放浪賢者、スローターオランウータンと戦う

まつこ

森の中の殺戮者

 とある小さな村で、事件が起きた。村の猟師であるロビン氏が、森の中で無惨な死体となって発見されたのである。

 遺体は著しく損壊され、犯人はさぞ彼に恨みを持っていたであろうことが推測されていたが、この村でロビン氏に感謝こそすれ恨みを持つような人物は思い当たらず、村の警備隊の面々は頭を悩ませていた。


 そこに、世界を旅する賢者、ルフェが現れたのである。村の者達はこの意外な助っ人を頼ることにした。


 「――――――なるほど、それはスローターオランウータンの仕業でしょう」


 警備隊の詰所で事情を聞いた賢者は、その蒼い瞳を輝かせながら、そんなことを言い放った。


 「スローターオランウータン?」


 およそ聞いたことのない、というよりふざけているとしか思えない発言に、警備隊のマイク隊長はオウム返しに聞き返した。


 「聞いたことがなくても無理はありません。今から200年ほど前には絶滅したとされる魔物です」


 賢者ルフェ曰く、その時期に人間とスローターオランウータンの存亡をかけた大きな戦いがあったのだという。森の中を自在に飛び回り、人間の死角から襲い掛かって殺戮を楽しむその魔物は、その時代の恐怖の象徴であったという。


 「大きな犠牲を払いながらスローターオランウータン最後の一頭を討伐し、世界は平穏を取り戻しました。一説にはその最後の一頭がその時代の魔王であったとも言われています。彼らの脅威を忘れたがった当時の人々が歴史から抹消してしまったために、記録には残っていませんが……」


 確かに、200年周期でこの世界に現れるとされる魔王だが、先代の魔王は400年前に出現したと記録されている。空白の200年は、そのスローターオランウータンによるものだったのかと、神妙に語る賢者を見てマイク隊長は納得した。


 「そんな危険な魔物が、この村の近くに……!?」


 「状況から推察する限りでは。死体を徒に弄ぶ魔物は少ない。その中で森に生息するものと言えばスローターオランウータンくらいしか思いつかないのです」


 「い、急いで対処しなくては……!」


 「ええ、人を集めてください。私でも単独での討伐は厳しいものがあります。それに、もし番がいて繁殖でもしていようものなら、200年前の悪夢の再来です」


 不安を煽る賢者ルフェの発言に、マイク隊長はごくりと唾を飲み込んだ。彼は大急ぎで警備隊の面々を呼びに戻る。


 こうして、スローターオランウータン討伐隊が編成されることになったのだ。





 万全の装備を整えて、賢者ルフェとマイク氏が率いるスローターオランウータン討伐隊は森の中に足を踏み入れた。

 視界は悪く、木々が揺れるガサガサという音にさえ緊張が走る。今やこの森は死の森だ。入った時点で、生命の保証などどこにもなくなっている。


 「な、なあ、アレは……!?」


 「バカ野郎、アレはただの鳥だ!脅かすなよ、チクショウッ!」


 警備隊とはいえ、彼らはただの村人である。まさか自分達が死に直面するなどと、今日この日まで夢にも思っていなかった。剣や槍、弓を持つ手は震え、腰が引けている。


 (これは、精神安定の魔術をかけておくべきでしたね……)


 精神魔術を他人にかけるのは倫理的に悪とされているが、しかしこの状況では寧ろかけない方が酷だ。

 賢者ルフェが1度立ち止まろうとした、その時である。


 「うああああああああッ!!!!????」


 部隊の後方、殿を務めていたルック隊員が、この世のものとは思えない悲鳴を上げた。


 「ガッ、アァッ……!」


 その悲鳴も、すぐに中断させられる。彼の首が絞められたからだ。誰に?

