お似合いのドレスは?

 6月も末に差し掛かり、梅雨の時期特有の水分を含んだ重たい空気も、太陽の燦々と輝く光線によって随分とその質量を減らすようになっていた。

 昼間には時折溶鉱炉のそばに近寄るような悍ましい熱波の予兆に襲われることもあったが、不思議と陽が落ちれば夏の終わりにも似た涼しさに包まれていたので、寝苦しい夜に煩わされることはなかった。

 むしろ、夜の雨は朝に露を残し、稲妻が轟音を響かせた後の清々しい澄んだ空気にも似たものがどことなく感じられるようだった。


 さて、ヴィアレット家では6月と12月に、ヴィアレット家傘下の企業や法人団体を招いての事業報告が行われ、その夜には盛大な晩餐会が開かれることが通例となっている。

 猖獗を極めた流行病によって数年近く開催されなかったが、ようやく人々の自由な往来が認められると、待っていましたと言わんばかりに次から次へと舞踏会やパーティへの招待が舞い込んでくるのだった。

 ゆずるはさることながら、ゆなは気分屋とはいえ、意外にもこのパーティの類が嫌いではなかった。さすがに長広舌の挨拶には辟易とした気分にはなるが、普段隔絶された屋敷の外の世界に生きる人々から聞く言葉にはそれだけ興味をそそられるものがあった。

 そして、やはり女として生まれたからには美しく着飾った姿で絢爛豪華な一夜を過ごしたいという欲求もある。それを叶えてくれる存在がゆなの専属の衣装係たちであった。


 パーティを前日に控えた夜。

 まだ寝るには早い時間というのに、ゆなはローマ風のコットンドレスに身を包み、衣装室に設えられた古典主義様式の長ソファに腰掛けていた。

 背後には舞台を彩るような紅いベルベット生地のカーテンが舞台の幔幕のようで、窓の向こうにはすでに爽やかな夏の星空がどこまでも続いていた。

 隣には敬愛する片割れの兄がおり、ゆなの方は見ずにニコニコと上機嫌な様子で座っていた。対してゆなははらはらと狼狽えながら口元を押さえ、兄と部屋の真ん中を交互に見ていた。

「うぬぬ…」

「ぐぐぐ…」

 部屋の真ん中には、まるでフェンシングの試合のように薫と柚月が向かい合っており電極同士が触れあう瞬間の火花のようなものをほとばしらせていた。

 すでに30分近くもお互い一歩たりともゆずる気はないと言った気迫で喧々囂々と言い合っていた。

「今回のパーティは久しぶりの開催なのだから、会場の方々にお嬢様の可愛らしいお姿を見て頂くのが一番だよ!」

 そう言って柚月は薄紫を基調としたマンチュアガウンを手にした。

 動く度に濃淡が変化する艶やかな絹サテン生地のガウンとスカートは、ゆなの強い好奇心によって絶えず揺れ動く性格を表しているようだった。

 袖口はリネンが連段になっており、着用時には球体関節がちらとのぞくに違いない。手を下ろすと指先には蝶リボンがあしらわれている。首元には短めのリボンが結わえられ、幼げな印象も与える可愛らしいコーディネートとなっている。


「それはTPOに合ってないでしょ!色々な企業の上層部の人たちが来るのだから、上品で上に立つ者の威厳を見せないと示しがつかないじゃない!」

 薫の手には濃紫と薄紫を基調とした立ち襟付きのデイドレスがあった。

 鮮やかな絹タフタ生地によって織られ、重厚感のある輝きがありながら軽やかさも感じられる格式高いドレスだった。紫のグラデーションを表現する連段のスカートと袖のフリルが付けられ、立ち襟には太めの紐リボンが結わえられており、少女らしさの中にも威厳を漂わせる雰囲気を演出させるようで、ゆなの時に見せる支配者然とした剛毅な気性を表しているようだった。

