第25話 駆け引きを知らずにハッタリを
「兄貴起きろよ遅刻するぞ」
和幸の声がドア越しから聞こえてくる。時刻は七時十五分、昨日よりは少し余裕がある。
今朝はスマホのアラームでも起きる事が出来なかった。
二日連続で弟に起こされてしまうなんて、情けない兄貴だな全くもって。まあ昨日は寝坊した訳じゃないんだけど。
昨夜遅い夕食を取ってから憲吾に連絡していないことを思い出した。部屋に戻ってからメッセージでお礼と簡単な説明だけ送ると、『明日詳しく聞く』と返事が来た。
その後急いでシャワーを浴び、出された課題を終わらてせベットに潜ったのは午前一時半過ぎだった。
「悪いな和幸、また迷惑かけちまったな」
何も言わずに足音がドアから離れていく。
「さて」とベットから降りひとり呟く。
昨日は遠出と夜更かしをしたから少しだけ体が重いが、心の中は昨日よりスッキリしていたので気分はどちらかと言えば良い。
スマホを見ると望月さんからメッセージが来ていたようで、送られてきたのは朝の六時頃になっていた。
『おはよう、そしてごめんなさい。昨日はあの後すぐに寝てしまったので気付けませんでした。課題は朝早く起きてから終わらせたので心配しなくても大丈夫です。それでは今日学校で』
昨日返信が来なくて少し心配したけど大丈夫だったんだな。それにしても早起きだな課題二日分だと二時間くらいは掛かるんじゃないか? 一体何時に起きたんだろう。それに今頃は電車に乗って学校へ向かっているはずだよな。毎日大変そうだ。
窓を開けると昨日と同じく晴天で、予報ではあと数日は続くらしい。
昨日は裏切られた期待。今日は信じてみても良いのだろうか?
朝食を取りにリビングに入ると、いつも通りの光景が目に入る。
母は忙しなく家事を行っており部屋を行ったり来たりしていて、杏莉は朝食を食べ終え食器を洗い始めていた。
ダイニングのテーブルには朝食のご飯と味噌汁、それに目玉焼きにサラダがすでに準備されていたので席に着いた。
「おはよう」と挨拶すると母と杏莉が返してくれた。まだ食事中の和幸はボソッと返してくれたような気がする。
「英にぃ明日の予定、今日中には分かるんだよね?」
「いただきます」とご飯を食べ始めてから少しすると、洗い物を終わらせた杏莉が訊いてきた。
「ああ、わかると思う。もしダメそうなら決まった時点で早めに連絡するよ」
「うん、でも別に急がなくてもいいよ。部活自体は学校のシューズがあれば出来るから、明日行けないなら来週にでも友達と行くから」
「すまんな。まあ大丈夫だと思うけど一応な。それと和幸、お前は部活どこにするんだ?」
こいつは小学校の時、運動系の習い事はやってなかったから文化系にでもいくのかな。
「・・・・・別にまだ決めてねーよ。それに兄貴には関係ないだろ」
「そりゃそうだ。何となく聞いただけだからそんなに怒るなよ」
「えー和君バスケ部に入るって言ってたじゃん。何で隠すの」
「お、おいバカ杏莉、余計な事言うな。それにまだ決めた訳じゃねーし」
「だってこの間バッシュ一緒に買いに行こうって誘ったら、お前とは行かないって言ってたじゃん」
「ちげーよ、土曜日は行けないって言っただけだろ。勝手に話作るな!」
いつも朝はテンションが低い和幸には珍しく声を荒げている。余程痛いところを突かれたんだな。
「じゃあ別の日だったら一緒に行ってくれるの?だったら英にぃには悪いけど和君の予定に合わせても良いよ」
「俺は忙しいから無理だよ。黙って明日兄貴と行ってこい」
「もしかして和君、女の子と一緒に買い物行くのが恥ずかしいんでしょう?私は男子と行っても全然構わないんだけどなあ。もし英にぃが明日ダメだったらクラスの男の子誘って連れて行ってもらおうかな」
こりゃ完全に分かっていて杏莉は和幸を揶揄っているな。もしかしたら本当は和幸と行きたかったのかも。
「ふん、勝手にすれば良いだろ。お前が誰と行こうと関係ねえや。俺だって明日クラスの女子と遊びに行く予定だし、全然恥ずかしくないから」