 ――――――スローターオランウータンに、である。


 「ひっ、ヒィィッ!!」


 誰のものかもわからない恐怖の声。

 スローターオランウータンは体高3m弱、その胴体は大人の男2人分の太さがあり、手足は丸太のように太い。乳房が垂れているところを見ると、恐らくは雌のようだった。


 「ああっああああっ!る、ルックを離せェッ!!」


 ルック隊員の友人だったトム隊員が、スローターオランウータンに対して弓を乱射する。5本撃った内2本は外れ、3本はその皮を裂くこともなく弾かれた。

 だが攻撃されたことを警戒したのだろう。スローターオランウータンは恐るべき高さまで跳躍し、木の枝に座り込んだ。

 彼女に抱かれたルック隊員は泡を吹き、顔は紫色になっている。首の骨が折れ、最早手遅れであろう。その犠牲者の頭をスローターオランウータンは食いちぎり、ペッ、と地面に向けて吐き出すと、楽しそうにケラケラと笑った。


 「うわああッ!ルック!ルック!」


 「よしなさい!」


 賢者ルフェの制止も聞かず、トム隊員はルック隊員の生首に駆け寄る。それを両手で拾い上げたところで、スローターオランウータンは狙い澄ましたかのように、彼の上に落下した。


――――――ぐしゃっ


 人生の終わりにしては、あまりに呆気ない音が響き渡った。同時に、隊員達に恐慌が伝染していく。

 逃げる者、滅茶苦茶に斬りかかる者、泣き崩れる者。そのどれもが、この殺戮者の前では無力である。

 スローターオランウータンは凄まじい握力で斬りかかってきた者の首をもぎ取り、それを投擲して逃げる者の胴体を貫き、泣き崩れる者は足、手と順番に千切って、悲鳴を楽しむために胴体からバリボリと音を立てて食い散らかした。


 「……地獄だ」


 それらを呆然と見ているしかなかったマイク隊長は呟く。最早ここは森ではなく血の海と化していた。

 これには勝てない。生命としてのスケールが違う。長年警備隊の隊長を務め上げ、他の者よりは命のやりとりを経験してきた彼には、それが直感出来た。


 「例えそうだとしても、座して死を待ってはいけません!」


 気丈な女の声。マイク隊長が隣を振り返れば、銀の髪をした賢者が杖を構えていた。その先には紫色の閃光。


 「これが効かなければ私にも打つ手はありませんが……!」


 祈りにも似た感情を抱きながら、ルフェは魔術を解放した。目を焼く光、鼓膜が破ける程の轟音。雷属性最上位魔術、憤怒の雷が、スローターオランウータンに向けて落ちる。


 耳鳴りとホワイトアウトが終わった後、果たしてスローターオランウータンは、未だ健在であった。


 「まさか一撃で倒すことが出来ないとは……」


 ルフェはガクリと膝を突く。マイク隊長はいよいよ終わりだと思った。だが……。


 「どこかへ行こうとしている……?」


 皮膚は焼け、眼球は爛れている。生きてはいるが、瀕死の重傷のようだった。ふらふらとスローターオランウータンはどこかへ去ろうとしている。


 「巣、かもしれません……1度様子を見に行きましょう。もし仲間がいるようであれば、いよいよ私達の手には負えない」


 杖を支えに、ルフェは立ち上がる。マイク隊長は彼女に肩を貸し、歩いて行くスローターオランウータンの後をつける。最早あの魔物にも一片の余力も無いようで、彼らを気にする様子は無かった。


 スローターオランウータンは、とある大木の前で立ち止まった。あの巨体の暮らす場所を確保するには、このサイズの樹木が必要なのだろうと納得させられる大きさの木だ。

 スローターオランウータンは上ることはせず、根元に座り込んだ。そこには、彼女より大きいスローターオランウータンと、小さいスローターオランウータンが1頭ずつ眠っている。


 「子供と……?やはり番が……!」


 マイク隊長は恐怖に表情を凍り付かせる。


 「いえ……どちらも死んでいます」


 賢者ルフェが呟く。マイク隊長も、ここ数年ですっかり悪くなってしまった目を凝らす。ルフェの言うとおり、その2頭は随分前に死んでいるようだった。


 「家族を守りたかったのでしょう。それを思う気持ちは、人間も彼女達も変わらない」


 「そうかもしれません。ですが、死んでいてくれて良かったと、今は心底思っていますよ……」


 「帰りましょう。彼女ももう、眠るようです」


 スローターオランウータン最後の生き残りである雌が、静かに息を引き取っていく。悪夢はこうして、森の奥で眠りについたのだった。

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放浪賢者、スローターオランウータンと戦う まつこ @kousei

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