ハワイ旅行#1 

 七月も中旬に入り、空を覆い隠していた雨雲も姿を幕へ引くように流れ、ようやく夏らしい青空が見えるようになった。今年は五月から長雨がひっきりなしに降っており、随分と長い梅雨模様がヴィアレット家の人々を鬱屈とした気分にさせたのであるが、いつの間にか窓の向こうにはひまわりのような太陽と青空が顔を覗かせるようになっていた。

 だが、しばらくして長雨の次は炎暑が幕へと登場し、溶鉱炉にも似たじりじりと焼く炎熱を手放しで迎え入れられるかと言えばそうでもなく、結局、快適な外への解放を楽しむ間もなく、再び屋敷のなかに引き戻され、またもじりじりと鬱屈とした気持ちにさいなまれるようになってしまったのだった。

「もう我慢の限界よ。南国に行きましょう。ハワイに行くわ」

 久しぶりに外に出ようと玄関から一歩足を踏み出して、すぐに引き返した人形の少女はこう猫の執事長へと命じた。

 面白くない舞台はさっさと出てしまうに限る。

 

 ヴィアレット家は毎年この時期になると、屋敷の従者全てを引き連れての夏のバカンスへと赴くことが通例となっている。

 ヴィアレット家の傘下のホテルや別荘で過ごすようにしており、実のところ八月をめどに予定を立てていたのだが、ゆなの鶴の一声により、随分と早い夏休みへと突入することとなった。

 ハワイにおけるヴィアレットのホテルは、ハワイ島西に位置しており、コナ国際空港から車で二十分もかからない場所に位置している。

 溶岩の固まったゴツゴツと乾いた砂と石に覆われた果てしない景色が延々と続いており、とてもリゾート施設へと向かう道とは到底思えないだろう。

 上空から見れば抜けるような青空と白い雲の下に淡い青のグラデーションが広がっており、それを象ったように地上には青海にそって三日月型の白浜が描かれていた。白色の背景には緑色の芝生がどこまでも続き、その先には白亜の宮殿が存在感を放っていた。

「はぁ、良い天気ね」

 ゆなは砂浜を一望できる大きな藁葺き屋根の下で、隙間から漏れ入る常夏の太陽の光を眺めながら、優雅にデッキチェアに身体を預けていた。ツインテールに結んだ髪をよけてうんと腕を上に伸ばし、ひとつ大きく背中を伸ばすと、まるで身体を覆う苔が落ちていくような気分だった。

 いつものコルセット付きのドレスも脱ぎ去り、身体を柔らかく覆う夏服へと着替えてしまえば、あの忌々しく思えた太陽も、遠く待ちわびた友人と思える気持ちだった。


 首元には希少な紫のスピネルを三日月型の金枠で飾り付けたものが品良く輝いており、足下のアンクレットはシルク生地を紫に染めた物で、こちらにも小さなダイヤ型のスピネルが揺れ動いていた。

 鎖骨から肩にかけて大胆に開いたデザインは、一見するとハワイの伝統的な衣装であるムームーにも似ていた。ただ、構造は和服と同じように羽織り、そしてそれを帯で留めるという様になっており、一見すると頼りない布生地に見えるかもしれない。    

 だが、それは安価な大量生産のプリント柄とは違い、シルク生地に麗しい色とりどりの薔薇が描かれているのだが、それも刺繍とぼかし染めの技法によって表現されていた。薔薇ひとつひとつが丁寧に職人の手によって描かれており、生地の選定から技法まで全てが贅沢な代物だった。

 また前裾からのぞくシュミーズも薄紫と濃紫と色分けがされており、白い砂浜に立てば人形の白い肌は溶け合い、紫の波だけがひらひらと踊っているように見えた。


「お、お嬢さま…お待たせいたしました」

 しばらくしてゆなの寛ぐデッキテェアにふたりの少女がおずおずと姿を見せた。

 ゆなが顔だけをデッキから覗かせると、そこには棗と一花がムームーを着て立っていた。

 棗と一花は互いにお揃いのムームーを着ており、青の綿生地に紅い南国の花が散りばめられていた。髪型だけは変わらず、棗は夜会巻き、一花は組紐のポニーテールだったが、ふだん肌を出すことを好まない棗は腕と足下が気になるようで、そわそわと腕をさすっていた。

「あら、良く似合ってるわ。屋敷でもその格好でいてもいいのよ。メイド服は熱いものね」

「お嬢様…それは…」

 棗は困ったように目を伏せて眼鏡のブリッジを指先で触れた。

「気が緩むかしらね。気持ちは分かるわ。それにしても…」

 ゆなはそう言って、サイドテーブルに置かれた冷たい紅茶へと手を伸ばした。南国らしいフルーツのカットが添えられたアールグレイは程よい甘みがあって、南国の乾いた空気にさらされた喉を潤してくれた。コップに纏わり付いた結露の水滴に気をつけながらテーブルに置くと、ちらと顔を一花の方へと向けた。

「一花がその服を着てるのは、ちょっと意外だわ」

 一花は手で頬を覆いながらぽっと耳を赤らめて答えた。

「私も姉様と同じが良くて…つい」

 自らを姉と慕う年上の同僚を隣に、棗は居心地が悪そうに腕を抱えて落ち着きなさそうにしていた。

「何でも試してみるのは良い事よ。さぁ、貴女たちもゆっくりとなさい。あとで兄様も来るわ」

 ゆなは機嫌良くにっこりと笑って再びデッキに身を預け、静かに打ち寄せる波に耳を傾けた。



【ヴィアレット家豆知識】

 千鳥一花の趣味はファッションに向けられている。

 厳格で知られる千鳥家の箱入り娘として育った彼女は、合気道と剣術にくわえ、一流の教養も一部の隙もなくたたき込まれたが、その抑圧されたはけ口をファッションへと求めるようになった。

 その生来の気位の高さに応じて、こだわりは非常に強く、初めの頃はメイド服も嫌がるようなそぶりも見せていたらしい。好みは違うが、同じくファッションを趣味とする柚月やマリアンヌとはよく気が合うようだった。


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