別荘でのこと 銀雪
12月に入り、より一層の寒さを日々感じるようになってきました。
まだ吐く息が白くなるほどの寒さとはなりませんが、足下や指先は冷えてこわばりそうで、早朝外に顔を出すだけでも恐る恐るとなってしまいます。
さて、毎年この時期となると、ご主人様はヴィアレット家が所有している別荘へと移り、クリスマスまでの3週間をお過ごしになられています。
宮殿のような邸宅や、都市のように整地された庭園も好ましいですが、人里離れた風光明媚な地でゆっくりと自然の移ろいを感じるというのも贅沢なことと思います。
特にご主人様が住まわれている邸宅は木造と煉瓦で造られていて、バロック様式の風合いは童話に登場する家々のようでとても可愛らしく、景観と美しく溶け合っていました。
また、別荘にはご主人様と私たち使用人たちの住まう邸宅の他にお茶や食事が楽しめる離れが設けられていました。
そこはまるで南国を思わせるほど温かくて、磨りガラスの天窓から柔らかな光線が差し込み、学者様の奏華さんが育てられた色とりどりの薔薇によって彩られていました。小さな庭園にはハーブがいくつも植わっており、少し前に収穫されたローズマリーの紅茶がとても芳しくて、寒空を見て不意に訪れる感傷的な気分も癒やされる思いでした。
そして、なにより豊かな自然が与えてくれる可愛らしい友人の存在も、私たちを楽しませてくれるのでした。
「いい?エティエンヌ。さっき教えたとおりにするのよ」
「クキャッ!」
雲ひとつ無い晴れた冬空の元でも太陽が燦々と輝いて、凍てついた空気を温めてくれるお昼頃。
瑠璃ちゃんが一匹のリスに話しかけていました。
その子は温室に設けられた鳥箱に住み着いていたリスで、私たちがお茶を楽しんでいる時にひょっこりと顔を出してくれました。最初こそは少し警戒していたようでしたが、瑠璃ちゃんが餌付けをすると直ぐに懐いて、数日もするとああしてよく話を聞いてくれているのです。
その姿はまるでお伽話に出てくる森のお姫様のようで、私は正直に言うと少し羨ましく思いました。
「ふふふ、頼んだわ。棗の驚く顔が目に浮かぶわね。これは報酬の前払い。残りは成功してからよ」
瑠璃ちゃんはそう言ってエティエンヌに大きなヘーゼルナッツをひとつ手渡すと、「キッ!」とひとつ鳴いて邸宅の方へと走り去って行きました。
「瑠璃ちゃん、悪戯もほどほどにしないと怒られちゃうよ」
「心配いらないわよ。ちょっと驚かしてやるだけなんだから」
瑠璃ちゃんはわくわくと楽しそうな顔をして切り株に腰掛けました。
「もう…でも、瑠璃ちゃんがリスとお喋りできるなんて知らなかったな」
「もちろん、言葉は分からないわ。なんとなく、お互いにやりとりができるだけよ」
しばらくひなたぼっこを兼ねてそんな話をしていると、ピクピクと瑠璃ちゃんは耳を動かし邸宅の方へと目をやりました。見れば棗さんが何かを手にしてこちらへとやってきました。
「急に飛びかかってきたのですが、ひょっとしてこちらの子ですか?」
そう言って棗さんはエティエンヌの首根っこを指先で摘まんで私たちの前に差し出しました。
「あら、よく分かったわね。エティエンヌよ。可愛いでしょ?」
瑠璃ちゃんは切り株から立ち上がって、お尻の埃を落としながらそう言いました。
「ここでは温室の方でしか、リスは見ませんでしたから。ちょうどご主人様のお茶が終わった時でしたので、危うくお嬢様のカップを割ってしまうところでした」
棗さんはこめかみに指を添えながらそう言ったのを聞いて、私はお腹がひゅっとなるのを感じました。隣では瑠璃ちゃんが顔を青ざめさせていて、見れば尻尾もぶわっと広がっていました。
「はぁ、やはり貴女の仕業でしたか」
棗さんはやれやれと首を振り、エティエンヌを顔の前まで持ち上げて言いました。
「瑠璃は当然知っているとは思いますが、ジビエ料理にはリスも出てくるのですよ」
