第4話 お前何才だよ
疲れ切った感が漂っていた七時間目の授業に、終わりを告げるチャイムが鳴った。
そこから一気に空気が軽くなり、各々伸びをしたり、お喋りを始めたりしていた。
数分後、担任の菅原先生が教室に入ってくるが、解放された雰囲気はそのままだった。
「おーい静かにしろー」
先生が言うと皆一様に静かになる。とはいっても緊張感が出たわけではない。まだ、雑音は少し聞こえる。
教壇に立つ先生はそれぐらいはいつも気にしないのでそのままHRを始め、簡単な連絡事項だけ伝え終了となった。
HRが終わっても先生は何人かの女子生徒と雑談的なものをしていた。
二月の一件で部活を自主退部したから今は帰宅部で、日直でも掃除当番でもない俺はさっさと帰ろうと思って椅子から立ち上がると、
「おっと船林、二十分くらいしたら職員室にきてくれ」
教室内はまだ大勢の生徒が残っており、注目を浴びてしまった。
「英雄がまた伝説を残したのかー?」
誰かそう言った。
周りからもクスクスと聞こえてくる。
表情はなるべく出さないように努めたが、気付いたら手に力が入っていた。
暗示をかけるように『大丈夫』と念じながら「分かりました」と返事をした。
徳瀬がこっちを見て心配そうな顔をしていた。
伝わるか分からないが、大丈夫だと軽く首を縦に振る。
揶揄ってきた男子生徒の名前は覚えていない。今年初めて同じクラスになった奴という認識だけだ。
そこに底抜けに明るい声が響く。
「てかひでゆきー課題忘れちゃった系?それともこの間の小テスト悪かった?てか、昨日風呂入るの忘れた?てか、全部オレのことだ、みたいな?」
「全部ちげーし、それより風呂は入れよ」
教室全体が軽い笑いに包まれる。
憲吾が嫌な空気にかぶせてきたそれは、軽蔑や揶揄い混じりの笑いを単なる馬鹿笑いに変えた。
話し始めたのは二週間前だが、こうやってコイツには何度も助けられている。自覚しているのかは知らないが、本当に感謝している。
菅原先生は少し難しい顔をしていたが、すぐに居直り元の少しだらしなさそうな表情に戻した。
適当に時間を潰し、職員室の前までやってきた。
あの後憲吾とは少しだけ世間話をしてから別れた。
職員室の扉を開け失礼しますと言いながら入る。すると菅原先生にすぐ声をかけられた。
「お、来たな。じゃあ生徒指導室行こうか」
緊張が走る。
二月以降何回もお世話になった生徒指導室。当然いい記憶などない。寧ろ二度と行きたくはなかった。
「そんな顔すんな。今日はたいした話しじゃない。まぁ世間話みたいなもんだ」
表情を読み取ったのか、先生は肩をポンポンと叩いてきた。
世間話ならここでもいいじゃないかと思うが、周りには教員だけでなく、生徒達もいた。見知った顔もいるし生徒指導室は嫌だけど仕方がない。
職員室と同じ一階にある生徒指導室に入る。
長方形の机に対して折りたたみ式のパイプ椅子が、向かい合わせに四つ並んでいて、入って左手前の椅子に腰を下ろした。
前来たときと変わらない、小さめのこじんまりした部屋。唯一変わったと言えば正面に座った先生だろうか。
菅原先生はここ初庭高校に今年度転任してきた。社会科の先生で担任でもある。
あの件のことは知っているとは思うが、直接菅原先生とは話したことはない。
「船林お前望月とは仲いいのか?」
「い、いきなりなんですか?」
なんか見透かされたような質問。
だが、望月さんとのことは多分誰も知らないはずだ。正確には俺は誰にも喋っていないから、彼女が言い触らさない限り誰も知りようがない。彼女のことはよく知らないけど、好き好んで言い触らすようには、どうしてもみえない。あのキスをした場所は、ここから二時間以上離れた県外の駅だったし、誰かが知る可能性はかなり低い。
「だから世間話だって言ったろ。だってお前ら隣同士だし普段どんな話ししてるのかな?ってな」
