メイドたちのおうちキャンプ
9月も半ばとなった。例年ならば柔らかい涼風が肌を撫で、美しい鈴虫の音が長い夜を慰めてくれる時期となるはずであるが、どうしたわけか季節はふらふらと足下が定まらないようで、未だに昼はかっかと暑くじめじめとした不快な日々が続いていた。しかし、それでも週に一日程度は秋らしい爽やかな夜が訪れる日もあり、やや青みがかった空には薄い雲間に燦然と輝く月が顔を覗かせたりしていた。
「う~ん、満月の日に晴れてくれるなんて、今日はラッキーデーっすね」
ちょうど美しい月明かりが輝く日、中=ヴィアレットの屋敷裏にある山の中腹で、ニーナ=アリエッタが空を見上げながら言った。灰色の瞳の先には、地平線の向こうから昇る月がぼんやりと見えていた。
「ニーナ。貴女さっきから喋ってばかりで、全然手を動かしてないじゃない」
一花はニーナのそんな様子にため息交じりに答えた。彼女の手元には銀製のナイフやフォークが整然と並べられており、計6人分が準備されていた。
「早く並べてしまわないと、皆さん戻ってきてしまいますよ」
ふたりが準備の為にいるテーブルのそばで、雪が屋敷から持ってきた皿を綺麗に並べながら言った。樫の長テーブルに敷かれた紫色のテーブルクロスに置かれた皿の一枚一枚には、狼や豹や猫などの動物が美しくデザインされており、皿の前には鮮やかなダリアの花が活けられ、まるで絵画のひと場面かのように絵になる姿だった。
「あはは、ごめんっす。でも、こんなに涼しくて良い日ならのんびりしたいなって思うじゃないっすか。おっと・・噂をすれば戻ってきたみたいっすね」
ニーナは透明なテントの先に3人の姿を見つけると、すたすたと外へと出て行った。
「おかえりなさいっす。もう待ちくたびれたっすよ~」
「ただいま戻りました」
「ただいま~」
「ただいまですの」
棗、瑠璃、マリアンヌの三人はそれぞれバスケットを抱えており、なかには屋敷のキッチンで作った料理が納められていた。
事の始まりは中家でのラウンジで夏の間、執事やメイドたちが休みをどう過ごしたかを喋っている時だった。珍しく屋敷に戻っていた霧島とグスタフが夏の間に山でキャンプをしていた話を冗談も交えつつ聞かせていると、「私たちもキャンプに行ってみたいね」とメイド達が顔を見合わせて話し合っていた。そのうち、狩猟経験のある棗や、テント泊に抵抗のない瑠璃に白羽の矢が立ち、近いうちにやってみようという話になった
しかし、その話を聴いていた松永九に、『女の子だけで行くのは危険ですわ。ママは絶対許しません』と固く注意を受けたのだった。この時ばかりは棗も瑠璃もともに、『私たちは慣れてるから大丈夫ですよ』と説得したのだったが、九の態度は一層頑なになるばかりだった。
結局、ならば屋敷の敷地内でキャンプをするくらいなら良いのではと、にゃん太郎が助け船を出してくれ『まぁ、それでしたら』と不承々々といった感じでようやく納得したのだった。
そのため、彼女たちの過ごしているテントはヴィアレットの敷地内にある山の中腹に設えられており、すぐそこには玄武と露五の工房もあり、もし何かあった際はすぐに連絡するようにも言い含められているのだった。
テントに入ってすぐに、棗と瑠璃は自分の作った料理を用意された皿に盛り付け始めたが、暫くして、瑠璃が棗の用意する皿を見て言った。
「ちょっと棗。あんた何それ」
「何がですか?」
棗は手にした保存容器から皿に盛り付けをしている最中だった。
「瑠璃のジビエ料理と被ってるんだけど。真似しないでくれる?」
瑠璃は腰に手を当てて、棗を睨み付けるようにして言った。それに対し、棗の方は眼鏡のフレームを指で直しながら努めて冷静に答えた。
「濡れ衣です。人聞きの悪い事を言わないでください。それに私のは自分で捕獲した猪肉です。貴女こそ私の真似をしないで頂きたいですわ」
「エルプセンツェーラー!(※ドイツ語でえんどう豆数え→堅物)」
「駄犬・・!」
「「ぐぬぬ・・」」と、お互いに触れあいそうなほどに鼻を突き合わせていた。狼と豹が威嚇し合うような迫力があったが、他の4人は『また始まった』と言わんばかりにため息をついた。
「お、お姉さま落ち着いてください」
「瑠璃ちゃんも落ち着いて・・。そ、そうだ!おふたりの料理凄く美味しそうですね!何を作られたのですか?」
一花と雪になだめられると、少しだけ冷静になったふたりはそれぞれ盛り付けた皿を披露しながら答えた。
「私は猪肉のワイン煮込みです。付け合わせには雑穀ご飯をご用意しました」
棗の用意した皿には、柔らかく煮込まれた猪肉に甘い芳醇な香りのするソースがかけられており、雑穀ご飯の彩りとマッチした繊細さの感じさせる料理だった。
「瑠璃のはラム肉よ。スペアリブのバルサミコ酢ソースがけ」
反対に瑠璃の用意した料理は骨付きのラム肉をフランベしただけのシンプルなもので、その上には柑橘類を濃縮した芳しい香りのソースがかかっている。手の込んだ棗の料理と比べるとやや野性味を感じるもので、外で食事をするという環境ではむしろ相応しい気もする。
「どっちも美味しそうっすね~。早く食べたいっす」
ニーナはそう言って、いそいそと自分の席へと着いてしまった。まるで子どものようにそわそわと身体を揺らしており、それを見て雪とマリアンヌも席へと着いた。
「もう6時も過ぎてしまいましたし、私もお腹ぺこぺこです」
「そうですの。おふたりももうケンカしないで、お食事を楽しみましょう?食事のあとにはデザートのパンプキンケーキもありますのよ」
3人の振る舞いをみて少し恥ずかしくなったのか、棗も瑠璃も特に何も言わず自分の席へと着いた。一花はその様子を見て、ほっと息を吐き、ニーナの隣の席へと着いた。
「ニーナ。助かったわ、ありがとう」
一花は小さくそう囁いたが、ニーナは一花の気持ちを知ってか知らずか、屈託ない笑顔を見せた。
「ん~?私は何もしてないっすよ。早くご飯が食べたいなって思っただけっす」
一花はその笑顔に苦笑するばかりだった。
ヴィアレット家豆知識
グランピングテント=科学班特製の特殊フィルムで作られたテント。元は非衛生な環境でも医療行為が行えるようにと開発された医療用だが、ガラスのような透明度と丈夫な素材のため、キャンプ用テントとしても販売されている。
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