「え?」
「なにをそんなに驚いてるんだ? まさか俺が本当に女子と出かけるなんて思っても無かったのか」
「へー和君がねぇ。うんちょっとビックリした。それで何ていう子? 可愛いの? もしかしてもう付き合っちゃたりするの?」
いやいやたぶん和幸のハッタリだろ。そうだとしたらそれは失敗だと思うぞ。好きな女の子の前で強がりたいのは分かるけど、いくら何でも墓穴を掘りすぎだろ。
本当だったら杏莉に対して今後アプローチしにくくなるだろうし、嘘がばれたらそれこそ馬鹿にされてしまう。まあ杏莉ならそこまで酷いことは言わないと思うけど。
それとも目の前のやり取りは恋の駆け引きってやつなのか? 杏莉なら十分あり得るけど、彼女の想い人が誰なのか俺には分からんから何とも言ない。けど和幸は明らかに杏莉に傾いているから可能性はある。が、あいつにそんなスペックが搭載されている訳ないか。
これに関してはおれはノータッチだな。好きにやってくれとしか言えん。
「そんなんじゃねえよ。仲の良い男女数人で遊びに行くだけだから」
「なーんだ、つまんないの」
「別につまらなくは無いだろ。ていうかごちそうさま」
そう言って急いで食器を片付け、逃げるように出て行った。
あはは、と笑いながら俺の隣に座る杏莉。
「あー面白かった」
「おい杏莉。あまり弟をいじめてくれるなよ。見ていて可哀そうだったぞ」
「いじめてなんかないよ。面白いから少し揶揄っただけだよ」
「同じ事だろう。それで杏莉はどうなんだ?」
この際だそれとなく訊いてみるか。
「ん、どっち。私が男の子と遊びに行くこと? それとも和君が女の事遊びに行く事をどう思っているかってことかな」
「両方、かな。でも強いていうなら和幸の方になるな」
「えへー、英にぃも私の事が気になるんだ?」
「も、てことはやっぱり気付いているのか。和幸の事」
「うーん何となくかな。少なくとも好意は持たれているのは分かるよ。だって男の子って単純でしょ」
「はは、そうだな、俺もそう思うよ。男は本当に単純で馬鹿だなってな。でもだからこそ言うんだが、あまり追い詰めるようなことはするなよ。杏莉はその辺分かっていると思うけど」
「うん。でもね英にぃ、出来れば和君とはしばらく今のままの関係でいたいの。学校じゃまだ和君みたいにああやって言い合える友達がいないからさ。それに和君がどこか私にまだ気を使っているのが分かるの。ああ見えて結構気に掛けてくれてね、色々なところで助けられてる。でもそれを本人は必死に隠しているの。だからかなあ、和君に甘えてしまうのは。自分でもダメだって分かっているんだけど、正直もう少し甘えていたいというのが本音だよ」
「結局は二人の事だから本来口を挟むべきではないと思うし、杏莉がそこまで考えているならこれ以上は何も聞かないし、何も言わない事にするよ。勿論和幸には黙っておくから」
「ふふ、お互い秘密が出来ちゃったね。二人だけの」
「ん、何のことだ?」
「忘れちゃったの? 昨日の女の勘だよ」
「あ、あれか・・・・・昨日のは別にそういうのじゃないんだけどな」
「でも女の子に会っていたのはは否定しないんでしょ。それとも春子さんに喋ってもいいのかなあ」
「杏莉ちゃん呼んだー?」
タイミングよくリビングに入ってきた母の耳に杏莉の言葉が届いたらしい。
「ううっ、それだけはやめてください杏莉さん。明日何か奢りますから」
隣に座る杏莉に小声で懇願する。
「春子さん何でもないですー」
「そうなの」と大して気にした様子もなく家事を続ける母。
「それじゃあ明日楽しみにしてるね。何をごちそうしてもらおうかなあ?」
「何度も言うけどあまり期待はするなよ。それに高いもんは無しで」
「分かってるって英にぃ」
席を立ちポニーテールを揺らしながらまたキッチンへ向かう。和幸の使った食器を洗うみたいだ。それを見て俺も急いで食事を済ませて流しへと運び、部屋へと戻った。
