少女の一日

 季節は足並みを乱して進行していた。

 積もり積もった汚穢を吹き払ってくれそうな秋涼も、今年は手に乗った糸くずを吹き飛ばす程度に留まっており、未だに身体の周りを重苦しい湿気が不愉快げにまとわりつくような日々が続いていた。

 それをごまかすように、少女は8月の炎熱のなか、読書に食事に団欒に惰眠にとありとあらゆる楽しみにふけって過ごした。一日中寒いほどに空調の効いた部屋にこもり、起床は昼過ぎ、明るいうちからワインを開け、夜には年若い執事とメイドたちを呼んでゲームやとりとめの無いおしゃべりをして、外が白んでくれば眠る。

 だがそんなロココ調末期の貴族のような自堕落な生活を半月も続くと、次第に少女は疲れを覚えるようになった。心地の良い疲れであったのは間違いなかったが、ふと目を覚ました朝に、生来の孤独と静謐を愛する繊細な精神が首をもたげてくると、それまで楽しんでいた遊びに食指すら動かなくなってしまったのを感じた。

 隙間無く噛み合った歯車同士が激しく連動し合うとき、火傷をしてしまいそうな程の熱を発するように、毎日のように繰り広げられる宴楽にも、また時として大いに疲れを覚えさせてしまうのは紛れもない事実である。

 9月に入り、ある程度涼しさもやってくると、少女はそれまでの賑やかな生活にブレーキをかけるかのように静かな一日を送るようになった。

 朝はそれなりに規則正しく起床し、湯浴みや軽い化粧と身支度を済ませた後には、バターやジャムを塗ったパンや温かい牛乳に浸したオートミールなどを食べ、あとはお昼まで執事やメイドたちと談笑をしたり、時にはお昼時までぼんやりと本を読み返したりして過ごした。時計の針が天辺を指すと、再び軽い食事を済ませ、ヴィアレット家本家に設けられた植物園や、先祖たちが代々受け継いできたコレクションの展示室などへと赴いた。特に少女が何度も入り浸っていたのは、ヴィアレットが大航海時代からフランス革命期の頃までに蒐集した宝石やジュエリーが並ぶ部屋だった。

 案内してくれた本家のメイドは何度か身につけてみることを勧めてくれたのだが、そこはやんわりと辞退する程度にとどめた。実のところ、少女は宝石の輝きに興味があったというよりも、その石や金属の存在の裏にある人の歴史に惹かれていた。宝石群の下に細々と書かれた詳説を読み、いつ誰がどのように作らせ身につけたのかということに遙か想いを巡らせることに楽しみを感じていたのだった。

「時代を超えて同じ物を付けることは吝か《やぶさか》ではないのだけど」

 展示室を後にしつつ、少女はそう独りごちながら、数年前にフィレンツェのウフィツィ美術館に行った際に見たティツィアーノの『ウルビノのヴィーナス』を初めて見た時のことを思い出していた。少女の愛読書である『悪徳の栄え』に登場する主人公ジュリエットは、一枚の絵画のなかに閉じ込められた、寝台へとしなだれかかった美しい瞳と金髪の裸の美女を眺め、同時に芸術と自然の美しさを口を極めて礼賛するのだった。その作者であるサド伯爵もまた、同じ地でその絵画を見たのだとすると、少女には数百年の時を超えて繋がることができたという感動が去来するのだった。

 少女にとってみれば、市井の人々が躍起になって教養と称して知識をため込み、それを人にひけらかすということに血眼になっている姿が、実にくだらないことに思えた。もちろん、少女にも無闇に知識をため込み、それを一流の証と勘違いしていた時期もないことはなかった。いかにも物知り顔に執事やメイドたちに聴かせることもあったが、それはより洗礼された専門家の足下にも及ばない浅薄な知識に過ぎないと言うことにすぐに気付いた。

 それを思い出すたび、『あの頃を思うと、顔から火が出そうだわ』と少女は顔を隠したくなる程の恥を覚えた。

 このような様子で陽が出ている間を、少女は過ごしていたのであるが、太陽の光の元に全てが躍動するのとうって変わって、月の淡い光と暗闇に時が止まったような錯覚からか、自らもまた永遠の存在であると言うことを認識できる気がしていた。特に夏の間に何度か訪れた突然の大雨が窓を打ち付けたりすると、そのバシバシという音が何とも心躍る気がして、薄明かりのランプをそばに椅子に座ってじっとその雨音を聴いていたりしていた。

「お嬢様、そろそろお休みになられては」

 一回りした時計の針が天辺を指したとき、眼鏡をかけた堅物のメイドがそう告げた。

「そうね。明日は8時に起こしてちょうだい」

 少女はそう言って、ベッドへと潜り込んだ。真っ暗な部屋のなかでは外の雨音だけが静かに聞こえていた。

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