第5話 コーヒーフレンドリー
生活指導室から出ると帰宅する為昇降口へと向かった。
すでに部活動は始まっていて「プァー」という管楽器の練習音が遠くから聞こえる。
右肩に掛けた鞄の持ち手が中の重みで軽く食い込む。一応進学校である初庭高校は毎日の課題が多く、大半の教科書などは毎日持ち帰らなければならないから、毎日苦労する。
これから部活に行くのだろうか、一年生らしき生徒が走りながら横を通り過ぎていく。反対に昇降口からこちらに向かって来る者もいたが、大半は皆外へと流れていく。
その流れに逆らうようにこちらの方向へ歩いてくる一人の女子がいた。
望月深陽。
クラスメートで隣の席、今さっき話題に出た人物だ。
緊張のあまり歩くスピードを少し早める。向こうは速度こそ変わらないが歩く速さは比較的早い。視線のやり場に困り、壁に貼ってある掲示物を見る振りをしながら歩くと、彼女との距離がいよいよ残り数メートルになったところで、視界の端に見えた彼女が足を止める。
「船林君、先生の話終わった?」
まさかここで話し掛けられるなんて思ってもいなかった。確かに遠くにいるときからこちらを見ているような気はしていたが、今までの経験から、そのまますれ違うだけだと思っていた。
驚きながらも歩みを止め声の主に顔だけを向ける。
向けた先には、頭の上からつま先まで凛然とした姿があった。
その姿はいつも通りのような気もするが、でも何か違う気もした。なにが違うかはっきりとは言えないのだが、強いて言えば、雰囲気や空気感だ。
だがそう感じるのは今日が初めてではない。
唇を交わしたあの時は正直記憶が曖昧だったが、それ以前や直近の彼女でも同じ様な感覚を受けたことは何度かあった。
「え‥うん、あ、はい」
強張った声になったがなんとか返事ができた。
彼女は「そう」と言って何かを躊躇っているのか、視線を落とす。
だがそれでもすぐに顔を上げ、意を決した表情で言葉を続けた。
「少しで良いので私にも時間をもらえないかな?」
話し掛けられただけでも意外だったのだが、更に上回ってきた。
「えーと、今から?」
望月さんは確か一年の時は部活に入っていなかった。二年になった今は知らないが、おそらく今も帰宅部だろう。自分と同じくらいの時間に下校する姿を何度も見かけている。
もしかしたら今日は何か用事があって、少し帰りが遅くなったところに俺を見かけ声を掛けたのかもしれないし、単純に俺を待っていたのかもしれない。先生が俺を呼び出した時、まだ隣にいたのは覚えている。
前者は考えづらい。何か学校内の用事があってこの時間まで残っていたとしても、話し掛ける理由にはならない。であれば後者の可能性が高い。
後者の可能性を考えれば断るのは悪い気がする。正直さっきの生徒指導室でのこともあり、今は面と向かって話すのはどうしても気恥ずかしくて躊躇われる。それでなくても元々彼女と話しをすることに抵抗を感じていた。
嫌ではないけど触れるのが怖いという感覚だ。
「都合が悪ければ無理しなくてもいいよ。それに出来れば学校の外で話をしたいし」
「それはいいんだけど、外ってファミレスとか喫茶店?」
「うん、学校でなければどこでもいいよ。それで大丈夫かな?時間」
学校では言いづらいことなのだろうか。別に学校内でも場所を選べば、周りに話を聞かれない所はいくらだってあると思うのだが。でも彼女はそれを望んでいないらしい。
「えーと時間は全然大丈夫だけど、どこで話す?」
そういうと彼女の表情が僅かに和らいだ。
「船林君に任せるよ。私はこの辺りのお店に詳しくないし、確か船林君はこの辺が地元だったよね。だったらどこか良いところないかな?」
「まあ一応。十分位のところに小さいけど静かな喫茶店があるんだけど、駅とは反対方向にあるから望月さんそれでもいいかな?」
望月さんが電車通学なのは知っていた。さすがにどこから通っているかは聞いたことがないけど。
駅の方にも喫茶店はあるが、同じ学校の生徒と鉢合わせする可能性があるので、それは避けたかった。
「それで構わないよ。もちろんお金は私が全部払う」
「いやそれは悪いからいいよ。駅とは逆のお店だから望月さんに迷惑かかるだろうし」
