多感な少女

@pigmate

第1話 教えてくれ

 高校一年の二月、


 気が付くとクラスメートの女子とキスをしていた。


 ファーストキス


 

 その時の記憶は曖昧で、ただ一つだけ言えることは、そのときの俺は人生の幕を自らの意思で閉じようとしていたことだ。


 感覚だけは覚えている。

 甘いだの苦いだの言葉で表現するのは難しく、強いて言うならば『覚醒 』だろうか。


 あのキスが無ければおそらく、俺の人生は確実に終わっていただろう。彼女にはいくら感謝しても全然足りない気持ちだ。それは本当だ。


 しかし高校二年になった今でも、その感謝の気持ちを伝えることをまだ出来ないでいた。

やがてその想いは時間の経過とともに、使い古した靴底のように段々と擦り減っていく。

 

俺は薄情な人間だろうか?時間の経過を言い訳に、感謝の念が薄れていくなんて、命の恩人に対して不義理ではなかろうか?


彼女のどこか近寄りがたいオーラと自身の意気地のなさが相まって、二人の間には物理的な距離より何百倍もの心の隔たりができてしまっていた。


が、もともと存在してたかすら疑わしい二人の距離。


 その矛盾が余計に悩ませる。つまり濃い霧の中の様な場所で、存在すら危ういそれとの距離感を測りかねて、彷徨っている。


不安が更なる不安を呼び、伝えるべき言葉が靄の中に紛れ込んで、いざという時、その言葉を掴み取ることが出来るだろうか。間違って別の何かを掴んでしまい、取り返しのつかない事態に陥らないだろうか?


 

 いつか必ず想いは伝えたい。例えそれがどんなカタチで、どんな結果になろうとも。                          



 気持ちを伝えられていない相手の名前、望月深陽みよう


 幸か不幸か、彼女とは二年になっても同じクラスになった。


 そしてその時が刻々と迫って来ていることを今はまだ知る余地もなかった。



………………………………………………………



 「船林英幸」

 二年二組担任の菅原先生が出席を取る。俺はそれに目立たぬよう最小限の声量で「はい」と答える。その際クラスの一部から失笑が漏れ聞こえてきたが、俺はそちらを見ることなくただ真っ直ぐだけを見た。


 ‥‥‥気にしたってしょうが無い。

 

 先生は俺に一瞥してすぐに出席確認を続けた。


 新学年が始まってから二週間が経過し、クラスが落ち着いてきたのと春の陽気が相まって、どこか弛緩した空気が教室に漂っていた。

 そんな中、女子も中盤に差し掛かり「望月深陽」と菅原先生が呼んだ。


「はい」


 彼女は堂々とした面持ちでそれに答えると、クラスの中が少しだけピンと何かが張ったような空気になった。しかし名前が進むに連れて、張った何かは緩んでいった。


最後の生徒を呼び終えると「よし休みはいないな」と出席簿を教壇にボンと雑に置く。そして教壇の両サイドに手を置き、話を続ける。


「大半の生徒はクラスに馴染めてきたみたいだが、あまり気を緩めるなよ。受験はまだ先といってもあっという間だからな」



 クラスからは「テンション逆に下がるわー」とか

「まだ志望校なんて考えてないよー」など困惑めいた声が広がった。

 そんな雑談めいた雰囲気のなか俺は左横をチラリと覗う。そこには背筋をしっかりと伸ばして正面を向く望月深陽がいる。

 そう、望月深陽は俺の隣の席。小声で話しても聞こえる位の距離にいた。


 一年のときは同じクラスでも、席が近くにましてや隣になることは一切なかった。どちらかというと、いつも俺から離れた席にいたような気がする。


 彼女は俺の視線に気づいたのか一瞬だけ顔をこちらに向けるが、表情を変えることもなく直ぐに顔を戻した。


 俺と彼女はいつでもこんな感じで、特に話をすることも無い。一年のときもこんな感じだったと思うが、それでももう少しは何かしら話をしていたような気もする。

 それはやはりあの日を境に変わったのだろうか。


 望月深陽はあの日の出来事が何もなかったように過ごしているようにみえる。変わったのは元々希薄だった俺との関係性が、今はただのクラスメートでも何でも無い赤の他人みたいになったということだ。




「ひでゆきー」

 ホームルームが終わり、菅原先生が教室から出て行くと、クラスのみんなは授業の準備をしたり、友達と雑談を始めていた。そんな中、少しけだるそうなけれど人好きしそうな明るい声が俺を呼んだ。


「なんだよ憲吾、朝からその声を聞くとムカムカするな」


 本当は少しだけほっとしている。それに人に対して気軽に悪態つけるのは、少し前の俺からは想像できなかった。


「朝からひでぇ!てか、さっきの気にすんなよ。あんなの何もわかってない奴等が言ってるだけだしよ」


「ああわかってる。今はもう気にしてないよ」


「だったらいいけどよー。てか、もう新しい恋始まっちゃってる?てか、それ誰よ?」


 なんの脈絡もなく話を変えて、てかてかと煩いコイツは若林憲吾。二年になって初めてクラスが一緒になった。一年のときから存在は知っていたが絡んだことは皆無だった。しかし、二年になってからやたらと俺に話し掛けてくる。「っべー」とかいつも言っているどこかのラノベの脇役によく似ている。その脇役と同じくサッカー部に所属していて、顔はまあまあのイケメンだ。


「新しい恋ってなんだよ。そんなに俺が年中発情してるように見えるんか?」

 言ったとたん、しまった、と思った。そして右から話し掛けてくる憲吾の反対側をほぼ無意識にみた。即ち望月さんの方を。


 望月さんは何故か俺の方を見ていた。そして目が合うが彼女は少し間をおいてから徐に立ち上がる。

 その瞬間俺は息を呑む。が、彼女はそのまま教室からゆっくりと歩いて出て行った。


「ひでゆきどうしたん。望月さんになんか用でもあった?」


「い、いや、別に何もないよ。ちょっと気になっただけ。ち、違う何も気になってなんかいない」


 慌てて訂正するも全くフォロー出来ていない気がする。


「そうなん。まぁ別にいいけどよー。てか昨日部活の先輩がさー‥‥‥」


 なんか気を使って話を変えたのか、ただ単に部活の話を聞いて欲しかったのかわからないが、とにかく助かった。

 思わず望月さんの方を見てしまったのは、あの出来事が頭に浮かんだからだ。

 

 キス


 健全な高校生ならしたくて当然なこと。

 特に好きな人に対してなら、求めてしまうのが普通だろう。


 俺は望月さんとキスをした。それも彼女の方から。

 でもそれは俺が望んだものでもない。彼女も望んだものでもないのかもしれない。 

 だけどなんの温もりも残っていないそれは、唯の事実として記憶としてあるだけで、臭い言い回しで例えるなら《心に残っていない》だ。


 憲吾の話を聞き流しながら思い更けているとチャイムが鳴り、同時に望月さんが教室に入ってくる。憲吾は話を切り上げ自分の席へと戻っていった。


 視線を少しだけ左に移すと望月さんは授業の準備をしていて、肩までかかった髪の隙間から見える横顔からは、何も読み取ることができなかった。


 だけどさっき席を立ったあの瞬間、少しだけ、ほんの少しだけだが、彼女の口角が上がっていたのは、多分見間違いではなかった。


 誰か教えてほしい。


 彼女がなにを考えているか。


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