「はあ、そういうことですか。」
「で、どうなんだ実のところ」
「どうって言われても望月さんとは殆ど話したことがないですよ」
「でもお前ら一年の時から同じクラスだよな?」
「そうですけど本当に何もないですよ。去年は少し話したことありましたが、二年になってからは一切ないですね」
正確に言うと今年の二月からかな。
「去年は話したねぇ‥‥」
「ええ。」
先生は思案顔で暫く口を閉じる。
ここにあまり長居したくないので話を終わらせようとしたところで先生は切り出す。
「お前たちなんかあっただろ」
その言葉に激しく動揺する。
「だっておかしいだろ。去年は多少なりとも話をしていたのにお前の言葉を鵜呑みすれば二年になってからは全く会話がない。隣の席なのに」
「いやだってまだ二週間ですよ。もしかしたら明日何かの拍子で話しするかもしれませんし」
思ってもないことを口走っていた。今日までのことを考えるとその可能性は低い。だが動揺していたせいで思わず言ってしまった。
「まぁお前がそう言うならそれでもいいが。お前が望月に嫌われている可能性もあるしな」
「ハハッ」と軽く先生は笑う。
それに対してなんだかムカッときたが我慢した。
「だがそれはないと思うがな」
即座に否定してきた。
「教師生活十二年やっているとよ、何となく分かるんだよ。誰と誰とが仲が良くて、反対に仲が悪いとかな。あー生徒の話な。んでお前ら、とくに望月を観れば簡単だよ」
そこでいったん区切り俺の様子を伺っている。
というかお前まだ三十代だったのかよ。五、六浪してれば四十才だが、五十才位かと勝手に思ってた。どうりで見た目と口調に少し違和感がある訳だ。今日一の驚きだよ。と心の中で悪態をつく。
「望月はいつもお前のことを気にしている」
「っ‥‥‥」
眼前の教師が突然言い放った内容に言葉を失った。
「ほう、意外だったか。あんな分かりやすい態度に気付かないなんて、見た目通りお前、鈍感だな。何処のラノベの主人公だよ」
おっさんがラノベという単語を出したことはこの際どうでもいい。肝心なのはその前だ。
望月さんが俺を気にしてるって?
確かにキスをした事実はあるけれど、あれはかなり不可解な出来事だ。
あれから二ヶ月、本当に何も無かった。自惚れる訳ではないけど、もし仮に望月さんが俺のことを想っているなら、あの突然のキスは百歩譲って納得しよう。
だがどうだ? その後話し掛けない俺も俺だけど、あんなことする勇気があるくらいなら、向こうから話し掛けてきてもいいんじゃないか? あ、でもやってしまった手前向こうも恥ずかしいのか。じゃあ俺に好意が無かった場合はどうだ? そもそも好意が無ければ話し掛けないだろうし。でも隣の席だろ。話しかけてくれてもいいんじゃないか? あいやでも恥ずかしいのか。
あーーーーーーーくそっ、もうわっかんねー!
「おぅおぅ悩んでるな、主人公君」
「先生が言ったこと本当なんですか?」
「やっぱ気になるよな。望月背が高くて結構スタイルいいもんな。クールな顔しているから可愛いというより美人って感じか」
「そういう意味で訊いたんじゃなくて‥‥」
ここで初めて我に返る。
このままじゃ先生の思うつぼな気がする。
「もういいです。こんな話しするだけなら帰らせてもらいます」
無理矢理話を終わらせ席を立った。
「あー本当は別の話しがしたかったんだが、なんか面白かったから今日はもういいや。また今度話すわ」
本題があるなら先に言えよ、と思うが今となってはどうでもいいので、鞄を持って部屋から出ようとドアノブに手を掛けた。
「望月の話し、あくまでも俺の主観でしかないからな。当てにならんかもしれんしな」
「ハハハッ」と言う笑い声に振り返ることはせず、そのまま「失礼します」と部屋を後にした。
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