第16話 エゴバックと退学届け
二人無言で交差点の横断歩道を渡り海に向かって歩く。
望月さんの家方向とは違って街灯は少なく建物は海が近づくにつれ寂しくなってきた。
「今日は来てくれてありがとう。正直に言うと私もちゃんと話をしなきゃって思ってたの」
波の音は近づいてきているが、まだ海までは少し距離がありそうだ。
互いのわだかまりを掠めように浜風が二人の間を通り抜けてゆく。
「俺もそうだよ。望月さんに謝るのもそうだけど、本当はもっと望月さんのことを知りたい。だからまず・・・・」
足を止めるとつられて彼女も止まった。あたりには既に建物がなく、道路の両側には松林になっている。頭を下げると風で飛ばされてきたのか足元には砂が見えた。
「おとといは望月さんの気持ちも考えずあんな酷いこと言って本当にごめん。それにこれで許してもらおうなんて思ってない」
頭を上げ彼女を見ると凛としていたはずの眉尻が下がっていた。
「辛い思いをさせたことは本当に後悔しているんだ。迷惑かもしれないけどキチンと償いたい。だから俺に出来ることならなんだってやるよ」
「なんでも・・・・・。この間私がお願いしたことも?」
前原さんとのことだろう。なんでもやる、の中には当然それも含んでいた。けど答えを出すにはまだ早い。
「意地悪いちゃったね、ごめん。だから私にも謝らせて」
同じように頭を下げ
「私も無神経なことを言ったり、船林君に辛いお願いをしたりしてごめんなさい。配慮が全然足りてなかった。でも・・・・・・・」
そこで頭を上げるが続きは中々出てこなかった。
「なんか二人とも誤ってばっかりだな。お互いが加害者でもあり被害者でもあるみたいに。当事者の俺達だけでは平行線のままになりそうだね」
痺れを切らした訳でも沈黙に耐えられなかった訳でもない。互いに伝えたかった思いを吐き出すことが出来た今の状況は決して嫌なものではなく、安堵感から自然と言葉が出た。
「・・・ホントだね。このまま謝り続けても前に進めないのは分かっているのに」
「フフフ」
「ハハッ」
自嘲気味な少し湿度の低い笑い声は、その海のほうから時強く吹いた風に流されていった。
「もうちょっと歩こうか。砂浜まで行けば座れるところもあるから、そこでもう少しお話しましょ」
「そうだね、立ち話もなんだしな」
再び波が聞こえる方へ歩き出した。
松林を抜けるのと同じくらいで道は終わっており砂浜が広がっていた。街灯は途中で無くなり少しの間だけ暗い道を歩いてきた。その砂浜と松林の切れ目のところになぜかバスケットゴールが設置してある。ゴールは一つだけだが周りには3×3が出来るくらいにはアスファルトが舗装されていた。
その辺りを照らすように街灯とは少し違う投光器のようなものが幾つか設置されていて、この時間でもバスケをすることが出来そうだ。
「バスケ、辞めちゃったんだよね・・・・」
「ああ、二年に上がる前に退部届を出したよ」
ゴールの方を見ていたからだろうか、望月さんが聞いてきた。
高校から始めたバスケ部。どこに入るか別段決めていなかった俺は同じ中学の奴に誘われて入部していた。高校から始めたので上手くはなかったけど、夢中になれるくらいには面白かった。
「そこに座ろうか」
バスケットコーから海側へ少し離れたところにベンチがあった。ベンチは一般的なもので、大人が3人座るにちょうどいいくらいの大きさだ。
ベンチの上に晒された砂をポケットから出したハンカチで払い除けた。
「ありがとう」
「いいよ別に。それよりなんか飲むもの買ってくればよかったかな」
「私持ってきたよ。コーヒーとお茶どっちがいい?」
手に持っていたエコバックみたいな袋から二つの缶を取り出してこちらに見せてきた。
「準備がいいね、それじゃあコーヒー頂いてもいいかな」
缶を受け取り一人分間を空けてベンチに座る。互いにプルタブを開けて一口ずつ飲む。
