カジノ#1 従姉妹との再会

 一年の終わりを一週間程度残した年末間近の東京の中心部。不夜城の眠らない街には、赤と緑のクリスマスカラーのイルミネーションがあちこちに輝き、その下を10月半ばまで夏の炎熱が燻っていた中に訪れた急な寒波の到来に慌てて用意した不格好なコートが流れていた。

 そのぎらぎらとけたたましい街中に、まるで不可侵の聖域とされたかのような建物がひとつ静かに佇んでいた。

 サッカースタジアムふたつ分、約5000坪の敷地内に都会の喧噪や光源を遮るように重々しい壁が両側面にそびえ立っており、緩やかな坂と階段の先には、ローマ風の宮殿を模したホテルが堂々と建っていた。ガラス張りのひたすらに権威のみを示したい現代の高層ビル群のなかに囲まれたなかにおいて、そのホテルは内包する気高さを隠すことで自らの気品を守っているような感覚を覚える。そこへ至る道はまるで祭壇へと登る階段のような厳かさがあり、ヨーロッパの街並みを再現した石造りの道には緑葉の路傍が道案内として植えられ、その所々には冷たい北欧にも咲くスカビオサやニゲラが快い歓迎をしてくれていた。

 その階段の先には石作りの宮殿へのアーチの扉があり、ふと扉の前に立てば、ヴィアレット家を表す紋章とアイリスの花を象ったレリーフが刻み込まれているのが見えた。

 夕刻を少し過ぎた頃、パーティドレスに身を包んだゆなとゆずるは、数週間前のオープンしたばかりのホテルへ食事会に招かれていた。

 主催者はアイリス・ウィートリー・ヴィアレット。代々ホテル事業を営むヴィアレット家の英国分家ウィートリー家の主であると同時に、世界的なブランド「iRiS」のオーナー、そして双子にとっては従姉妹にあたる少女である。

「会うのは何年ぶりだったかな」

 すでに十数分前に貴賓室へと通されていたゆなとゆずるは温かい珈琲で喉を潤しながら従姉妹が来るのを待っていた。

「はい、お坊ちゃま。去年の春のお茶会にてご招待させて頂いて以来でございます」

 双子のそばで控える棗が答えた。

「なかなか会う時間が取れないわね。パーティは億劫に思うけど、こんな機会でもないとゆっくり話もできないわね」

 ゆなはやれやれと首を振ると、珈琲を口にした。


「失礼致します。ご主人様」

 しばらくして、双子の家の者とは違うメイドの少女がふたりのそばに立った。

「我が家の主が挨拶に参りました。お通ししても構いませんでしょうか」

 双子は顔を見合わせて、無言で頷き返した。

 メイドの少女が深々と頭を下げてそばを離れると同時に、堅牢な外観と対極な温かみのある木製の扉が開くと、一人の少女が執事を連れてゆっくりと入ってきた。

「お待たせ致しました」

 少女は扉の前で少し低い声で静かにそう言った。双子はその挨拶を受けて、席を立って迎えた。

 少女は針葉樹のような深緑色のパーティドレスに身を包み、肢体はすらりと伸びており、また質の良い生地の裏に隠れる肌はどんな色も拒まないキャンバスのように白く美しかった。英国淑女らしい厳めしくも気高い顔つきに、薄い緑の瞳は、森林の影の向こうへと吸い込まれそうなほどに深かった。

