第3話 猫を被らずはったりを

  気怠げな午前中の授業が終わると同時に、クラスの半分くらいが購買や学食、もしくはどこかの教室へと流れていった。

 朝話し掛けてきたテカテカこと若林憲吾もその中の一人で「今日こそはチャーシューパンを」と言いながら友人と一緒に出て行った。


「ヒデー。やっと起きたのー?」


 俺の近くに来て声を掛けてくるクラスメート

 徳瀬彩乃。コイツも小学校からの付き合いだ。


「俺のタイムスケジュールに『授業中に寝る』なんて予定は書いてないな」


「そう?だって今起きたって顔してるじゃん。」


「ほっとけ。元からこんな顔してるんだよ。というかなんか用?」


 彼女の右手には弁当箱が入った袋がある。


「あーそろそろ行かないかなー?なんて思って」


 何処へ?とは思わない。この時間に徳瀬が誘う場所は一つしか無い。


「何度も言ってるだろ。俺は行く気が無い。向こうだって嫌だろ」


「だから大丈夫って言ってるじゃん。お昼一緒に食べようってんじゃなくて、少し話するだけでもいいからさー」

 彼女のよく通る大きめの声が教室内に響く。

 教室に残っていたクラスメートが、友達同士でヒソヒソ話をしながらこちらを伺っている。


 徳瀬はその声が聞こえた方を一瞥し、俺に向き直してから続ける。


「ナツも会って話をしたいって言ってるよ」


 少しトーンダウンした声で言う。

 「ナツ」とは前原奈月さんのことだ。

 

「本当に前原さんがそう言ったのか?」

 疑念を込めて言い放つ。


「‥‥いやそうじゃないけど」


 徳瀬は口ごもらせた。その表情は話し掛けてきたときより幾分顔を曇らせていた。

 バツが悪かったのか、若干明るく染め、肩よりも少し長い髪を左手でクルクルとイジり始めた。見た目はパーマをかけているようだが、実際は癖っ毛なのは昔からの付き合いなので知っている。猫みたいな目をしている彼女にはとても似合っているとも思う。



そして思った通りハッタリだった。

前原さんがそんなことを言うはずがない。少なくとも今は。


「どっちにしろ今は会う気がない。だから保健室へは徳瀬一人で行ってくれ。それと前原さんにはあまり俺の話をしない方がいい。」


 周りを気にして俺も声を落として言う。

 本当は隣にいる望月さんにも何となくこの話を聞いて欲しくはなかったが、距離的にどうしようもない。横をチラ見すると、望月さんはこちらの話を気にするでもなく、弁当を食べ始めていた。


 なにより今前原さんに会うのはどうしても躊躇われる。


 彼女はあの一件以来、保健室登校を続けている。

 厳密に言うと最初は学校を休んだ。

 彼女の親と学校側が話し合い三月から保健室登校をすることになり、無事二年に進級した。

 元々彼女自身普段の素行や成績が良いこともあり、尚且つ学校側もことを荒立てたくないということもあったらしい。

 

 らしい、というのも俺はその時期自分の事だけでいっぱいいっぱいで周りを見る余裕なんてなかった。同じ当事者である前原さんのことを気に掛けはしたが、だからといって何かしてあげた訳ではない。

 ことの顛末は随分時間が経ったころ徳瀬から大まかな話を聞いた。


「‥‥分かったわ。今日はアタシ一人で行ってくる」


 諦めたのか、そう言いながら扉の方へ向かおうとしていたが、何かを思い出したのかこちらを振り返り、話を続ける。


「今日はアタシ一人だけど、明日からは多分そうじゃないから」

 

「だから俺は‥」

「違うよ。他にもナツとお昼したいって子が結構居るのよ。ナツに大丈夫かって確認しないとだけど」


 どこか嬉しそうに喋る姿は少し前の、あの出来事以前に見せていた彼女本来の在りように近いと思った。


 徳瀬と前原さんは小学校からの親友。

 前原さんの一番辛い時期に寄り添っていたことは、聞かなくても今の表情を見れば分かる。


 親友が辛い目にあった。徳瀬はどうするか?

 答えは助けるに決まっている。

 彼女は昔からそうだった。困っている人は助けたい。だから手を差し伸べる。

 俺に対してもそうだったし、あの時にも手を差し伸べられた。しかし俺は頑なに拒否した。あの時の俺は普通じゃなかったから。

 当然彼女は前原さんに手を差し伸べた。だから保健室だが、学校に来ることが出来ているのだろう。

 

 余り面には出さないけど徳瀬も相当辛かったんだと思う。でも僅かずつだけど良い方へ向かっているんだと感じた。


「だから今日来てくれたらいいなーって思ったんだけどさ。だって人が多くなるとヒデだって行きづらくなるでしょ?実のところナツにヒデを連れてきても良いかって訊いたんだけど、良いともダメともいわない訳よ。で、ナツと割と仲が良かった他の男子は?って訊くと「今は無理」ってはっきり言うもんだからさ、じゃあヒデは連れてって良いのかなーと思ったの」


 と早口で捲し立て、二呼吸ほど置いて、


「ねぇ、ヒデやっぱりさ‥‥」


 そこまで言うと押し黙り、視線を合わせ目で訴えかけてくるが、俺は視線を外し首を横に振る。


「そっか」


 そう一言言って今度はそのまま教室から出て行った。


 彼女が言いたかったことは分かる。それでも前原さんのところへは行くことが出来ない。

 でもこのままでいいとも思わないが、会う資格がない。


 懺悔の念は絶えず心に存在するが、ただあるだけで誰にも赦されてはいない。赦されることを俺自身が赦してはいけないと否定する。

 

 本当の感情を押し殺した今の俺には、二度と同じ過ちを犯さないという覚悟だけはある。


 でもただそれだけで、誰かを救うことはできない。

 唯一救われるのは自分だけ。 


 傲慢だろうか。

 

 赦されぬのならばせめて『救われたい』と思うことは。



 

 




 

 

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