ノルウェーの街と森 #2
露五とグスタフがオスロのカフェに入った頃、まだ冬の気配の残る4月にしては珍しく雲ひとつ無い晴天のオスロから西に位置するガウスタ山の遙か上空を、一機の航空機が通り過ぎようとしていた。
旅客機にしては物々しいその航空機は、民間人が所有するにはあまりにも過ぎたもののように思え、ノルウェーの空軍は発見次第打ち落としても決して咎められたりはしないだろう。しかし、その我が物顔の往来を唯一許される盾と歯車の紋章がその全てを物語っているのだった。
『180秒で目的地より1キロの地点に降下準備。高度5000m。酸素濃度は地上より60%減…』
まともに会話すらできないほどの轟音の響く機内に向けてパイロットがアナウンスを、通信機付きヘルメットと耐寒スーツを着用した4人へと語りかけた。
「…そろそろだな」
機内に取り付けられた簡易ベッドに横になった男がそう呟いた。やや青みがかったヘルメットのガラス越しからは僅かに白い髪が覗いていた。
「おふたりとも準備は大丈夫ですか?」
ジャンがリラックスした様子で、真向かいの席に座るふたりの同僚に話しかけた。
ふたりは手を少しあげて答えただけだったが、ヘルメット越しに見る顔は随分と固い。
「無理することはないんだぜ。タンデムのスカイフォールは危険だからな」
男は珍しくそうぶっきらぼうに口を挟んだのを、ジャンは変わらない様子で答えた。
「あまり機嫌がよろしくないようですね、霧島さん」
「まぁな…。いやなに、タバコが吸いたくてさ」
霧島はそう言って、のそのそとベッドから起き上がって準備を始めた。
(やれやれ…これは盲点だったな)
***
中国分家の執事長である楊の話によれば、REVISORと呼ばれた男の根城はノルウェーのガウスタ山の山中にあり、彼らは人工的な地下空間を保有し、今も拡張を続けているとのことだった。
そして、その地下施設の主に占めるのは、雪溶け水を使った水力発電施設、そして氷点下で維持されている氷穴と、そこに無数に設置されたスーパーコンピュータだった。楊はあくまで仮説と前置きし、おそらく彼らは大々的に仮想通貨のマイニングを行っているのではないかとのことだった。
「なんだか随分とけちくさいな…。要は電気代とエアコンを自分でまかなってるってことだろ」
霧島はどこか気怠げな様子で用意されたバックパックを背負いながら言った。
「仮想通貨のマイニングには高性能なGPUが必要不可欠ですから。それらを使用するための電力も、冷却するための空調のエネルギーも莫大なものになるのです」
霧島の隣ではアプリオリが、少しもたつきながら身体にハーネスを着込んでいた。
「我が家の執事長と金庫番さんも、月末になると電気代がかさむといつも嘆いていますからね」
ジャンがそう言うと、「確かに」とアプリオリが可笑しそうに答えた。
「中国分家から盗み出された機密データも、現在開発中の新しい半導体部品に関するものでした。その業界に詳しい人が見れば、喉から手が出るほど欲しいものだったでしょう」
そしてシルヴィアが、ハァとため息を吐いた。
「半導体は今や石油と同じ。金のなる木ってことなのかね」
「えぇ、そう思えば人を誘拐するくらい何でもないと思うのも、当然なのでしょう」
アプリオリがそう呟くと、4人は顔を同時に伏せ黙りこくった。
『30秒前。後方ハッチ開放準備』
再び機内のアナウンスが聞こえた。
「ま、いいか。仕事は仕事だ」
バンと床に足下が響くほど勢いよく霧島が立ち上がった。
それと同時に、ゴゥンという重々しい音が機内に響いた。
航空機の後方ハッチが開き始めると、ゴゥっという音とともに太陽の眩しい光が入り込んできた。徐々にノルウェーの雄大な山々がスクリーンに映し出され、4人ともこれが任務だと言うことを忘れ、思わず見入ってしまう。
「美しい景色ですね」
アプリオリがそう呟くと、開ききったハッチからは航空機の起こす対流の風が入り込み、思わず身体がよろけた。
「おっとっと」
それを霧島は自分のハーネスにつながるカラビナを、アプリオリのハーネスにかけると、自分の方へと引き寄せた。
「さすがに科学者さんでも、パラシュート無しのダイビングはヤバいぜ」
「え、えぇ。ありがとうございます…」
アプリオリはそう言って、霧島のハーネスを自分のものと接続した。
「大丈夫ですか?シルヴィアさん」
同じようにジャンはシルヴィアのハーネスと接続しながら聞いた。
「えぇ、学生時代にスカイダイビングをやったことあるので…。ジャンさんは慣れているようですね」