「でもお願いしたのは私だから、私が・・・・・」
このままだと平行線を辿る一方なので、自分の分は自分で払うようにしようと提案したところ、納得した感じではなかったが彼女は了承した。
決まったところでお店へ向かうことにした。
昇降口までの短い距離は一緒に歩いていたが、そこから校門を出るまでの間、十メーター位間隔を空けて望月さんは俺の後をついてきた。一緒に歩いているのを誰かに見られるのが嫌なのかもしれない。なんか妙な感じだが、自分自身気恥ずかしさもあったので、それでもいいか、とも思う。
しかし校門を出て駅とは反対方向へと歩いていくと状況が変わってきた。
ちゃんとついて来ているか確認しようと後ろを振り向くと彼女と目が合った。それも想像したよりかなり近い距離で。
残りあと三、四歩といったところだろうか。足音や気配が全く感じられなかったので正直驚き思わず足を止めてしまった。
彼女は驚いた様子もなく俺と連動するように足を止め「どうしたの?」と言って首を傾げる。
「いや付いて来てるかなと思って」と言葉を返すと「そう」と言ったあと数歩進んで俺の横に並んだ。
いやいやおかしいでしょ。並ぶと緊張するし、軽く手を伸ばせば触れられる距離だし。
取り敢えず前を向いて歩き始めるが、隣の足取りはどこか軽快に見える。対して俺の心はどこかフワフワしているのに体は重たい。けれど歩く速度はさっきより速くなっている。
そんな矛盾を孕んだ俺の横に、表情こそ出してないが、なんだか楽しそうな女子高生がいる。
こんな望月さんは余り見たことがないな。いつもシャキッとしているイメージで、今隣に居る彼女も同じなのだが、やはりなにかが違う。
さっき廊下で話し掛けられた時もそうだが、とにかく違いが微妙過ぎるのと、その数が多い気がする。だからその違和感の正体が未だ掴めない。
お互い無言のまま、されど空気は二人合わせてプラマイゼロの状態で数分歩いた。
「ここだけど、いいかな?」
大通りから少し逸れた所に目的地はある。
そこには『銀杏の木』と控えめな看板が入り口の横に設置してあり、ドアには「営業中」の札が見える。
「うん、いいよ」と返ってきたので俺は扉を引く。カランカラン、と扉の上に付いた呼び鈴みたいなものが鳴ると、店のカウンターの向こう側にいた店主が「いらっしゃい」と声を掛けてきた。
店主に促されるまでもなく入り口から一番離れた窓際の二人席に望月さんを誘導し、二人とも椅子に腰を下ろした。奥側を彼女に座ってもらった。
二人ともホットコーヒーを注文した後「お手洗いに」と言って望月さんは席を外した。
一体何の話をするのだろうか?それとも此方からあの時のことを切り出したらいいのか?
そもそも学校でしづらい話って何だろうか?やっぱりあのことか?
思考を張り巡らせていると店主がトレイに二人分のコーヒーを乗せ運んでくる。それを俺と空いている正面の席にも置く。
まだ手を付けていないコーヒーカップを見ていると感情が込み上がってきた。
覚悟を決めなくてはいけないかも・・・・・・
店主がカウンターに戻ったのと入れ替えで望月さんは帰ってきた。
望月さんもテーブルに置かれたコーヒーカップを見て「よし」と小さく呟き、それを聞き逃さなかった。
自分たちの他にはお客はおらず、店主もカウンターの向こう側で作業をしている。
「取り敢えず頂こうか」
店内には会話の邪魔にならないが、聞き入るには問題のない心地よいジャズが流れている。しかし今日はそれを愉しむ余裕はない。
俺はブラックのままで、彼女は砂糖とミルクを入れてからお互い一口ずつ飲んだところで望月さんから話を始めた。
「このお店にはよく来るの?席も迷わずここを選んでいたし慣れているのかなって」
「たまに来る程度かな。月に1、2回位。静かに勉強や読書したい時に使ってる」
意外にも気軽な感じで世間話をしてくることにホッと胸をなでおろす。というより俺が知っている望月さんは誰に対しても殆ど敬語だった。勿論俺に対しても。
並んで歩いていた時もそうだが、彼女の心境を理解するのはとても難しい。
だがいつあの話を出すのか分からない以上油断はできない。
「そうなんだ。もしかして船林君の家族って多いの?」
