第7話 杏莉の卵焼き

「英幸、うっとうしいから自分の家へけえれ」


「じーちゃん別にいーじゃんよ、静かにしてるんだからさー」


「そうやって居間でゴロゴロしているのがめぐさいって言ってんだよ。ゴロゴロしたいだけなら自分の部屋でしろ」


「だってガキどもが騒がしくて落ち着かないんだよ」


「今の辛気くせぇ面には騒がしいくらいが丁度いいだろうに。女に振られたって顔してんじゃねぇ」


「そんな顔してねーっていうの」



 そんなに顔に出ていただろうか。確かに店を出て、少し遠回りをしながら家へ向かった。その途中、徐々に頭が冷えてきて、自分が望月さんに言った数々のセリフに恐怖を覚える。

 そして家に着くころには「完全にやらかしたー」と身悶えした。

 

 彼女に謝りたい。


 ただどうすれば良いか分からなかった。単純に「昨日はごめん」って言えばいいだけかもしれないが、彼女の真意を理解していないこの状況では誠実ではないと思う。

 

 それにやはり譲れないこともある。前原さんのことだ。

 

 彼女が俺のことうんぬんは置いとくとしても、やはり俺は前原さんの傍に行くべきではないと思っている。となれば、彼女とは平行線のままだ。


「ともかくぱっぱと二階へ行け。そんで和幸達の相手をしてやれ。でもまーなんだ、杏莉をここへ連れてくるならもうちょっとここに居ることもやぶさかではないがな」


「何言ってんだロリコン爺ー。そんなんだから杏莉はじいちゃんに懐かないんだよ」


 杏莉は家で預かっている両親の知人の娘だ。苗字は浅海。浅海杏莉。

 

 この爺さんは身長が俺と同じくらいで175センチはある。男性の中ではやや高い方だが、驚異的なのは鍛えられた肉体の方だ。

 空手の有段者で、本人曰く段位は十段らしくその真相は誰も知らない。確かネットニュースかなんかで見たけど九段以上は名誉職扱いって書いてあった気もする。がどうでもいい。


 一番問題なのはその見た目と声の大きさだ。

 杏莉は小さい頃から我が家に遊びに来ていたが、。住まいは同じ県内だけど結構遠いので年に一、二回来る程度だった。しかしその度にこの厳つい爺さんが空気を読まず杏莉に接していたので、杏莉は爺さんに苦手意識を持ってしまっている。だが爺さんは杏莉が可愛いらしく、仲良くしたいらしい。

 言ってしまえば本人の自業自得だ。周囲が注意しても変わらないので皆放って置いている。


「馬鹿言ってんじゃねぇ。空手家にそんな趣味ある奴はいねーや。俺はただ護身術でも教えてやろうと思っているだけだ」


 爺さんは週3回、俺が卒業した中学校の武道場で空手を教えている。部活動としての空手ではなく、老若男女誰でも受け入れる市民スポーツクラブみたいなやつだ。師範は何人かいて、一応爺さんが会長を務めている。最近は女性をはじめ、若い世代の人たちに護身術が人気だそうだ。理由は空手ほど激しくはなく、未経験者でも取り組みやすいことだ。

 同じ時間に空手と護身術に分かれて練習し、時には同じ練習をしたりすることもある。

 俺も幼児の頃から中学を卒業するまでずっと続けていた。


「杏莉には向いてないんじゃない。それに和幸だってやってないし、無理だと思うよ」


 弟の和幸は空手も護身術も習ったことがない。4人兄弟で和幸だけだ。姉二人は護身術を習っていた。

別段強制したわけでもなく、それぞれ理由があった。上の姉は「変な男に付き纏われているから」で、下の姉は「可愛いい弟を守りたいから」らしい。ちなみに俺は可愛くない方の弟だ。

 俺の場合は強制的に習わされ、本当は早い段階でやめたかったが、家族会議の結果中学までという妥協案で落ち着いた。

 和幸の場合、俺と同じく強制的に習わせようと爺さんが躍起になっていたが、家族会議の結果和幸は兵役を免れた。という訳で、我が家は和幸には全体的に甘い。

 

「和幸?あいつは根性が全くねぇからな。出来れば護身術だけでもやらせたかったんだが、中途半端に覚えても自分か相手が怪我しちまうかもしれねえから駄目だな」


「だったら杏莉も同じじゃないの?」


「杏莉の場合はまた別だ。難しいことを教えるつもりまねぇ。簡単にできることと精神的な部分を少し鍛えられればそれでいい」


 爺さんの言わんとしていることは分かる。杏莉が置かれてきた状況を見ればそれも必要だと俺も思う。だけど無理してやらせても結果が伴うとは考えにくい。

 俺だってそうだった。十年以上習ってきて、精神的にも鍛えられたとどこか思っていた自分がいた。けれどそれはただの自惚れでしかなかったと痛感した。


「まあそうだけどさ。でもその前に懐かせることが先じゃない。無理だと思うけど」


 ハハハっと笑うと「けえれ」とどやされたので二階の我が家へ退散した。



 二世帯住宅のこの家は一階が祖父母で、二階が両親の家だ。外にそれぞれ玄関があり、家の中も階段で繋がっている。階段のドアは一応鍵を掛けられるようにはなっているが殆ど使っていない。

