第43話 幼かったあの日②

 ケリードは会場を見渡し、特徴に該当する少女がいないかを探した。

 金髪も水色のドレスを着ている少女はも少なくはなく、後ろ姿だけでは判断できない。


 少女を探しながらさっきの男性が何者なのかを考えていた。

 ホースマン家は素質七大魔術の一つである治癒術を使う家門。

 大貴族の一つであるホースマン家の当主に気安く、それも当主の子を顎で使える人物となるとかなり絞られる。


 おそらく、ホースマン家と同じく、七大貴族のどこかの当主である可能性が高い。

 

 それならその子供とお近づきになっても悪くはないと打算的な思考を巡らす。


 でも……子供の相手……自信がないな……しかも女の子。


 同じ年頃の女子がする会話がケリードには全く無意味で面白くもなんともないのだ。

 同い年の少年たちよりも格段に優秀で大人びていたケリードは自分よりも年下の、それも女子相手と何を話せばいいのか皆目見当もつかない。


 それでも、とりあえずは少女を探さなくてはならない。


視界の中にそれらしい少女はいない。

ケリードは自分に向けられる視線を振り切り、庭の奥へと進んだ。


 白い薔薇が咲き誇る初夏の庭は単純な迷路になっていて、背の高い薔薇の壁のおかげで僅かな日陰が出来ている。


 何となく歩いているとどこからか、鼻を啜るような音が聞えた。

 

「ぐすんっ…………うぅ……」


 誰かが泣いているようだ。

 すすり泣くような声は近い。


 ケリードは声のする方へ向かって歩いた。

 

 泣いている子供の相手なんて面倒だ。

 それに自分は『リオン』という少女を探している最中で、見つけられなかったらそれもそれで面倒なのだ。


 父親の顔を立ててやるためにも、ケリードは見知らぬ少女を探さなくてはならない。

 だけど、こんな人がいない場所でひっそりと声を押し殺して泣いている誰かのことも、放っておけずに、ケリードは声の主を探した。


「たぶん、こっちだったような…………」


 ケリードは分岐する道の左の方を選択し、進んだ。

 少し進んで曲がり角を左に折れたところでケリードは足を止めた。


 そこは行き止まりだった。

 行き止まりになっている場所でしゃがみ込んでいる誰かがいる。


「君は…………」


 その人物はケリードの声に弾かれたように顔を上げた。


 ふわふわとした金色の波打つ髪、特上のガーネットのような美しい瞳、色白で愛らしい顔立ち、水色のドレスがとてもよく似合っている。


 ガーネットのような瞳を縁取る長い睫毛が涙で濡れて微かに震える。

 瞳から零れ落ち、頬を伝う涙がきらきらと輝き、地面に消えた。


 まるで天使だ。

 迷い込んだ天使が泣いているのかと思うほど、少女は愛らしく、美しかった。


 冷静になれば天使などではないとこは分かる。

 けれども、当時のケリードにはそれ以外少女を表現する言葉を知らなかった。


「……どうして泣いてるの……?」


 ケリードは何とか言葉を絞り出した。

 きっと、この少女が探していた『リオン』だ。


 特徴が一致。あの男性とそっくりだ。

 水色のドレスも着ているし、間違いない。


 さっきの男性と違って、この少女は儚く繊細な印象だが、血縁者で間違いない。


 泣いているのに引っ張って連れて行くわけにもいかないので、ケリードはリオンを落ち着かせるために、優しい声で訊ねた。


「…………ピアノをする子が…………弾きたくないって……だから、リオンも弾けないの…………」


 リオンは言葉を詰まらせながら言う。


「どうして弾きたくないって言われたのかな?」


「その子が好きな婚約者が、私のことを好きなんだって」


「えぇ…………」


 何てくだらない。

 

 ケリードは子供の喧嘩理由が衝撃的過ぎて天を仰いだ。


 要約すると伴奏者の少女の婚約者がリオンに気のある素振りを見せ、リオンもその婚約者に親し気に接したことで伴奏者の少女が嫉妬し、怒って伴奏をしないと部屋に立てこもってしまったらしい。