「うん多い方だと思う。両親に姉二人と弟1人。それに父方の祖父母を入れて8人家族。厳密にいえば二世帯住宅だから6人家族かな。いや違うな7人家族だな」
「7人?」
その疑問はもっともだ。実は我が家にはもう一人いる。訳あって両親の知人の子を預かっている。理由が理由だけにあまり言いたくないので困っていたところ、
「あ、別に無理して答えなくてもいいよ」
気を使って望月さんが言ってくれた。
「いや別にいいんだけど、実はいろいろと複雑で説明が難しくてね。正確な家族構成というかなんというかさ」
一呼吸置く。癖なのか望月さんはスプーンですでに撹拌されているカップの中をクルクル回している。
「祖父母側の家に下の姉が一緒に暮らしていて、両親側には俺と弟のほかにその弟と同い年の女の子がいてね、なんか両親の知り合いの子らしく、訳あって一緒に暮らしてるんだ。一番上の姉は就職して先月家を出て行ったから家には居ない。だから今一緒に暮らしているのは三人・五人で八人なんだよ。ごめんね、ややこしい話で」
「ううん。良く分かったよ」
別にここまで詳しく喋る必要もなかったと思うのだけれど、望月さんと話をしたくても出来なかった
こうして腰を据えて話をするのは初めてで、あの時のことが頭にチラついて緊張感も払いきれていないのだが、自然と言葉はすらすらと出てきた。
なぜ今まで彼女に話しかけることが出来なかったのか、と不思議に思うくらいだ。
だがそれ以上に腑に落ちないことがある。
今日最初に話しかけてきた時と今目の前に居る彼女とではまた空気感が違っていた。それははっきりとしたものではないが、現実的なものに例えるならば、『多重人格』が一番近い気がする。
けれど矛盾するかもしれないが『人格』が全く違うわけではなく、ちょっとした差異、違和感程度のものだ。
望月さんは普段、自分から積極的に人に喋り掛けるタイプではない。
教室では一人で居ることが多く、それでも時折クラスメートが話し掛けてきたら、それにはきちんと対応していた。
望月さんは可愛いというより美人よりの美少女な部類に入ると思う。どちらかというと色白で、黒い髪は肩に掛かるくらいの長さで、切れ上がった眉に標準よりは高くスラっとした鼻。それに加えすっぴんに近いナチュラルメイクをしている。170センチはありそうな高身長に普段は凛然としているのが相まって、近寄りがたい雰囲気がある。だからか男子から話し掛けるのは少ないように見える。
クラスの中で少し浮いている感はあるが揶揄されるわけでもなく、どちらかと言えば一目置かれている。だからか、普段口数が少ない彼女が発言すると注目を浴びがちだった。
表情は決して豊かではないが、喜怒哀楽は存在している。ただその起伏が乏しいだけだと思う。
今向かい合っている望月さんは普段の望月さんかもしれないが、いつもより感情の起伏が広いだけで、一年生の頃から見てきたそのものに思える。今日学校で話し掛けてきた時の彼女は、本当にうまく言えないが、出会った頃から時折見せていた『別人格』みたいな望月さんに見えた。
これは俺の勝手な思い込みで、本当は逆なのかもしれないし、そもそも何もないのかもしれない。
それにしても今日の望月さんはとても表情が和かい。
「えーとわかってくれてありがとう?」
「ふふ、何それ。でもホント大家族だね。ちょっとうらやましいかな」
「望月さんは兄弟いるの?」
「うん、弟が一人ね。仲はいい方かな。あ、でもこの間大ゲンカしたっけな」
友達と話すような感覚。俺と彼女はまだ友達にすらなっていないがそう思えた。
望月さんはどうしていきなり俺に、フレンドリーに話せるのだろう?
これが彼女が持っていた本来の感情表現なのだろうか?
もしそうなら学校ではどうして・・・・・・・。
色々な疑問が頭を過るが、今は望月さんと話をするのが楽しい。
だから一旦疑問は頭の隅に追いやり、俺は初めて見る彼女の感情の起伏を嬉々として見守りながら他愛もない話を続けた。
だがそれはすぐに終わりを告げた。彼女が言った一言で。
「船林君、前原さんと話をしてあげて」
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