身支度を済ませ、少し早めに学校へと向かう。昨日二階の玄関から入ったので、今朝はそこから家を出た。
少し寝坊してしまったが、いつも余裕をもって朝起きているので慌てる時間でもなかった。
早く出たのは朝食を済ませ部屋に戻った時、望月さんからメッセージが届いたからだ。
『もっと早く言えば良かったのだけど、HR前に少し話し出来ないかな?』
俺はてっきり昼休みぐらいかと思っていたけど、よく考えれば前原さんに会うには昼休みしかない。彼女は皆より朝少し遅れて登校し、帰りもHRの時間中には帰宅している。学校側の配慮みたいだ。だから学校で会えるチャンスは昼休みしかない。彼女の家は知っているが、押しかけるには勇気がいる。最悪徳瀬に頼んで学校外で会う事は可能だと思うけど、学校で会うことにも意味がある気がする。
時刻はまだ八時前。学校へは走れば十分掛からないで着く。
『分かった。八時十分前には着く。場所は教室ではなく同じ校舎の屋上入り口で良いかな?』
『私もその頃に着くと思う』
そこでやり取りを終え急いで出ることとなった。
学校には八時五分ごろに到着した。走ってきたので「ゼーゼー」と呼吸が苦しかったがので、昇降口で少しだけ息をつく。約束の場所、昨日八嶋と話をした校舎はこことは別の建物で少しだけ距離がある。下駄箱を見ると望月さんは既に登校してるようだった。
あまり時間は無いので、そこからまた走って向かうことにした。
急いては事を仕損じる。それが一瞬頭に過った。
昨日も同じことを考えたっけな。でもよく考えたら今の状況はちょっと違うな。急いではいるけどまだ何も失敗したわけではない。向こうが勝手にやって来ただけで俺は悪くないはずだ。
「船林先輩?」
急いで屋上へ向かっているところ、すれ違った生徒に後ろから声を掛けられ思わず足を止めてしまったのだ。
無視しても良かったのだが反射的に足を止め振り返ってしまった時点で遅かった。ここで無視してしまったら相手に不快感を与えてしまう。
声で分かっていたが振り返った先には女生徒が居た。ネクタイの色が青なので一年と分かるが、見覚えのない女の子だった。彼女との距離はおよそ十メートルくらいだろうか。
黒髪におさげ、お洒落ではなくどこか野暮ったい眼鏡をしている。背の高さは杏莉と和幸の間くらいだろうか。全体的に典型的な文学少女ぽく見える。
「えっと誰だっけ?」
「やっぱり私の事なんか覚えてないですよね・・・・」
「ごめん、どこかで会ったことあるっけ?」
「同じ中学の奈良崎華です。源一さんのところで護身術を一時期習っていました」
「奈良崎・・・・爺ちゃんの・・・・あっ、ザキか!」
源一は爺ちゃんの名前で、道場ではよくそう呼ばれている。
しかしこの子は本当にザキか? あいつはこんな地味な格好はしていなかったし、そもそも眼鏡をしている姿を見たことがない。髪も少し明るくしていた気がする。
「そうです道場ではザキと呼ばれていました。思い出してくれましたか、先輩」
確かに名前は思い出したけど本当に本人か?俺の記憶と全然イメージが違い過ぎる。
「お前本当にザキか・・・・・。悪い、疑うのは失礼だな。けど今は時間がないから話があるなら後でも構わないか?」
「そ、そうですよね。先輩急いでいたみたいなのに呼び止めてすいません」
深々と頭を下げおさげを前後に揺らしている。
「悪いな。また今度声を・・・・・いやしばらくは俺を見かけても声を掛けない方が良い。もし大事な用があるなら別なところで聞くよ」
「え、え?・・・・・はい、先輩がそう言うなら・・・・・」
「じゃあ急ぐから、また今度な」
返事を待たずに踵を返して待ち合わせ場所へ向かって走り出した。道中変貌したザキの事が気になったが、三階を上がった頃には頭を切り替えた。
約束の屋上入り口。
そこには三日ぶりに見た制服姿の望月さんが待っていた。
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