 少女はまっすぐに双子の前へと歩み寄ると腰を落とし双子の目線よりも頭が下がるようにカーテシ-をし、

「ご機嫌麗しゅうございます。My Lords(御前様方)。アイリス・ウィートリー・ヴィアレットでございます」

 淑女然とした少女は腰を落とした体勢で挨拶を口にした。彼女の周りの執事やメイドたちも慇懃な面持ちで立礼をしていた。

 しばらくして、ゆずるは胸に片手を置き、ゆなは腹部で両手を組むと、小さく頭を下げて答えた。

「「ご機嫌よう。Marquess Iris(アイリス卿)」」

 ほんの一瞬の間、静寂で厳粛な時が流れた。

「お招きありがとう。とても素敵なホテルだね」

「ありがとうございます。ゆずる兄様」

 ウィートリー家の現当主アイリスがたおやかな笑顔を見せて答えた。

「お元気そうで良かったわ。贈り物をありがとう。とても気に入ったわ」

 ゆなはそう言って、この日のために飾り立てられた髪に軽く触れた。そこには紫色のサファイアが埋め込まれた可愛らしい髪飾りが輝いていた。

「まぁ、ありがとうございます。ゆな姉さま。お見立て通り、とてもよくお似合いですわ。ゆずる兄様のラペルピンもよくお似合いです」

 張り詰めた緊張が三人の朗らかな会話によって緩むと、アイリスのそばに控えた金髪の執事が隣の別室へと促した。

「つもる話はどうぞ食事をしながら。我が家のシェフの作るビーフウェリントンは覚えていらっしゃいますか。彼も今日はおふたりのために、朝から張り切っていましたのよ」

 隣の主食堂にはすでに食事ができるよう設えられており、白のテーブルクロスはクリスマスローズやアネモネで彩られていた。内装はヴィアレットの館によく似た豪奢なものが選ばれていたが、部屋の隅には巨大なクリスマスツリーがイルミネーションとLEDライトをキラキラと光らせていた。

「素敵ねぇ」

 ゆなは部屋に入ってすぐに嬉しそうに言った。


 三人が席に着くと、さっそくアイリスの執事とメイド達が料理を運んできた。

「イザベラ、貴女も元気そうね」

 ゆなはアイリスの執事長に話しかけた。

「恐縮でございます。お嬢様もお坊ちゃまも変わらずかわいらし…麗しいお姿で何よりでございます」

 イザベラは途中まででかかった言葉を言い直してにこりとひとつ笑った。

「それにしても、日本にホテルを出すのは大変だったでしょう。特にカジノはなかなか認められないから」

「えぇ、実のところ、そちらが一番の難事でしたわ。それでもカジノの運営だけは外せませんでした。人は所詮賭け事と揶揄しますが、あれは我が英国の誇る知的なスポーツですわ」

 アイリスは慎み深く、それでいて自尊心を含んだ笑みを見せた。

「兄様と姉さまもあとでカジノで遊ばれてはいかがですか?VIPルームをご用意しておりますわ」

 双子は顔を見合わせて逡巡する様子を見せた。

「あいにくだけど、私たちは遊び方が分からないわ」

 ゆなが少し困ったようにそう返した。

「それでしたら、僭越ながら私がご教授させて頂きますが…」

 アイリスの執事長であるイザベラが申し出たのに対し、双子の執事長であるにゃん太郎が前に出て答えた。

「イザベラ殿。ご厚意に大変感謝いたしますが、我が主は娯楽よりもご家族との団らんをご所望のご様子でございます。ウィートリー侯爵とお会いできるのはそう何度もあることではございませんゆえ」

「これは出すぎた真似を…」

 イザベラは双子の主とアイリスに向かって、胸に手をおいて深々と陳謝した。ひとつひとつの所作が芝居がかって大仰だが、彼女の場合は実に自然で優雅だった。

「いいのよ、いいのよ。それよりも、私の家の者たちはご迷惑じゃなかったかしら」

「とんでもございません。手前どもの不手際にご尽力頂き、なんとお礼を申して良いか」

 イザベラは眉を下げて、再び頭を下げた。

「本当に申し訳ございません。まさか渡航許可が降りないなんて前代未聞のことで…。おふたりの従者の方々に手伝って頂くなんて」

 アイリスは椅子に座ったまま申し訳なさそうに目を伏せた。

「気にしなくて大丈夫だよ。僕たちは家族じゃないか」

「えぇ、そうよ。それにあの子たちから名乗りをあげてくれたのだから、きっとカジノに興味があったのかもしれないわ」

 双子は笑って、落ち込んでいる従姉妹を慰めた。

「そうだ。ゲームはできないけど、彼らの少し様子を見に行くのはいいかもしれないね」

 ゆずるは名案とばかりにわざとらしく両手を叩いてそう言った。

「そうね、そうね。それにロンドンのカジノは素敵と聞くもの。見ないのは大きな損だわ」

 アイリスは双子が乗り気になったのを見ると、途端に嬉しそうな顔をのぞかせた。

「まぁ、光栄ですわ。それでしたらぜひ場内のご案内をさせてくださいませ」

 どうやら機嫌が直ったらしい従姉妹の笑顔を見て、双子はくすりと笑い合った。




アイリス・ウィートリー・ヴィアレット

ホテル事業に携わる英国ウィートリー分家の主。

アイリスの花をモチーフにした高級ファッションブランド「iRiS」を展開しており、老若男女問わず人気。服飾だけでなく、家具・調度品も扱っている。


イザベラ・グリフィス

ウィートリー分家の執事長。

執事服に身を包んでいる男装の麗人。

可愛らしい少年少女が好きで、来日した際には必ず行く場所があるらしい。

既婚者。

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