 俺と姉は普段一階の玄関から出入りしていて両親や弟、それに杏莉は二階の玄関から出入りする。

 母と祖母は非常に仲が良く、二世帯する必要あったの?と中学生の時両親に聞いた。なんでも爺さんの意向らしく、敷地は元から広かったのと、お互いのプライバシーは守った方が良いという理由だった。

 大雑把な性格のくせに意外だなー。



 階段のドアをそっと開け廊下に誰も居ないことを確認する。

 開けた正面にはリビングのドアがあり、そこからテレビと弟たちの会話が漏れ聞こえたので、気付かれないようまた階段の扉をそっと閉めリビングをスルーして自分の部屋へ向かう。

 部屋に入り電気を点け鞄を床にドンッと放るように置く。そのまま朝起きたままの状態のベットに腰を下ろし、そのまま寝転がった。


 着替えるの気力もなくただ天井をボーっとを見る。

 

 今日は色々な事が多すぎた。先生の呼び出しに始まって望月さんのこと。色々というには少ないのかもしれないが、望月さんのそれは中身が濃すぎて全部吐き出したい気持ちだ。


 先生の件はある意味消化したといえるだろう。ただ本題は別にあったみたいで気になるとこだが、今考えるべきはこれじゃないし、考えたところで結論が出ないのは明白なので放って置こう。


 やはり望月さんだな。


 なぜ彼女があそこまでするのか理解できない。本当に前原さんとは何もないのだろうか?

 本当に何もなかったとしら関わる理由が見つからない。確かにあれが起きることを予想していたみたいだが、聞いた感じだと加害者側ではないのだろう。もしかしたら俺の知らないところで彼女は被害にあっていたのか?だとしても俺たちに固執する理由としては説得力が弱い。

 一番可能性が高いのは、知っていたのに何も出来なかったことを悔やみ、自身の後悔の念から俺たちをどうにかして救おうとしていることか。

 

 一つ目の事件の加害者はいまだ見つかっていない。だ探し出すのは難しいだろう。警察が動けばもしかしたらという可能性はあるが、被害者が名乗り出ない限り動くことはないだろう。被害者がいればの話だが・・・・・。

 俺や前原さんもしくは両方に恨みがあったのか、それともただの偶然で悪戯半分の気持ちでやったのか、前者なら俺達にまた被害が出る可能性がある。俺はともかく前原さんが心配だ。後者ならこれ以上何もないかもしれない。しかし俺達以外にも被害が及ぶ可能性は十分に考えられる。もしかしたら身近な人に及ぶかもしれない。それは絶対に嫌だ。


 心配しようが犯人捜しをしようが、現実問題やれることは限られている。犯人探しなんて警察やフィクションの中の人物だけが出来ることで、一般の高校生じゃなくても普通は出来ない。

 

 二つ目の事件についてはどうだろうか?あれは完全に犯罪だが警察は動かなかった。

 学校側が騒ぎを大きくしたくなかったのと、被害を受けた女生徒がが被害届を出さなかったからだ。

 

 初庭高校の生徒の間では犯人は「船林英幸」という噂が事件発生当初から流れていた。

 俺が面識も無い女生徒の化粧品やら下着やらを盗んだらしい。

 犯行時刻に俺がまだ学校に残っていたという証言と、最初の事件との関連性で疑われた。


 盗難事件の詳細を聞いたのは二年になったつい最近のことだ。事件当時は事情聴取を受けたが、詳しいことは誰も教えてくれなかった。唯々疑われる一方で、こちらの言い分も聞いてくれていたかは疑わしかった。

 

 俺が段々おかしくなり周囲の言葉に耳を傾けなくなったのは。この頃からだったと思う。


 

 俺に事件のあらましを教えてくれたのは憲吾だった。



 事件が起きたのは放課後。女子テニス部の部長、吉岡という当時二年生だった女子が被害者で、彼女委員会活動で一時間ほど遅れて部活にやってきた。遅れてきたのは彼女一人ではなく同じ理由で数人いた。荷物を部室のロッカーに置きそこで着替えてから遅れてきたみんなと一緒にコートへ向かった。部室は旧校舎の一階にありグラウンドにあるテニスコートからは見えない。

 盗難に気づいたのは練習が終わって部室に戻ってきた時だった。着替えが終わり荷物をまとめようと鞄を空けたとき、最初に化粧ポーチが無くなっていることに気付く。トイレかどこかに忘れてきたのかなと思いながらも荷物を弄っていると次に替えの下着も無くなっていることに気付く。