 どちらも18世紀の伝統的なスタイルを踏襲しながらも、現代的で可愛らしいデザインを取り入れており、厳かな雰囲気も遊び心も感じられる実に見事なドレスと言えた。

 社交界へと足を踏み出せば、光のカーテンコールに迎え入れられた美しい女優のように輝いて見えることは間違いないことだろうことは想像できる。

 しかし、ふたりともドレスの美しさはさることながら、舞踏会に相応しいテーマとは何かを巡っての議論も白熱していた。

「可愛い格好にすべきだよ!」

「威厳のある服が相応しい!」

 再び柚月と薫は顔を突き合わせて一歩も譲らなかった。


「あぁ…もう30分は言い争ってるわ。お兄様、さすがに止めた方が良いかしら」

 ゆなはそう言って、隣に座る兄の方を振り向いた。

「ふたりともゆなの為にあんなに真剣になってくれてるんだね」

 だが、ゆずるは特にこの状況に狼狽えること無く、ニコニコと上機嫌に微笑みながら眺めていた。 

「それは嬉しいけど、ふたりともずっと平行線よ。あのままではいつか…」

「そこまでの事態にはならないよ」


「お嬢様、お坊ちゃま。ご機嫌麗しゅうですの」

 マリアンヌが夜のティーセットをカートに載せて

「あら、マリィ。ごきげんよう。もうお茶の時間だったかしら」


「はい。今日は少し早めの七夕のケーキをご用意致しましたの。茶葉はダージリンでございます」

 そう言って、マリアンヌはゆったりとした手つきでお茶のセットを用意していく。

 小ぶりなチョコレートケーキには天ノ川を模したデコレーションが施されており、細かなラメが照明に照らされてキラキラと輝いていた。

「お嬢様のお洋服はお決まりではございませんの?」

「試着を頼まれて呼ばれたはずなのだけどね。もう30分はあのままかな」

 ケーキに小さなフォークで切り込みを入れながらゆずるが穏やかに応えた。

「去年のオーストラリア旅行を思い出しますの。あの日もこうやって喧嘩をなさってましたわ。今回は何をもめておりますの?」

 ゆなは柚月と薫の推す衣装について簡単に説明した。

「まぁ、それでしたら今回は逆でございますの」

「逆?」

 ゆずるはカップに少し口を触れて言った。

「あの時は柚月くんが品のある服を、薫さんが可愛らしい服をとおっしゃっておりましたの。何時間も顔を突き合わせての大げんかでしたの」

 マリアンヌは口元をへの字に曲げて小さくため息をついた。

「そういえばそんなことも言ってたわね…」

「マリィもお料理のことに関しては譲れない部分もありますの。なので、人のことは言えないですの」

 ホホホとマリアンヌは目をそらしながらおどけた様子で笑った。


「ゆなちゃん!」「お嬢様!」

 突如、顔を突き合わせていたふたりは、声を合わせてゆなを呼ぶとドレスを手にしたままずんずんとソファへと寄っていった。その顔は真剣そのものだったが、まるで才色豊かな壁が迫ってくるようで、さすがのゆなも身を固くしてしまう。

 そして、ばさっとドレスを両手に掲げもってゆなの前に広げた。

「「どちらがお気に召しますか!!??」」

「え!?う、う~ん…」

 ゆなはふたりの提示する衣装を交互に見るが、心底困ったという顔をしていた。

 思えばゆなには自分で服を決めるという経験がなかった。

 基本的にはメイドたちがその日の天気や場所に応じて決めてくれるため、悩んだりすることもなく、ゆなもそのコーディネイトに否をとなえたことはほとんどない。メイド達のセンスを信じているし、そもそも生地やデザインや小物に至るまで一流品によって揃えられているモノに不満など感じようがなかった。

『困ったわ…。どちらも良いものだから甲乙つけがたいし、それにどちらかを選んだらもうひとりは悲しむわ…』  

 しばらく黙ってじっとドレスを見つめるだけだったが、

「まぁ、それでしたら両方着てしまえばいいですの」

 マリィはひょいとふたりの差し出すドレスの前に顔を出すと、ふたつを見比べてあっけらかんとした態度で言った。

「舞踏会にお召し替えはつきものですの。ケーキとドーナツで悩むなら、ふたつとも食べてしまえばいいですの。チートディは必要ですの」

 自信満々に理屈を展開するマリィに若干飲まれたふたりは、先ほどの剣幕が嘘のようにひいてお互いに顔を見合わせた。

「お嬢様。さっそく2枚ともドレスをお召しになってくださいですの」

 マリィはゆなの手をとってソファから立ち上がらせると、ぐいぐいと背中を押してドレッサーへと招いていく。

「え…えぇ、そうね。2枚とも着させてもらうわ。明日が楽しみね」

 ゆなは渡りに船とばかりにいそいそとその場を後にした。

「ちょ、ちょっと、マリィ、そんな急に」

「マリィちゃん、そこには候補のドレスが散乱して」

 柚月と薫はずんずんと部屋の奥へと進んでいくマリィのあとを追っていった。

「ふふ、欲張りだなぁ」

 ゆずるはまたも上機嫌に微笑みながら、紅茶にひとくち唇をつけた。


ヴィアレット家豆知識

マリアンヌ=ブランシャールの女は代々肝が据わっている。

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