第19話 特別だけどケチ(深陽の回想 3)

  お祖父さんとお店でおそばを食べたあと家に戻ってきた。


 家に入る前に久しぶりに会った犬のゴンタと戯れた。尻尾を大きく振りながらペロペロと私の顔を舐めてくるゴンタの勢いに圧倒されているところを、途中でお祖父さんが制してくれた。

 一通り遊んだが散歩の時間にはまだ早いので、お祖父さんと夕方に一緒に行く約束をしてから家の中に入った。


「暑いなー、アイスでも食べるか?」


 居間には入らず二人して玄関からすぐ近くの縁側に並んで腰かけて一息つく。お祖母ちゃんの部屋は廊下を曲がった先にあるのでここからは見えない。


「ううんだいじょうぶだよ。あとでたべる」


 本当は暑くて食べたい気持ちはあったが、今はお祖母さんの部屋に行くことで頭がいっぱいだった。


「そうか・・・・・・ところでミヨ、婆さんに会いたいか?」


 急に振られた問いにすぐ答えることが出来なかった。

 会いたいに決まっている。そのためにここに来たのだから。でもいざとなって躊躇ってしまう自分がいる。


 本当にお祖母さんはにこの家にいるのだろうか?随分と会っていないせいで迷いがあった。

 もしかしたら大人が言っている通り病院に居るのかもしれないし、そうじゃないかもしれない。

 その頃の私は、人が死んだら皆お墓に入るっていうことをあまり良く理解していなかった。

 でももうすでにお祖母ちゃんは亡くなっていて、さっき行ったお墓に居たのかもしれないと何となくだが感じ始めてもいたのも事実だった。


「あいたい、けど・・・・」


「本当は婆さんに会いたくて来たんだろう」


 見透かしたように言ったセリフに罪悪感を覚えた。私がお祖父さんを蔑ろにしているみたいで胸が苦しくなる。


「悪い悪い、言い方がまずかったな・・・・・・たぶん婆さんもお前に会いたがっている。だから会っていかないか?」


 俯いた私にばつが悪かったのか、私が答えやすい問い掛けに変えてくれた。

 しかし真実を知るのが怖くて私はまだ躊躇っていた。だがそれでも訊かずにはいられなかった。


「おばあちゃん・・・・・・・おばあちゃんほんとうはどこにいるの?」


 問い返した私の頭をそっと撫でる。


「爺ちゃんにとっての婆さんはもう居ない。もちろん心の中には婆さんとの想い出が沢山詰まっているぞ。でもミヨの質問の意味はそういうことじゃないのだろう?だったらそれは自分で確かめるしかない。辛いかもしれないがそろそろ向かい合ってもいいんじゃないかと思っている」


「・・・・・・もういないの?」


 お祖父さんはハッキリと「居ない」と言ってくれた。今まで私に気を使っていたのか、そう言ってくれた人は今まで誰もいなかった。

 突きつけられた現実。でもお祖父さんから告げられた真実は不思議と心にストンと収まった。頭から伝わってくる手のぬくもりのおかげかもしれないし、現実に気づき始めていたことが影響したのかもしれない。


「爺ちゃんにとってはな。でもミヨにはまだ居るかもしれないんだろう?だったらそれを確かめるしかないぞ。ミヨには少し難しいかもしれんが、向き合えって言ったのは現実を見ろって意味じゃない。向かい合ったその先の事を言ってるのだよ。ミヨはもしこの後婆さんに会えたとしたら聞かずにいられないことがあるんだろう?」


 現実という蓋に手をかけた私は、お祖母ちゃんに会えたらきっと訊いてしまうだろう。「お祖母ちゃんはもう死んでいるの?」と。


 他人に見えないものが私には見えるのかもしれない。でも確信はない。どうやったら確信を持てるかなんて幼い私に分かる訳がなかった。

 だからお祖父さんは幼い私には酷だと知りつつも、これから先の事を考えてあえて言ったのだと思う。


 向き合えと。



「おじいちゃん」


 頭にのせられたお祖父さんの手を自分の右手で掴み頭からゆっくり降ろした。


「なんだ婆さんのところにいく覚悟が出来たのか」


「うん、ミヨおばあさんにあいにいく」


「そうか、爺ちゃんはここで待ってるけど一人で大丈夫か?」


「だいじょうぶ、わたしちゃんとおはなししてくる」


「わかった、それならもう何も言うことはない。早く行っておいで」


 本当は覚悟が出来ていたか分からない。初めて知った現実。単純な好奇心。お祖母ちゃんに会いたいという想い。これから先の事。色々なことが入り混じって体中が混沌としている感じだった。

 