 「まさか」と思いながらも他の部員にも無くなった物がないか、各々荷物を確認させた。結局無く無くなっていたのは吉岡の持ち物だけで、あとは皆無事だった。

 吉岡は今日の自分の行動を思い出す。予備の下着は使うまでいつも鞄に入れっぱなしで出すことがない。化粧直しも今日はしていないから鞄から出していない。部員の誰かがやったのは考えにくい。

 吉岡は迷っていた。被害者とはいえ、部長としての立場がある自分が騒ぎを起こすのはどうかと。しかしここで黙っていたら次は別の部員、もしくはほかの生徒が被害に遭うかもしれない。

 結局吉岡は顧問に報告し、それを始めとして騒ぎが広がった。


 

 この話を憲吾から聞いたのは、二年になって四日目の放課後だった。

 憲吾と初めて話をしたのはこの前日の昼休みのことだった。

 

 『船林英幸』は一年の頃の悪い噂のお陰で二、三年生には有名人だ。

 そのせいか俺に話しかけてくるクラスメートは、俺を信じていてくれる数少ない友人の徳瀬くらいなものだ。しかし彼女は昼は殆ど前原さんの居る保健室で過ごしているので、この時間は二月からいつも一人で弁当を食べている。

 新学期三日目から学業も本格的になり、午後も授業があるから二年になって初めての昼休みだ。

 三日間徳瀬以外誰とも関わることもなく過ごしてきた。やはり隣にいる望月さんのことが気になってしまうが、話し掛けるきっかけもないし、悪い噂がたっている俺が話し掛けるのも気が引けていた。

 

「なー船林ってバスケ部だったん?」

「んっぐ、んん・・・・・。なんだよいきなり」

 いきなり話しかけられて口に入れてたご飯を喉に詰まらせそうになった。


「ほかの連中に聞いたら、てかクラスの高橋な。で高橋がお前が一年の頃バスケ部で二年になる前に辞めたって言ってたから」


「だから何だっていうんだ。今度はサッカー部に入れって勧誘か?」


「おっ、オレのこと知ってたん?」


「いや、まあ目立っているしな」


「そーかぁ、で、入るの?」


「入らねーよ」


「残念!結構ガタイよさそうだからいいかなーって。てかバスケってそんなに体鍛えられるん?」


「別にバスケやってたからじゃねえよ。筋トレすれば誰でもこのくらい鍛えられるよ」


「そんなもんかねぇ。てか船林お昼一緒に食わねぇ?」


 憲吾は左手にコンビニのおにぎりやパンが入った袋を軽く上げた。

 周りを少し見渡すと、憲吾の声が大きいせいか少し注目を浴びていることに気付く。軽く溜息をついた後、断ろうとしたが言葉を発しようとしたら、今は持ち主がどこかへ行っていない俺の前の机を「よいしょっ」と言って180度回転させドカッと椅子に座った。

 決定事項なら訊いてくるなよ。


「船林の弁当ウマソー。てか自分で作ったりしてんの?」


「ちげーよ。家族が作ったんだよ。というか当たり前に座ったな」


「否定しないから良いってことじゃないの?てか卵焼きくんない。俺のパン半分あげるからさー、手作りに飢えてんだよねーオレ。」


「嫌だよ、お前も母親に作って貰えよ」


「あーうち母親居ないから。オヤジと二人だし。オヤジは仕事で遅いしオレも部活で遅くなるからなかなかねぇ。二人とも多少は料理出来るけどさすがに弁当はムリだわ。どこか毎日オレに弁当作ってくれる女の子いないかなぁ」


 そう言って俺の左隣をチラリと見た。俺も釣られて向きそうになったが堪える。

 そっちを見るなよ気まずいだろ。もしかしてお前望月さんに気があるのか?それから俺から振ったとはいえ重そうな話をしないでくれ。なんて答えたら良いか分からんだろうが。


「あーおい。分かったよ卵焼きだけな。手で取っていいから食べろよ。あとパンはいらねー」


「えっ、いいの?ラッキー。ほんじゃまぁいただきまーす。ング・・・・・超うめー」


 何をするにも騒がしいやつ。それが憲吾の第一印象だった。


「本当に美味そうに食べるな。そんなに良かったか?」


「うめーって。お前の母親料理上手だな。てかオレにも作ってくれないかな?」


「んなわけないだろ。どうして俺の親がお前に弁当作るんだよ。それに今日初めて話したばかりだろうが」


 本当は居候の身で肩身が狭いのか、家事をよく手伝っている杏莉が作った弁当だが黙っておいた。


「ハハーだよねー。悪い悪い調子に乗りすぎた。てか話変わるけど、ひでゆきって呼んでいい?船林だとなんか長くて言い辛いんだよね」

 

 「好きにしろ」と短く答えると「じゃあ俺は憲吾でね」と返してきた。


 そしてここから二人は下の名前で呼び合うことになったとさ。



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