お互いに酸素マスクとヘルメットを被っているので、表情はほとんど見えないが、
どことなく動きがぎこちない。
「若い頃に落下傘部隊にも配属になったことがあるので」
ジャンはそう言って、シルヴィアとペンギンのような歩みでハッチの近くまで進んだ。
「アプリオリさん。準備はどうだい」
先にハッチの先に立っていた霧島が胸の前にいるアプリオリに話しかけた。
「カントのカメラから上空を眺めるのは慣れているのですが、ここまで高いのは初めてです」
霧島からは顔は見えないが、明らかに身体がこわばり緊張していることが伝わる。
「まぁ、こんだけ高いダイビングはな。だけど一回体験したら、あとは慣れて平気になってくるって」
霧島はいつもと変わらない様子で、まるでアトラクションの順番待ち程度の気楽さでいたが、無意識にアプリオリの足はハッチで踏ん張ってしまっていた。
「おい!見てみろ!すごい景色だぜ!」
突然、霧島は正面を指さして叫んだ。
アプリオリはその指さす方向へ顔を向けた。変わらず、雄大な山々と青空が眼前に広がっていた。
途端、景色が上方へとスライドし、ゆっくりと身体が逆さになるのを感じた。
完全に身体が青空に向かって反転したとき、ついで降りてくる同僚の姿とヴィアレット家の紋章の刻まれた航空機の姿が見えた。
およそ3分間のスカイフォールが始まった。
***
グスタフたちのいるオスロのホテルから1㎞の辺りは、人々が娯楽を楽しむショッピング街が続いていた。オスロの街を縦横に走る路面電車の線路道と、人々が歩く歩道は散策するには十分な広さがあり、石造りの簡素で美しい家々は林檎でもかじりながら歩くだけでも楽しめるだろう。
MARCHIAの4人がスカイフォールへと赴いた時刻。
そのような町のなかにあるひとつの家屋の前に大型のバンが数台路駐されていた。その周囲には、物騒な身なりの男たちが数人たむろして、自分の上司の愚痴を延々と喋っていた。
「…ったく、ボスもいつまであんな寒いところに籠もるんだか」
「ボスは金にしか興味が無いのさ。今に始まったことじゃねぇよ」
ぬるいハイネケンのビンを持った男のそばに少女がひとり近づいてきた。
『Bună ziua(こんにちは)』
輝くような金色の髪を大きなリボンでふたつに結び、まるで魔女のような服を着た少女が無邪気な笑顔を見せていた。
「あぁ?なんだいお嬢ちゃん」
男のひとりが怪訝な顔で少女を見下ろして言った。周囲の男たちもそれに合わせてぞろぞろと顔を覗かせた。
『まぁ、怖い顔。でもさすがヴァイキングの末裔ね。無骨だわ』
少女は異国の言葉を喋りながら、くすくすと口元に手を当てて男を見ていた。
「おい!何見てやがる…」
酔った男は少女を掴もうとして手を伸ばすが、するりと少女は身をかわした。
「無礼な人ねぇ」
少女はそう言うと、道路を隔てた向かいの歩道へと走り去った。そこには男がひとり立っていた。身長2m近く、筋骨隆々の大男だった。
「お初に。荒々しきヴァイキングの末裔の方々。アタシの名前はロザリア=ヴァンゲンハイムと申します」
ロザリアは貴族のメイドらしく堂に入ったカーテシ-の挨拶を男たちにし、
「同じく、北椿玄武と申します」
玄武の方は立礼のまま少しだけ頭を下げて挨拶をした。
「ああ?何だお前ら…」
バンの周りにいた男たちに加え、車からもぞろぞろと彼らの仲間たちが出てきた。全員、身体に重火器を帯びている。
「まぁ、威勢の良いこと。そうでなくてはね」
ロザリアは突然、自身の足下に伸びる影に触れた。
「うふふ…」
少女は歳に似合わない妖艶な笑みを浮かべて続けた。
「霧島とよく似た術なのだけどね。私のようなレディは重くて大きいものを運ぶなんて似合わないのよ」
突如、少女の細い腕が道路の中へと沈んでいく。なにかの手品か?男たちはそう訝しんでいた。
「今回は狩りはなし。人を傷つけず、でも物は壊していい。う~ん、これはアタシの仕事かしら」
男たちの怪訝な顔を気にも留めず、ロザリアは右手は地面をかき回しながら、そして左手の指先を口元にあてながら、身体を大きく傾けて可愛らしく考える仕草をして見せた。
ずるりと音も無く、少女の細腕は長く大きな鉄の棒を引っ張り出した。段々と姿があらわになるにつれ、男たちの顔はさらにこわばっていく。
「インセンティブは期待できないのだから、せいぜい暴れさせてちょうだいね」
ロザリアの手には長く巨大な戦斧が握られていた。
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