ノルウェーの森と街 #4
霧島とアプリオリがドアを開けて侵入したと同じ頃。ジャンとシルヴィアもまた、別のルートからの侵入を試みていた。
霧島たちのルートと違い、こちらでは見張りなどはおらず、解除した扉の向こうには通路が通っているだけだった。どうやら普段は従業員用の通路として使われているものらしい。
「あちらも無事に侵入できたようです。参りましょう」
ジャンは左手に付けたスマートウォッチを一瞬確認すると、すぐ後ろに控えたシルヴィアを促した。
「承知しました」
シルヴィアは扉の解錠に使ったタブレットを神経質そうに抱えると、ジャンから2mほどの距離を取ってついていった。
ジャンは横向きのマガジンが特徴的なP90を構え、なるべく足音を立てないようゆっくりと歩を進めていた。通路は白い壁に電灯が等間隔に続いており、一見すればごく普通の発電施設の様に思えた。
通路はところどころに部屋が点在しており、先頭にたったジャンがその都度確認していたが、ほとんどが個室ばかりで、しかもどこにも人の気配が無かった。
その静けさに違和感を感じつつも、ジャンはまるで詰め将棋を解くような洗練された動きでひとつひとつ確認していく。
「ここもクリア。どうやら目的の部屋までは一直線のようですね」
通路の中程で誰もいないことを確認すると、ジャンはシルヴィアに話しかけた。
「はい。事前に頂いた情報が正しければ、この先に施設の制御室があるようです」
シルヴィアはタブレットに映し出された地図を頼りに、ジャンをナビゲートしていたが、実際のところほとんど分かれ道などもなく、迷うこと無く目的地近くまで来ることができていた。
「이해했어요(イヘヘッソヨ)(了解しました)」
ジャンはそう答えると、再びP90を構え直し通路を進み始めた。しばらくして進むとすぐ、薄暗い大広間へとつながる入り口が見えてきた。
ジャンは入り口の前にシルヴィアを待機させると、銃を構えて中を調べて回った。
「オールクリア。どうやらここが制御室のようですね。」
複雑な波形や数式の映し出されたコンピューター端末があちこちに並び、部屋から覗くガラス張りの向こうでは、大規模な空間に大量の水が滝のように勢いよく落ちていく様子が見えていた。おそらく、下の方には発電するためのタービンが設置されているだろうと思われた。
「あれがこの施設の動力源ですか。なかなか圧巻ですね」
「えぇ、あとはこっちが…どうやら例のマイニングルームのようです」
複雑な制御盤を中央に据え、その両端には大型モニターが数台設置されていた。
そこには金属製の棚に隙間無くぎっしりと整列された小型のPC基板が、チカチカとランプを点滅させながら必死に計算している様子が映し出されていた。サーバールームはどうやら複数あるらしく、それぞれモニターには違った部屋番号が記されていた。
「どうやら霧島さんたちはまだ来ていないようですが、どうしますか?」
「詳しいことはアプリオリさんがいなくてはどうにも…。とりあえず、先にハッキングの準備だけは済ませておきます」
シルヴィアは背負ったリュックからタブレットをもう一台と、専用のUSBを取り出すと、制御盤のポートへと差し込んだ。すぐにタブレットとモニターには、複雑な数式やコードが羅列していく。
「スティング博士はどのような方ですか?」
シルヴィアが作業を始めてしばらくして、ジャンが何とはなしにそう尋ねた。
「いえ、そういえば香港の任務の時は、お話しする暇もなかったものですから。シルヴィアさんのお友だちなんですよね」
シルヴィアはタブレットに繋いだキーボードを操作しながらぽつぽつと語り始めた。
「そうですね。実のところ、彼女と過ごしたのはそこまで長くは無かったと思います。1年ほどでしょうか」
「1年…ふむ」
ジャンは少し意外そうな顔をしていた。
