどどうしても勇気が無くて・・・・・。彩乃にも何度も会ったほうが良いって言われてたのに、私ってば全然ダメなの」


「そ、そんなことない。誰だってやろうと思っていても、足を踏み出せないままその場から動けないことなんていくらでもあるよ。実際私もそうだったから・・・・」


 言うならこのタイミングしかないか。


「それを動かしてくれたのが望月さんだろ。だから俺からももう一度言うよ。俺の力になってくれてありがとう。おかげでわだかまりみたいのが一つ無くなったよ。だからこれからも宜しく頼む。勿論望月さんも何かあれば俺も力になりたいと思っている」


 今は助けてもらうことの方が多いかもしれないが、俺だって彼女のために何かしてあげたい。彼女の秘密を知った今なら余計にそう思える。


「二人ともありがとう。正直こういうのってあまり馴れていないからどうして良いのかわからないし、この先迷惑を掛けてしまうかもしれない。今回だって私が勝手に一人で突っ走っていたことも分かっている」


 その辺は否定できないが、そこに悪意が無いのであれば問題ない。そもそも望月深陽とはそういう人間だと理解した上で付き合っていけば、あまり気にならなくなるのではないかな。


「だから徳瀬さんも含め、私がもし同じ様に一人で突っ走る様なことがあれば言ってくれると嬉しいかな」


「じゃあ首を突っ込むことに関しては今まで通り遠慮しないって事かな?」


「英君あまり意地悪言わないでよ。二人の前でそんな事言われたらちょっと恥ずかしいし・・・・」


 頬をピンク色に染め顔を誰もいない方に背ける。自覚があるから余計恥ずかしいのだろう


「ごめん。思った事をつい口走ってしまった。でも本当のことだし、どうせなら二人に知ってもらうのもありかなって。まあ勘付いていると思うけど」


「だからってさ、もう少しオブラートにというか、そんな明け透けに言う必要ないじゃん」


 背けた顔を俺の方に向ける。その表情は言葉通り不満顔だったが、決して嫌そうな感じは無かった。要は「まったくもう」とか「しょうがないなぁ」みたいな雰囲気だ。


「だからごめんって」


 言って思わずにやけてしまったが、彼女もそんな俺を見て口角を上げた。


「お二人さん、短期間でどうやってそこまで仲が良くなったか敢えて問わないけど、もう少し状況は考えようね」


 やれやれ顔で口を挟んできた徳瀬。その向かいには少し寂しそうな表情をさせた前原さんが俺達の方を見ていた。


「ごめんなさい。こんなどうでも良い話、今するべきでは無かったよね」


「俺も悪かった。何というかもう少し気を遣うところだったな」


「そこまでは言ってないけど・・・・・まあ望月さんとは後で話をするからいいか」


「うん?彩乃、望月さんに話ってなーに?」


「ナツは気にしなくてもいいわ。そんな大した話じゃないからここでいう事でもない」


「彩乃、私にあまり隠し事はしないでってお願いしたよね。本当はこんなこと言えた義理は無いけれど、どうしても不安になってしまうの・・・・・」


 前原さんが一番頼りにしているのは間違いなく徳瀬だ。平常時ならともかく、そんな彼女に精神が安定していない状態で隠し事をされるというのは、気持ちが穏やかでいられないのは良く分かる。


