ムラサキを求めて

きつね月

第1話 河川敷の姉妹


 それは九月のとある日のこと。

 とある小学生の姉妹が、河川敷の草むらでわちゃわちゃしていた。

 姉の名前を朱音あかね、妹の名前を紫音しおんといった。


「むう」

「お姉ちゃん、もう諦めようよ」

「だから、紫音はもう帰っていいって。そもそも一人で探すつもりだったんだから」

「わたしだけ帰ったら怒られちゃうよ」

「ふん」


 時刻は午後六時半。日暮れも早まり、辺りはもう暗くなっている。


「いいか紫音、今からが本番なんだぞ。その『ムラサキ』って植物が、ホントに紫色に光る綺麗な花なんだとしたら、暗くなってからの方が見つけやすいだろ」

「だから、そんなのおばあちゃんのデタラメだって」

「探してみないとわかんないだろ」

「もう」



 三日前のことである。

 学校から帰ってきた朱音がいつものように本を読んでいると、側で寝ている祖母が話しかけてきた。


「朱音ちゃん、なんの本を読んでいるの?」

「ん、あのね。植物の花とか根っことかから色を取るんだって。それで服とかハンカチとかに色をつけるの、やってみたいなあって」

「あらあら」

「そこら辺に生えてる草とかでもできるのかな」


 朱音がそう言うと、祖母はなんだか懐かしそうな表情になって、


「そうねえ、朱音ちゃんは『紫草むらさき』って知ってるかしら?」

「ムラサキ?」

「昔々、この辺りにたくさん咲いていた植物なんだけどね。その根っこを使って染料を作ると、それはそれは綺麗な紫色に染まるのヨ」

「へえ、いいなあ……それ」

「今ではもう自生してないんだけどね」

「なーんだ」

「でもね」


 祖母の顔がニヤリと笑う。

 あ、またへんなことを言う時の顔だ、と朱音は思った。


「一度だけ、アタシはそれがたくさん咲いているのを見たことがあるのヨ」

「ええ、嘘だあ」

「本当よ?紫草って本来は白くて小さいお花を咲かせるんだけどね、その時見たお花は紫色で、ぼんやり光っていて、それはそれは綺麗だったのヨ」

「ええー」

 

 何やら懐かしそうに語る姿を、朱音は呆れながら見ていた。ときどきこうやって朱音や紫音をからかうのが祖母の癖である。

 だけどまあ気になったので一応調べてみると、どうやら「紫草」って植物は実際にあるんだそうで、昔々はこの武蔵野台地にたくさん咲いていたっていうのも本当だった。それならもしかしたら今の土地にだって一本ぐらい残ってるんじゃないかな、と休日にこうして探しに来た、という次第である。



「でもさ『紫色に光る』って所は、さすがに嘘でしょ」

「でも本当にあったら綺麗じゃん?」

「それはそうだけど」


 飽きもせず草むらの中に突入していく姉の姿を、大きな石の上に腰掛けながら紫音は眺めている。


「ほんとお姉ちゃんって、おばあちゃんのこと大好きだよね」

「そうか?」

「そうだよ、だっておばあちゃんに見せてあげたいからこんなに頑張って探してるんでしょ?おばあちゃん、ろくに外にも出られないから……」

「ん、まあそう……かな」

「はあ、もう」


 紫音はやれやれと立ち上がると、朱音の隣に移動した。


「紫音?」

「七時までだからね、七時になったら今日は諦め。もう暗いんだから」

「……ん、じゃあ急がなきゃな、」


 と次の草むらに突入しようとしたときである。

 朱音が首に下げていた小さい袋のような物が、暗い足元にぽとりと落ちた。


「あ、いけね。お守り落としちゃった」

「お守り?」

「うん、『ムラサキ』を探しに行くって言ったらさ、おばあちゃんがくれたんだ……あれ、どこに落ちたかな?」

「……ねえ、お姉ちゃん」

「あった?」

「そうじゃなくて……なんか変な音がしない?」

「変な音?」


 そう言われて耳を澄ませてみると確かに音が聞こえてくる。


「ほんとだ、なんの音だろ?」


 それはまるでなにかが唸るような音だった。

 ごう、ごう、ごう、と

 音はだんだん二人の方へと近づいてくる。

 思わず紫音は朱音の手を掴んだ。心配すんな、と朱音もその手を握り返す。音はますます大きくなって、周りに生えている草がわさわさと揺れる。

 その正体は風の音だった。どこからか吹いてきた強い風が、二人のことを取り囲んだ。


「お、お姉ちゃんっ」

「紫音、手を離すな!」

 

 二人はその場にしゃがみこんで風をやり過ごそうとする。

 しかし風はますます強くなるばかり。目も開けていられなくなる。


「……」

「……」


 二人はお互いの手を握ったまま、じっと風が止むのを待った。


 

 


 

 




 



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