第6話 大丈夫だから
「前原さんと話をしてあげて」
望月さんと心地よい会話の話題が途切れ、数瞬の沈黙を切り裂くように放たれた彼女のその言葉に絶句した。
他愛もない話を交わしていく中で望月さんのことを少しずつだが解りかけてきた気がしていた。
しかしクラスは2年間同じだが、今まで過ごしてきた距離が離れていたせいか共通の話題は少なく、それが無くなるのは時間の問題だった。
果たしてそれは現実のものとなった。
カップにはお互い半分以上コーヒーが残っており、現実を知らしめるには十分だった。
気まずい空気になるのは嫌だったが、耐えられないものでもないと感じていた。
その時、今まで穏やかだった彼女の表情が、意を決したものに変わったのを俺は見逃さなかった。
だから、何か来る、と確信した。
「船林君、前原さんと話をしてあげて」
一瞬時が止まった感覚を受け、同時に思考も止まった。が、程なくして店内に流れる、聴くには心地よい音量のジャズが意識に入り込むと、時間を進め直す。
思考を再始動させる。
「何か」とは予想していたものとは違ったが、同じくらいかそれ以上に動揺した。
どれくらい時間が経過したかわからない。先に彼女がカップを手に取り俺もそれに続いた。
二人とも一口飲んでからお互いカチャッとソーサーにカップを置いたところで口を開いた。
「どういうことかな。望月さんと前原さんって仲良かったっけ?」
頭の中は全然整理できていないけど、とりあえず疑問を投げ掛けた。
「ごめんなさい。いきなりこんな話をされても困るよね」
顔が曇り始める。
「でも本当はこの話をしたくて今日時間とってもらったんだけど、なかなか言い出せなくて・・・・・。やっぱりこの話はされたくないよね・・・・・本当にごめん」
「・・・・・そうだね、あまり気持ちの良いことじゃないかな」
彼女は俯くがそのまま話を続ける。
「正直分からないことだらけでさ、さっきも言ったけど前原さんとの関係性とか、どうしていきなり今日誘ってきたのとか。まぁそれはこの話をする為って理解したけど、俺と前原さんになんかあったのかは殆どの奴が知っているからそこは疑問に思わないけど、望月さんが関わりたいと思う理由が全く理解出来ないんだよ。それに・・・・・」
(それになんであの時俺にキスをして助けてくれたか)
喉まで出かかったが無理やり抑え込む。今する話ではない。前原さんに関わるかも知れない問題だ、俺の気持ちは二の次でいい。
「・・・・それに?」
ここで彼女は顔を上げるが、俺は顔をカウンターの方に顔を向ける。
暇なのか店主は読書をしていて、こちらには興味がなさそうだ。狭い店内俺たちの他に客は居ない。
「何でもない」
顔を正面に戻した
「できれば俺の質問に答えてくれると助かる。じゃないと俺もどうして良いか分からない」
「・・・・・。ごめんなさい」
「またそれか。別に謝って欲しい訳じゃない!」
感情が昂ぶり思わず語尾を強めてしまう。
この問題はひどく繊細だ。特に前原さんにとっては。だから関係のない第三者にこの話をされると感情が抑えられない時がある。それでも自分に向けられるものはある程度コントロール出来るようになったが、
「お願いがあるの」
ひどく言い辛そうに言う。
「なんだ」
「船林君の質問にはちゃんと答える。でも最後まで私の話を聞いてほしいの。全部詳しくは今は話せないけど・・・・、出来る限り説明はするから」
「・・・・・分かった」
全部は話せない、こんな話を自分から出しておいて都合が良すぎるだろと余計イライラしてきたが、聞かないことには話が進まないので条件を受け入れた。
「ありがとう。まずは前原さんとの関係だけど、知っての通り去年はクラスが一緒だったでしょ。だから時々話はしてたけど、別に仲が良いって訳でもないよ。向こうはどう思っていたか分からないけど私は好感を持っていても嫌いという訳でもなかった。それは今でも同じ」
それは俺と同じ認識だ。心情までは知らないが、少なくとも表面上はそう見えた。
「でね、二月にあんな事件・・・ごめん」」
「いいよ続けて」
