第2話 上弦の月
英雄。
前人未到の快挙を成し遂げた者たちに送られる称号。
現在では勇気ある行動に対して簡単に使われがちで、揶揄寄りの比喩で称されることが多い。
しかし俺に送られたのは、100%揶揄されたものだった。
今年の二月。前原奈月に告白した。
前原さんとは小学校から高校に至るまで同じ学校で、何度か同じクラスになることがあった。
意識し始めたのは中学二年生になったあたりで、その頃からよく話をするようになった。
中学三年のときに一度告白しようとしたが、言い出す勇気がなく結局断念した。
運良く同じ高校に決まったときは本当に嬉しかった。しかも同じクラスと聞いたときは体が跳ねそうなくらい舞い上がった。
そして前原さんに告白を実行したのは高校一年の三学期。本当はクリスマス前に実行しようと思ったけれど、タイミングが見つからず(言い訳だけど)なんとか勇気を振り絞って想いを伝えたのはバレンタインデーより少し前の二月の始めだった。
「ごめんなさい。今は誰とも付き合えない」
二人の他は誰もいない旧校舎三階の廊下。
窓をみれば日は完全に落ちて、代わりに澄みきった冬の夜空に半分になったお月様が俺の目に映った。
この階には文化系の部室が二つあるが、今日は両方とも休みだと言うことを事前に知っていた。
時刻は午後六時四五分。そろそろ最終下校時間だ。
下階からは吹奏楽部が奏でる楽曲が流れてくるが、二人の会話の邪魔にはならない。
俺は拙いながらも呼び出しに応じてくれた前原さんに自分の想いを伝えていた。
彼女の返答に対して自分が思ったよりはダメージを受けていなかったと思う。
言ってしまえば彼女はとてもモテる。何度か他の男子から告白されていたことも知っていたし、その全てを断っていたことも周囲からの話で知っていた。
だからだろうか、俺もきっとダメだろうと心の中では思っていた。
前原さんの容姿はというと、艶が美しい黒くて長い髪。顔立ちは整い目は少し垂れ気味だが、それがとても柔らかく優しげ見える。身長は155㎝位で、175㎝ある俺と近くで話をするときは少し上目遣いになり、それにドキッとさせられる。
成績は昔から常に上位で、運動が少し苦手なところもあるがマイナスイメージにはならず反対に《愛くるしいキャラ》と周囲からの評判は高かった。
「‥‥分かった。なんかごめんね、前原さんに迷惑掛けてしまって」
「ううん、大丈夫だよ。ヒデ君が告白してくれたこと、本当に嬉しかった」
「ヒデ君」と前原さんに呼ばれるようになったのは中三の時だった。
夏休みに俺と前原さんを含む仲が良かった男女数人で地元のお祭りに行った際、話の流れでみんなで下の名前で呼び合おうってことになった。
女子全員はみんな下の名前で呼んだが、俺ともう一人の男子は恥ずかしくて結局最後まで女の子の下の名前を呼ぶことが出来なかった。
俺達はみんなから揶揄われたが、俺は不思議と悪い気がしなかった。好きな女の子から下の名前で呼ばれるなんて、むず痒さはあれど幸せな気持ちの方が勝っていた。
「そう言ってくれるとなんか、‥‥‥ありがとうって感じかな」
告白自体に後悔はなかった。ダメージも少なかった。だけど緊張感と少しのショックで頭の中は何も考えていられなかったと思う。けれど「ありがとう」
という言葉は息を吐くように自然と漏れ出た。
「本当にありがとう。それと本当にごめんなさい」
そう言いながら前原さんは自分の足下が視界に入るくらいの角度で頭を下げた。
「べ、別にいいよ。前原さんが謝らなくても。本当に大丈夫だから。だから頭上げてくれ」
俺がそう言うと頭を上げた前原さんの表情は、少し困っているようでもあり、はにかんでるようにも見えた。
少しの間お互い口を開くことも無く、視線を合わせるでもない二人の周りは、吹奏楽部の音もかき消すくらいの静寂に包まれたみたいだった。
そんな空気と彼女の表情にいたたまれなくなった俺は、何か言わなくてはという、ある種の脅迫概念に囚われていた。
「と、友達から‥‥違うな。また友達としてってことでいいかな?」
「うん。私もヒデ君とはまだ友達としていたい」
「そうだよな‥‥友達だよな、友達‥‥」
語尾は彼女に聞こえない位の声だったかもしれない。
前原さんとは視線がぶつからない。そしてまたお互い沈黙し、微妙な空気が流れる。
そして空気に耐えきれなかったのか、重い口を次に開けたのは人ひとり分離れた距離にいる彼女の方だった。
「そう友達‥‥‥ねぇ、だったら‥‥」
ここまではありきたりな青春の一ページと言っても過言ではないと思う。
今まで築いてきた二人の距離感と関係性は少しの間離れることがあっても、失うことは無いだろうと思っていた。いや願っていた。
そんな願いを打ち砕く不穏な気配は、すでにこの時から漂っていたが、俺はそれに気付けなかった。
そして俺がそれに気付いた時にはもう、全てが破裂する寸前で、何も出来ない事実を傍観するしかなかったのだ。
今にして思う。この時前原さんは、俺に何を言おうとしていたのだろう?
でも俺は訊くことはないだろう。彼女に話し掛ける権利なんて今更ありなんてしないのだから。
そしてソレは始まった‥‥‥‥
厳密にはもっと前から始まっていた。
前原さんが「だったら」の後を続けようとしたその瞬間、部室としても使われていない一つの部屋から『ガタッ』と物音がした。
その音に二人共体をビクッとさせると、思わず目を合わせた。
音がしたのは俺の後ろの方から。自分より後ろにある部屋は倉庫代わりの空き部屋しかない。
今二人がいる真横の部屋と前原さんの後ろにある部屋は文化系の部室があるが、今日は誰もいない。事前に鍵が掛かっているのも確認してあった。
前原さんは俺から視線を外し、物音がした方を見た。俺はその視線を追うようにゆっくりと後ろを振り返るが、廊下にはもちろん誰もいなかった。
当然考えられるのは部室以外の空き部屋だ。
「誰かいるのかな?」
俺は独り言みたいに呟くが、何も反応はなかった。
誰かが近くに居るのは間違いがないと思う。明らかに不自然な音、風とかそういうものではない。
しかし一世一代の告白を誰かに聞かれたかもしれない、と思うとこの状況にどうしていいか分からなくなった。
一度前原さんの方を向き直すが、彼女は困惑の色を隠せないでいた。
再度後ろを向く。今度は上半身だけでなく回れ右だ。徐に足を一歩二歩と進めると後ろから、
「ごめん!私もう行かなくちゃ。」と前原さんの声が聞こえた。
えっ?と振り返った時には彼女は「また明日ね」と言いながら階段の方へ走り去って行く。
俺はそれを唖然としながら、しかしどこかホッとした気持ちで見送っていた。
多分前原さんも恥ずかしかったんだろう。だからこの場から逃げるように走り去ったのだと思う。
そう考えると俺の恥ずかしさが、物音の原因を確認する気持ちより上回った。
逡巡した後、今度は振り返ることもなく俺はこの場から歩いて立ち去った。
『もしこの時』と何度思っただろう。
もしかしたら何かが変わったかもしれないし、変わらなかったかもしれない。
だけど思う。あの時見た半分の月は、俺が望む形へと変わるのだろうか?
それとも‥‥‥‥‥
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