「ナツ・・・・・。じゃあ後で何の話をしたかちゃんと言うからそれでいい?」


「・・・・・分かった。後でちゃんと教えてね。約束だよ」


 それでもまだ納得はしていなそうだったが、前原さんは了承した。

 徳瀬も心苦しいところがあるのか、苦々しい表情を浮かべている。彼女はいつもこんな風に前原さんに気を遣っているのだろうな。


「それじゃあご飯食べないか? それと二人のジュース渡しておく」


 前原さんと徳瀬に買ってきた飲み物を手渡した。


「サンキュー」


「ありがとう。私が好きなもの覚えていてくれたんだね」


バナナオーレを手に取り、まじまじとそれを見ながら言った。


「言うほど昔じゃないし、そのくらい覚えてるよ」


「うん、そうだね。でも今日まですごく長かった気もするし・・・・・」


「それより二人ともそこにある椅子と机を持ってきなよ。私とナツはいつも伊丹先生の机を借りてお昼食べているから」


 ドアから入って左側を指さす。そこには教室で使われるのと同じ机と椅子が二組おいてあった。

 伊丹先生って確か養護の先生だったか。


「了解。先生の机の脇に置けばいいのか」


 机を一つ持ちながら置き場所の確認をする。


「空いているスペースならどこでもいいんじゃない。昨日は先生の机と少し離して食べたわ。机の高さが違うから、離した方が喋りやすいのよ」


 そういえば一昨日あたりから徳瀬以外にも前原さんと一緒にご飯食べるって言ってたな。


「分かった。この辺でいいか?」


机二つ分話したところに置く。


「そんなもんじゃない」


「OK。すぐ準備する」


振り向くと望月さんがもう一つの机を両手で持っていた。それを俺が置いた真横に置き、その間に俺は椅子を二人分運んだ。



 前原さんは先生の椅子に座り。側面には徳瀬が少し高めの椅子に座って机を共有していた。俺達と徳瀬は向かい合う形だ。

 俺は左、望月さんは右側の席に座り、教室とは反対の配置になった。


 各々お昼の準備をし、では食べようか、という時それに気付いた。前原さんの前には袋に入ったコッペパンみたいのが一つあるだけだった。


「えっと、前原さんのお昼ってそれだけ?」


 言った瞬間「余計なことを言った」と思ったが遅かった。食事が喉を通らないのだから痩せているのに、無神経なことを訊いてしまった。


「うん。でも最近は以前よりは食べられるようになったよ。それに今日はヒデ君の顔を見られたから更に食欲が湧いてきた気がするの。と言ってもこれしかないけどね」


「だったら私の少し食べてみない?」


 望月さんが蓋を開けた弁当箱を持ち上げて中身を見せてくる。入っていたのはサンドイッチと他のおかずがいくつかあった。


「なんか催促しちゃったみたいでごめんね。それに私が食べちゃったら望月さんが足りなくなるでしょう」


「大丈夫よ。少しくらい減っても我慢するうちに入らないし、食べられるときには食べた方が良いよ」


「だったら俺の分も少し食べるか?まだ手を付けてないし、前原さん卵焼き好きだったよね」


 望月さんに倣って弁当箱を持ち上げた。


「そんなには食べられないよ。けど折角だからサンドイッチは頂こうかな」


「いいよ、好きなのを選んで取って。と言ってもツナと玉子サンドしかないけど」


 距離的にお互いが手を伸ばしても届かないので、前原さんの方がいち早く立ち上がってこちらに近づき、「ありがとう」と玉子サンドを一つ手に取る。


 その時だった。望月さんも立ち上がり前原さんの耳元に口を近づけ、何かを囁いた。ボソボソと聞こえるだけで内容は全く聞こえなかった。


 囁かれた方は一歩後ろに下がり、囁いた方の顔を驚きと戸惑いの表情で見つめる。反対に囁いた方は、囁かれた方の顔を何か試すような表情で見ていた。


「ナツ、どうかしたの?」


「ううん、何でもない。ちょっと驚いただけ」


「望月さん、前原さんに何か言ったの?」


「本当に何でもないから。は、早く食べよう」


 望月さんに質問したのだが、応答したのはなぜか前原さんだった。明らかに動揺している彼女に聞くのは気が引けるのでそれ以上は何も言わなかった。


 望月さんの方はまだ彼女を見ていたが、前原さんが席に戻るなり視線をこちらによこして何か言いたげな顔をしていた。

 

「時間無くなっちゃうし早く食べようよ」


「そうだよ、食べよう食べよう」


 徳瀬が催促し、前原さんがそれに乗っかっり「頂きまーす」とそれぞれ食べ始めた。



それから食事中に船林家の話題になり、流れから杏莉が今家に居候していることを話す事になった。

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