「さぁ、どうしましょう?私は狩猟で捕獲した動物は皆残さず頂く主義です。特にこの子は丸々としていて、さぞかし美味でしょう」
「そ、そんな。嘘でしょう、棗」
瑠璃ちゃんは一層緊張した様子で不安そうに顔を青ざめさせていました。
エティエンヌの方は観念したのか、特に暴れる様子はなくうなだれた様子で、棗さんのなすがままになっていました。
「な、棗さん…」
まさか本当に食べてしまうのではないかとハラハラとしていましたが、
「冗談ですよ」
棗さんは少しばかり口角をあげて、ふぅとため息をひとつ吐いてエティエンヌをそっと切り株へと降ろしてあげました。
「エティエンヌ~」
「キキッ!」
間一髪のところで危機を脱することのできたエティエンヌは瑠璃ちゃんの懐へと逃げ込みました。
「その子もヴィアレットの住人。勝手な殺生などご主人様はお許しになりませんわ」
棗さんはそれだけを告げると、何事もなかったように背を向けてその場を後にしようとしましたが、
「棗!」
瑠璃ちゃんは私にエティエンヌを託すと、棗さんを呼び止めました。
「わ、悪かったわ。その…」
瑠璃ちゃんはバツの悪そうにいつもぴんと立つ耳を前方にぺたんと折り、どこか所在なさげに俯いていました。
「もういいですよ。被害もありませんし。いい加減、貴女も悪戯は控えるように。あとマリーがお茶の時間ですと仰っていましたよ」
「良かったね瑠璃ちゃん」
瑠璃ちゃんは「うん」と一言だけ頷いて、棗さんの隣を歩き始めました。
「私たちもお茶にしましょうね」
私はエティエンヌを胸に抱いてふたりの後をついていきました。
珍しく並んで歩くふたりの話がふと聴こえてきました。
「そういえば、棗もリスを食べたことあるのね。どんな料理が好きなの?」
「料理ですか?私はつみれにすることが多いですね。骨も頂けるので」
「あぁ、お鍋にするのね。いいじゃない。パスティ(パイ)は食べたことない?美味しいわよ」
「そういえば、ロンドンで一度頂きましたね。えぇ、確かに美味しかったです」
「瑠璃は小さい頃によく食べたわ。英国に流れた時に覚えたのだけど、日本ではあまり馴染みがないから懐かしい味よ」
「そうでしたか。この時期のリスは甘みがあって良い味ですよ」
「それはいいわねぇ」
突然ぴたっと棗さんも瑠璃ちゃんも歩く足を止めると、ゆっくりとこちらを振り返りました。
「瑠璃。今日のお昼は済ませましたか?」
「まだね。でも、棗と話してたらつみれが食べたくなったわ」
「パスティも恋しいですね」
「そうね」
二人は何気ない同僚同士の会話をしていましたが、明らかにその目はエティエンヌへと向いていました。先程の森の姫のイメージは消え、代わりに虎と狼が舌なめずりをするようなものへとなりました。
動物的な本能で危機を察したのか、エティエンヌは私の手を飛び出して、さーっと温室の方へと逃げ去ってしまいました。
「さすが野生(です)ね」
その逃げ足に棗さんと瑠璃ちゃんはさも関心したとばかりに同時に言いました。
「おふたりとも少しお話があります」
私はにっこりと笑顔をおふたりに見せました。
笑顔は自然界ではどういう表情を表すか。
「ゆ、雪、どうしたの豹のような目をして」
「銀雪、これはその、違うのですよ」
瑠璃ちゃんと棗さんは随分と狼狽えた様子でした。
笑顔の起源とは元々、威嚇の表情なのです。
次の日、お屋敷ではふたりのてきぱきと見事な連携の仕事を見ることができました。
「ふたりが仲良く仕事してるなんて珍しいわね。良いことだわ」
お嬢様はその様子を満足げな様子でご覧になっていました。
私はご主人様のそばでにこにこと笑うだけに留めました。
ヴィアレット家豆知識
エティエンヌ(ニホンリス)=数日間、棗と瑠璃には近づかなかったが、クルミを貰って和解した。
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