 だからこそ行くのだと思う。会わなければ何も変わらない事だけは分かっていたから。






 お祖母ちゃんがいつもいる部屋の前。引き戸に手を掛けあとは横にスライドさせるだけで全てが終わり、全てが始まる。相反しているが私は矛盾しているとは思っていない。


 思えばお祖母ちゃんはこの部屋でしかあったことがない。初めて会った時の記憶はなかった。たぶんもっと小さい頃から会っていたのかもしれないが定かではない。

 私が会えるとしたらこの部屋でしかない。扉に手を掛けた私は直感的にそう思った。


 そしてゆっくりと扉をスライドさせ・・・・・・




 目に入ってきたのは大きな箪笥とその脇に重ねられた座布団。窓に取り付けられた濃い緑色のカーテン。壁の上の方には額縁に入れられたA4サイズ位の顔写真が数枚並んでいて、その中にお祖母ちゃんの写真もあった。そしてその真下には黒を基調としたものが設置されている。時折お線香が炊かれており、お饅頭やお菓子などがいつも置いてあった。今も見たことのあるお菓子が置いてある。


 この部屋のいつもの光景だった。

 お祖母さんが居ないことを除いては。


 

 「おばあちゃん・・・・・」


 掠れてしまったその声を拾うものはどこにもいない。

 どうしていいのか分からなくなり膝から崩れ落ちた。

 お祖母ちゃんに会いたかった。もっとお祖母ちゃんとお話したかった。

 

 ここ以外でお祖母ちゃんに会えるところを私は知らない。

 お爺さんは言葉を濁したが、お祖母ちゃんは死んだとハッキリと言った。

 

 優しくない現実に目を背けたい私は、畳に両腕を付けそこに顔を埋めた。

  

「おばあちゃん・・・・どこにいるの?」


 もう一度声に出してみるがやはり返ってくるものは無い。


 顔が熱くなり畳には汗ではない別の水滴がポタポタと落ちていく。それに気付くと余計に悲しくなり、とうとう声に上げて大泣きしてしまった。


「うあーん、おばあじゃーん」


「はいはいお祖母ちゃんですよ」


「え?」


「ミーちゃんはいつから泣き虫さんになったのかしら?」


「おばあちゃん?」


 顔を上げるとついさっきまで居なかったお婆ちゃんの姿が目の前にあった。最後に見た姿と同じく畳の上で正座していた。


「泣き虫ミーちゃんのお婆ちゃんですよー。ミーちゃんは何で泣いてたのかしらねえ」


「ヒック・・だっておばあちゃんともう・・ヒック・・もうあえないとおもったらかなしくて・・・」


「あらあらそうだったの。お婆ちゃんはここにいますから安心してくださいね。だからもう泣かないの」


 お祖父さんみたいに手を触れてくれている訳ではないのに不思議と暖かいものが伝わってくる。


「もうないてないもん」


 右手で目をゴシゴシと擦り涙を拭った。


「ミーちゃん久しぶり?かしら」


「そうだよ。ずっとあえなかったんだから。おとうさんもおかあさんも、それにおじいちゃんもこのへやにはいっちゃダメだって。だけどきょうはおじいちゃんがいいよっていってくれたからはいれたの」


「そうだったのね。それでお爺さんはなんて言っていたのかしら」


「うんとね、おじいちゃんにはおばあちゃんがもういないっていってたの。でもわたしにはまだいるかもっていってくれたの。だからよくわからないけどむきあいなさいって」


「お爺さんが・・・・。それでミーちゃんはお祖母ちゃんとあえてどうだった?」


「あえてうれしいにきまってるでしょ。どうしてさっきはおへやにいなかったの?それにおばあちゃんどこにいたの?」


「ふふ、嬉しいわね。私もミーちゃんに会えて本当にうれしいわ。どこに居たかって言われてもずっとここに居たとしか言えないかな」


「えー、だってへやあけたときいなかったよ。もしかしてへやのそとからはいってきたの」


「ずっとここに居たよ。気付いたら泣いているミヨが目の前に居たってとこかしら」


「きづいたら?」


「そう、気付いたらミヨがいたの」


「じゃあそのまえは?わたしがきていなかったあいだもずっとここにいたの?」


「そう言うことになるかしらねえ。でも正直記憶が曖昧なのよ。ミヨと会ったのがつい昨日のようにも思えるし、ずっと会っていなかったような気もするの。不思議よね」


「・・・・・・ねえおばあちゃん。おばあちゃんのことおじいちゃんもおかあさんもおとうさんもみえないみたいなの。でもわたしはこうやってみえてるしおしゃべりだってできるのに・・・・・ 」


「そうみたいだねえ」


「きょうねおじいちゃんとおはかにいってきたの。こいがいっぱいいるところの。それでねまえにおとうさんがこのおはかにはおばあちゃんもねむってるっていってたの。でもそのときおばあちゃんこのいえにいたし、おかしいなっておもったの・・・・・・」


 おばあちゃんは顔色を変えず黙して話を聞いている。 


「おばあちゃんってもうしんじゃってるの?いまいるおばあちゃんはゆうれいなの?」


 一番聞きたかったことだ。もう結果は殆ど出ている様なものだがそれでも別な答えをどこかで期待していた。


「正直私にもよくわからないのよ。でも死んじゃっているのは間違いないけど。実感がないというか,死んだ時のことを全く覚えていないの」


「おぼえてないのにしんじゃったってわかるの?」


「だってそう考えるしかないのよ。こうやってお話し出来るのはみーちゃんだけだし、お爺ちゃんやミーちゃんのお父さんもお母さんも見えていないみたいだし私の声も届かないみたいだわ」


「じゃあおばあちゃんほんとうにしんじゃってるんだ・・・・・。ねえなんでこのへやにしかいられないの。おそとにでられないの?」


 もしアキ君も同じだったらお婆ちゃんも外に出られるはず。


「出ようとしたこともあったけど無理ね。出ようとすると体が動かなくなるのよ。なぜだかわからないけどね」


「ミヨわからない。おばあちゃんここにいるのに、おはなしできるのにしんじゃってるなんてぜんぜんわかんないよ」


「ねえミーちゃん。一つ聞いていい?私と同じような、あなたにしか見えない事ってほかにもあった?」


「もしかしたらアキ君もわたしにしかみえていないかもしれない。きのうもおともだちに「アキ君ってだれ」っていわれたの。おかあさんもようすがなんだかへんだった」


「そう・・・・」


「あとね、アキ君にはかげがなかったの。おばあちゃんとおなじかも」

 

 窓から差し込む明かりが私に影を作っている。しかしお婆ちゃんにはそれが無い事を言っているうちに気付く。


「私だけじゃなかったのね。もしかしたらもっと他にもいるかもしれないわ。みーちゃんは大丈夫なの?」


「わからないよ。だっていままできにしたことなんてなかったもん。おばあちゃんがはじめてなの」


 ここでしばらく会話が途切れる。お祖母ちゃんは何かを考えている様子でこちらをずっと見ていた。私もお祖母ちゃんと目を合わせたまま黙っていた。


「このこと誰かに話すのかしら?」


 口を開いたのはお祖母ちゃんだった。


「うーんたぶんおじいちゃんには、はなすとおもう。おじいちゃんはきっとミヨのはなしをしんじてくれるとおもうから」


「そうねお爺ちゃんならミヨの事信じると思うわ。だけど念のため後押ししてあげる」


 そう言ってお祖母ちゃんは私にある事を教えてくれた。

 

 

 その後もずっと会えなかった分お祖母ちゃんといっぱい話をして、気付いたら夕方になっていた。

 そろそろお母さんが着替えを持ってこの家に来るかもしれないと伝えた。


「お爺さんも心配しているころだと思うから一旦あっちに行きなさい」


「またすぐくるよ。おばあちゃんちゃんといるよね。またいなくならないよね?」


「大丈夫よミヨ。いなくならないって約束してあげる」


「ホント?やくそくだよ」


「じゃあ前みたい約束が叶うおまじないを掛けてあげる。だからまた目を閉じて、良いよって言うまで開けちゃダメだからね」


「まえやったやつとおなじだね!わかったちゃんとめを閉じてるから」



 目を瞑って直ぐに以前感じたのと同じ感覚が体中に再現された。暖かくて心地よく、優しい気持ちが込み上げてきて、しばしの間この感覚を楽しんでいた。

 黙っていると本当に寝てしまいそうになる


「開けていいわよ」


 目を開けるとやはり以前と同じくお祖母ちゃんが目の前に座っていた。


「おばあちゃんなにをしたの?」


「ふふふ、それはね・・・・・・・秘密よ」


「えー、またひみつなのー。おばあちゃんのケチ」


「ミヨが大きくなったらきっとわかる時が来るわ。そう遠くない未来にね。それより早くお爺ちゃんのところに行きなさい」


「うん、またあとでね」



 その後お爺さんに事の顛末を話し、その途中でお母さんが着替えを持ってきたけどお婆ちゃんの話をすることはしなかった。お爺さんが内緒にしてくれると言ったので二人だけの秘密になった。

 そして何があっても味方で居てくれると私の頭をなでながら約束してくれたお祖父ちゃんは、私の中で特別な大好きになった。



 お爺さんとゴンタの散歩を一緒に行った後、再びお祖母ちゃんの部屋に行ったけれど、何度呼んでもお祖母ちゃんが出てくることは無かった。


 だけどお祖母ちゃんと交わしたあの約束があったから、寂しいけれど涙は出ださなかった。

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