投光器の明かりが望月さんの横顔を捉えている。俺の反対側からなのでこちらは陰になっていて、隈があるせいか弱っているようにも見えた。
「あのね、さっき船林君、私のこと知りたいって言ったでしょ」
「うん言ったね」
「私も知りたいの、船林君のことを。ズルいかもしれないけど先にあなたのことを教えてほしい。私今日はあの時の・・・・・ううん、二月の事も含めて言えなかったことを全部話そうと思うの。だから船林君の事をちゃんと知ってから話したい」
「俺の事?」
「そう船林君の事。私学校で見ている時のあなたしか知らないから」
「うーん、俺の事って言ってもたいした話なんてできないよ。何が好きで何が嫌いとか?」
「うん、なんでもいいよ。私は知らなさ過ぎたの。関わるには何もかもが足りなくて船林君を苦しめてしまったから・・・・」を
「・・・分かった。望月さんが必要だと思うならそうするよ。でも少し長くなるけどいいかな?たいした話は無いって言ったけど、小さい頃からのことを話そうと思うから。それで望月さんが知りたいこと伝えられるかわからないけどね」
「ありがとう。時間は大丈夫だから・・・あっ、船林君のほうは時間大丈夫じゃないのか」
「ああ俺の方は大丈夫だよ。遅くなるって家に伝えてあるし高校生だから家族もそんな心配なんかしないよ」
「ならいいけど・・・・・じゃあ聞かせてもらえるかな」
そこから小さい頃の俺がどんな奴だったか、小学校に上がる前から中学まで空手や護身術を主に爺さんから教わっていたこと。姉には逆らえなくて、弟は周りに可愛がれていて俺はどちらかというと蔑ろにされていたこと。でもそれは杏里が我が家に来てから変わってきたこと。猫を飼っていて家族みんなになついていること。上の姉は実は親に内緒で男と同棲していること。
杏里のことも少し詳しく話した。理由は言わなかったが通っていた小学校で理不尽なことがあったことや我が家で預かることになった経緯。その他思い出す限りのことを彼女に話した。
ここまでは俺の事というより大半がうちの家族の話になってしまったが、二月の出来事にも少なからず触れた。
途中俺の失敗談や兄弟喧嘩の話をした時は、まるで子供に向けるような慈愛に満ちた笑顔を見せてくれた。
「まあこんな感じなんだけど、こんなんで良かったのかな。家族のことが多かったけど、うちは大人数だからどうしても話に関わってくることが多いんだよな」
最初は何を話そうかと悩んでいたが、喋っていくうちに段々と思い出が蘇ってきて話をまとめるのが少し大変だった。
「空手やっていたのは聞いていたけど段位者だったんだね。ちょっと意外だなぁって思った。優しそうな雰囲気から想像できないよ」
「流派によって違うと思うけど、一応それなりには頑張ってたからね。というか爺さんの指導が周りと比べて厳しかったからね。爺さんは基本身内を甘やかさない方だから。とは云っても俺にだけ厳しかったかな、弟は周りが擁護してたし、いざという時爺さんから逃げ回ってたからな。あ、それから爺さんは十段らしい。真相は分からないけど恐らく自称だと思う」
話し終わったころには貰ったコーヒーを全部飲み干していて、空になった缶は手の中から行き場を失っていた。
「船林君のお爺さんって面白い人なのね。威厳があるようで無いというか。聞いていればお婆さんに頭が上がらないみたいだし」
「本人は自覚無いと思うよ。祖母はどこか物静かだけど、言葉の重みが違うというか」
「あーそれ分かる気がする。うちも普段はお父さんの方が偉そうにしているけど、家の大事なことを決めるときはお母さんの方が発言力あるもん」
お母さんは望月さんに似て意思の強そうな人なのだろうか?ああ逆か。望月さんがお母さんに似ているかもしれないのか。
「ところでこんな感じでよかったのかな?」