「分かっています。1年は随分と短いですよね。ですが、そうですね。彼女は色々と親切にしてくれたんです。私が大学に入ったのはローティーンでしたから…。周りは大人ばかりで、頼れる人がいなくて、しばらくは孤立しがちでした」
シルヴィアが語る話をジャンは黙って聞いていた。
「そんなときです。私が食堂でひとりでいるときも、研究室に入った時も、何かと気にかけてくれて。それなりに楽しい学生生活を送れたのは、彼女のおかげでもあるんですよ。まぁ、らしくないとは思うのですが…」
「いえ、友情に厚いのはとても素晴らしいことと思います。私にも覚えがありますよ」
ジャンは口元に笑みを浮かべそう答えた。そう答えたジャンにつられ、シルヴィアも珍しく小さく口元を緩ませた。
「そう。その通り。友情に厚いのは素晴らしいことです」
ジャンとシルヴィアは唐突にかけられたその声に、思わず飛び跳ねてしまいそうなほど驚いた。
自分たちの入ってきた入り口のそばに、いつの間にか男がひとり佇んでいた。
「やれやれ…せっかくの休日にこそ泥とは。しかも…銃まで持って」
男はやれやれと両手を広げて答えた。ジャンは反射的に銃を構えるが、男は全く動じる様子を見せない。
ふたりは周囲を警戒しつつ、ほとんど目線だけで確認し合った。
この男がREVISORだ。
切り揃えられた短髪に、神経質そうな掘りの深い顔。事前に見せられた写真の男そのものだったが、相対してみると実物とイメージは随分と違う。
寒さを防ぐために男もスノーウェアを着込んではいるが、その下にある盛り上がった筋肉と軽い身のこなしは軍人のような気迫もあり、それでいて知性も感じさせるその姿はREVISOR(会計士)というには随分と不釣り合いなあだ名に思えた。
「やぁ、シルヴィア。こんなところで再会できるとは、世の中は随分と狭いようだ」
まるで長年の友人との再会のような気安い態度にシルヴィアは面食らってしまう。
「私を…知っているの」
「もちろんさ。私と君は同窓生なのだよ」
ジャンは思わず、男から視線をシルヴィアへと向けてしまう。
「あいにくだけど、知らないわ」
「いやいや、無理もない。なにせ私は経済学部にいたものでね。当時は数理ファイナンスを学ぶごく普通の学生だったんだよ」
入り口のあたりから移動し、部屋の隅に立てかけられたパイプ椅子を開いてどっかりと腰をかけた。その口調は変わらず、何でもない雑談のようだった。
「スティング博士とはバスケットボールのサークル仲間でね。よく話をしたものだ。もちろん君の話もよく聞かされたよ」
「なぜ、スティング博士を利用したの」
シルヴィアの問いに、男は笑って応えた。
「利用なんて人聞きの悪いことを。私は見ての通り、お金を稼ぎたいだけの男さ。そのためには人手がいる。リクルートだよ」
その言葉に、シルヴィアは顔が紅くなるのを感じた。
「そのために彼女を子どもをさらっておいて何を…!」
「まぁまぁ、あれは仕方ないことだったんだ。どうしても最新の半導体が必要でね。何せ、手持ちの計算機ではスペックがどうにも足りなくて。子飼いの傭兵たちにも給与は払わないといけないだろう…?」
男が言い切る前に、シルヴィアは懐に手を差し入れると、一本のナイフを投擲していた。長くしなやかな腕が振るったナイフは高速で男へと飛来したが、その金属片は途中で動きを止めてしまった。
「あぁ、君はダーツが上手らしいね。聞いていたよ」
ナイフは男の手の中でギラギラと光を放っていた。男はあろうことか高速で飛来するナイフを、白羽取りの要領で片手でキャッチしていたのだった。
「改めて自己紹介といこう。REVISORと呼ばれてはいるが、名前はロイズだ。よろしく」
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