「うん。それであの時傷付いた二人をみて助けてあげたいって思ったの。でも私にできることは何もなくて、特に前原さんは徳瀬さんくらいしか会おうとしなかったでしょ。今は変わってきそうな気配はあるみたいだけど」
おそらく昼休みのことだろう。隣にいた彼女はきっと徳瀬との話に耳を傾けていたのだろう。
「でもそれだけじゃ足りないの。今の彼女にはあなたが寄り添うことが必要なのよ。だからお願い、彼女とちゃんと向き合って話をして」
正直そうしたいと思った時期もあった。でもそれは彼女に振られた俺の役目ではない。そんな人の弱みにつけ込む真似なんてしたくない。だから俺は傍に行ってはダメなんだ。
「あなたにお願いすることしか私はできないの。あのことが起きるかもって
おいおい知っていたってどういう事だよ。口を挟もうとしたが堪える。
色白の彼女の顔が濃いピンクに染まっていく。
「でもあなたはもう大丈夫。もう大丈夫だから。彼女の傍に居てあげて。だって彼女は・・・・彼女は本当はあなたのことが好きだから!」
「ふざけるな‼」
大きな声を上げる。当然店内に響き、さぞ店主も驚いていることだろう。だがそんなこと関係ねぇ。
目の前の女の子は今にも泣きそうだ。それも関係ねぇ。
「何が大丈夫だよ!何も知らないくせに適当言ってんじゃねぇ。彼女が俺を好きだなんてよく知りもしないお前がいってんじゃねえよ。だいたい俺達はお前に助けてくれって頼んだか?」
違う本当に言いたいのはこんなことじゃない。
「お前は聖人君子かなんかか?だったらお前が自分で何とかしろよ。人に頼るな!」
そうじゃない。人に助けてもらった奴が何言ってんだ。
「起きることを知ってたってどういうことだよ。だったらお前もどうせ周りと一緒に楽しんで俺たちを馬鹿にしていた口だろ!」
バカは俺だ。堪えきれずボロボロ泣き始めた彼女を見れば一目瞭然だ。バカな俺でも分かる。たとえ事前に知っていて何もしていなくても彼女の責任なんかじゃない。
「どうせあれだって・・・・」
一瞬躊躇ったが、ここまで言って我慢できるはずもなく、ずっと心の奥底に引っ掛かっていたものをついに吐き出す。声は抑えけたけれど低くドスを利かした声で。
「お前があの時キスしたのだってどうせ面白がってやったんだろ。振られた奴を揶揄ってやろうってな。本当は他に誰か居て隠れて見てたんじゃねぇの?そして俺が間違ってお前に手を出そうとしたらお前らの思うつぼだったもんな。だいたい彼女が俺のこと好きだって知ってたんなら普通はしないだろ。さすがに2回目やられたら色んな意味で終わりだしな・・・・」
「・・・・・・・・・」
目を腫らした彼女は押し黙り、視線をテーブルに落としている。
「最悪だ・・・・」
無意識に零れた言葉は彼女でなく自分に向けたものだ。でも彼女はそう捉えないだろう。
だが訂正もフォローもする気はない。
だって目の前で目を腫らして泣いている女の子よりも、他の誰より俺は『悲劇のヒロイン』だから
。
これ以上ここにいてもどうしようもない。
帰るしかないので席を立つが彼女は動かない。伝票を掴みレジに向かう。
店主は本を読んでいなかった。さすがにあんな修羅場状態で何か思うことはあるだろう。しかし二人分の会計を済ませる間、店主からは何も言われなかった。最後の「また来てください」を除いて。
店を出る前に座っていた方を見る。
そこには俯いたままの望月さんの姿があったが、足を止めることなく店を出た。
本当は分かっている。
彼女は俺を助けるためにキスをしたことを。
勇気を振り絞って今日話をしてくれたことを。
他愛もない話をしていた時から足を震わしていたことを。
そして望月深陽は人に言えない何かを抱えていることを。
だから彼女を『悲劇のヒロイン』にしてはいけない。
悲劇のヒロインは救われないからこそ価値があるのだから。
店から出て家へと向かう。途中「カランカラン」という音が、後方から聞こえた気がするが、振り返ることはしなかった。
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