 扉の前で何度も声をかけたが、少女も頑ななようで、途方にくれてフラフラと庭まで歩き、泣いていたようだ。


 本当にくだらない。


 こんな五、六歳の少女が色恋沙汰の渦中にいることも信じられない。


「別に伴奏がなくたっていいんじゃない?」


 コンクールでもなければ発表会でもないのだ。

 ただのちょっとした余興、それもお家自慢の一環ぐらいの軽いものだ。


 伴奏があろうが、なかろうが多くの人は気にしない。


「…………一人は嫌……」


 しかし、幼い少女一人では心細いらしい。


 まぁ、それもそうか。


 ケリードは自分なりにリオンの心境を理解し、提案した。 


「ねぇ、じゃあ僕がピアノを弾くよ」


 伴奏がないからバイオリンを弾けないと言って泣くリオンにケリードは言う。

 ケリードの言葉にリオンは弾かれたように顔を上げ、曇っていた表情は輝かせた。


「本当に? 本当に弾いてくれるの?」


「もちろん。君のバイオリン、楽しみにしていたんだ。一番近くで君の演奏を聴かせて欲しい」


 これはケリードなりの優しい嘘だ。

 少しでもリオンがその気になってくれるように願いを込めて。


 するとリオンはぱあっと花の咲いたような笑顔を見せ、勢いよく立ち上がるとケリードの手を掴んだ。


 自分よりもはるかに小さな手がケリードの手を放さないようにしっかりと握り締める。


 その手の温かさと力強さにケリードは狼狽える。

 さっきまで泣いて儚く弱弱しい印象だったのに、花のような笑顔で微笑み、力強くケリードの手を引くのだ。


 何だか変な気分だ。


 胸の中が落ち着かない。

 何だか掻き回されているようなおかしな気分になる。


 それと同時に、胸が高揚するのだ。

 堪らなく、この少女の隣にいたいという不思議な欲求が沸き起こる。


「お兄様、お名前は?」


 唐突に立ち止まってケリードの手を解いたリオンは小首を傾げて訊ねた。

 一挙手一投足が愛らしい。


「私はリオン。リオン・スチュアートと申します」


 そう言ってスカートを摘まみ、淑女らしい挨拶をした。


 この時の衝撃ったらない。

 まさか、リオンが七大貴族達の頂点とも言える紅蓮のスチュアートの娘だったなんて。


 「……ケリード・ホースマン」


 呆気に取られたままの状態でケリードは名乗った。


「……リド……リドお兄様とお呼びしても?」

「お好きにどうぞ」


 相手はスチュアート家の娘で既に魔力の強さから家印が現れたというのは有名な話だった。

 それに比べて自分は三男で、家印もない。

 将来的に得るものが違い過ぎる。


 格の違いに気持ちが静かに沈む。


「では、リドお兄様、こちらへ」


 リオンに手を繋ぎ直され、急かされながら控室へと入るとそこには先ほどの男性こと、スチュアート家当主とその妻、そしてケリードの父がいた。


「あぁ、連れてきてくれたのか。感謝する」


「お父様、リドお兄様が伴奏をして下さるの」


 スチュアート当主は首を傾げるが、まぁ、良いかといった具合で頷いた。


「だったら一度、合わせておいた方がいい」


 そう言って控室の隅にあるピアノを指した。

 

「お兄様、早く!」


 ケリードは楽譜を受け取り、広げてみると、その曲は見たこともなければ聞いたこともない弾いたこともない曲だった。


 しかも、子供が演奏するには難易度が高い。

 

 伴奏者が逃げた原因、これじゃない?


 ケリードもどうにか弾ける、くらいのものだ。

 完璧に弾くのは難しいかもしれない。


「これは娘のオリジナルなんだ。二人の演奏を楽しみにしている」


 そう言ってスチュアート当主は妻とニヤニヤしたケリードの父を連れて退室した。


「時間もないし、始めようか」


「はい! リドお兄様!」


 これがケリードとリオンの始まりだった。

 


 

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