「もう少しだけ聞かせてもらっていいかな?出来れば最近の事聞きたいかな」
「最近?二年になってからのこと?」
「うん、どうやってあの事から立ち直れたか聞きたいの。それは私がこの後話をするのに関係あることでもあるから」
「立ち直れた最初の要因は望月さんだよ。あの時・・・・・・・俺に口づけしてくれたおかげで死の淵から抜け出す事が出来たんだから」
言葉を濁すことなく俺にとっての真実をそのまま伝えた。恥ずかしさはあったが、寧ろ想いの一部を口にする方が大切だった。
「その辺も含めて後でちゃんと話をするから。ううん今度は隠すことなく全部話すつもり。だから船林君も話せる範囲でいいから教えてほしい」
「分かった。とはいってもそう多く語ることはないかな」
頭の中で整理しながらゆっくりと続けた。
「前原さんとのことと盗難事件があった後、徳瀬が一番最初に言ってきたんだ。『アタシはナツから聞いているし、そもそもヒデがそんなことするなんて思ってもいないから』てね。学校の中で味方がいるのは嬉しかったけど、正直あの時の俺には焼け石に水だった。徳瀬には悪いけどさ」
あの頃は腫物を扱うみたいに皆俺のこと避けていたな。徳瀬と八嶋、あと中学から一緒の峻也くらいだったかな、話し掛けてきたのは。それでもどこかぎこちなかったのは覚えている。
「それから学校こそ行っていたけど、居場所は無かった。部活は追い出されたし、あー三年の先輩が女子テニス部の部長と仲が良かったみたいで、俺の言い分はなんて全く聞いてくれなかった。どちらにせよ辞めるのは変わらなかったと思うけど」
その頃はもうすでに自暴自棄になっていたからな。
「事件があってから普通に話し掛けられることより非難や罵倒を浴びせられることの方が圧倒的に多かった。ただ無視されるだけなら我慢できたけど、あることないこといろいろ言われていくうちに段々と鬱になってさ」
学校の件は家族に話していない。余計な心配を掛けたくないのもあったけど、やはり迷惑を掛けたくなかった。そのあたりには杏莉が我が家に住むようになって、皆最初から家族のように接していたが、どこか彼女に気を使っていたのは知っている。だからそんな家庭状況で俺の抱える問題を家族に伝えるのは憚られた。
「いつだったかは覚えていないけど、急に死んで居なくなりたいと思うようになったんだ。最初は死ぬまでのことなんて考えてすらなかったのに、たぶん相当追い詰められていたんだと思う。この頃家族は俺の異変に気付かれていたかもしれない。だけど殆ど部屋から出ずに過ごしていたからあまり話す機会もなく、俺も出来るだけ皆を避けていたんだよ」
あからさまにはあまり言ってこなかったけど、なんとなく心配していたのは分かっていた。でもその時点で俺は人との関りを極端に避けていた。
家族すら怖かったからだ。家族だけでなく全ての人が。
豹変していく仲の良かった友人やクラスメート。こちらの話をまともに聞いてくれない先輩や教師たち。今は味方をしてくれている数少ない友人たちも、いつ手のひらを返してくるかと思うと恐怖で普通の精神ではいられなかった
「そしてあの日、気は全く進まなかったけど日直だから朝早くに学校へ行ったんだ。出来るだけ誰にも会いたくなかったからいつもより一時間位早くにね。それから日直の仕事を済ませて自分の机に戻ると、机の中に見覚えのない封筒が入っていて、中を開けると二枚の紙が入っていたんだ。そのうちの一枚が【退学勧告通知】と書いたもので宛名には俺の名前が記載されていて、勧告の理由は詳しく覚えていないけど、他生徒に迷惑かけたとか、盗難行為は逮捕・起訴されてなくても退学させる理由になるとか、学校側の指導に対して反抗的で更生の態度が見られないとか書いてあったと思う」
後から思えば誰かの悪戯だって分かるのだが、死にたいと思い始めたこの頃は冷静な判断力が低下していた。
