豆まき
光陰は矢の如く、月日の流れは早いものです。
年も明けたと思ったら、すでに2月となっていました。
1月は気紛れな北風が人々を困らせてやろうと、凍えるような冷気を吹き放っているかのようで、どうにも気持ちもどんよりと沈むことが多かったように思います。
ですが、最近は時折顔を見せる麗らかな太陽の日差しが身体を温めてくれ、ようやく春が近づきつつあるのかと思うと、少しほっとする気持ちでした。
さて、2月3日の節分の日。
例年この日は帰省も兼ねて本家で過ごすことが多いのですが、大事をとって私たちは未だ屋敷へと籠もりがちの生活を送っておりました。本家ではママの神社へとお参りをし、豆を蒔いたりしましたので、今年はそれを真似ながら思い思いに節分を楽しむことにしていました。
太陽も高く昇った昼下がり、私はふと思い立ってメイドの瑪瑙を連れて庭へと降りていました。彼女の手には小さなボウルが抱えられており、そこには香ばしく炒られた大豆が入っていました。
「それではお嬢様。景気よくお投げ下さい」
私のそばに屈んだ瑪瑙の持つボウルから軽く一掴みの豆を握ると、
「鬼は~そと」
私は手に握った炒り豆を庭にぱらぱらと投げました。まだまだ寒さの残る庭園にはまだらに背の低い芝生が顔をのぞかせる程度でした。
「福は~うち」
二度目に豆を投げると、バサバサと羽音を立ててヒヨドリが何羽かどこからともなく姿を現わしました。蒔かれた炒り豆を一生懸命に突っつく姿は何とも可愛らしいものでした。
「お嬢様、ご機嫌麗しく」
「うるわしく」
しばらく炒り豆を庭に蒔いていると、『アプリオリ』と妹のキッカが私たちに話しかけました。見ればキッカは瑪瑙と同じようなボウルを持ち、そのなかにはやはり炒り豆が入っていました。
「あら、貴方たちも豆まきに興味が出た?」
私が分かったような目配せをすると、『アプリオリ』は苦笑いを浮かべました。
「はは、やはり少しだけ。毎年の行事でしたので」
『アプリオリ』はそう言って、屋敷からほんの少しだけ顔を覗かせる敷地内の小さな山に目をやり、私もつられてそちらの方へと視線を移しました。
「私も同じようなものよ。ところで、恵方巻きは食べたかしら?マリーのロールケーキは絶品だったわよ」
「ありがとうございます。あとで頂こうと思います」
「あら、キッカちゃん。まだ食べるのは早いよ」
瑪瑙の言葉にふと目線を戻すと、キッカはポリポリと小気味よい音をたてながら、ボウルに入った炒り豆を食べていました。
「…おいしい」
そう言う少女の姿はどことなく小動物のような雰囲気があったので可愛らしく見えたものです。
「ところでキッカ」
『アプリオリ』が話しかけると、キッカは炒り豆を一粒掴んで見上げました。
「豆は何個食べたんだい?」
「…んー」
キッカは炒り豆を口に入れると、しばらく中空を見つめながら指を折り々々数えていました。
「…undici(11個)?」
「なら、あと3個食べるといいよ」
『アプリオリ』の言葉にキッカは不思議そうに首を傾げました。
「節分では歳の数だけ豆を食べるのだそうだよ」
「豆には悪いものを払ってくれる力があるとされていますよ。これでキッカちゃんは一年健康に過ごせますね」
子どもが好きで世話焼きの瑪瑙は、ニコニコと楽しそうにそう続きました。
キッカはふたりの言葉にしばらくじっと炒り豆を見つめて考え込むと、ボウルに入った煎り豆を『アプリオリ』の前に差し出しました。
「ベネも食べて」
「ん?うん、キッカありがとう」
『アプリオリ』はそう言って、炒り豆を一粒ずつ数えながら手に取っていくと、
「ダメ。全部食べて」
キッカはずいと『アプリオリ』の眼前に押しつけるように持ち上げました。さすがに両手に収まりきらないボウルいっぱいの炒り豆を全部食べるのは無理だろうと『アプリオリ』も私たちも思っていましたが、
「日本では歳の数だけ食べるのでしょ?」
キッカはおずおずと続けました。
「なら、たくさん食べればたくさん生きられる…でしょ?ベネも長生きほしい」
『アプリオリ』はキッカの言葉に口に手を当てるだけで、何も答えませんでした。
「…ちがう?」
キッカはボウルを胸のあたりに下げると、やや不安げにそう言いました。
「そう…その通りだね。いっぱい食べるよ」
『アプリオリ』はキッカの優しげに肩を抱きよせました。
その様子を見ていた瑪瑙は、両腕で身体を抱くようにして言いました。
「どうしましょう。お嬢様、私胸が苦しいです…」
「奇遇ね…私もよ瑪瑙」
別段に救急が必要なものというわけではないのは重々承知の上で、むしろ胸はいっぱいに何かで満たされるような気持ちでした。
「お嬢様とメノーも食べて」
ふたりして胸を押さえていると、次は私たちにキッカが炒り豆の入ったボウルを差し出しました。
「そうね。私たちも食べ…」
私がそう言って手を伸ばすと、ふと違和感に気がつきました。
キッカの後ろで『アプリオリ』は膝をついて口を手で押さえ、リスよりも口いっぱいに炒り豆を突っ込まれており、必死に口を動かす姿がありました。
「ふたりも200個食べて。キッカも食べるから」
そう言って、キッカは手に握った炒り豆をずいと差し出したのでした。
その日、私たちの寿命は少なくとも30年は伸びたと思います。
【その頃、玄武の工房近く】
※執事たちは豆まきウォーの再戦をしています。
「おらぁ!鬼は~そと!!」
霧島は手に握った炒り豆が詰まった手投げ弾を玄武に向かって勢いよく投擲した。
「くそっ…!」
玄武はそう悪態を吐くと、先に作っていた木製の盾の影へと身を隠した。爆発した手投げ弾から飛び出す炒り豆が盾にバラバラという激しい音を立ててぶつかった。
「どうしたどうした!やっぱり鬼は退治される運命にあるのかねぇ!」
霧島は挑発的な台詞を吐くと、再び林のなかへと姿を隠した。さっきからこうして何でも攻撃しては隠れ、隠れられては攻撃されが続いている。
「卑怯だぞ!もっと正々堂々と戦え!」
玄武がそう叫ぶと、林から声が返った。
「はっ!豆まきに卑怯も何もあるか!おら!」
再び豆の詰まった炸裂弾が投擲され、次は露五の陣取る位置で破裂音が響いた。
「こんなの豆まきじゃねー!!」
露五の乾いた叫び声と、炒り豆の香ばしい香りが辺り一面に広がっていた。
ヴィアレット豆知識
キッカ=豆料理が好物だが、納豆はダメ。
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