チョコのお礼

 アタリ=ヴィアレットの屋敷には、主に2種類の厨房が設けられています。

 ひとつは日々屋敷で生活をする者が食べる料理を作る厨房。ここは朝の6時から夜10時まで稼働しており、コックたちが日夜が忙しく働いている場所となっています。

 もうひとつは執事やメイドたちが自由に使うことのできる簡易厨房。ここは時間外で働く執事やメイドのために食事が用意される場所で、基本的には誰でも使っても良いと解放されています。とはいえ日頃使うのは数人程度であり、強いて言えば夜のお茶会を楽しみたい子たちがたまに簡単な夜食を作る程度に留まっています。

 しかし、この厨房はシーズン毎に人がひっきりなしに出入りする場所でもあり、簡易と呼ぶには広めの部屋に4つのキッチンと作業台が備え付けられているのです。

 

 2月14日。世に言うバレンタインデーの日となると、いつもはしんとしている簡易厨房はうってかわって騒がしい様相を見せるようになります。

「ねぇ、これくらいでいいのかな」

「どれどれ…うん!美味しい!ちょうどいいと思うよ」

「よかった~」

 毎年、入れ替わり立ち替わりこのようなやりとりを楽しむ少女たちの姿が定期的に見られるようになると、「もうそんな季節なのだな」と季節の移り変わりを感じさせられます。

「…これでしばらく混ぜると滑らかに溶けるので、あとは手で捏ねていきます」

 少女たちのお菓子作りも一段落した頃、私はキッチンの一角でボウルにミルクを混ぜた入ったチョコレートをゆっくりとヘラでかき混ぜていました。

 両隣には同輩のふたりがのぞき込んでいました。

「いや~、結構長い付き合いのつもりだったけど棗ちゃんがお菓子作りが得意って知らなかったっすねぇ」

 ニーナは随分と関心した様子でそう言いました。

「得意…というほどじゃありませんよ。時間を守って湯煎して形を整えれば作れます」

「いやいや、丁寧で色も綺麗でさすがっすね。アタシはどうも不器用で困るっす」

 ニーナの屈託無い笑顔とストレートな褒め言葉に、私は少し気を良くしたのも事実でしたが、彼女の手元の「黒焦げになった」チョコレートが入った小鍋が未だに存在感を放っていて少し複雑な気持ちも抱いていました。

「貴女は大雑把が過ぎるわ。再加熱を繰り返すことで結晶を整えなければ滑らかな味にはならないのよ」

 シルヴィアは呆れ顔でそう言いましたが、彼女の作った「固すぎる」チョコレートも手元に鎮座していました。丁寧に作業をするのはいいのですが、テンパリングはあまりにも時間をかけすぎると固くなり、それはまるで鋼のような光沢を放っていました。

「まぁ、料理はレシピ通りに作るのが一番ではないでしょうか。…さて、これでいいでしょう。あとは造型やトッピングはお好みでお願いします」

 ひとしきり混ぜ終わったチョコレートは淡い色合いを保っており、我ながらうまく出来たものだと少し自賛したくなりました。

「助かったわ涼子。突然呼び出して悪かったわね」

「いえ、お役に立てたなら結構でした」

 シルヴィアからの労いもそこそこに仕事に戻ろうと思っていた矢先、

「あ、棗ちゃん待って待って」

 ニーナは部屋を出ようとする私を引き留めると、厨房の片隅に置かれていた自分の鞄から小さな包み箱を取り出して私の前に差し出しました。

「これどうぞっす。きっと棗ちゃんに似合うと思って買ったんすよ」

 ニーナに促されて箱を空けると、なかには色鮮やかな髪留めがひとつ入っていました。それはクリップになっている金色の橋には紫陽花の花びらが点々と続き、その周りを紅い金魚が泳いでおり、とても雅な、それでいてそう…可愛らしい髪留めでした。

「お気持ちは嬉しいですが…どうして私に?」

 私は突然のことに戸惑ってしまいましたが、ニーナは目をそらしてしばらく考え込むと「チョコ作りを手伝ってくれたのと、日頃のお礼っすよ」と返しました。

「涼子、私たちもたまには友人に贈り物のひとつもしたくなるものです」

 シルヴィアもまた、ニーナに続いて言いました。

「あとでチョコレートも渡しますね。友チョコです」

「そう…でしたか」

 私はふたりの言葉にじわと胸に温かいものを広がるのを感じました。

「棗ちゃん、良かったら髪留め付けて見せて欲しいっす」

 ニーナに促されて、私はおずおずと髪留めをとめてみました。ですが、普段あまりこういったものを付けない私にはどうも慣れないものでした。

「貸して下さい」

 シルヴィアはそう言って私から髪飾りを受け取ると、右前より少し後ろの方眼鏡に当たらない部分に付けてくれました。

「おぉ!良く似合ってるっす!かわいい!」

 ニーナは太陽のような笑顔を見せて褒めてくれました。

「ありがとうございます…」

 私は慣れない言葉に思わず、小声で絞り出すようにお礼を言いました。ともすればぶっきらぼうに見えたかもと思いましたが、

「えぇ、よく似合ってるわ涼子」

 普段ほとんど笑うことのないシルヴィアも小さく笑顔を見せてくれ、安心した気持ちになりました。

「さて、アタシたちも友チョコ作りを再開するっすかね」

 ニーナがそう言って作業台に向かったのを見て、私は先ほど自分で作ったチョコレートのボウルを再び抱えました。

「あれ、仕事に戻らなくて大丈夫っすか」

 ニーナの言葉に私は答えました。

「えぇ、少しくらいなら大丈夫です」

 私はチョコレートを混ぜる手を止めて言いました。

「私もおふたりに友チョコ…送りたくなりました」

 その日は少しだけお腹が苦しい日でしたが、気分はとても清々しいものでした。



ヴィアレット豆知識

一般キッチン=副料理長でもある霧島が管理しており、彼が屋敷に滞在している時は少し珍しい料理が食べられると好評を博している。時々だが玄武と露五が一緒にそばを打ったりしている。

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