「二枚目は未記入の退学届けでさ、これを書いて学校に提出してさっさと学校から出て行けってことだよなって思ったら、僅かに残っていた何かが切れたというか、もういいやってなったんだ。それからの記憶は段々と薄れていってさ、はっきりと思い出せるのは望月さんに口づけしてもらってから少し時間が経過したあたりだったと思う。なぜだか体が軽くなっていたし、死にたいという気持ちも失せていた。冷静な判断力が戻ってきたっていうのかな」
理由は分からない。我に返った時に冷静になったってことも考えられるけど、それだけじゃない気がする。その答えをもしかしたら望月さんが知っているのかもしれない。
「それからは・・・・いや今でも正直しんどいけど、味方をしてくれる友人達に少しずつ頼るようにしてきた。家族には結局学校の事を話さなかったけど、元通りにとは言えないけど、それに近いくらいには家の中で過ごせるようになったかな。秘密を打ち明けなくても一緒の時間を普通に過ごせるだけで気持ちが楽になるからね」
本当は家族の誰かが学校での出来事を知っているのかもしれない。今の時代情報なんてあっという間に拡散してしまうから。もしそうだったとしたら直接触れないでいてくれて感謝している。迷惑を掛けてしまったという負い目を感じなくて済むのだから。
「前原さんのことは徳瀬から色々と話しを聞くことが出来たけど、俺が彼女に何かしてあげようという時期はもうとっくに過ぎていたんだ。だから徳瀬に全て任せることにして俺はこれ以上彼女の傷口を広げないことに専念したいと思っている」
今の俺が関わることに何もメリットを感じられない。
「さっき友人に頼ると言った中にこのことも含まれているし、憲吾みたいに話し掛けてくる奴にはちゃんと向かいあっていきたいと思っている。少なくとも信じてくれる人達を俺が信じなくてどうするんだって思えるようにはなったかな。やはり裏切られるのは辛いことだからさ」
時折海から吹く強い風に髪を乱されその度に手で梳くように直していたが、途中口を挟むこともなく最後まで黙って聞いてくれていた。
「だから今こうして俺がここに居られるのは、望月さんや家族、それに信じてくれている友人、特に徳瀬や憲吾のおかげだと思っている」
「私は・・・・・船林君を助けたいと思って行動した。それで助かったのは事実かもしれない。でもそれは私のエゴでしかなくて感謝されるようなものではないと思うの」
「それでも俺が感謝しているのは望月さんだよ。ありがとう、俺を救ってくれて」
初めて彼女に感謝の気持ちを伝えられた。しかし彼女はどこか困ったように顔を少しだけ俯け、ぼそぼそと小さな声で呟いた。
「・・・・そんなんじゃない」
謙遜からきた言葉なのか、はたまた別な理由があるのか、彼女の横顔から窺い知ることはできない。
「でも話してくれてありがとう。船林君の事を少し知ることが出来たと思う。やっぱり私が想像していた以上にあなたは優しい人だと思ったわ」
言いながら顔を上げ、居住まいを正してこちらを向く。その表情はどこか柔らかいような気がした。
「優しいか・・・・。今日八嶋にも言われたよ。全然そんなことないのにな。だっておかしいだろ、本当にそうだったらもう少し色々と上手くやれてたと思うんだよ。望月さんにだって悲しませるようなことをしなかったはずだし」
「悲しい気持ちになったのはそうだけど、それは私のエゴからくる自業自得みたいなものだから。だからそのエゴを船林君に押し付けた理由を今から話そうと思うの」
だからお願い。と力強く懇願してから彼女は話を続けた。
「私がこれから話すことがおかしいと思えることでも、最後まで聞いてほしいの」
そう言って望月さんは自分のことを語り始めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます